夏の怪談・中編
「それだけか?」
あまりの普通な声音に使用人たちが戸惑いながら頷いた。
「は、はい」
「何か被害とかあったか?」
「えっと……被害というなら、何もないです」
「じゃあ、問題ないな」
バーク様が出した結論に使用人たちと私の目が丸くなる。
「あ、あの、問題ないのですか?」
私の質問に紫黒の髪が不思議そうに揺れる。
「誰かが怪我をしたとか、物がなくなったとか、そういう害がないなら問題ないだろ」
そう言われたら確かに姿を見たというだけで実害はない。
使用人たちと私が呆気にとられていると、逞しい腕が私の腰を引き寄せた。
「また何かあったら教えてくれ」
「は、はあ……」
気が抜けたような返事を背中に聞きながら、私はバーク様に誘導されて歩き出した。
「あ、あの、バーク様?」
「どうした?」
太陽のように眩しい黄金の瞳が私を見下ろす。
強面がふにゃりと柔らかくなり、蕩けるような甘い微笑みが私を包む。
ドキリと胸が高鳴り見惚れそうになるが、私は頑張って声を出した。
「バーク様はオバケが怖くないのですか?」
「怖い? なんでだ?」
不思議そうに紫黒の髪が揺れる。その様子は本当に分かっていないようで……
「その、私の国では幽霊は怖いと思う者が多いので。それに、使用人の方々も怖がっているようでしたし」
「そうなのか?」
バーク様が黄金の瞳を少しだけ丸くしながら執務室のドアを開ける。
すると、中ではオンル様が眉間にシワを寄せて一枚の書類を見つめていた。
「どうした、何か問題でも起きたか?」
バーク様の問いにオンル様が額に手を当ててため息を吐く。
「問題といえば、問題ですが……城内でオバケが出るという噂はご存知ですか?」
「さっき聞いた」
「その噂のせいで夜番を拒否する者が出ておりまして……」
思わぬ言葉に声が漏れる。
「え?」
竜族と言えば戦闘に長けた勇猛な戦士の一族。それなのにオバケの噂で夜番を拒否するなんて。
そんな私の疑問を感じ取ったのかオンル様が説明をした。
「敵がハッキリとしている場合はいいんです。魔獣であれ、聖獣であれ、存在がしっかりと分かっていれば、どんな相手であろうと戦うことに怯むことはありません。ただ、オバケのような生きているのか死んでいるのかも分からない、不明瞭な存在が苦手なんです」
魔獣はともかく、聖獣と戦うことに躊躇いがないのはどうかと感じつつ、不明瞭な存在という言葉に納得する。よく分からない存在に恐怖を覚えるのは人族も竜族も同じらしい。
意外な共通点に驚いていると、バーク様がガシガシと頭をかいた。
「それは困ったな。オバケを見た時の状況とか分かるか?」
「報告書がここに」
オンル様から書類を受け取ったバーク様が読みながら唸る。
「月のない夜だったから、余計に見えにくかったのか。とはいえ、夜の守りがあまくなるのも困るしな。しかたねぇ、オレが何とかするか」
想定外の申し出に私とオンル様の声が重なる。
「「え?」」
目を丸くしている私たちにバーク様が説明を続けた。
「オバケがいるのか、いないのか、それがハッキリすればいいんだろ?」
「まぁ、ハッキリさせることができるなら、ですが……できるのですか?」
疑問に目をむけるオンル様に黄金の瞳がニカッと笑う。
「じゃあ、そういうことでオレはこれから仮眠する」
清々しいまでに潔く宣言したバーク様に銀髪が怒りで浮きあがった。
「それが目的でしょう!」
怒鳴るオンル様から逃げるようにバーク様がサッと私を横抱きにして執務室から出て行く。
逞しい腕に抱き上げられたまま、私は顔をあげた。太陽の匂いがフワリと鼻をかすめ、その近さに少しばかり顔が熱くなる。
「バ、バーク様!?」
「一緒に昼寝するか? 涼しい秘密の木陰があるんだ」
ニコニコと満面の笑み。うまく仕事がサボれて嬉しいのだろうけれど、今はそれどころではない。
「いえ、それより書類仕事がどんどん溜まって……あと、本当に何とかなるのですか?」
私を抱えたまま城の廊下を軽々と駆けていくバーク様。
「報告書にはオバケが出たのは一回だけみたいだしな。ま、大丈夫だろ」
柔らかく緩んだ黄金の瞳が私を見つめる。ただ、その奥にある光がいつもと少し違うような……
微妙な違和感を覚えていると、背後から鬼気迫る怒鳴り声が迫ってきた。
「待ちなさい、バーク!」
書類を持ったオンル様が追いかけてくる。
「逃げるぞ!」
バーク様が私を抱えたまま楽しげに城の窓から外へと飛び立った。




