バレンタイン・前編
屋敷への帰り道の途中。バークは赤やピンクの商品で彩られた店を眺めながらオンルに訊ねた。
「なんか最近、ぬいぐるみやらハートやらチョコが多くないか?」
「もうすぐバレンタインというイベントがあるそうですよ」
「バレンタイン?」
「人族のイベントでお菓子やプレゼントを友人に配るそうです。親しい人には、ぬいぐるみや花を贈るとか」
オンルが淡々と説明する。氷のような白銀の髪は風に揺れ、涼やかな紫の瞳は前だけを見据える。美麗な顔にすれ違う女たちから羨望の眼差しが集まり、次にオレを見て恐怖で顔を引きつらすまでがセット。
その気持ちも分かるが良い気分はしない。以前は嫌な感情だけが残った…………が、今は違う!
帰ればミーが出迎えてくれる!
あの可愛らしい顔で。満面の笑みだったり、はにかんだような顔だったり。とにかく、全部が愛おしい。
ミーがいるだけでオレは頑張れる。どんな苦難も乗り越えてみせる。
心の中で一人盛り上がっているオレに、ふと一匹の大きなクマのぬいぐるみが目に入った。
ショーウィンドウに飾られた子どもより大きな焦げ茶色のクマ。もし、ミーが持ったら体の半分はクマで隠れるだろう。白い小さな手が焦げ茶色の毛に埋もれ、笑顔で抱きしめる姿。
「良い……」
ぼんやりと想像するオレの横腹に衝撃が走った。
「グホォ」
「白昼夢を見てないで、さっさと歩いてください」
隣からオレの腹に肘鉄を食らわせたオンルがスタスタと前を行く。オレは横腹を押さえながら唸った。
「おまえな、少しぐらいよそ見をしてもいいだろ」
「道の真ん中で突っ立ったら邪魔になります」
「なら、店に入ればいいんだな」
「は?」
オレはオンルの腕を掴んでクマのぬいぐるみの店に入った。
「おぉ」
店内はおもちゃ屋だった。人形や積み木などもあるが、今はぬいぐるみがメイン。
犬やうさぎ、羊などの様々な動物。しかも手のひらサイズの小さな物からショーウインドウのクマのような子どもぐらいの大きさの物まで。
赤やピンクのリボンやハートで飾られ、商品棚を埋め尽くす。
勢いで入ったものの、こういう店は初めてで。不覚にもオレは入口で固まってしまった。
「いらっしゃいま、せぇ…………」
語尾が不自然に小さくなった店員の声で我に返る。オレは慌ててオンルに質問した。
「その、バレンタインっていうのは、いつなんだ?」
「たしか来週かと」
「来週か……よし! ちょっと、そこの店員」
「は、はははい!」
顔を青くした店員が恐る恐るオレに近づく。
「取って食わねえから。ちょっと相談したいことがあるんだけどよ」
「な、ななんでしょお?」
「こんな感じのモノはどこに売ってる?」
「えっと、コレではなくて?」
「コレを再現したい」
「再現……そう、ですねぇ」
考える店員にオレはショーウインドウと店内の棚を指さした。
「あと、店内のぬいぐるみを一種類ずつ全部買う」
困惑していた店員の顔が一気に晴れる。
「あ、ありがとうございます! この再現したい商品につきましては、当店からオススメの店を紹介させていただきます!」
「お、それは助かる。バレンタインに間に合わせたいんだけど、できそうか?」
「では、そのことも書いた紹介状を準備します。古くから付き合いがある店なので、できる限り融通を効かせてくれると思います」
「それはありがたいな」
「少しお待ちください」
店員が急いで店内へ戻る。オンルが背後でため息を吐く声がした。
「なんだよ。オレが働いた金で買うんだからいいだろ」
「自分の物には無頓着なのに毛玉には甘いですね」
「別にいいだろ。あと、ちょっと協力しろよ。おまえらもな」
ずっと気配を消していた護衛役の使用人二人がオンルと目を合わせ、諦めたように肩をすくめた。
※
そして、あっという間にバレンタイン当日。
