バレンタイン・後編
リビングに放り投げられたオレはオンルを睨んだ。
「オンル! おまえ、なにか知っているのか!?」
「すぐ分かりますよ」
「いま教えろ!」
オンルがふむ、と顎に手を当てて考える。
「……教えてもいいですけど、それをしたら毛玉が悲しみますよ? 毛玉はサプライズをしたいみたいですから」
「え?」
「まあ、毛玉が悲しんでもいいようですし教えましょう。毛玉は……」
「ヤメ! ヤメ! ヤメ! やっぱ、ヤメ! 教えなくていい! 教えるな!」
オレは耳を塞いで叫ぶと、オンルが口元だけで笑った。こいつ、オレで遊んでやがる。
睨むオレの上着をオンルが奪う。
「そこで大人しく待っていなさい。すぐに分かりますから」
「おまえは?」
「慣れないことを手伝わされて疲れたので休みます」
これには文句は言えない。オレはリビングのソファーに座った。
「では、失礼」
オンルが優雅に退室する。
(絶対、疲れてないだろ!)
オレは叫びたい気持ちを抑え、ひたすら待った。たぶん、そんなに時間は経ってない。だが、オレには長い。とにかく長い。
忍耐の時間を過ごしていると。
「あの、バーク様」
トレイを持ったミーがリビングに入ってきた。
「これ、お口に合えばいいのですが」
そう言ってオレの前に置かれたのは焼きたての小さな丸いチョコケーキ。
(甘い匂いの正体はコレだったのか!)
「あ、あの、あまり形は良くないですが……」
「もしかして、ミーが……作ってくれたのか?」
「は、はい。初めてで、いろいろ手間取ってしまいまして……教えてもらいながら、なんとか」
キッチンにこもっていたから廊下や他の部屋からミーの気配がしなかったのか。
オレは納得しながら、あることに気がついた。
「教えてもらいながら作った?」
「はい」
「誰に?」
「使用人Aの方に」
オレは盛大に頭を抱えた。ここで使用人の名前を教えていなかったことが裏目に出るとは。使用人たちは誰が菓子作りを教えたかなんて絶対に教えない。こういうことの結束は固い。
「チクショー! オレも一緒に作りたかった! オレもミーと一緒にケーキを作りたかった!」
悔しがるオレにミーが困ったように紅茶を差し出す。
「あの、私、要領が悪くて……一緒に作っても手間取ってばかりで迷惑をかけるだけだと思います……」
「手間取ろうが、失敗しようが、そこは二の次だ。ミーと一緒! ってところが重要なんだよ」
「そ、それは、その……ありがとうございます」
ミーが恥ずかしげに視線をそらす。その表情! 愛らしさ! オレの心臓がもたねぇ!
「あの、温かいうちに食べてください。できたては一段と美味しいんですよ」
「いや、食べるのが勿体なくて。このまま長期保存の魔法をかけて飾りたい」
「そんな立派なものではありませんから! お口に合いましたら、また作りますし」
「じゃあ、また作ってくれ」
「まずは食べてください」
ミーに促され、オレは小さな丸いケーキにフォークを入れた。すると、中からトロリとチョコが。
「すげぇ……」
普通だ。と出かけた言葉は呑みこんだ。髪の毛も爪も入ってない、血の臭いもしない手作りケーキは初めてかもしれない。
感動しているオレにミーが説明する。
「中が上手く焼けなくて、半生になったり、チョコが漏れたりして、何度も作り直したんです」
「そうなのか」
オレは半分に切ったチョコケーキをフォークに刺して食べた。サクふわっとしたスポンジにトロリとビターなチョコの味。アーモンドの香ばしい風味もほんのりとする。
「旨い」
ジッとオレを見ていたミーの体から力が抜ける。
「良かったです」
「初めて作ってこの美味しさって、天才だろ」
オレは二口でチョコケーキを食べ終え、ミーが追加でもってきてくれたケーキもあっさり完食。
小腹が落着いたオレは紅茶を飲みながら気になっていること聞いた。
「でも、どうして突然ケーキを焼いたんだ?」
「あの、それは今日がバレンタインなので……」
「そうか。菓子を配る日だったな」
「それで大切な人には手作りのお菓子を贈ったり……」
「え?」
オレはうっかり落としかけたカップを慌てて掴んだ。
「大切って、オレのこと?」
ミーが顔を真っ赤にしてオレに背を向ける。
「い、いつもお世話になっていますし、こうしてお仕事までいただいて、その、あの……」
もじもじと話すミー。オレは立ち上がってミーの手を掴んだ。
「ちょっと来てくれ」
「え?」
いきなりのオレの行動にミーが戸惑いながらもついてくる。この小さな手で一生懸命作ってくれたことが、なによりも嬉しい。
オレはまっすぐ二階にあがり、作業をしていた部屋へ移動した。
「ここは、私が使わせていただいてる客室……」
「開けてみろ」
ミーがゆっくりとドアを開けて、そのまま固まった。
「こ、これ……」
シンプルな部屋が一新。
窓には繊細なレースのカーテン。ベッドは淡いピンクのシーツで、端にはフリルが付いている。
テーブルにはカーテンとお揃いのレースのテーブルクロス。壁紙も明るいクリーム色に変更。
そして、部屋中に置かれたぬいぐるみ。いや、ちょっと多すぎた自覚はある。
「あの、これは?」
ミーが水色の瞳を丸くして見上げる。少し恥ずかしくなったオレは顔をそらして言った。
「部屋が殺風景だったからさ。これならミーの部屋って感じだろ? あ、嫌なら戻すぞ! それか、他の色とか、他のカーテンがいいなら、それに変えるし!」
オレはミーの好みを聞いていなかったことに気づいて慌てた。おもちゃ屋で目に入ったドールハウスの部屋がミーのイメージにピッタリで、その部屋をここに再現することで頭がいっぱいになっていた。
慌てるオレにミーがポツリと呟く。
「……私の、部屋?」
「そうだ」
「本当に、いいのですか?」
「いや、それ聞くのこっちだし。こんな感じの部屋で良かったか?」
「あの、そうではなくて……私、ここにいてもいいのですか?」
オレは首をかしげた。
「当然だろ。いないと困る」
「ありがとうございます!」
ミーがオレに抱きついた。しかも潤んだ瞳でオレを見上げ……
その愛おしい顔に吸い込まれるようにオレはキスをしていた。
ポンッ!
「しまった!」
猫になったミーが床の上でキョトンとする。そして、オレの足に頭をこすりつけた。
「にゃにゃんにゃー」
まるで、ありがとうございますと言っているような。それからベッドに飛び乗り、たくさん置いてあるぬいぐるみの中へ。
ツンツンとぬいぐるみのにおいを嗅ぎ、それから戯れるように抱きつく。そして、ぬいぐるみの海に飛び込み、ピョンピョンと跳ね回った。
「グハッ」
可愛いすぎる! ミーがぬいぐるみと同化している! なんだ、この光景! 楽園か!?
ここで名案が浮かんだオレはドアに走った。
「絵師を! 至急、絵師を呼べ! このミーの姿を永遠に残すんだ!」
「ふんぎゃ――――――――!!!!!」
オレの名案はミーの叫びによって却下された。
なのでオレは、猫のミーがぬいぐるみの中で寝る姿や、人のミーが大きなクマのぬいぐるみに抱きついて寝ている姿を日々、目に焼き付けることにした。こっそりと。




