天才児アントワーヌ
外は晴れてきていて、さっきよりも芝生がさらに青々と茂って見えた。
その芝生の上には、これから授業をするために箒を持った生徒たちが飛び出してきている。白いワンピースの腰には黒の布。一年生だ。
エマは庭の縁をぐるりと、森の方へ向かうジルーの後について歩く。ジルーの尻尾はしょんぼり垂れている。
「オイラたち使い魔は最初、教師たちのサポートをするために、この学校に来るんだ」
ジルーは前を向いたままひとり言のように話し始めて、
「そこで有能だと認められれば、一年生の授業を教えることになって、次に担任、次は二年生を担当してって、どんどん出世していく。今のエリックとは同じ日にこの学校に来たんだけど、奴は今、六年生のクラスの担任をしてて、おまけにラクティッチの監督まで務めてる。差をつけられるばっかりなんだ」
肩を落とす。
「もしわたしが合格したら、出世できるかもしれない」
「逆に言えば……」
ジルーはそこでふと何かに気づいたように、少し間を置いて、
「クレマン校長は、オイラにチャンスをくれたのかもしれないな」
エマの方を振り返る。
「え?」
「だって、今までこんなことなかったんだぜ。人間の子につきっきりで指導するように言われたことなんて」
そう言われると、エマはプレッシャーを感じてしまう。
それから、エリックが言っていた、クレマン校長の『救済案』が「実は人間を殺すため」というウワサも気になった。
確かに、試験に不合格なら突き落とされ、合格してもイジメに耐えられずに退学を選んで自分から落ちてしまうなら、どちらも結果的に「人間を殺すため」ということになってしまうのかもしれない。
「あ、ラクティッチをやるみたいだな。エリックの奴、ちっとも練習に顔を見せないんだ。興味がないくせに、点数稼ぎのために監督を引き受けたのがオイラは許せないよ」
ジルーがぶつぶつ愚痴を言う。
庭にいる生徒たちは、先端に小さな網状の袋のようなモノが付いた、腕の長さぐらいの木の棒を持ち、箒にまたがって芝生の上に影を落としながら飛び交っている。笑い声があふれて楽しそうだ。その声を聞いていると、自然にエマの気持ちも弾んだ。
「ちょっと見学していこうか」
庭の端にあるベンチにジルーは腰かける。エマもその横にちょこんと座ると、
「ラクティッチの試合は、九人同士で行われる」
ジルーが説明を始めた。
「公式の試合ではカラダをぶつけ合うけど、これは授業だからそれはなし。手に持ってるのがスティックで、ほら、球をパスし合ってるだろ。あれを相手のゴールに入れれば得点になるってわけ。ちなみに、スティックで相手のカラダを叩くのは反則だけど、スティック同士だったらOK」
生徒たちは箒で飛び交いながら、スティックの先端の袋で受けては投げてと、握りこぶしぐらいの小さな球を器用に交換し合っている。
そして、受けたり放ったりする度に、球が少し煌めいていることにエマは気づいた。
「あの光は何?」
「魔法力を使ってるのさ。そうしないと、上手く球をコントロールできない。簡単そうに見えるけど、球を交換するだけでも最初はかなり難しい」
ジルーからそう説明を受けたエマは、その球には様々な種類の色があることに気がついた。
「何で球の色が違うの?」
「それぞれ得点が違うからさ。ほら、今、ゴールが立てられてるだろ」
庭の両端に、スティックをエマの背と同じぐらいの大きさに拡大したようなモノが、等間隔で横に並べられていく。
ゴールは地面に固定されると、一番高い時には校舎の三階あたりまで袋が上下して、その袋には赤、白、青、黄、緑、黒の布が巻きつけられて風にそよいでいる。
「ゴールと同じ色に球を入れれば得点なんだけど、それぞれ点数が違う。赤は六点。白は五点、青は四点、黄色は三点、緑は二点、黒は一点。何かと似てると思わない?」
「学年の色?」
「そうさ。それだけラクティッチが魔法界に浸透してるってこと」
エリックにバカにされて、さっきまでしょんぼりしていたのがウソのように、ジルーの顔は輝いている。
「ジルーはラクティッチが好きなんだね」
「魔法界でラクティッチが好きじゃない奴なんていないさ。エリックを除いてはね。あんたもこの世界に早く馴染みたいなら、ラクティッチについて勉強することだね」
ジルーはそう言うと、スティックを使って小さな球をゴールに放り始めた生徒たちを指さす。
ゴールの前には二本間隔でひとり、計三人の生徒が張りついていて、飛んでくる小さな球を防いでいる。
「実際の試合でも、ああいう風にゴールを守る『キーパー』と呼ばれる選手が三人いて、残りの六人で攻撃をすることになる」
「もし、違う色の球をゴールに入れたらどうなるの?」
「その場合は減点されるんだ。ゴールの色に振り分けられた分だけね」
よく聞いてくれたとばかりに、ジルーはさらに興奮した様子で話す。
「ゴールの色に振り分けられた分?」
「たとえば、赤い球を白いゴールに入れちゃったら、六点引く五点で一点。黒いゴールに入れたら、六点引く一点で五点になる」
「それじゃあ、黒い球を赤いゴールに入れたら、一点引く六点でマイナス五点ってこと?」