いつも通り仕事に行くフリをしているオレは玄関でミーに見送られていた。ミーが上目遣いでオレを見つめてくる。小動物みたいで、仕草の一つ一つが本当に可愛い。
「あ、あの、今日の帰りは遅い、ですか?」
いつもならしない質問。しかも、どこかソワソワしているような? いや、オレがソワソワしているから、そう見えるだけか。
オレは努めて平然と答えた。
「い、いや。そこまで遅くは、ならない……と思う」
「わ、わかりました。あの、お気をつけて」
「あぁ」
オレはいつも通りオンル達と仕事へ行くフリをして外に出た。そこからはダッシュで店へ。注文していた品々を受け取り、すべてを持って屋敷の裏口に戻る。
「よし! あとはミーにバレないようにセットするだけだ」
「そこが問題ですけどね」
「とにかく、早く済ませるぞ!」
オレはでっかいクマのぬいぐるみを担いで屋敷に入った。ミーに見つからないように全神経を集中させて廊下を移動する。目的の部屋についたオレは周囲にミーがいないことを確認してドアを開けた。
そこはベッドとテーブルセットと暖炉があるシンプルな客室。私物は机にある筆記用具とレターセットのみ。
こうして見ると殺風景で寂しさも漂うほど。なぜ、もっと早く気づかなかったのか。
「よっし! やるぞ!」
ミーがこの部屋に近づかないように使用人たちに指示を出した。あとは、急いで終わらせるのみ。
上着を脱いだオレは腕をまくり、オンルを巻き込んで改装を始めた。
こうして時間が経過し、太陽が傾きかけ始めた頃。オレは両手をあげた。
「完成だ!」
「はい、はい。で、この後はどうするんですか?」
「え?」
「まさか、ここまでしてこの後のことを考えていなかったのですか?」
オンルの指摘にオレは額からダラダラ汗が流れた。準備することだけで頭がいっぱいで、その先をまったく考えていなかった。
「ど、どうしよう? どうすればいい?」
「とりあえず仕事が終わったように玄関から帰ればいいのでは?」
「そ、そうだな! で、あとは……成り行き任せだ!」
「それを無計画というのですよ。ま、どうせ寝る時にはこの部屋に来ますから、なんとかなるでしょう」
「だよな! よし、裏口から玄関に行くぞ」
オレは気配と足音を殺して裏口へ移動する。途中で甘く香ばしい匂いがキッチンから漂ってきた。鳴りそうになった腹を慌てて押さえる。
「そういえば昼飯を食ってなかったな」
静かに廊下を歩いていると、キッチンから小さな悲鳴が聞こえた。
「あっ、キャッ」
その声にオレは考えるより先に体が動いて……
「ミー! どうした!?」
ビクリと肩が跳ねた後、赤くなった指先に手を添えたミーが恐る恐る振り返る。
「バ、バーク様? いつの間にお帰りに?」
やっちまった!
オレは慌てて両手を振った。
「い、いま! 今、帰ってきたんだ! それより叫び声がしたが、どうした?」
「な、なんでもありせん! バーク様はリビングで休んでてください!」
ミーがオレを押してキッチンから追い出そうとする。ミーが!? ミーがオレを邪魔者扱い!?
初めてのことにオレは慌てた。
「な、なんだ!? オレ、なんかしたか!?」
「なんでもないんです! 本当に、なんでもありませんから!」
たぶんミーは全力でオレを押しているのだろう。けど、こんな力ではオレは動かない。
そこにオンルが現れ、オレの襟首を掴んだ。
「はい、はい。鈍感男はこっちで大人しく待っていなさい」
「いや、鈍感ってなんだよ!? ちょ、待て!」
オンルが容赦なくオレを引っ張る。キッチンから離れていくオレにミーがホッとした顔で笑った。
「ありがとうございます、オンル様」
「リビングにいますから、さっさと仕上げてください」
「はい!」
ミーがくるりと身を翻してキッチンの奥へ消える。
「みぃ――――――――」
オレはその後ろ姿に手を伸ばしたままリビングへ連行された。




