とある日の出来事
春先の晴れた日。
猫の姿の私は書類仕事をしているバーク様の膝で昼寝をしていた。
暑すぎず、寒すぎず。ぽかぽかとした陽気に、足元はふかふかの逞しい太もも。私のお気に入りの昼寝場所。
極上の癒し時間を堪能していると微かな音が。
『ミャーン』
かすれたような小さな鳴き声。猫の姿は人の時より耳や鼻が敏感になる。
微睡んでいるものの耳が勝手に反応してピクピクと音を探る。
『ミャー』
空耳ではない。小さく今にも消えそうな声。
顔をあげて鳴き声が聞こえた方向を確認する。
「ん? どうした、ミー?」
褐色肌の大きな手が私の頭を撫でた。その気持ちよさを堪能したい気持ちを抑えて体を起こす。
「うにゃんにゃ」
(ちょっと出かけてきます)
バーク様が少しだけ首を傾げ、黄金の瞳を細める。
「出かけるのか? 気をつけてな」
「みゃう」
(はい)
真名を交換したおかげか、最近は猫の姿でも言いたいことがバーク様に伝わることが増えた。たまに、うまく伝わらない時もあるけれど。
バーク様の膝から飛び降りた私はトテトテと廊下を抜け、猫用の小さな出入り口を潜って外へ出た。
春の花の匂いをのせた温かな風が白金の毛を揺らす。穏やかな雰囲気の中、私は耳を澄ました。
『……ミャー』
小さな助けを求めるような声に導かれ、屋敷の裏へ。
「うにゃぁ……」
(こっちから聞こえたような……)
目的地は薪が積まれた薪小屋。
そろそろと足を踏み入れ、薄暗い中を見まわす。奥の一部に木くずと藁が重なっているところがあり、その上には薄汚れたグレーの毛玉が転がる。
「うにゃんにゃ?」
(こんなところに毛玉?)
そっと近づくと突然、毛玉が動いた。
「ぷにゃっ!?」
(えっ!?)
反射的に全身の毛が逆立つ。警戒していると、弱々しくも鋭い声が。
「シャー!」
「に、にゃぁ?」
(ね、猫?)
薄汚れたグレーの毛玉は猫の毛だった。座ったまま顔だけをあげて私を威嚇する。今にも飛び掛かってきそうな気配。
その勢いに押されて足が下がる。そのまま逃げようかと思った時、グレーの毛玉の足が赤く汚れていることに気が付いた。
「にゃにゃ!?」
(怪我をしているの!?)
驚く私の前でグレーの毛玉の一部がモゾモゾと動く。そして、そこから現れたのは……
※
「にゃにゃぁぁあー!」
(バーク様ぁぁあ!)
執務室に飛び込んだ私をバーク様が少し驚いた顔で迎える。
「どうした、ミー?」
「うにゃみゃん! みゃ!」
(来てください! 早く!)
バーク様の服の裾を噛んで引っ張る私。でも、私の力だと指一本分も動かせない。
それでも、バーク様は少し腰を浮かせて私に訊ねた。
「来いってことか?」
「にゃ!」
(はい!)
完全に立ち上がったバーク様にオンル様が釘を刺す。
「あまり遅くならないようにしてくださいよ。まだ仕事が残っていますから」
「わかってる」
「にゃにゃ、みゃ!」
(バーク様、早く!)
私はバーク様を誘導するように薪小屋へ走った。
「薪小屋? 何かあるのか?」
警戒しながらバーク様が中を覗く。私は前足でちょんちょんと奥を示した。
「みゃうぅ!」
(あそこです!)
「みゃー」「にゃー」
小さな鳴き声とともに転がる二つの毛玉。一つは真っ白で、もう一つは真っ黒。ふわふわでコロコロしている。その奥には動けないグレーの毛玉。
その光景を見たバーク様が驚きの表情とともに叫んだ。
「子猫!? ミーの弟妹か!?」
「ぷぎにゅぁああああ!!!!!!」
(違いますぅうううう!!!!!!)
