高山病になりまして
倒れた私はバーク様に再び抱かれて城へ運ばれた。いつの間にかバーク様の腕の中で眠っていて、目が覚めた時にはベッドの上。白い天井と差し込む夕陽が眩しい。
場所を確認するために顔を動かしたら悲痛な声が耳に飛び込んだ。
「ミー! 起きたか!? よかった!」
「……バーク様?」
椅子を飛ばして立ち上がったバーク様が駆け寄る。
「調子が悪かったのに気づかなくて、すまなかった!」
「いえ、別に体調は悪くなかったのですが」
自分でもどうして倒れたのか分からない。
そこへオンル様がやってきた。よく見れば近くの机に書類があり、二人はそこで仕事をしていたらしい。たぶん心配したバーク様がオンル様に無理を言って、ここに書類を持ち込んだのだろう。
オンル様がバーク様にむけて軽くため息を吐く。
「高山病ですよ。だから、毛玉に無理をさせたら倒れると言ったのに」
「高山病……?」
聞いたことがない病名に私は軽く首をかしげた。
「その名の通り標高が高い地へ行くと出る病気です。低い土地から徐々に高い土地へ移動した場合はおきませんが、今回のように急に高い土地へ移動すると発症する病気です。症状としては息苦しさや二日酔いのような気怠さ、頭痛などで、人族や飛ばない種族がなりやすい病気です」
「……息苦しさはありませんが、体が怠いです」
「体がここに慣れるまで、無理をしないことです。数日で症状は消えますが、低地の時と同じ感覚で動けば、すぐに息が切れます」
「治療魔法で治らないのか!?」
バーク様の言葉にオンル様が肩をすくめる。
「治療魔法では一時的に症状を抑えるだけですから。ひと月ほどで体は慣れますから」
「ミー、すまねぇ! オレが調子にのって連れ回したから!」
枕元でバーク様が頭をさげる。私は慌てて体を起こそうとして痛みで顔を歪めた。
「っつ……」
「ミー、頭が痛いのか!?」
頭を押さえて体を起こした私をバーク様が支える。
「私は大丈夫、ですから。バーク様はお仕事を……」
「それよりミーの体のほうが大切だ!」
「そんな大事な状態ではありませんから」
「けど!」
そこでオンル様がバーク様を私から引き剥がした。
「はい、はい。あとは使用人に任せてバークは仕事をしてください」
「ミーの介抱がしたいんだよぉ!」
「それなら、さっさと仕事を終わらせてください。仕事が終わったら、いくらでもして良いと言ったじゃないですか」
「チクショー」
バーク様が後ろ髪を引かれるように机へ戻る。入れ替わるように王都の屋敷で慣れ親しんだ使用人……Aが私のところへ来た。
立派な体格で気が利く、目元にホクロの使用人Aさん。使用人のみなさんは全員『使用人A』と名乗るため、本名を知らないし、教えてもらえない。
「なにか召し上がられますか? スープや果物もありますよ」
「じゃあ、果物を少しください」
「頭痛に効く薬湯もお持ちしましょう」
「ありがとうございます」
ポキッ。
バーク様の手の中でペンが折れた。その姿にオンル様が微笑む。
「バーク? それは何本目のペンでしたっけ?」
美麗な笑みなのに。絵画のごとく綺麗な顔なのに。真冬の雪山のごとく空気が痛い。
こんな状況なのに使用人Aさんは慣れた様子で頭をさげて退室する。いや、穏便に逃げただけかも。
顔を真っ青にしたバーク様にオンル様が言葉を続ける。
「嫉妬するなら執務室に切り替える、と言いましたよね?」
「い、今のは嫉妬じゃねぇ! ちょ、ちょっと力加減を間違えただけだ!」
「問答無用。毛玉も休めませんし、執務室に移動します」
オンル様が手元の鈴を鳴した。それだけで使用人さんたちがなだれ込み、机ごとバーク様を強制移動させる。
「ミー! すぐに戻るからなぁぁ……」
遠ざかっていくバーク様の声。白い部屋は急に寂しくなった。
