節分・後編
私はバーク様の私室で傷薬と紅茶の準備をしながら、ふと窓の外を見た。そこには重く垂れ下がる鉛色の雲。
「朝はあんなに晴れていたのに」
朝は祭りだと喜んでいたバーク様は今、オンル様と使用人の方々から逃げるのに必死。時々、悲鳴に近い叫び声がする。
「このままだと雨が降るかも」
オンル様も使用人の方々も楽しそうにバーク様を追いかけている。たぶん雨が降っても気づかない。
「今のうちに洗濯物を取り込んでおきましょう」
私は庭に出て、ほとんど乾いている服とシーツを回収した。それから、屋敷に戻ろうと振り返ったところで。
ポツン。
雫が足元の枯れ草を揺らした。
「雨!?」
私は急いで走った。雨の一粒、二粒くらいなら平気だけど、髪や服に染み込むほど濡れたら……
走る私を追いかけるように雨が強くなる。
「あと、少し……」
屋敷の裏口に足を入れたところで。
ポンッ!
「危ねぇ!」
猫になった私は洗濯物と一緒に大きな腕に包まれた。
「にゃ?」
顔をあげると、そこには膝をついたボロボロのバーク様。
「大丈夫か? 一人で出ていったと思ったら洗濯物を取り込んでいたのか」
「にゃ、にゃぁー……」
(私は大丈夫ですけど、バーク様が大丈夫ではないような……)
頭につけた多数の角? トゲ? はほとんどが折れ、褐色の肌はすり傷だらけ。トラの顔パンツも破れがあり、無傷なのは靴下のみ。
…………なんでしょう。この姿、なんだか卑わぃ……
(いえ、なんでもありません)
ソッと視線をそらした私と洗濯物を抱えてバーク様が立ち上がる。
「おまえら、もう祭りはいいだろ。豆で壊した壁とか備品は自分たちで直しとけよ」
「「「「「「わかりました」」」」」」
あっさりスッキリした返事。使用人の方々の顔は晴れ晴れ。まあ、あれだけ暴れ……いえ、鬱憤をはらし……いえ、いえ。動きまわれば良い運動になったのでしょう。
バーク様が駆け寄ってきた使用人に洗濯物を渡す。そこへオンル様がやってきた。
「日頃の溜まった不満が多少は解消されたようですね」
「逆にオレは不満が溜まったぞ」
「あなたには毛玉がいるから良いでしょう? 今日は仕事もありませんし、自由にしてください」
「いいのか!? よっしゃ! じゃあ、着替えてくる」
猫の私と抜け殻になった私の服を持ってバーク様が軽い足取りで私室へ戻った。
「オレも使用人もそこそこ体を動かせて気分転換になったしな。たまには、こういう祭りもいいか」
「にゃ、にゃあ……」
(子どもの頃に絵本で見たセツブンとかなり違うような……)
「ミーは楽しかったか?」
「みゃうにゃう」
(それよりバーク様の傷のほうが気になります)
私は前足でバーク様の頬をツンツンと触れた。全身かすり傷だらけすぎて、準備した薬の量で足りるか不安になる。
しかしバーク様は私の前足に頬ずりをしながら恍惚の表情を浮かべた。
「この丸くてフニフニの肉球。この香ばしい匂い。たまらん」
「ぷぎゅにゃ――――――――!!!!!!」
(その格好で変態発言はやめてくださいぃぃぃ!!!!!!)
前足を引っ込めた私はバーク様の腕から飛び降り、テーブルに準備していた傷薬を咥えた。
「みゃにゃ!」
「お、薬か! さすが、ミー。気が利くな」
バーク様が傷薬を手に取り、私の頭を撫でる。こうして撫でられるのは気持ちいい。思わず自分から頭をこすりつけてしまう。
って、そうではなく!
「うにゃにゃんにゃ!」
(早く薬を塗ってください!)
