誘拐されまして
冬の寒さも峠を超え、少しずつ暖かくなり始めた今日この頃。
それでも夜は冷えるため、私は寝る前にリビングの暖炉の前にあるソファーで体を温めていた。パチパチと薪が弾ける音と温もりが眠気を誘う。
うとうとしかけている私に声が降ってきた。
「ここで寝るなよ。それとも部屋まで運ぶか?」
「ふわっ!? おきっ、起きてます! 寝ていません!」
突然の声に私の眠気が一気に吹っ飛ぶ。
お風呂あがりのバーク様。紫黒の髪が湿り、薄手の服からは筋肉が浮きあがり、褐色の肌は艶めいて。
なんですか、この色気!?
ドキドキしている私にバーク様が訊ねる。
「隣、いいか?」
「はい! どうぞ!」
私が思わず横にずれると、そこにバーク様が座った。静寂にソファーが軋む音が響く。
なにか会話をしなくては、と考えるけど、なにも話題が浮かばない。口下手な性格が恨めしい。
悩む私にバーク様が話を切り出した。
「なぁ、ミー。ちょっと竜族の里に戻らないといけないんだが、一緒に行かないか? ついでに魔法の専門家に呪いを診てもらえるし」
「えっと……竜族の里は、どこにあるのですか?」
「ここから、かなり南だな。馬車や船で数日かかる」
「私、旅をしたことがなくて……ご迷惑をかけるかも……」
(それに、呪いを解くということは……)
思わず目を伏せた私の頭をバーク様が撫でる。武骨で剣だこが目立つ右手。大きくて、温かくて、ずっと撫でていてほしくなる。
鋭い黄金の瞳が柔らかく私を見つめた。
「ミーが嫌ならここで留守番しといて、里から魔法の専門家を連れてきて診てもらうのもいいが」
「留守番……」
私の呟きが逞しい腕でかき消された。勇ましい筋肉が全身で私を抱きしめる。
「やっぱ、オレが無理だ! ミーと離れるなんて無理すぎる!」
駄々をこねる子どものようにバーク様が頭を振った。紫黒の髪が私に触れ、ほんのりと石鹸の香りが鼻をくすぐる。
って、今はそれどころではなくて。
「で、ですが、竜族の里に戻らないといけないんですよね?」
「そうなんだよぉぉぉ!! でも、ミーと離れたくないから一緒に来てくれぇぇえ!!!」
夜更けの大声は騒音にしかならない。私は慌ててバーク様をなだめた。
「わ、わかりました。行きます。一緒に行きますから、もう少し声を小さくしてください」
「やった」
すぐに小声で喜んだバーク様。もしかして、私はバーク様の手の上で転がされ……
いえ、深く考えるのは止めましょう。
こうして、私はバーク様とオンル様、あと屋敷の使用人の方たちと竜族の里へ行くことに。
――――――――そして現在。
私は手足を縛られ袋に入れられ、馬車の荷台に放り込まれていた。ガタガタと激しく揺れ、乗り心地は最悪。
道が悪い上にスピードを出しているため、馬車が跳ねる度に全身が叩きつけられる。
「うぐっ」
声が出せないように布を噛むように口を縛られているため、舌を噛む心配はない。だけど、全身が痛い。
そこに、物騒な会話が聞こえて……
「なかなか上玉な女じゃねぇか!」
「そこら辺の女とは違って雰囲気が上品だよな」
「ぜひ、お相手願いたいぜ」
「おい、てめぇら! それは商品だからな! 勝手なことするなよ!」
その命令に不満の声が飛び交う。
「そりゃ勿体ない」
「ちょっとぐらい遊んでもいいだろ? 殺しはしないから」
「脅しにもなるしな」
私はビクリと体を小さくした。殺されはしないらしいけど、どうなるのか。
そもそも、どうしてこうなったのか。
竜族の里へ行く途中に立ち寄った大きめの街。気分転換にバーク様と買い物をしていたら、一人になった時に突然後ろから縛られ、布を被せられ、誘拐された。
その手際の良さはプロとしか言いようがない。
(私のことを商品と言っていたから、身代金が目的なのかも)
恐怖で体が震えそうになる。気を抜くと悪い方向にばかり考えてしまう。
私はグッと歯をくいしばった。
(大丈夫。いざとなったら、猫になって逃げれば……そのためには現状把握と、来た道を覚えておかないと)
溢れそうになる涙をこらえて、私はジッと耐えた。布の中なので、外の様子は見えない。だから、音や振動に注意する。
そのうち、揺れが少なくなってきた。道が良くなったのか、馬車が跳ねる回数と振動が減り、スピードも落ちてきたような。
そして、馬車が完全に止まる。
「さっさと荷物を下ろせ!」
「はいよ!」
ドガドガと無遠慮な足音。箱や何かを運び出す気配。それが少しずつ私に近づいてくる。
息を殺して丸まっていると、体を掴まれて担がれた。
「ディーン、この荷物はどこに置くんだ?」
「一階の応接室に運べ。あ、丁寧に扱えよ」
「へい、へい」
荷台から下ろされ、ザワザワとした気配と人の声が聞こえる。まるで街中みたい。あれだけの速さで悪い道を走っていたから、山奥の小屋とか森の中を想像していたのに。
「それにしてもディーンは頭がいいよな。森に向かって逃げたオレたちが街に戻ってるなんて普通は思わないって」
「だよな。今頃、森の中を必死に探してるんじゃねぇか?」
「オラ! 無駄話してないで、そいつをさっさと応接室に運べ!」
「お、ディーンが照れてるぞ」
「うるさい!」
からかい混じりの笑い声。そこから建物の中に入ったのか、馬車や荷車の音が消え、雑談や足音が聞こえてきた。
「おかえり。あ、ディーン。親父が帰ってきてるぞ」
「親父が!? 予定より早くねぇか!?」
「思ったより早く終わったってよ。今は部屋で休んでる」
「そ、そうか」
戸惑いが滲んだ声。それが決心したような声に変わる。
「おい、その荷物はオレの部屋に運べ」
「まさか、一人で楽しむつもりか? 卑怯だぞ、ディーン」
「んなわけあるか! 親父にバレるわけにはいかないから、オレの部屋に隠すだけだ」
「たしかに応接室だと、すぐ見つかるな」
私を運んでいる人が方向を変えてスタスタと歩く。キシキシと響く床鳴りの音。新しくはない建物に、大勢の人がいる雰囲気。
先程の会話と状況から推測されるのは、ここが街のどこかにある建物で人が集まる場所。
(これなら、猫になって逃げてもなんとかなるかも。森の中だったら獣や魔獣がいて危険だったけど)
私は微かな希望に期待をこめた。
(あとは、水。水をどうにか)
運ばれながら考える。そこに、ドアを蹴破るような音と怒鳴り声が叩きつけられた。
「ミー! どこだぁ!?」
ピクリと体が反応する。まさか、空耳じゃなくて?
「誰だ、てめぇ!?」
「何者だぁ!?」
「ドア壊してんじゃねぇよ!」
「カチコミかぁ!?」
袋で見えなくても分かるほど、一瞬で周囲が殺気に満ちる。そこに再びバーク様の声が響いた。
「おまえら、さっさとミーを出せ。今なら半壊で許してやる」
いつもの軽い声ではない。低く地を這うように低く、圧力と殺気がこもった声。
(こ、これは危ない状況では!? まずは、私がここにいることを知らせないと)
ずっと大人しくしていた私は袋の中で暴れた。




