表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天空の魔法学校の見習い魔女  作者: 相羽笑緒
1/20

みすぼらしい魔女

1480年9月。

フランス国東部の貧農村で暮らすエマ・マルタンは、栄養失調のために父親を失い、九歳にしてひとりで生活していかなければならなくなった。

母親はエマが産まれてすぐに死んでしまい、顔もわからない。生前に肌身離さず持っていたという三日月形の木製の首飾りと、父親が聞かせてくれた思い出話だけが、エマと母親を繋ぐ頼りない接点であり、大切な宝物だった。

今、エマはその飾りを麻紐でペンダントにして、思い出話は心にしまい込むことで、遠くへそれぞれ大事に保管している。

学校へ行かせてもらえず、近所に友達もいないエマにとって、唯一の心の慰めは聖書を読むことだった。ボロボロになるほど何度も何度も読み返していくうちに、ミカエルやガブリエル、ラファエルといった大天使たちが、身近な友達に感じられるようになった。

父親が死んだ時、エマは近所に頼るひとが誰ひとりおらず、財産といえば今にも壊れそうな机とベッドしか置いてない寒々しい小さな家と、ひしゃげた人参しか育たない、四六時中日陰の狭い庭しかなかった。

食料は主に近くの山で探した。それも村の子どもたちに出くわす心配のない早朝か夜になってから。

「魔女」

いつからだろう。エマが近所の子どもたちにそう呼ばれ始め、酷い時には石を投げつけられるようになったのは。

覚えている限りで最も古い記憶は確か、川でひとりで洗濯をしていた時だ。六歳の頃だったか。橋の上から学校帰りの子どもたちが口々にそう言ってきて、エマはうれしくなって笑いながら手を振った。

なぜならエマの母親は魔女だと父親に言い聞かされていたから。そして、エマ自身も不思議な力を持っていた。石に触れることなく少しだけ動かすことができる。けれど、それにはとても集中力が必要で、その能力を使うとヘトヘトになってしまう。

おまけに、外では決してその力を使うなと父親に注意されていた。

「どうして?」

この珍しい力を見せればきっと友達ができるのに。エマは父親がなぜそんなことを言うのかわからなかった。

『ダメだと言ったらダメだ』

父親はそう言うばかりだった。

だから、神様の思し召しでその力が村の子どもたちに伝わり、一緒に遊んでくれるようになるのではないかと、エマは期待して笑顔で手を振った。

ところが、村の子どもたちはエマの反応に驚いて、

「聖水をくらえ!」

欄干に並んで立ち、川に小便を垂れ流し始めたものだから、エマは慌てて川の中から洗濯物を取り上げた。

恐らくそれ以来だろう。エマが村の子どもたちに遭遇するたびに「魔女」と呼ばれるようになったのは。そして、そう呼ばれることが決して褒められるべきことでないことにも気づいた。

だからといって、母親への敬愛を失ったわけではない。

――きっと、お母様はよき魔女だったんだ。わたしとは違って。わたしもよき魔女になれるように頑張らなくちゃ。

そう考えるようになった。

そして、父親が『外では決してその力を使うな』と注意してくれたのは、エマがまだよき魔女になっていないからなのだと理解した

その父親からエマが教わった最も役に立つ知識は薬草学だった。

エマはよく父親に近くの山へ連れて行かれ、そこに生える草の効能をたくさん教えてもらった。草を家に持ち帰って塗り薬や飲み薬に調合する方法も教えてもらった。

苦い汁を飲んだ翌日に喉の痛みが治り、すり傷に緑色のペーストを塗ったらキレイにかさぶたになって傷痕が残らなかった時には、実は父親も魔法使いなのではないかと、エマは本気で疑ったこともある。

そんな尊敬する父親が亡くなり独り身になった時、エマが社会で生き抜くのに通用する知識はその薬草学しかなかった。けれど、エマはそれまで社会的な生き方をしてこなかったため、その知識をどう役に立てればいいのか見当がつかなかった。

ところがひょんなことから、その薬草学がエマの人生をガラリと変えることになった。

それは、父親が天に召されてから一週間ほど経った頃(エマは時間や日付を詳しく知る手段を持たなかったし、それで困りはしなかった)のことだった。

この世で唯一の肉親を失った悲しみに打ちひしがれ、父親との思い出が詰まった山を散策するのが日課になっていたエマは、その日、登山道から少し離れた草むらに中年の男性が腹をおさえて呻いている姿を見つけた。

