処刑の噂
森には木々が立ち並び、薄緑の葉の隙間から木洩れ日が地面に優しく照っている。鳥の鳴き声があらゆる方向から聞こえてきた。
「だから言っただろ。ここでは人間ってだけでイジメの対象になっちゃうんだ。ましてや、魔法使いと人間との間にできた子なんてバレたら、もっと酷いことになる。たとえ試験に合格したって、いいことなんてないんだぜ」
エマの気持ちを探るようにジルーは言う。
「それでも、わたしは試験に合格したい」
エマはきっぱり言った。もしかしたら、母親もこの学校の出身なのかもしれない。そうじゃなくても、どこかの魔法学校には通っていたはずだ。自分にもその学校に通う資格がある。それを証明するだけでも何かが変わるような気がした。
「まあ、好きにすればいい。本当に合格してくれたら、オイラの株も少しは上がるだろうから」
ジルーの尻尾はもうしょんぼりしていなかった。
「さっきみたいに嫌なことがあったら、この森の中にきて深呼吸すればいい。こんな風にね」
ジルーは止まってエマの方を振り向くと、胸を大きく膨らませて空気を吸い込み、それをゆっくり吐き出すと、
「ああ、エリックのことなんて忘れちゃったよ」
確かに明るい表情に戻ったような気がして、エマも真似してみた。
家から近い山の中も空気がキレイだったけど、この森の中はそれよりさらに澄んでいて、肺の中だけじゃなくて、カラダ中が新鮮な空気をよろこぶ。頭の中がスッキリして、アントワーヌのことなど忘れてしまった。けれど、
「性格はちょっと悪いけど、アントワーヌのラクティッチの才能は本物なんだ。ひょっとしたら、今年は大会で決勝まで勝ち進めるかもしれないな」
再び森の中を進みだしたジルーがそんなことを言うものだから、エマはアントワーヌのことを思い出してしまい、もう一度深呼吸をしなくちゃいけなくなった。
そうして歩いていると、やがて森の中に一ヶ所だけ、真四角に切り抜かれたように木々が立ってない場所があって、そこには色とりどりの花が咲いていた。その場所だけ、春の生命の息吹をぎゅっと凝縮したような美しさに満たされている。
「キレイ」
エマが思わず駆け寄ると、
「おっと待った。下手に触らないでくれよ。ここはクレマン校長が手入れしてる庭園なんだから」
「校長先生が?」
どちらかといえば『冬』が似合いそうなクレマン校長と、この華やかな場所とはイメージがかけ離れているような気がして、エマは不思議な気持ちがした。それと同時に、
「花は育てるひとの心を映す鏡」
そんな言葉を思い出して口に出し、花弁のオレンジ色が中心部ほど濃く、外に向かうほどに薄くグラデーションになっている花をジッと見つめた。柑橘系の爽やかな香りが漂ってくる。
「何だって?」
ジルーに訊かれて、
「お父様が教えてくれた言葉。お父様はお母様から教えてもらったって」
エマは別の花びらにも目を向けながら答えた。
「へえ。じゃあ、クレマン校長の心はこんなにキレイなのか」
ジルーは何かを考えるように近くにある花を見つめる。
「どうかしたの?」
「いやさ、クレマン校長は色々と誤解されやすい性格だから。考えてることや何かが、こういう風にわかりやすく伝わればいいのになって」
確かに、エリックといいアントワーヌや他の生徒たちといい、魔女狩りに遭った人間を救済するクレマン校長の計画は、反対者が多いようだった。
「ねえ、どうしてクレマン校長は人間を助けてくれるの?」
「さあ、オイラにだってわかんないよ」
ジルーは肩を竦めると、
「そっちが生徒たちの寮になってる。男子寮と女子寮。試験に合格すればこっちに移れるから、少なくともあの屋根裏部屋よりはいい環境になるね」
その言葉通り、すぐ先の森の終わりに赤レンガ造りの三階建ての建物が二棟見えた。どちらも壁全体にツタが伝っていて古めかしいけれど、めいっぱい陽を浴びていて、それだけでもあの陰気な屋根裏部屋よりは住み心地が良さそうに見える。
さらに先に進むと、寮よりも小さなレンガ造りの建物があった。
「ここが、オイラたち使い魔の寮。試験勉強に使う本をあげるから部屋に行こう」