「へい、へい。さっさと塗れってことか。ミーは心配性だな」
私の訴えを珍しく理解したバーク様が傷薬の蓋を開ける。ホッと一安心した私はバーク様の背中を見た。背筋から分かれて盛り上がる筋肉。ガッシリとした肩から、腕を動かすたびに動く背中。そこから太くも引き締まった腰。
美術彫刻のような筋肉……だけど!
私は前足に傷薬をちょんちょんと付けるとバーク様の肩に飛び乗った。
「ど、どうした?」
「にゃー」
私は肩から手を伸ばして背中に傷薬をつけた。猫の手なので付けられる範囲は狭い。そんな私にバーク様が笑った。
「それなら人に戻ってから塗ってほしいな」
バーク様が肩にいる私をガッシリと掴み、顔の正面へ移動させる。プラーンとしている私にバーク様が顔を近づけた。
「んにゃにゃ!?」
(ちょっ、待ってくださ!?)
バーク様の高い鼻が私の鼻に触れる。
ポンッ!
私はバーク様の膝の上で人に戻った。もちろん、服はない。
「見ないでくださいぃぃぃ!」
私は叫ぶと同時にバーク様の頬を思いっきり叩いていた。
※
「私を人に戻す時は布かシーツに包んでからにしててくださいって、あれほどお願いしていますのに」
服を着た私は半泣きになりながらバーク様の背中に傷薬を塗った。
「わりぃ、わりぃ。つい、な」
「その言い方は悪いと思っていないでしょう!」
傷薬を塗り終えた私は薬の容器の蓋をしめた。頬を膨らました私の機嫌をとるようにバーク様が私の顔に触れる。
「猫のミーも、人のミーも可愛いからな。早くどっちの姿も見たいんだ」
「そ、そんなこと言っても騙されません……キャッ」
顔をそらした私をバーク様が抱き上げて膝にのせる。
「本当だぞ。オレはミーほど大事で可愛い存在を知らない」
いつも鋭い黄金の瞳が甘く、とろけるように見つめる。滑らかな褐色の肌にかかる、艷やかな紫黒の髪。筋が通った鼻に形がよい唇。
強面だけど、イケメンな顔が。まっすぐな眼差しが。カッコよすぎてドキドキが止まらない! 止まらないけど!
私は両手で顔を覆って訴えた。
「服を着てください!」
どんなに甘い言葉を囁かれても、パンツ一丁の靴下姿では半減どころかマイナスです!
※
バーク様がようやく私服を着たところでティータイムへ。
いつもと同じ紅茶のはずなのに、今日は一段と安らぐ。私は紅茶を飲みながら、どうしても気になっていたことをバーク様に訊ねた。
「あの、どうして靴下を履いていたのですか?」
「靴下?」
「オニの姿です。あの格好なら靴下はないほうが良かったのでは、と思いまして」
「特になにも考えてなかったからなぁ。そんなに変だったか?」
私はそっと視線をそらして答えた。
「……外では絶対にされないほうが良いかと」
「だよなぁ。あんなトゲトゲを被っていたら不審者だよな」
「ゴフッ」
(そっちですか!? 靴下の話をしていたのに!?)
吹き出しかけた紅茶をなんとか飲み込む。
(どうやらバーク様の服装感覚はズレて……いや、竜族なら普通の感覚なのかも。どちらなのでしょう……)
悩む私に今度はバーク様が質問をしてきた。
「そういえば、祭りで豆まきと、あと何かやることがなかったか?」
「えっと……年の数だけ豆を食べたら無病息災で過ごせる、という話ですか?」
「それそれ! あとは豆を食べて終わりだな。あ、ちょうどいい」
バーク様がテーブルの端に置いていた木箱に入った豆に手を伸ばす。
「バーク様! それは……」
「ん?」
私が止める前にバーク様が豆を掴んで口に放り込んだ。
パパパン! パン! パパン!
バーク様の口の中で盛大に豆が弾け、口から煙とともに魂が抜けかける。私は慌ててオンル様を呼びに走った。
その後。セツブン祭りは禁止となり、バーク様は「なんか、いつもと違うことねぇかなぁ」と言わなくなりました。




