突然、別れになりまして
オンル様が私から視線を外さずに説明する。
「先程の毛玉の反応といい、こちらの言葉を理解しているとしか思えません。そもそも猫があなたに懐くことが、おかしいんですから」
「オレにだって、猫に懐かれる権利ぐらいあるぞ!」
「いえ、あなたの権利はどうでもいいです。そもそも小動物は本能であなたの強い魔力から逃げます。それは、小動物があなたの強い魔力の影響を受けやすいからです。それは知っているでしょう?」
「それは知ってるが……別に言葉が理解できるとか、字の見分けができるぐらいの影響なら、今のままでも良いだろ!?」
オンル様がこれ見よがしにため息を吐いた。その迫力に私の体が跳ねる。
「それぐらいの影響なら良いです。しかし、あなたのバカ強い魔力が他にどう影響をするか。その毛玉があなたの強い魔力に呑まれ、魔獣になる可能性も否定できません」
「……オレの魔力のせいでミーが魔獣に?」
オンル様が紫の瞳を鋭くする。
「絶対になる、とは言えません。ただ、このまま影響を受け続ければ外見が変わり、元の飼い主のところに戻れなくなる可能性もあります」
「ゔっ」
「今ならまだ飼い主も探しているかもしれません。私が拾った場所に返してきましょう。家もその近くでしょうし」
オンル様が手を出す。どうすることもできない私はバーク様を見上げた。私を抱く手に力がこもる。
俯くバーク様にオンル様が容赦なく詰め寄っていく。
「これ以上、情が移る前に……」
「うっせぇ!!!!!」
叫んだバーク様が背後の窓を開け、足をかけた。
(えっ!? ここ、二階なんですけど!? まさかっ!?)
「にゃっ!?」
私の短い叫びと同時に体が宙を舞う。そのまま庭に飛び降りたバーク様はがむしゃらに走り出した。
バーク様が振り返らずに叫ぶ。
「こうなったら、家出してやる!」
「ににゃにゃ!?」
窓からこちらを見ているオンル様より私のほうが慌てた。というか、オンル様はまったく驚いていない。いつもとまったく変わらない表情でこちらを見下ろしている。
「にゃんにゃぁぁぁあ!?」
(なんで、こんなことにぃぃぃ!?)
私はバーク様の腕の中で揺られながら嘆いた。
屋敷を出て走るのは止めたバーク様は、雪が溶けた道をどんどん歩いていく。上着も防寒具も着ていないバーク様。私はバーク様の逞しい腕に包まれて温かいけど……
「みゃーう?」
(寒くないですか?)
私の声にバーク様が視線を落とす。いつもは気が強く鋭い黄金の瞳が情けなく揺れる。
「オレの魔力のせいで、言葉が理解できるように……」
「にゃにゃ! みゃ、にゃん!」
(違います! それは、元からです!)
「このまま影響を受け続けて魔獣になる可能性も……」
「にゃ、にゃんにゃにゃー!」
(私は、影響を受けていません!)
必死に抗議する私にバーク様が眉尻をさげて笑う。
「……本当にミーは言葉が分かるみたいだな」
「みゃうぅ……」
(みたい、じゃなくて分かってるんです)
バーク様が沈んだ声で語り始めた。
「オレはこんな外見だけど、小さい動物が好きで、ずっと触ってみたかったんだ。だけど、動物たちはオレの姿が見えただけで逃げて。近づくのも難しくて。触れるなんて夢のまた夢で。ほとんど諦めていたんだ。けど」
強面の顔が子どものように笑う。純粋に嬉しそうに、でもどこか悲しそうな顔。
「ミーはそんなオレの夢を叶えてくれた」
周囲が見慣れた風景になってきた。たまに散歩で通ったこともある。もしかして、この道は……
「触ってみたらさ。想像していたより、ずっと柔らかくて、温かくて。初めてミーに触れた時の感覚はずっと覚えてる」
バーク様の足取りがゆっくりになってきた。
「ミーを見つけたのは、ここだったんだよな」
目印もないもない、ただの道の途中。でも、バーク様は足を止め、懐かしむように地面へ視線を落とした。
「始めはモップが落ちてる、と思ったんだけどさ。よく見たら猫で。すげぇ慌てたんだ」
バーク様が私を見る。今にも泣き出しそうな顔。いつもなら前足で顔に触れて慰めるけど、今はなぜか見つめることしかできなかった。
「拾ったら小さくて、軽くて。オレの胸の中でスヤスヤ寝てくれて。すげぇ感動したんだ。これが命なんだって。オレが守らないといけないんだって」
再び歩きだしたバーク様が噛みしめるように話す。
「けど、やっぱり魔力が強いオレの近くにいたら、どんな影響があるか分からない」
「にゃ! にゃにゃ! みゃにゃうにゃう!」
(影響はありません! 私は元々人です! だから、言葉が分かるんです!)
私の叫びは届かない。バーク様が足を止めた。
「ミーはここら辺に住んでいたんじゃないか?」
そこは、私の屋敷の近く。
たしかに最初の頃は帰りたいと思っていた。それが、ジスラン様に会いたくないから帰りたくないに変わり。
そして、今は……
バーク様が寂しげに私を見下ろす。
「この辺りを散歩すると周りを気にしていたから、もしかしたらこの辺りに家があるのかも、と思っていた。でも、ミーがいなくなるのが怖くて……いつも早足で通り過ぎてた」
ぎゅっとバーク様が私を抱きしめる。
「けど、いつまでもこうしていられないもんな。ミーのことを知っている人がいないか聞いてみよう」
バーク様が通行人や周囲の屋敷に私の飼い主がいないか聞いてまわる。そんな人いないのに。
この寒空の下、上着も防寒着も着ていない強面のバーク様への対応はみな冷たい。中には声をかけただけで逃げだした人もいる。
それでも、バーク様が諦める様子はない。
そのうち日が傾き、寒さが増してきた。すぐに夜がきてしまう。
「にゃう! にゃう!」
(帰りましょう! バーク様が風邪をひいてしまいます!)
「これだけ探していないとなると……新しい飼い主を探すしかないか」
バーク様が私の頭を優しく包み込むように撫でる。無理やり作った笑顔で。微かに震える声で。
「ミーは可愛いから、きっとすぐに貰い手がつく。大丈夫だ。オレが良い飼い主を探してやるからな」
そう言いながらも立ち止まり、なかなか動かない足。
冷たい風が私とバーク様の間を吹き抜ける。こんなに近いのに、心が遠い。
きっとバーク様のことだから、私を大事にしてくれる人を探すのだろう。でも、本当にそれでいいの? あの寂しい一人の夜をまた迎えるの?
見上げる私の前で、決心したようにバーク様が大きく一歩を踏み出した。
このまま離れていいの? 私は、私は――――――――
気がつくと私は大きな口を開けていた。
カプッ!
「いってぇっ!?」
バーク様が手に噛みついた私を見る。
「な、なんだ!? どうした!?」
「フニャー!」
(どうして勝手に決めるんですか!)
「え? え!? 怒っているのか!?」
「ヴニャー!!」
(私はぁ!!)
「プュギィニュャァァァア!!!」
(一緒にいたいんですぅぅぅ!!!)
私の口から聞いたことがない怒り声が出ていた。