バーク様の発言に私は大声を出してしまいました。
※
この後、子猫二匹と暴れる母猫を保護。急遽、使用人の方が応接室に大きなケージを用意して、その中に入れた。
母猫の怪我はオンル様が治癒魔法で治したものの、警戒心むき出しのため餌をあげても食べず。むしろ子猫の方がケージの中をポテポテと歩き回っている。
「この子たち、どうします?」
人の姿に戻った私は背後から覗いているバーク様に訊ねた。
「うーん、母猫次第なところもあるが……ちょうど猫を欲しがっているヤツがいるから、そいつに聞いてみるか」
貰い手があるのは嬉しい。けれど、心配なことも。
「大切にしてくださる方なら良いのですが……」
「それは大丈夫だ。屋敷の主から使用人まで全員が大事にするだろう」
力強く頷くバーク様。そこまで断言できるなら大丈夫だろう。
「なら安心ですね」
ホッとしていると大きな布を持ったオンル様が現れた。
「はい、はい。とりあえず、ケージに布をかけて猫が安心できるようにしますよ」
「まだ見ていたいのに」
文句を言うバーク様をオンル様が睨む。
「母猫が休めなければ乳の出も悪くなって子猫が飢えます。それでもいいのですか?」
「それはダメだ!」
「なら、さっさと仕事に戻ってください」
暗い影を背負い、肩を落とし名残惜しそうに猫たちを見つめるバーク様。その様子を眺めながらオンル様が言った。
「毛玉と真名を交換していて良かったですね。そのおかげで魔力が穏やかになって、母猫が警戒するぐらいで済んでいますから」
元々、バーク様は魔力が強すぎて小動物から逃げられていた。弱い小動物だと魔力にあてられて失神していたという。
すっかり失念していた私はバーク様と顔を見合わせた。
「……忘れていました」
「……忘れていたな」
オンル様が呆れたように肩をすくめる。
「突然のこととはいえ、毛玉ももう少し落ち着いて行動してください」
「すみません……」
しゅん、と謝る私。そこに太陽の匂いと温もりが……
「ミーは悪くないぞ」
バーク様が厚い胸板で私を後ろから抱きしめていた。しかも、振り返らなくても分かるぐらい鋭い気配でオンル様を睨んで!? しかも、オンル様が睨み返して!? 正面から刺さる冷徹な紫の瞳が怖いのですが!?
一触即発の雰囲気。
私は少しでもこの気配を和らげようと声を出した。
「あ、あの、バーク様?」
「どうした?」
少しだけ背後に視線をずらすと、とろけるような笑みで私を見つめる黄金の瞳。先程までの鋭い気配はどこに行ったのか。
唖然としていると、バーク様が私の頬に触れた。
「で、どうした?」
「えっと、その、バーク様はどのような子どもだったのかな? と思いまして」
「オレは普通だぞ。それより、ミーは子どもの頃も可愛かったんだろうな。あ、もちろん今も可愛いぞ」
「ふぇっ!?」
唐突な褒めに反応が遅れる。私は必死に返す言葉を探した。
「ですが、バーク様も可愛かったのではありませんか?」
今は強面だけど、子どもの頃なら可愛らしさがあった……はず。あと、純粋にバーク様の子ども時代に興味がある。
返事を待っているとオンル様が先に答えた。
「バークはバークでしたね。もちろん普通ではありませんでしたし」
うん、うん、と思い返しながら頷くオンル様に対してバーク様が吠える。
「そう言うオンルもオンルだっただろ」
旧知の仲というか、幼友達のような二人。
私は思い切ってオンル様に聞いてみた。
「バーク様はどのような子どもでした?」
「今と変わらないですよ」
あっさりとした即答。私はもう一度振り返ってバーク様の顔を見た。
無邪気に笑う姿は子どもがそのまま大きくなったみたい。
なんとなく分かってしまったところで、バーク様がムッとしたように言った。
「おまえも変わらないだろ」
その言葉に私は今のオンル様をそのまま子どもにして想像した。
「もしかして、大人びた子どもでした?」
私の問いにバーク様が頷く。
「そうそう。いっつも冷静で、周りと距離を置いてさ。あ、でも今と違うところが一つあるか」
「なんですか?」
バーク様がオンル様の背中に注目する。そこには長く煌めく白銀の髪。
「髪の長さだな」
「短かったのですか?」
「あぁ」
ちょっと意外。なんとなく幼い頃から長いのだと思っていた。
バーク様がオンル様に訊ねる。
「なんで、そんなに長く伸ばしているんだ?」
紫の瞳がスッと逃げ、そのまま私たちに背をむけてドアへ向かう。ドアノブに手をかけたところで思い出したように振り返った。
「さっさと仕事してください」
何事もなかったように爽やかな笑顔のオンル様。ただ、その顔が! 氷より冷えた笑みが怖い!
バーク様も同じように感じたらしく顔を引きつらせて私に言った。
「そ、そうだな。仕事に戻るか」
こうして執務室へ戻ったバーク様。以後、オンル様の髪について聞くことは禁忌となりました。
ちなみに母猫と子猫二匹は徐々に人に慣れ、落ち着いたところでちょうと猫をほしがっていた、とある貴族の方のところへ。使用人を始め屋敷の人たちから可愛がられて幸せに暮らしているそうです。
8/17深夜0時~三巻の配信開始です
三巻に収録されている番外編の短編ではバークとオンルの幼少期と出会いを書いております
二人の出会いとオンルが髪を伸ばすようになった理由がわかりますので!
ぜひ、ぜひ、お楽しみください!