ジルーに言われるままにエマは寮に入る。仕事中で誰もいないのか、中はひっそりしていた。
「ここがオイラの部屋」
ジルーに案内された部屋の中は、壁中にラクティッチの選手のシャシンや、その選手たちが着ているのと同じユニフォームが何枚も飾られていた。それだけじゃなくて、スティックや球、挙句の果てには一本だけだけど、部屋の隅にゴールまで置いてある。
机の上と床には魔法に関する書籍が山積みにされていて、部屋の中で何も積まれてないのはベッドの上だけだった。
ラクティッチと魔法の研究。この部屋を見れば、ジルーが何に興味を持っているか一目瞭然だった。
「本当にラクティッチが好きなんだね」
「オイラ、プロのラクティッチ選手の希少なカードをたくさん持ってるんだ」
ジルーはベッドの下に潜り込んで、黒い金属の箱を取り出した。
「それは何?」
エマが訊くと、
「盗まれないように大事な物をしまっているのさ」
ジルーはそう答えて、
「アぺラ」
小さな声でそう唱えると、金属の箱の蓋が白銀色にキラキラ輝いてパカッと開き、中には本が入っていた。
「今、魔法を使ったの?」
「そうさ。カギを開ける呪文。別に声に出さなくてもいいんだけど、オイラは癖でそうしちゃうんだ」
ジルーがそう言いながら本を取り出して開くと、中身は本ではなかった。ラクティッチの選手が写る、手のひらサイズのシャシンのようなものが何枚も収められている。
「これがカード? シャシンみたい」
エマの言葉にジルーはニヤッと笑って、
「そう思うだろ? でもこうすると」
とカードを手に取ると、その中の選手が動き出して、鮮やかなゴールを決めた。
「凄い!」
これにはエマも感嘆する。
「だろ?」
ジルーは得意げだ。
「しょうがないから、とっておきのカードを見せてあげよっかな」
一番最初のページの先頭に入れてあるカードを取り出した。レオ・クレマン選手が相手を抜き去ってゴールを決めているカードだ。カードの端には青い布の切れ端のようなものが貼りつけてある。
「クレマン?」
校長と同じ苗字だ。しかもエマは、その顔をどこかで見たことがあるような気がした。
「さっき、校長室の前に飾ってあったシャシンがあったろ? クレマン校長の隣に写ってたのがレオだよ」
そうだ、あのハンサムな男の子の面影がある。エマは納得した。
「苗字が同じってことは……?」
「校長と結婚してたんだ」
「してた?」
なぜ過去形なのか、エマは気になった。するとジルーは少し暗い表情になって、
「レオはこの学校を卒業すると、プロの選手になって、世界大会で何度も優勝したんだ。史上最高のエーカーって呼ばれてたけど、三十年ぐらい前にいなくなった」
惜しむような目でカードを見つめる。
「いなくなったって?」
「あんたら呑気な人間は知らないだろうけど、その頃、ラガンフリードって魔王が魔界の扉を開いて、魔法界を支配しようとしたんだ。その討伐隊として、高い魔法力を持つプロのラクティッチ選手たちが参加した」
「それで、その時にいなくなっちゃったってこと?」
「扉を封鎖するための魔法を使うために魔界へ行ったままね。向こうは悪魔だらけ。死んだって説が有力視されてんだ。まだ生きてるって、オイラは信じてるけど」
もしかしたら、クレマン校長もレオの帰りを信じて待っているのかもしれない。三十年近くも。エマは同情した。エマ自身も、母親がまだ生きてるのではないかと、帰って来るのを期待していた時期があったからだ。その頃は寝る前になるといつも、父親に隠れて涙を流した。また今日も会えなかったと悲しくなって。
やがて、「生きてるならとっくに戻って来てくれてるはず」だと思うようになって諦めがついた。クレマン校長はどうなのだろう? 気になった。
「このカードが希少なのは、この布にあるんだ」
ジルーは自慢げにカードに貼られた布をエマに見せる。
「レオが世界大会に出場した最後の試合、決勝戦で勝った時に着てたユニフォームの切れ端。本物なんだぜ」
それは確かに希少なのかもしれない。ジルーはそのカードを大事そうに本の中に戻して、その本を金属の箱に入れると、