その辺りでひとを見かけること自体が少なく、ひととろくに接したことのないエマは、普段だったらそのまま素通りしていたことだろう。

けれど、その時は父親を失ったばかりで寂しい気持ちだったこと、そして何より、その中年男性が少しだけ父親に似ていたため、

「どうしました?」

勇気を出して声をかけることができた。

「うっ、お腹が苦しい」

男性は額に大量の汗を掻いて苦悶の表情を浮かべ、すがるようにエマを見た。もじゃもじゃに生えた口ヒゲには泡立った唾が伝い、地面にボタボタと落ちている。その唾のすぐ近くにひと口齧ったキノコが転がっていた。急性の腹痛を引き起こす毒キノコで、

『絶対に口にしてはいけないよ』

父親による薬草学の初歩段階でエマは学んでいた。そして、その毒キノコの解毒作用がある葉っぱも知っている。

「ちょっと待っててください」

男性をその場に寝かせて、目当ての二種類の葉っぱをすぐに探し出して、自分の口の中で混ぜ合わせて団子状になるように噛んだ。通常は道具を使って調合するけれど、急を要するための措置だった。

元の場所に戻ると、男性は息も絶え絶えといった様子だった。

「おじさん、これを飲んでください」

エマは自分の口から団子状になった草を取り出して、男性に飲み込ませた。

「じきに楽になるはずです」

エマの言葉通り、男性の顔色はみるみる良くなっていく。

――天国にいるお父様。お父様のお陰で困ってるひとを助けることができました。ありがとうございます。

エマは胸の前で両手を組みながら、心の中で空に向かって感謝の言葉を投げた。

「ふう……あれ?」

男性は悪夢から目覚めて、現実では何も起こってないことに驚くような表情を浮かべた。

「確かお腹が痛くなって……君は?」

エマのことを不思議そうに見つめる。

「え、あ……」

父親以外の男性とほとんど話した経験がないエマは恥ずかしくなって俯いてしまう。

「ん?」

男性は口の中に指を突っ込んで、歯の隙間に詰まっている草の葉を取ると、そのニオイを嗅いだ。

「もしかして、君がこの薬草を?」

まさか、という顔をしてエマを見つめる。

「は、はい」

もしかしたら怒られるのかもしれない。エマは怖くて顔を上げられなかった。けれど、

「本当かい? 凄い! 助かった。ありがとう」

両肩を掴まれてカラダを揺さぶられながら感謝の言葉をかけられ、エマはうれしさと安堵から顔を上げた。

苦悶に満ちていない状態だと、その男性の顔は父親にちっとも似ていなかった。けれど、優しそうな瞳にエマは親近感を覚えた。

アドルフと名乗ったその男性は、薬草学に関するエマの知識に驚いたらしく、どこでどうやって得たのか知りたがった。

これまでの人生でエマは、父親以外のひとから興味を抱かれるのは初めての体験で、恥ずかしくもうれしくなった。

アドルフからの質問に答えているうちに、必然的にひとりきりで暮らしていることも話したため、

「たった九歳で?」

アドルフはまた目を丸くした。改めてエマの姿を見て、

「ちゃんとご飯は食べているのかい?」

心配そうに訊いてきた。

「今朝は土を食べました」

「土?」

 アドルフは顔を顰める。

「はい。場所によって味が違うんです」

これも父親からの知識だった。エマは近所の土の食べ比べをして、確かに味が違うことを知った。今では目隠しして食べてもどこの土かわかる。

「それで……昨日の夕方は?」

「昨日はコオロギとバッタを食べました」

この時期は多くの昆虫が姿を現してくれて、エマは大助かりだった。父親が生きていた時より痩せてしまったけれど、アドルフの言う「ちゃんとご飯を食べてる」状態だと思っている。

「家を見せてくれるかい?」

アドルフにそう言われてエマはうれしくなった。家にお客さんが来るなんていつぶりだろう?

