希望の光
自室に戻った私は不安から逃げるようにベッドに潜り込んだ。
「にゃにゃぶにゅにゃぁ……」
(バーク様のバカァ……)
ちゃんと分かってる。バーク様は猫の私も人の私も同じように好きなことは。でも、今だけは気持ちを吐き出したい。
朝、起きた時に猫になっていた原因も、人に戻れない原因も分からない。もしかしたら、一生このままかもしれない。そんな考えが押し寄せる。
こうしていても解決するわけでないことは分かっている。けど、気持ちを切り替えるためには必要で。
私はしばらく、みゃうみゃうと泣いた。
少しずつ気持ちが落ち着いてきた頃。誰かの足音が近づいてきた。猫の時は耳や鼻が敏感で、つい反応してしまう。
(この足音は……バーク様ではない。静かで上品な足運びの……)
軽いノックの音とともにオンル様の声が響く。
「少しお話しても、よろしいですか?」
私はベッドから這い出して大きめの声で返事をした。
「にゃあ」
(はい)
「失礼します」
オンル様が白銀の髪を揺らしながら部屋に入る。ベッドから降りた私は応接セットのソファーに座った。反対側のソファーに腰をおろしたオンル様が私を見つめる。
「話はバークから聞きました。人の姿に戻れないそうですね」
「にゃぁ……」
(はい……)
「呪いが拗れたのであれば、私では手に負えません」
「にゃぁ……」
(はい……)
オンル様の容赦ない言葉。でも、下手に誤魔化されるよりいい。
「場合によってはエルフの里まで出向いて、ツカサ殿に診てもらわないといけません」
「みゃぁ!」
(その手が!)
最近の忙しさで忘れていた。
ツカサ様は人族だけど膨大な魔力を保持していて、私の呪いの一部を解除した実力者。彼女なら、この状況を打開してくれるかもしれない。
かすかな光に気持ちが上昇する。
「ですが、今は竜族のギルドの開業準備でエルフの里まで行っている余裕がありません」
「にゃぅ……」
(ですよね……)
エルフの里はかなり遠い。まず私一人では行けない。かといって、この忙しい時期にバーク様の手を煩わすことはできない。他の誰かに連れて行ってもらう……というのは、バーク様が拒否するだろう。
「ツカサ殿にここまで来て頂く、というのは無理でしょうし」
「にゃぅ」
(そう思います)
いくら魔力が強くても人族。エルフの里の周囲の森は魔獣が多く、熟練の戦士や冒険者でなくては抜けることができない。そんな森を私のために移動してもらうわけにはいかない。
あと、そのような危険な行為はツカサ様と同居されているエルフのシン様が許さないだろう。やはり、私がツカサ様のところまで行くしかない。
「みゃう、にゃぁんにゃう……」
(しばらく、猫のままで過ごします……)
竜族のギルドが開業して落ち着けば、ツカサ様のところへ行く時間もできるはず。不便なところはあるけど、仕方ない。まだ、人に戻れる希望があるのだから。
自分に言い聞かせている私にオンル様が声をかけた。
「勝手に一人で完結しないでください」
「にゃ?」
(え?)
落ち込む私にオンル様が提案する。
「ダメ元ですけど、なんとかできる可能性を持つ者がいます」
「にゃ?」
(え?)
首を傾げる私にオンル様が微妙に表情を崩す。
「このことをバークに言ったら、最初は酷く反対しました。ですが、状況が状況ですので、最後には折れましたよ。あとは、あなたがよければ、ここに来ることができるように手配します」
「みゃあ、にゃう?」
(それは、誰ですか?)
「その者の名は――――――」
猫語である私の言葉は通じていないはずなのにオンル様が教えてくれた。その名に思わず納得する。たしかに彼女なら可能性はゼロではない。解呪とまではいかなくても、なにか良案があるかも。
たぶんバーク様は私と会わせたくないのだろうけど。でも、そんなことは言っていられない。
「にゃにゃ!」
(お願いします!)
頭をさげた私にオンル様が頷く。
「わかりました。では、そのように手配します」
「にゃにゃーにゃ」
(ありがとうございます)
「礼はいいですので、それよりバークのところへ行ってください。執務室で仕事をしていますが、落ち込みすぎて使い物になりません」
「にゃあ!」
(そういえば!)
自分のことばっかりで忘れていた。
私はオンル様にもう一度頭をさげて部屋を出た。
廊下を走った私は執務室のドアの前で足を止めた。仕事中なのに勝手にドアを開けて入るのは失礼になる。でも、あれだけ暴れてバーク様の腕から逃げたのに、ドアを開けてくれと声を出すのも……正直、恥ずかしい。
(こういう時、人だったらノックができるのに……あ、ノックの代わりになるような音を出せば!)
閃いた私は周囲を探した。すると、廊下の隅にバケツに入ったモップが。
(あのモップでドアを叩けば!)
そうと決まれば行動は早い。私はモップを運ぶため、バケツに足をかけて木の柄を咥えた。あとは、このまま引き抜くだけ……なのに、モップは動かない。
水分を吸ってかなり重くなったモップ。ちゃんと絞っていないのだろう。バケツの底に水たまりができている。
それでも、私はモップを引き抜くために足に力を入れて踏ん張った。
ガシャーン!
盛大な音とともにバケツが倒れる。
「にゃぁぁぁぁ!」
(あぁぁぁぁ!)
なにがどうなったのか、モップの先が私の体の上に。しかも、私のふさふさな毛がモップの水分を吸っていく。
「うにゃぁ……みにゃぁ……」
(重いです……冷たいです……)
体を覆うように被さったモップ。抜けだそうとするけど、一体化したように私の体に張り付いている。
「むにゃぁぁ……」
(動けません……)
モップの重さに負けて床に伏せる。こんなことになるなら、素直にドアの前で声を出していれば良かった。
今更ながら己の行動を後悔する。そこに慌てたような足音が近づいてきて、背中が軽くなった。
「ミー!? どうした!? 大丈夫か!?」
顔をあげれば、モップを片手で持ち上げたバーク様。心配そうな顔で私を覗き込む。
「にゃにゃぁぁあ!」
(バーク様ぁぁあ!)
「うわっ、ちょ、冷てぇ!」
水滴をまき散らしながら飛びついた私をバーク様が抱きとめる。
「うにゃにゃぁ、にゃにゃ!」
(ごめんなさい、バーク様!)
「ケガしてないか? どこか打ったのか?」
「にゃぅぅ」
(大丈夫です)
私はそう答えながら頭をバーク様の胸にこすりつけた。あ、汚れた水がバーク様の服に……
「にゃ、にゃう!」
(す、すみません!)
慌てて離れようとする私をバーク様が持ち上げる。そのままひっくり返して全身を確認した。
「よし。ケガはなさそうだな……ただ」
「にゃ?」
(ただ?)
バーク様が少し困ったような顔になる。
「ちょっと風呂に入ろうか」
「うにゃ、にゃ?」
(お風呂、ですか?)
「モップの臭いが……な」
そこまで言われて私は自分の臭いに気がついた。
「ぶにゃぁぁあ!」
(くさいですぅぅう!)