「クラデレ」
そう呟き、蓋が白っぽく輝いてから、金属の箱をベッドの下に押し込んだ。
「さてと。今日から早速、試験勉強をするんだったっけ」
ジルーは机の上から何冊か本を手に取ると、
「筆記試験は魔法史、魔法学、魔法薬学の三科目。この本を読んで覚えればいいだけ。魔法史の本にはラガンフリードのことも詳しく書いてある。近代史では最も重要な事件だから、試験に出る可能性は高いね」
そう言いながら、それらをエマに渡してきた。どの科目の本もぶ厚くてずっしり重い。パラパラとページをめくると、細かい字がびっしり並んでいる。
「え、何その暗い顔は? もう自信をなくしちゃった?」
「ううん。大丈夫」
正直に言うと、エマはこんなに勉強しなくてはいけないことが多いとは予想していなかった。
「そりゃそうだ。エリックに試験に絶対合格するって断言したんだから、これぐらいで怖じ気づくわけないよね」
ジルーはエマの言葉を信じている様子。エマは、エリックに対する自分の発言を早くも悔やんだ。
「筆記試験はひたすら覚えるだけだから問題ないけど、一番の難関は実技試験」
そう言うと、ジルーは机の引き出しの中から真四角の木を取り出した。その上に金属の円盤が乗っていて、その中に真ん中を釘づけされた小さな棒が、ちょっとした振動で右に左にと揺れている。
「これは?」
「これは物を動かすための初歩的な魔法『ムベラ』の力が目に見えてわかる『テスター』っていう装置なんだ」
「ムベラ……」
エマは呪文をそっと口にする。今まで物を動かす時には、「動け!」や「動いて」などと頭の中で命じていただけだった。
そのことを口にすると、
「それは魔法というよりもネンに近いね。校長室で羽を動かした時もネンだった」
「ネン?」
エマが首を傾げると、ジルーは近くにある紙に羽ペンで『念』と書いた。
「まあ、わかりやすく言えば、魔法を簡略したようなモノだね。呪文を使えば、もっと強力になるはず。試しにやってみな」
ジルーに促されて、エマは円盤の中にある小さな棒を見つめて、
「ムベラ」と口にした。
すると、小さな棒が微かに光って、ゆっくり回り始めた。
「うん。魔法使いの血が半分流れてるだけあって、純粋な人間よりは見込みがありそうだ」
ジルーは頷くと、小さな棒を手で止めて、
「もう一回、回してみて」
と促してきた。
「ムベラ」
言われた通りにエマが呪文を唱えると、小さな棒がまた光った。けれど、わずかにしか動かない。それどころか逆回転を始めてしまった。
「どうして……?」
エマは不思議に思ったけど、ジルーも小さな棒を見つめてることに気がついた。
「ジルーも魔法を使ってるの?」
「ん?」
ジルーはイタズラが見つかったように笑いながら顔を上げた。
「よくわかったね。そうさ、オイラは逆方向に動くように念じた」
「どうしてそんなことを?」
ただ、からかっているのかとエマは思った。
「試験本番は、クレマン校長が同じことをしてくる可能性があるからだよ。この試験は、校長室でクレマン校長と一対一で向かい合ってやるからね」
あの校長とあの部屋で一対一。エマは想像するだけで緊張してきた。
結局、この日は外が薄暗くなるまでエマはテスターと向かい合って、ジルーを相手にムベラの魔法を繰り返した。
エマは少し手応えを感じた。筆記試験は覚えることが多いけど、逆に言えばひたすら覚えればいいだけだ。時間は三ヶ月近くもある。実技試験だって、すでにテスターの棒を動かせるのだから、後はその力を強めていけばいい。
ジルーから借りた数冊の本とテスターを持って外に出ると、辺りには食欲をそそる匂いが漂っていた。エマのお腹が鳴り、
「今日の夕食は何だろ?」
ジルーはヨダレを垂らす。
すれ違う生徒たちが、エマを見て何か囁き合ってクスクスと笑ったり、露骨に嫌そうな顔を向けてきた。
エマはなるべく無視しようとしたけど、それでも気になってしまう。
――慣れるしかないんだ。我慢するしかない。
自分にそう言い聞かせた。
校舎まで来ると、