「こっちです」

山を下りて家に案内すると、アドルフは涙を流した。そんなに羨ましく思ってもらえるのかとエマは誇らしくなった。

けれど、アドルフの口から出たのは、

「おお、エマ。何ということだ。こんなにひどい場所に、少女がひとりきりで住んでいるなんて信じられない。どうして近所のひとたちは救いの手を差し伸べないんだ」

という嘆きの言葉だった。

「これも神様の思し召しか」

アドルフはひとり言を呟くとしゃがみ込み、エマの両肩に手を乗せて顔をジッと見つめ、

「わたしは町から町を渡り歩いて商売をしている。決して裕福とはいえない暮らしだけれど、エマを養うことくらいはできる。わたしについて来ないか」

そう説得してきた。

まさに青天の霹靂。エマにとってこの村は全世界であり、その外へ出て行くなど考えたこともなかった。

興味はある。けれど、父親との大切な思い出が詰まったこの家が大好きで、一日も離れたくない気持ちもあった。

そんなエマの揺れる思いを察して、

「すぐには決心できないね。じゃあこうしよう。エマが調合した薬をいくつか譲っておくれ。その代金を支払う。そうだな、一週間は十分にご飯が食べられるぐらいの代金にしよう。そして、わたしは一週間後にここへまた戻ってくるから、その時までに一緒に旅をするかどうか決めておいて欲しい。それでどうだい?」

アドルフはそう提案してくれた。

「はい」

エマはにこやかに頷き、アドルフが求める効能の薬をすぐに準備した。

「じゃあ、また一週間後に」

「はい」

アドルフを見送ると、エマは薬の対価として受け取った硬貨を、惚れ惚れする気持ちで見つめた。硬貨を所持するのは、一年ほど前に山でたまたま落ちているのを拾った時以来だ。

エマはその時、父親のためにパンを買ってあげた。今回もパンを買い、家に帰ってから早速食べた。

石のように固いパンを思い切り齧ったところ、口の中でゴリッという音がした。ペッと吐き出すと、血が混じった唾液と一緒に乳歯が床の上に転がった。

『歯が抜けるのは大人になっていく証拠だよ』

父親の言葉が蘇る。

薬を売って得た硬貨でパンを買い、そして歯が抜けるなんて。今日は一気に大人に近づいた。エマは得意げになり、もっと早く大人になりたいとパンをたくさん齧ったところ、グラついていた乳歯はすべて抜けた。

食事が終わり、川で汲んできた水を使って歯を磨こうとすると、水面に映る自分の顔がひどくマヌケに見えてエマはひとりで笑った。

父親に見せたら一緒に笑ってくれたに違いない。エマは急に寂しくなった。アドルフと一緒にいれば、こんな気持ちになることはないのかもしれない。一週間後、この家を離れようかと気持ちが揺らいだ。

