夏の怪談・前編
それはある夏の日、竜族の里の城での出来事だった。
竜族の里は私の国より高い場所にあるためか、夏は陽射しが強いけれど乾いた空気と風のおかげで、日陰であれば過ごしやすい。
そして、竜族の城は高い天井と大きな窓で風通しが良い造りとなっており、夏でも涼しい。
そんな竜族の城で過ごす夜。
寝室で寝ていた私は夜更けにふと目が覚めた。
「喉が渇きました……」
寝ぼけ眼を擦りながら体を起こす。乾燥した空気のため、どうしても喉が渇きやすい。
私は水を飲もうとして部屋にある水差しが空になっていることに気づいた。
「こんな時間に使用人の方を呼ぶのは気が引けますし……」
私は水差しを持って炊事場まで移動することにした。
月もない真っ暗な夜空。その分、大きな窓からは星が綺麗に見える。
「……私の国より星を近くに感じます」
標高が高いせいか、星が明るく眩しい。
解放的な廊下を歩き、星空を堪能しながら炊事場へ。
そこで水を飲み、また喉が乾いたらいけないので水差しに水を入れて部屋へ戻ろうとした……のだが。
「あっ」
手を滑らせて水がかかってしまった。
ポンッ! カラン……
軽い音とともに猫になり、水差しが床に転がる。
「ふにゃぁ……」
(どうしましょう……)
人になるには鼻チューをしないといけないけれど、たぶんバーク様は熟睡中。
昼は書類仕事や竜族の里での業務が忙しく、いつもに増して疲れている。もし、ここで鼻チューをしたら、きっと起こしてしまう。優しいバーク様は何でもないと言うだろうけれど、私のせいで睡眠の邪魔はしたくない。
「んなぁ……」
(仕方ありません……)
人の姿になることは諦めた私は猫のまま寝ることにした。
落とした水差しは炊事場の隅に置き、服をくわえてズルズルと引きずりながら廊下を歩く。夜だけど人の時より景色がハッキリと見えるのは猫の特性だろう。
ぽてぽてと短い足を動かしながら廊下を進んでいく。長い白金髪色の毛をふわふわと揺らす涼しい風。
「ふみゃぁ」
(気持ちいいです)
こうして予想外の夜の散歩を楽しんだ私は、部屋に戻ったところで服を置き、ベッドで丸くなって寝た。
――――――それから、数日後。
城内の廊下をバーク様と歩いていると真剣な表情で話し込んでいる竜族の使用人たちがいた。竜族の城の使用人は基本的に男性ばかり。理由としては、女性だとバーク様の魔力に魅了され、バーク様を襲ってしまうから。
私と真名を交換してからは魔力が落ち着いて魅了することもなくなったけれど、使用人の男女比は変わらないまま。
そんな使用人である竜族の男性二人が廊下の隅でヒソヒソと会話をしていた。
「……で見たって噂だ」
「まさか、身間違えじゃないのか?」
「そうだといいが、この噂が本当なら夜の見回りに支障が……」
その内容が気になったのかバーク様が足を止める。
「何かあったのか?」
いきなり声をかけてきた盟主に驚きつつも、使用人の一人が気まずそうに口を動かした。
「あ、いえ、その噂話なんですが……」
「どんな噂だ?」
「それが、オバケが出た、と……」
「オバケだと?」
バーク様が眉間にシワを寄せ、怪訝な顔になる。
その表情に怒られると思ったのか、使用人が慌てて手を横に振った。
「い、いえ! 見間違いだと思いますので!」
「そう、そう! 見間違いです! オバケなんて、いるわけありませんし!」
使用人たちの慌てた様子と聞き慣れない単語に私は思わず首を傾げた。
「あの、オバケって何ですか?」
私の問いに紫黒の髪が振り返り、黄金の瞳が見下ろした。
「ミーの国には出ないのか?」
「出る、ということは虫か動物ですか?」
「そういうのじゃなくて……あー、幽霊みたいなものだな」
「幽霊が出る話なら聞いたことがあります。幽霊が出るという話が伝わっている古い城や屋敷がありますから。ですが、オバケと幽霊は違うのですか?」
「……いや、同じようなもんだな。たぶん」
そう言うとバーク様が再び使用人たちの方を向いた。
「誰かオバケを見たのか?」
その問いに使用人たちが気まずそうに目を合わせたあと、おずおずと説明を始めた。
「……その、噂では数日前に夜番の者が見回りをしていたら、暗い廊下に引きずるような音とともに白い何かが這っていたと」
「それで、朝になってその廊下を確認したら、這った跡のように床が濡れていたらしいのです」
城の廊下は灯りが少なく真っ暗で、古い城や屋敷に出てくる幽霊の話と似た状況ではある。
そういう目でこの城を見たことがなかった私は、その状況を想像して背中がゾクゾクと寒くなった。
(夜に廊下を歩けなくなります……)
恐怖で固まる私とは反対に、まったく表情が変わっていないバーク様が淡々と使用人たちに訊ねた。