「そう。中々、呑み込みが早いじゃないか。ちなみにそれは、ラクティッチの中でも最悪のプレーとされてて、『スカンクのおなら』って言われてる。チームメイトや観客からしかめっ面をされるから、そういう名前がついたんだ」
薬草の調合のために父親から算数を習ったエマは、それぐらいの計算をするのはワケないけれど、動きながらだと大変だと思った。どうやらラクティッチは、ただ何も考えずにゴールすればいいだけではないらしい。
コート上に球が散りばめられて、そこからスティックで球を拾い上げて、他の生徒へパスをする練習が始まった。
「あれは何をやってるの?」
「九人中三人はゴールを守るだろ? 残りの六人の中のひとりは『マジーカ』と呼ばれてて、ああやって地面に転がった球を拾い上げたり、パスの中継になって、他の選手にわたす役を担ってる。その時、魔法を使って球の色を変えることが許されてて、相手選手はマジーカだけにはカラダをぶつけることが禁止されてる。ただし、マジーカはシュートを撃つことはできない」
「魔法で色を変える?」
そうなると、得点の計算もややこしくなる。
「そうさ。だから、ゴールに入るまで、味方ですら自分が本当は何色の球を持っていたのかわからない場合もある。マジーカはチームの頭脳なんだ。体力よりも知力と魔法力が必要だから、女の子でも活躍してることが多いポジションだね。クレマン校長もマジーカを務めてた。あと、ラクティッチの試合では、相手選手の肉体に攻撃する以外の魔法なら、ほとんど何でも使うことが許されてる。だから、とっても奥が深いんだよ」
それを聞いて、エマは急激にラクティッチに興味が湧き始めた。マジーカで活躍できれば、イジメられることもないのではないかと思ったからだ。
「それから、地面に金色の球が転がってるの見える?」
ジルーがそう言ったのと同時に、エマがこれまで見たことないほどキレイな肌をした少年が、校舎の方から金色の髪をなびかせて、箒に乗って勢いよく飛び出してきた。
すると、校舎の窓に生徒たちの顔が集まり出した。
「ヘイ、リュカ!」
少年はマジーカの練習をしているクラスメイトに威勢よく声をかけて、金色の球を受け取ると、飛び出してきた勢いそのままにそれをゴールに突き刺した。クラスの中で誰よりも小柄なのに、誰よりも強烈なシュートだった。
コート上だけでなく校舎からも拍手が湧き起こり、
「アントワーヌ、かっこいい!」
女の子たちは頬に両手を添えて、その少年の姿に媚びた声援を送る。
それらをすべて、自分は当然受け取る権利があるものだというように、アントワーヌは自信たっぷりの笑顔でみんなに手を振っている。
「あれがアントワーヌ。入学して間もないのに、校内の選抜チームに入った天才児だよ」
ジルーも他の生徒のように、アントワーヌの姿を惚れ惚れと見つめている。
「今、金色の球をシュートしただろ? チームにひとり、『エーカー』って呼ばれるポジションの選手だけが、金色の球をシュートすることができるんだ」
「金色の球は他と何が違うの?」
「すべて得点が三倍になる。赤いゴールに入れれば、最高点の十八点。これは『天使のおとずれ』って呼ばれてる。みんなを笑顔にするからね」
ジルーがそう説明しているそばから、アントワーヌは金色の球を、一番高い所まで上がった赤いゴールに楽々と決めてみせた。キーパーがまったく反応できない。
そのスピードや球を放る力は確かに凄いけれど、アントワーヌのひとを見下すような態度が、エマは好きになれなかった。
――ラクティッチが少しぐらい上手いってだけで、どうしてこんなにチヤホヤされるの?
そんな気持ちが顔に表れてしまったのか、エマの視線に気づいたアントワーヌが、
「おい、ジルー。一緒にいるのは人間だろ」
そう言うと、上空から一気に降下してエマの方へ飛んできた。
そのままぶつかるのではないかとエマは怖くなり、瞼をぎゅっと閉じる。顔に風が振りかかるのを感じて恐る恐る瞼を開けると、目の前に空中でピタリと静止しているアントワーヌの姿があった。エマのことを睨みつけ、口元には意地の悪い笑みを浮かべている。
「さっき来たばかりの――」
ジルーがエマを紹介しようとするのを妨げて、
「あー、臭い臭い! どうりでさっきから臭いと思ったら、人間がいるからじゃないか!」
アントワーヌは鼻をつまみながら、校舎にまで聞こえる声でエマを嘲笑する。
先ほどまで、エマは何となく嫌な視線を感じていたけれど、アントワーヌが旗振り役になったことで、コート上にいる生徒たちは遠慮なく笑い始めた。
「この学校に人間なんて必要ないんだ。さっさと出てけ」
アントワーヌはそう言うと、
「出てけ! 出てけ!」
連呼し始めて、他の生徒たちもそれに倣い、エマは居たたまれなくなってしまう。
「行こう」
ジルーが諦めたように立ち上がり、エマも続いた。
村にいた時には「魔女」と罵られ、魔法界では「人間」と蔑まされる。
――わたしにはどこにも居場所がないの?
唯一の安全な場所だった家も、味方だった父親も、今は遠く離れてしまった。
エマは泣きたい気持ちになりながら、ジルーに続いて森の中に入った。