「こんなに、広かったのですね」
ベッドの先には絨毯が敷かれた広い空間。その先にはアーチ型の大きな窓が並び、大きなバルコニーがある。
静寂から逃げるように私はベッドにもぐった。
「また、迷惑をかけて……せっかくバーク様が誘ってくださったのに」
(もっと一緒に歩きたかった……)
私はキュッと体を丸くする。
「ダメ、ダメ。元々、身分違いなんだから。あまり近づきすぎたら離れる時が辛くなる……」
ただでさえ竜族と人という種族違いもある。しかも、バーク様は竜族の王。今は仕事で王都にいるけど、そのうち竜族の里に帰る。
いつまでも側にいられるとは限らない。
(その時に笑顔で見送れるようにしないと)
「それに、解呪したら……猫になれなくなったら、バーク様の興味も薄れる、かもしれない…………」
じわりと涙があふれる。私は慌てて顔を枕に押しつけた。体が重くて、しんどい。
(これは病気のせいだから)
なにも考えたくない私はギュッと目を閉じた。
※
そのまま眠っていた私は微かな物音で目を開けた。部屋は暗く、窓から月明かりがカーテンのように差し込む。
「お、起きたか?」
目元を柔らかくして微笑むバーク様。強面の顔立ちだから分かりづらいけど、こんなにイケメンなんだから、私よりもっと美人で身分がある人を選んでも良いのに。
じっと見ていたら、バーク様が私の顔に触れた。
「どうした?」
「い、いえ。なんでも……ありません」
「……頭が痛いのは、どうだ?」
私は体を起こした。ツキンと痛むが我慢はできる。
「夕方より楽になりました」
「飲め」
バーク様が薬湯が入ったコップを私に押しつけた。
「で、ですが……」
「痛みは我慢するな」
「これぐらいなら大丈夫です」
「ミー」
まっすぐ見つめる黄金の瞳。私は思わず息を呑んだ。
「全然、大丈夫な顔してないぞ。慣れない旅に慣れない場所なんだ。無理はしないでくれ」
「……」
今にも泣きそうなバーク様の顔に私はなにも言えず、無言でコップを受け取る。苦味がありそうな独特な臭い。
私は息を止めて一気に飲んだ。
「ぅ……」
予想通りのなんとも言えない苦味が口の中に広がる。苦味に耐えていると、バーク様が私の口にナニかを突っ込んだ。
「んん!?」
「口直しの桃だ」
「モモ?」
桃は初夏に採れる果物。痛みやすく長期保存はできない。でも、口の中の桃は甘く瑞々しく採れたてのようで。
「な、なぜ、桃が?」
「魔法で長期保存している。体が弱っている時は食べやすいだろ?」
「そんな貴重な桃を!?」
「貴重って、夏になればまた採れるし、ミーが食べられるなら、その方がいい」
「ですが……」
「ミー」
バーク様が鋭い視線で私の言葉を止める。
「こういう時は、ありがとう、だろ?」
「……あ、ありがとう、ございます」
「そう、そう。ほら、あーん」
フォークに刺した桃を私の口元に差し出す。恥ずかしいけど、断れそうにない雰囲気。
私は口を開けて桃を食べた。甘い果汁で乾いていた喉が潤う。私なんかに勿体ないと思いながらも食べてしまう。
結局、桃を食べきった私はバーク様に訊ねた。
「そういえば、お仕事は?」
「今日の分は終わらせたぞ。だから、存分に介抱できるんだ。なんでも言ってくれ」
期待に満ちた目。でも、特にしてほしいこともなく逆に困ってしまう。
悩む私にバーク様が笑顔で話す。
「他に食べたい物があったら持ってくるぞ。汗かいてないか? 体、拭くぞ。あと、トイレに行きたくなったら言ってくれよ。運ぶから!」
「も、桃だけで十分です!」
恥ずかしくなった私は両手で顔を隠して俯いた。
(トイレだけは一人でいかせてください!)
その後。このことで本当にバーク様に運ばれそうになるとは思いもしませんでした。完全に拒否しましたが。




