覚悟を決めまして
翌日。
私は朝から泣き腫らした顔をどうにかすることで精一杯だった。水で濡らしたタオルを顔に置いて、とにかく冷やす。
飾りだけの婚約者と影で笑われるけど、それでも少しぐらいはマシな顔にしておきたい。
(もしかしたら、これが最後になるかもしれないし)
私は少ないドレスの中から、一番のお気に入りを選んだ。
鮮やかなオレンジの布が幾重にも重なり、スカートが花びらのように広がる。繊細なレースが胸と裾を飾り、ボリュームをだす。
靴は動きやすいようにヒールが低いもの。ネックレスやイヤリングの装飾品は一切なし。髪は簡単に結い上げるだけ。
鏡に映る私の顔の腫れは化粧のおかげもあり、あまり目立たなくなっていた。
大きく深呼吸をして鏡の中の自分を睨む。
「よし!」
私は部屋から大きく一歩踏み出した。
お父様、お母様とともに馬車に揺られバルテルミー伯爵家へ到着。前に一度だけ訪れたことがあるけど、私の屋敷とは比べ物にならないほど広い。
馬車から降りた私たちはバルテルミー家の執事に出迎えられた。
「ようこそ、おいでくださいました。テシエ子爵夫妻はホールへどうぞ。ミランダ様はジスラン様が控室でお待ちです」
その言葉に私はビクリと体が震えた。やっぱり会いたくない。顔も見たくない。それでも以前の私なら、このままズルズルと言われるままだっただろう。
けど。
私は手に力を入れると、自分で声に出して断った。
「申し訳ございませんが、あまり体調が良くないので両親から離れたくありません。先にホールで待っていても、よろしいですか?」
「それは……」
渋い顔をする執事に私はよろめいたフリをした。
「あぁ、こんな体では皆様に迷惑をかけてしまいます。やはり今日は欠席させていただいて、皆様だけで……」
「お、お待ちください。それでしたら、ご両親とともに控室へ」
「パーティが始まるまで、時間がかかるのですか? それほど待てそうにないので、ご迷惑をかける前に帰ります」
頑なに帰ろうとする私に執事が困惑する。
「わかりました。では、ホールでお待ちください。そのように伝えてまいります」
「こちらへどうぞ」
案内係が私たち親子の前を歩く。お母様が私に囁いた。
「どうしたの? そんなワガママを言う子じゃなかったのに」
「そうだぞ。あまり伯爵家に迷惑をかけるな」
「……」
私は唇を噛んで目を伏せた。
そうやって、ワガママを言わず迷惑をかけないようにしてきた結果が今の状況なのに。
(なら、私は私が生きたいように生きる。最初で最後のワガママになるかもしれない。それでも……)
案内されたホールは眩しいばかりだった。
白壁と金で装飾されたホールを天井から巨大なシャンデリアが照らす。床はマーブル模様の大理石が敷き詰められ、来客の足音を響かせる。
そして、壁に並ぶ大きな窓。金枠で飾られた窓の先には湖にせり出したバルコニー。湖に浮かぶホールとバルコニーの屋敷など、ここにしかないだろう。
「噂には聞いていたが、素晴らしいホールだ」
「そうね」
お父様とお母様が感嘆する。湖上に建つホールとして巷では有名な屋敷。だから、今日のパーティーもここであると思っていた。
これだけ広いホールだが、本当に身内だけのパーティーにしたらしく、招待客は両手で数えるほど。
お父様は意気揚々と招待客の一人と会話を始めた。お母様もその隣で笑っている。私は体調不良を装うため、テラスへ出る窓の近くにある椅子に腰をおろした。
窓の隙間から、外の冷たい風が滑り込む。これだと、湖の水も相当冷たいだろう。そっと窓の外を見る。
「よかった。湖は凍っていない」
私はホールに視線を戻した。若い二人の新しい門出の祝福を、と喜びと期待に溢れた雰囲気。
もし、ジスラン様の浮気を知らなければ、私もあの煌めいた世界に笑顔で立っていただろう。でも、もう戻れない。
私は全身が震えた。窓から入り込む隙間風のせいではない。これから起きることへの緊張から。
「大丈夫。きっと上手くいく」
これから起きる騒ぎのどさくさに紛れて、私は湖に飛び込む。そして、猫になった私はそのまま姿を消す。
水の冷たさに死んでしまうかもしれない。でも、ジスラン様と結婚するぐらいなら、猫になって生きるほうを選ぶ。
そこに会場がざわついた。
「だから、手紙を見せたでしょ! ジスラン直々の招待なのよ」
「ですから、確認をいたしますので、お待ちください」
輝く金髪に真っ赤なドレスをまとった美女が制止しようとする執事を睨む。
「あなた、私を誰か知らないの!? ベリッサ・ゴーダンナーよ。あなたの首なんて、我が家の財力かあれば一言で飛ばせるんだから」
「あーら。すぐお金の話を出すなんて」
その後ろから淡い緑色のドレスを着た美女が現れる。大きな緑の目を細くし、ベリッサ嬢に侮蔑の視線を向ける。
「さすが、成り上がりの娘ですわね」
「誰かと思ったらキャンベラじゃない。こんなところまで男漁りに来たの?」
「まあ、口汚い。程度が知れますわね」
「なんですって!?」
掴み合いの喧嘩に発展しそうな気配に穏やかな声が入る。
「あら、みなさまお集まりになって、どうなさったの?」
「レミーナ! それは、こっちのセリフよ! なんで、あんたまでいるの!?」
レミーナ嬢が亜麻色の髪を揺らして優雅に微笑む。天使のような笑みにホールの男性陣が見惚れる。
「私はジスラン様から手紙をいただきましたの」
「私もよ!」
「あら、私も」
ホールの入口で三人が顔を見合わせる。そして、そろって口角をあげ、私のところへ歩いてきた。
椅子に座った私の前にずらりと並ぶ。さすが、社交界三大美人。そして、ジスラン様の浮気相手たち。
「どうやって、あんたみたいな地味女が婚約者になったのか知らないけど、それも今日までよ」
「きっと一時的な気の迷いだったのよ。こんな格下を選ぶなんて」
「まぁ、そんなことを言ったら可哀そうですわ。こうして同情を得たのかもしれませんけど」
(私だって、あなた方を差し置いて婚約者に選ばれるなんて思いませんでした)
と、出かかった言葉を呑み込んだ。そういえば、どうして私が選ばれたのだろう。
資産も爵位も外見も、私より上の人たち。この三人より私を婚約者に選ぶ理由が分からない。
そこにジスラン様がホールへ駆け込んできた。