「オイラはもうここまででいいだろ? 明日は始業のチャイムが鳴る前に屋根裏部屋に迎えに行くから」
そう言われてジルーと別れた。
エマは誰にもすれ違いたくないと階段を駆け上がり、屋根裏にある自分の部屋のドアをノックした。――何の返事もない。
もう一度ノックしても同じでエマが困っていると、
「どうしたの?」
優しげな声が後ろから聞こえてきた。
エマが振り返ると、茶色の髪をお下げにしていて、目が少し垂れ気味で柔和な笑顔をした、声と同じく優しげな雰囲気の女の子が立っていた。エマと同じく痩せていて背の高さも同じぐらい。エマは一瞬で親近感を覚えた。
「あの、わたし、今日からこの部屋に住むことになったエマっていいます」
自己紹介すると、
「あなたがエマね。エルザから聞いたわ。わたしはソフィ。よろしくね」
ソフィが片手を差し出してきて握手を交わした。
「それで、どうしたの? こんなところに立って」
「ノックしたんだけど、返事がないから」
エマがそう言うと、ソフィは笑った。
「遠慮しないで、自分の家だと思って入っていいの。どうせエルザは寝てるから、返事を待ってたらずっと突っ立てるようよ」
そう言ってドアを開けると、予想通りエルザは自分のベッドの上でいびきをかいていた。
ソフィが声を出さずに「ね?」という表情でエマを見て微笑む。
エマも微笑んで、自分の机の上にジルーから貰った本を置いた。
「エマ、もう夕食は食べた?」
「まだ」
「じゃあ、一緒に行きましょう」
ソフィに連れられて、エマは下の階に降りてすぐの教室に入った。
そこには、熱々のシチューやパン、肉料理、ミルクが並んでいて、
「好きに食べて飲んでいい」
ソフィに言われてエマは驚いた。たとえ夢であっても、こんなにも贅沢な食事を見たことはない。
「本当にいいの?」
皿に料理を盛っている間、エマはソフィに何度も確認しては笑われたけれど、不安で仕方なかった。口に運ぶ直前に誰かに取り上げられて、束の間の夢を楽しんで終わりになるのではないかと思ったからだ。
けれど、そんな意地悪をされることもなく、エマは夢の続きを堪能することができた。
「幸せそうに食べるね」
ソフィに言われて、
「だって、幸せだもの」
笑顔で答えたエマは、周りにいる他の子たちが疲れ切った表情をしていることに気づいた。誰も食事を楽しんでいる様子はない。ただ義務的に口に運んでいるみたいだ。
よく見ると、ソフィの顔にも疲労が滲んでいる。
「ソフィは幸せじゃないの?」
エマが訊くと、
「ここに来た最初の頃は良かったけど、もう慣れちゃって。いつも同じメニューだし。寮の子たちは毎日、違うらしいけど。それに、仕事で疲れてて、胃があんまり食事を受けつけないの」
確かにソフィの皿はあまり盛られていない。他の子も同様だった。エマは急に、自分だけがこんもり盛ってるのが恥ずかしくなった。それを察したソフィが、
「気にしないで食べて。エマ、かなり痩せてるもの。地上ではちゃんと食べてなかったでしょ?」
と言ったことがきっかけで、お互いの身の上話をすることになった。
まず、エマが村での話をすると、次はソフィの番。九人兄妹のちょうど真ん中で産まれ育ったソフィもまた、貧しい生活を強いられていた。
ある日、街にやって来た宣教師が無差別で魔女狩りを行い、監禁されて食事も水も与えられずに丸二日を過ごしたソフィは、目の前にミルクとパンを差し出されて、「魔女だと認めたら食べていい」と言われて、その通りにした。
「ひとかけらのパンと虫が入った汚いミルクと代償に、わたしはもう家族と一生、会えなくなっちゃった。けど、あの時に魔女だと認めてなかったら、餓死してたと思う」
ソフィは手に取ったパンのかけらを見つめながらそう告白して、
「ここにはいつ来たの?」
エマの質問に顔を上げた。
「一ヶ月ぐらい前」
「試験はいつ?」
「十二月」
「十二月? わたしも!」
エマはソフィと誕生日が一日違いであることがわかり、グッと親近感が湧いた。エマの方が先に試験を受けることになる。
