寒い日は・後編
「うぇー寒かった」
「まだ終わりではないですよ。書類にまとめてください」
「分かってるけど、温まらせてくれ。指が動かん」
「では、指を温めたら残りの仕事をしてください」
「鬼畜だな!」
玄関から聞こえた声に私は駆けた。
余程寒かったのか、厳つい顔を凍らせたバーク様。その隣には寒さなどなかったような、いつも通り美麗なオンル様。護衛の二人も平然としている。
「おかえりなさいませ」
出迎えた私にバーク様が破顔して両手を広げた。
「ミー! 帰ったぞ!」
「キャッ」
抱きしめられたことより、服の冷たさに驚く。顔をあげると、バーク様の紫黒のまつ毛が凍っていた。
「バーク様、まつ毛が……」
手を伸ばし、顔に触れる。褐色肌の肌が氷のように冷たい。
「は、早く中へ! こんなに冷えて、風邪をひいてしまいます!」
「あー、ミーの手はあったかいなぁ」
「私の手より部屋に入ったほうが温まりますから!」
バーク様が手袋を外した手を私の手に重ねる。私の小さな手がすっぽりと隠れる大きな手。いつもは温かい手までも冷えきっている。
慌てる私にオンル様が呆れたように話した。
「風邪をひいても自業自得ですから、毛玉は気にしなくていいですよ」
「え?」
「魔力で全身を覆えば多少の寒さは防げるのに、それをしなかったんです」
「あ、だから皆さん、バーク様ほど寒がっていないのですね。って、バーク様! どうしてしなかったのですか?」
「……面倒だったから」
バーク様がどこか拗ねたように顔をそらす。
「それで風邪をひいたら大変じゃないですか!」
「竜族は体が丈夫だから平気だ」
「ですけど!」
脱いだ上着を使用人に預けたオンル様が肩をすくめた。
「毛玉が用意しているモノでしっかり温まるために体を冷やしたそうですよ」
「あ、てめぇ! 黙っとけって言っただろ!」
「はい、はい。さっさと温まってから残りの仕事を片付けてください」
オンル様が執務室へと歩いていく。その後ろ姿をバーク様が私を抱きしめたまま睨んだ。
「くそぅ。しゃべりやがって」
「と、とにかく! バーク様は部屋で温まりましょう!」
「なにか用意してくれたのか?」
「はい。あ、私は準備してきますから、バーク様は上着を脱いでから自室へお戻りください」
「わかった。楽しみだな」
バーク様の腕から解放された私は急いでバーク様の部屋に行った。
ワゴンに準備していた茶器に茶葉とスパイスをセットして、魔道具に入れていた熱いお湯を注ぐ。そこでドアが開いた。
部屋に入ったバーク様がコタツに気づく。
「それ、コタツか?」
「はい。せっかく買われたのに使わないのは勿体ないと思いまして」
思案するように無言になるバーク様。もしかして、私が気づいていないだけで、バーク様はコタツが苦手だったのかも。
「あ、あの、すみません。コタツがお嫌でしたら、紅茶だけでも」
体を小さくして下から覗いた私にバーク様が口元を押さえて顔を背けた。
「いや、別に嫌、じゃないんだ。ただ、コタツがあるとミーが膝にこなくなるから……」
「私?」
「な、なんでもない! コタツ! 寒い日にピッタリだ! さすが、ミーだ」
靴を脱いだバーク様が大きな体をコタツにいれる。それから、溶けたような声を出た。
「うわぁー、あったけぇ。冷えてた手足が、すげぇあったまる。倉庫から持ってくるの大変だっただろ」
「使用人の方が手伝ってくださったので大丈夫でした」
バーク様の気配が鋭くなり、声が少し低くなる。
「……誰が手伝ったんだ?」
私はここぞとばかりに訴えた。
「それが使用人Aとしか名乗っていただけなくて。他の方もすべて使用人Aと言われて、名前でお呼びできないんです」
「……オレの嫉妬を避けるために名前を消したか」
「どうかされました?」
「一人言だ。気にしないでくれ。使用人はそのうち紹介していく」
「よかった。ありがとうございます」
笑顔で礼を言った私にバーク様がなぜか複雑そうな顔になる。
私は首をかしげながらもバーク様の背中にケープをかけた。それから紅茶を淹れたカップをバーク様の前に置く。
「あと、こちらもどうぞ」
「なんか、変わった匂いがするな」
「生姜と蜂蜜をいれた紅茶です。体の中から温まりますよ」
「そうか」
バーク様がすするように紅茶を飲んだ。
「うん、温まるな」
「あ、もしかして熱い飲み物は苦手でした? あの、少し冷しますね」
そういえばバーク様はスープなども少し冷めてから食べていた。
慌てる私にバーク様が笑う。
「ほっとけばそのうち飲み頃になる。それより、ミーも入れ。寒いだろ?」
「は、はい。あ、そういえば」
私はサイズが小さい品種のオレンジをいれたカゴを持ってコタツに入った。
「少し調べたのですが、東国ではミカンという小さなオレンジに似た果物をコタツで食べるそうです」
「そ、そうか」
「バーク様はそのままコタツで手を温めていてくださいね。私が皮をむきますから」
「あ、あぁ」
バーク様が少しよそよそしい。頬も少し赤いような?
「もしかして、オレンジはお嫌いでした?」
「いや。熱いモノより平気だ」
「よかったです。はい、どうぞ」
私は皮をむいたオレンジを一房とり、バーク様の口元へ差し出した。
そこでバーク様が片手で顔を覆う。
「いや、あの、ミー。すっごく嬉しいんだが……それは、無意識か?」
「なにがですか?」
「座ってる場所」
そう言われて私は自分がいる場所を確認した。
コタツで胡座をかいているバーク様の足の上。大きなバーク様の体にすっぽり包まれている。
バーク様の言葉の意味を理解した私は慌てた。
「あ、ああ、あの! すみません! 猫の時と同じ感覚で座ってしまいました!」
立ち上がろうとした私をバーク様が抱きしめる。
「珍しくミーが積極的だから、ちょっと戸惑ったが、これはこれでいいな」
「全然! 全然! 全然、よくないです!」
とにかく恥ずかしい! 顔が沸騰する! 穴があったら入りたい! いえ、誰か埋めてください……
隠れることができない私は両手で顔を隠して俯いた。
「それより、オレンジ。くれないのか?」
指の隙間から覗けば、いつも通りのバーク様。
褐色の肌にかかる艷やかな紫黒の髪。太い眉に鋭い黄金の瞳。まっすぐな鼻筋に形がよい唇。強面だけど、イケメンな顔が私を見つめる。
「は、はい。どう、ぞ」
私はむいたオレンジを差し出した。バーク様が大きな口を開けて……
パクッ。
「ひゃっ」
私の指まで食べられそうな勢い。というか、唇が指先に触れた!
心臓が破裂しそうなほどドキドキしているのに、バーク様の口元から目が離せない。
しっかりと味わいながら咀嚼して飲み込む、その姿! 上下する喉仏の動き! 男らしいのに! 男らしいのに、妙な色気が!
硬直した私にバーク様が笑いかける。
「甘くて美味いな。次は?」
「はっ、はい!」
私は慌てて次のオレンジをつまむ。そこに冷えた声が吹雪いてきた。
「もう十分温まったでしょう? いつまでサボる気ですか?」
「いや、もう少しだけ……あ、ちょっ、首は止めてくれ! この姿勢での首はヤバっ……グェ」
オンル様が背後からバーク様の首に腕を絡めてコタツから引きずり出す。白目を向いたバーク様をオンル様が執務室に連行した。