その一週間が経ち、約束通り再び姿を現したアドルフは、エマを見て小躍りしそうなほど顔を明るくさせた。

「エマ、聞いておくれ。君の調合した薬が飛ぶように売れたんだ。注文もたくさん受けてきた。すぐに調合してくれるかい?」

エマは耳を疑った。自分がひとから必要とされるなんて思いもしなかった。カラダの奥から、今まで感じたことのない幸せな気持ちが湧き起こり、すぐに調合に取りかかった。

「それでエマ、旅の件については考えてくれたかい?」

この前よりも顔色が良くなったことと、歯の抜けた顔が「かわいらしい」と褒めてくれた後、アドルフはそう訊いてきた。

エマは返答に困った。この家に居続けて食べる物に困らないなら、今のままの生活でいい気がしてきた。その方が薬の調合もたくさんできる。

けれど、アドルフと旅をするのも悪くない。気持ちはまだ揺らいでいた。

「じゃあ、また一週間後にここへ来よう」

アドルフは次に来た時のために薬を調合しておくようエマに言い渡すと、この前よりも「色をつけて」薬の対価を払ってくれた。

その余分に得た硬貨で、エマは生まれて初めて服を買った。コルセと呼ばれる青いワンピース。よく晴れた日の空を身にまとっているようで、エマはうれしくなった。

上機嫌になり、まだ外が明るいうちに外に出て軽やかに歩いていると、村のひと達から驚きの顔で見られた。

やがて、

「魔女のくせに生意気だぞ」

「どこから盗んできた」

子どもたちが駆けてきて、泥団子を投げつけてきたことで、買ったばかりのコルセはすっかり汚れてしまった。

エマは悲しい気持ちになりながらコルセを川で洗い、部屋の中に干すと、

――外で着るのはやめよう。

そう誓った。

そのコルセを着て一週間後に出迎えると、アドルフは前回よりもさらに明るく、少しふっくらした顔になっていた。

「エマ、君はわたしにとって命の恩人であるだけじゃなく、今や幸運の女神になった。用意しておいてくれた薬だけでは足りないから、今すぐ調合に取りかかって欲しい」

挨拶もそこそこにそう言われて、エマはまた自分の価値が上がった気がしてうれしくなった。

すぐさま調合を始めて、アドルフに大量の薬を手渡した。その分、受け取る対価も増えて、エマは欲しいものが次々と頭に浮かんだ。

アドルフはまた次に来る時までに薬を調合しておくように言ったものの、今回は「一緒に旅に出るかどうか」は訊いてこなかった。

エマはそのことについて深くは考えなかった。きっと忙しくて忘れてしまったのだと思った。それに、この家を離れるかどうか、まだ決めかねていた。

そんなことよりも、硬貨で何を買おうか考える方が楽しかった。

――お金には不思議な力がある。

エマはそう思った。生活を魔法のように豊かにしてくれて、父親がいない寂しさを紛らわせてくれる。

以前は山を歩いているだけで幸せだったけれど、今ではもう満たされない。硬貨を手にしたことで浮かぶ『欲しい物リスト』について考えを巡らせる方が楽しかった。

スカーフと靴を買うと、エマはどうしても、コルセと合わせた姿で外を出歩きたくなった。それも山ではなく村を。

けれど、昼間にそうするわけにはいかない。また泥だらけにされては敵わない。

というわけで、エマは村人が寝静まったある夜、十分に注意しながらこっそり外を歩いてみた。

オシャレをしているワクワク感と、誰かに見つかるのではないかというドキドキ。その刺激が病みつきになり、エマは徐々に行動範囲を広げていった。

明日はアドルフが訪れて来る日。エマが胸を躍らせながら家の中で薬の調合をしていると、突然、石の雨が降って来て屋根や壁を激しく叩いた。

その石は天から降ってくるわけではなかった。エマが恐る恐る外を見ると、

「さっさとこの村から出て行け!」

「出て行かなければ火あぶりにするぞ!」

憎悪に満ちた顔で石を投げつける村人たちの姿があった。それも子どもだけでなく大人の姿まである。

家から引きずり出されて殺されるのではないかと怖くなり、エマは震えた。村人たちはさすがにそこまでの暴挙には出なかったけれど、村に住み続ける限りはずっと同じ恐怖を味わうことになる。エマはアドルフと一緒に旅に出ることに決めた。

ところがその翌日、約束通り姿を現したアドルフに旅のお供をしたいと申し出ると、

「いや、その話はもう少し待って欲しい」

と断られてしまった。

エマがその理由を尋ねると、

「今、滞在している街では、エマの薬がまだまだ売れそうだ。しばらくは、ここにいて薬の調合に専念してもらいたい。そうすれば、旅の資金もたくさん貯まるだろう?」

アドルフはそう答えると、キレイに着飾ったエマを頭から爪先まで観察した。

「それに、ここでの暮らしも大分、良くなってきたじゃないか。無理して急いで旅に出る必要はない。この家にはお父様との思い出がたくさんあるのだろう?」

そう言われてしまうと、エマは旅に出たいと強くは言えなくなってしまう。村人たちから石を投げつけられたことについても、何だか恥ずかしくて言えなかった。

――きっと、村のひとたちも昨日で気が晴れたから、もう石を投げてこないはず。

エマはそう都合よく考えることにして、前回よりも多くの薬を運んで街へ戻るアドルフを見送った。

当然、エマがアドルフから受け取った報酬も前回より多くなっていて、それを使って何を買おうかと考えている内に、村人たちに襲われた時の恐怖や不安は消えていた。これもまた、お金の不思議な力のひとつなのだと、エマは新たな発見をした気持ちだった。

実際、それから数日が経っても、村人たちが集ってエマの家に石を投げつけてくる気配はなかった。

そのため、エマは久しぶりに外出することにした。食材を手に入れて料理をするためだ。

結局、その夜に食べたシチューが、家で食べる最後の晩餐になってしまった。

翌朝、外が騒がしくて目を覚ましたエマは、窓の外を見て驚いた。村人たちがズラリ勢ぞろいして遠巻きにエマの家を囲んでいる。その前には、黒いローブを着て髭を伸ばした修道士が三人、それぞれ馬に乗っていた。その中のひとりがエマの姿に気づくと、

「エマ、外へ出て来なさい!」

 と怒鳴り、エマは何が起きているのかわからず、ただ恐怖した。修道士とエマを結びつける接点は、ボロボロになるまで読み込んだ聖書だけだ。信心深いと勘違いされたのか。それにしては怒っているように見える。

それに、先ほどから村人たちの間では、

「魔女だ」

「火あぶりの刑にしろ」

などと煽るような声が飛び交っている。

「エマ、早く外へ!」

修道士がもう一度怒鳴り、エマはワケがわからないまま、ひとまずその命令に従うことにした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