「わたしはダメ。だって正真正銘、ただの人間だもの。筆記試験は何とかなるかもしれないけど、テスターはいくら頑張っても動かせない。ピクリとも動かないの」
ソフィは大きくため息を吐く。
「いつもこの時間になると憂鬱になる。また一日が終わって、あと何日したらここから突き落とされて死ぬんだろうって。せっかく火あぶりの刑から逃れられたのに、これじゃあ毎日、精神をじりじりと焼かれてるようなものだと思う」
それを聞いて、エマの食欲も失せてきた。周りの子の顔色が冴えない理由がわかった。仕事の疲れだけじゃない。死刑を待つ精神的なストレスも胃に負担をかけて、食事からよろこびを奪い取っているのだ。
「試験に合格できないと、クレマン校長に突き落とされるって本当なの?」
エマが小声で訊くと、ソフィはゆっくり頷く。
「エルザから聞いた話だと、不合格者は試験終了後、荷物をまとめるように言われる。それで、校長先生にゴミの集積所まで連れて行かれるの」
「ゴミの集積所?」
「学校で出たゴミをまとめて置いておく場所。森の東側にあるんだけど、屋根の上にのぼれば見える。わたしも一度だけ、エルザに誘われて死刑の様子を見ちゃった」
ソフィの顔が急に青白くなり、シチューをすくうスプーンを持つ手が小刻みに震える。
「大丈夫?」
エマは心配になった。と同時に、『死刑』への恐怖が増した。
「うん。ただ、思い出しちゃって。集積所の先には何もない。空が広がってるだけ。そこに校長先生が不合格になった子を連れて行って、何か話してた。笑顔で。あの笑顔、忘れられない。校長先生は最後にその子を抱きしめてから、躊躇なく突き落としたの。落ちて行く様子をしばらく眺めてから、笑顔で引き返して行った」
ソフィはスプーンを置いて、食べるのを止めてしまった。
エマは『死刑』の情景を想像してみた。冷酷な笑みを浮かべて、不合格になった子を突き落とすクレマン校長。簡単にイメージすることができた。
『ホント、クレマン校長は何がしたいんだか。救済案だとか言っておいて、実は人間を殺すためにやってるってウワサもあるぜ』
エリックの言葉が蘇る。そしてその次には、校長室の前に飾ってあったシャシンが頭の中に浮かんだ。あの中に写っていたのは、ひと殺しとは無縁に思える明るい少女だった。でもそれは、愛するレオと一緒にいた時のものだ。そのレオを失ってしまったために、クレマン校長は心を病んでしまったのかもしれない。
「その死刑を見た時、エルザは吐いてたわ。まさか本当に突き落とすなんて思ってなかったみたい。エルザはテスターを動かせないし、頭だって悪いからね。……明後日、エマも見る?」
「何を?」
「別の部屋の子が試験を迎えるの」
ソフィは声を潜めて、
「ほら、そこにいる子」
部屋の隅でひとりきりでパンを齧っている、鳥の巣を頭に乗せたようなモジャモジャな髪の毛をした、小柄な女の子に視線を向けた。
「カーラって名前なんだけど、同じ部屋の子の話では、ろくに会話もできないんだって。読み書きもムリ。テスターだって動かせないから、試験を受けるまでもないって」
エマはカーラを盗み見た。パンくずやシチューがテーブルにこぼれ落ちても気にする様子はない。その目は泳いでいて、エマには見えない何かを見ているようでいて、実際には何も見ていないような目をしていた。
「うん」
エマはソフィに頷いた。ひとが処刑されるところなんて本当は見たくない。けれど、いずれ自分にも訪れるかもしれない運命を見ておく必要があると思った。
部屋に戻るとエルザはイビキをかいて寝たままだった。一向に起きる様子はない。
「わたしももうダメ。疲れちゃった」
ソフィは自分のベッドに倒れ込み、
「エマも休める時に休んでおいた方がいいわ。仕事をするようになったら、寝ても寝ても疲れが溜まっていく一方だから」
そう助言するとすぐに眠りに就いてしまった。
エマも自分のベッドの上に横になったけれど、色々なことが起こったせいで頭が冴えてしまい、しばらく寝つけそうになかった。
ただ、カラダは疲れていた。明日からの生活を思って期待したり不安を抱いたりしているうちに、いつの間にか眠ってしまった。