失恋しまして
バーク様に拾われた私は、寒さと空腹に凍えることのない生活を送っている。
屋敷はそこまで広くなく、住んでいるのは主のバーク様と従者のオンル様。あとは数人の使用人。ただし、全員男性。なんでも主のバーク様が女性不信? 女運が悪い? からだと小耳に挟んだ。
拾われて数日が過ぎた、ある日。
執務室の椅子に座ったバーク様が、いくつかの手紙を前にうんざりしていた。
「なんで、しつこく手紙を送ってくるんだろうなぁ」
「それは、なんとかお近づきになりたいからでしょう」
「オレのこと種馬ぐらいにしか思ってないくせに?」
「口が悪いですよ。まあ、事実ですが」
バーク様とオンル様がいつものように会話をしている。
私はピョンと机に飛び乗り、話題の中心の手紙に鼻先を近づけた。事務的な手紙に混じり、微かな花の香りや、キツイ香水のにおいがする手紙がある。
そこで私はひょいと持ち上げられた。そのままバーク様の膝の上へ。大きな太ももは、がっしりと安定していて程よい弾力。最近の私の特等席。
いつものように座れば、ゆったりと頭から背中を撫でられた。
「ミーには関係ないものだぞ」
「ふにゃぁ」
無骨な大きな手が。ザラリと撫でるその力加減が。気持ち良すぎて力が抜けてしまう。思わず、ゴロゴロと喉が鳴って……
(ハッ! ダメ! ダメ! ダメ! 私、人なのに! 喉まで鳴らしたら、本当に猫になったみたい! あぁ、でも……)
陥落しかけている私に冷えた視線が刺さる。顔をあげると、美麗な紫の瞳がまっすぐ見下ろしていた。綺麗な分、迫力というか、冷淡さが際立つ。
「本当によく懐きましたね」
「だろ!? こんなに懐かれたの初めてでさ! 嬉しくて!」
と、バーク様が私を持ちあげて、そのまま抱きしめる。そして、私の背中に頬をスリスリ。
「このふわっふわっな毛! この柔らかい体! 最高だ!」
私は前足をバーク様の肩にのせ、自由にさせた。命の恩人で、寝床とご飯をくれる大切なご主人様。ここまでなら私も許容範囲内。
でも。
再びバーク様が私を抱き上げ、そのまま顔を近づけようとして。
ペシッ!
私はバーク様の額に前足をのせた。
(胸とお腹は断固拒否! 絶対に触らせません!)
私の強い意思が通じたのか、バーク様が眉尻をさげて悲しそうな顔になる。
「あー、腹の毛に顔を埋めたいのになぁ。吸いたいのになぁ。けど、こうやって抵抗するのも、また可愛いんだよなぁ」
「……この手紙を送ってくる方々にお見せしたい腑抜けっぷりと、変態ぶりですね」
「動物好きと言え!」
「いつも逃げられてばかりでしたからね。普通の動物なら、本能であなたの魔力から逃げるんですけど。魔力がほとんどなく魔力を感じることができない人族と、強い魔力が好きな竜族以外は」
そう言いながら、オンル様が私を覗き込む。
(そうなんです! 私、人なんです! 気づいてください!)
「ふにゃ! にゃにゃにゃんにゃー! みゃー!」
「おー、よしよし。オンルが睨むから怖いよな」
思いっきり勘違いしているバーク様が私をオンル様から引き離す。
(違うんですぅ!)
「にゃっにゃー!」
「よし、よし。暴れるな。散歩でも行くか?」
「にゃ?」
「今日は公園に行こう」
「みゃう」
バーク様はこうして私を時々外に連れていってくれる。初めはリードをつけていたけど、私が逃げる様子もないし、呼べば戻ってくるから今はフリー。
上着を羽織り、ボタンを留めたバーク様の胸に飛び込む。ここなら寒い風も吹き込まないし、景色もよく見える。
「では、馬車を準備しましょう」
「いや。公園までは遠くないし歩いてくる。たまには体を動かさないとな」
「わかりました。ですが、早めに戻ってくださいよ。仕事が溜まってきてますから」
「へい、へい」
こうして私はバーク様と公園へ散歩にでかけた。
真冬のため、曇り空のことが多い。冷たい風に枯れ葉が舞う。それでも、バーク様の胸の中はポカポカで気持ちいい。
猫になって良かったかも。と、ちょっとだけ思ってしまう。ちょっとだけですけど!
足が長いバーク様が颯爽と道を歩く。本人は普通に歩いているのだろうけど、景色がどんどん流れていく。
たまにすれ違う人がバーク様の顔を見て、ささっと逃げるように道をあける。その度にどこか複雑そうな表情をするバーク様。
強面なのでしょうがないけど、傷つくものは傷つくわけで。
私は前足を伸ばし慰めるように、ちょんちょんとバーク様の頬に触れた。
バーク様が驚いたように視線を落とし、そして破顔する。背後に花が飛んでいても、おかしくないぐらいの笑顔。いつもこんな顔をしていれば、ここまで怖がられず……いや、これはこれで怖がられるかもしれない。
「ミーは可愛いだけでなく、優しいな」
「みゃう」
(バーク様の気持ちが少しでも晴れたなら良かった)
芝生が広がる公園。中央には大きな湖があり、渡り鳥が羽根を休めている。周囲には子どもを遊ばす家族連れや、寒さを理由に身を寄せ合うカップルたち。
「湖の中に魚がいるぞ。あ、鴨もいる。ミー、今日の夕食は魚と鳥、どっちがいい?」
「ふにゃあ!?」
(それを、ここで聞きますか!? そんなにお腹が空いているんですか!?)
胸の中で驚く私にバーク様が真剣に悩む。
「魚の燻製があったから、あれで一杯飲むのもいいし。あー、でも鴨肉の炙り焼きも久しぶりに食べたいなぁ」
湖にいた鳥たちが一斉に飛び立つ。これは強面うんぬんの前に、本能で命の危機を感じたのでしょう。
苦笑いをしていると聞き覚えがある声が耳に入った。
「僕だって本当はミランダと婚約なんてしたくなかったんだよ。でも、家のために仕方なくさ。本当に好きなのはベリッサだけだ」
「……本当、ですの?」
「本当だよ。あんな地味で会話もできないミランダより、君のほうがずっと魅力的だよ。その証拠にコレ。欲しがっていただろ?」
甘く恋人に囁く声。見なければいいのに、考えるより先に視線が動いていた。
湖の辺りのベンチに座る二人。着飾った金髪の女性が男性から受け取った箱を開ける。そして、歓声をあげた。
「指輪! 本当にいいの!?」
「あぁ」
「ありがとう! ジスラン!」
サイズがピッタリの指輪をはめて喜ぶ女性。社交界でも一二を争う美人で有名なベリッサ。その隣で満足そうに微笑むのは………………
(そういえば私、手紙以外にもらった物なんてない……ジスラン様は私のことを…………)
これ以上、見ていられなくなった私はバーク様の胸に顔を埋めた。泣くのをこらえるため、ぐりぐりと額を押しつける。
「どうした、ミー? 寒いのか?」
心配そうな声。そういえば、こんな風に心配してもらったこともなかった。いつも耳あたりが良い、甘い言葉ばかり。
「ふにゃぁぁん……」
「お、おい!? どうしたんだ!? 急いで屋敷に戻ろう!」
バーク様は私を大事そうに抱え、小走りで屋敷に帰った。その優しさが余計に苦しくて。私は小さく涙をこぼした。