浮気されまして
異種族と魔法が普通にある世界。政略結婚や閨閥結婚など本人の意思にはそぐわない結婚もある。
そんな世界で。
「君が書く字は美しい。まるで君の姿と心のようだ。僕は君がどんな姿になっても愛し続けるよ」
――――――――そう言っていたのに。
「喜べ、ミランダ! バルテルミー伯爵家との婚約が決まったぞ!」
「本当ですの、お父様? なら、私はジスラン様と……」
「あぁ、これで正式な婚約者だ。バルテルミー伯爵家は今、交易を広げ収益をどんどんあげている。そんな伯爵家と婚姻とは、よくやった!」
「そんな……私はただ、ジスラン様と文通をしていただけで」
私は爵位や家柄で好きになったわけではない。ただ、本当にジスラン様、本人に惹かれた。
バルテルミー伯爵家の次男であるジスラン様との出会いは社交界。明るく社交的なジスラン様は、子爵家の私からすれば眩しい存在。
それでも気さくに話しかけてくださり、会話が苦手だと言った私に「では、文通はどうだろう?」と提案してくださった。
手紙を通してジスラン様のことを知り、少しずつ逢瀬をかさね、その度に愛の言葉を囁かれ。恋に落ちるのに時間はかからなかった。
私はあまりの幸福に、その夜はなかなか寝付けず。天にも昇る気持ちのまま、気がつけば朝になっていた。
空が明るみ微睡み始めた頃。屋敷のメイドが部屋に入ってきて、カーテンを開ける音がした。
「ミランダ様、清々しい朝ですよ。起きてくださ…………ミランダ様? え? ミランダ様が、いない!?」
(なにを言っているの? 私はここにいるのに)
「大変です! ミランダ様が!」
バタバタと走り去る足音。私は体を起こして、違和感を覚えた。
(天井がいつもより高い?)
ぐるりと室内を見渡し、カーテンが開いた窓で視線が止まった。そこには、白金色のふんわりとした長い毛の猫が。
「んにゃ!?」
叫んだつもりが、口から出たのは猫の鳴き声。そこへ大勢の人が集まる足音。
「本当です! ミランダ様のお姿がなくて!」
「いつの間に出ていったのだ!?」
「誰か侵入した形跡は!?」
「とにかく探せ!」
執事長を筆頭に使用人とお父様が部屋に駆け込んできた。
「やっとバルテルミー伯爵家との婚約が決まったのに、ここで失踪したとなると……」
「旦那様、失踪とは限りません。誘拐された可能性も」
「理由はどうでもいい! このことがバルテルミー伯爵家に伝わる前にミランダを見つけなければ!」
見た目から枕と同化していた私はベッドから飛び降り、お父様の足元で叫んだ。
(ミランダはここです! ここにいます!)
「にゃー! にゃにゃ、にゃー!」
悲しいかな、なにを言おうとしても猫の声。でも、私の声に気づいてくれたお父様が足元を見た。
「なんだ、この猫は!? 邪魔だ! さっさとつまみ出せ!」
「ニャぁああ――――――――!?」
私の訴えも虚しく、使用人によって屋敷の外へ放り出された。
「くちゅん!」
温かい屋敷から寒風が吹きつける屋外は身も心も冷える。夢であってほしいけど、このままだと目覚める前に寒さで凍えてしまう。
(だれか、私を私と分かってくれる人のところへ。お母様は猫嫌いだから、ダメだろうし……)
そこで浮かんだのは昨日、婚約者になったばかりの――――――――
(ジスラン様なら!)
私はひたすら走った。人間の足でも遠いのに、猫の足だとますます遠い。見慣れた景色も視線が低いせいか、知らない場所に見えてしまう。
なぜ猫になってしまったのか分からないけど、今はジスラン様の屋敷へ。
閉じた門の下をくぐり、屋敷の正面へ。すると、ジスラン様の馬車が停まっていた。
(このまま出発したら、すれ違ってしまう!)
慌てて駆け出すと、ちょうどジスラン様が馬車に乗り込むところだった。
従者がジスラン様に声をかける。
「本日のご予定は? どちらに向かいましょう?」
「そうだな。まずは、レミーナ嬢の屋敷へ行き、その後でキャンベラ嬢の屋敷へ行く。正式に婚約発表をしたが、心は君のものだとフォローしないといけないからな。あと時間があればベリッサの屋敷にも寄ろう」
(……えっ?)
レミーナ、キャンベラ、ベリッサ、三人とも社交界では美人で有名。むしろ、知らない人がいないぐらい。
「ミランダ様はいかがされますか?」
「あれは放っておけ。私にベタ惚れで疑うことを知らないからな。数日ぐらい会わなくても問題ない」
「かしこまりました」
恭しく従者が頭をさげる。
私は自分の耳を疑った。猫になったから……猫になったから、正しく言葉を聞き取れなかったのだと。
(ジスラン様!)
「にゃにゃにゃー!」
「うわっ!? なんだ、この猫!?」
叫びながら飛びついた私をジスラン様がかわす。そして、顔を歪めた。
「なんだ? この汚らしい猫は。どこから入ってきた?」
「にゃにゃー! にゃにゃんにゃ、にゃー!」
(私です! ミランダです、ジスラン様!)
「うるさい!」
「ニャッ!?」
衝撃とともに体が飛んだ。なにが起きたのか頭では理解できなかったけど、体は反応して足から着地する。
(え!? 私……蹴られた?)
お腹に鈍い痛みを感じながら呆然とジスラン様を見上げた。すると、再び足が!
慌てて後ろへ飛び退く。忌々しそうにジスラン様が舌打ちをした。
「チッ、すばしっこい猫め。まったく、ズボンに毛がついたではないか」
「すぐにお召し替えを準備いたします」
「面倒だ。このままでいい。私が帰るまでに、その猫を確実に処分しとけ」
ジスラン様が吐き捨てるように私を睨み、馬車に乗り込んだ。
ガラガラと大きな音をたてて走り去る馬車。その音とともに私の世界も崩れた。
夢なら早く覚めてほしい。でも、蹴られたお腹がズキンと痛み、現実だと知らせる。
「まったく、ジスラン様の女好きも困ったものだ」
「メイドにも手を出しているのだろう?」
「婚約したら少しは落ち着くかと思ったが」
「死ぬまで治らんだろ」
見送りのために並んでいた使用人がコソコソと話す。そこで見送りに並んでいた執事が手を叩いた。
「無駄話はそこまで。さっさと、その猫を捕まえて仕事に戻りなさい」
「ニャッ!?」
使用人たちが一斉に私に注目する。私はお腹の痛みを我慢して、屋敷の外へと逃げた。
店が立ち並ぶ大通り。人に踏まれない、蹴られないようにフラフラと歩く。たまに、すぐ横を馬車が駆け抜ける。
もう、どこをどう走ったか分からない。足は痺れて感覚はない。きっと、足を止めたら二度と動かせない。それぐらい疲れている。
(昨日の夜……いや、今朝まで幸せでいっぱいだったのに。どうして、こんな……)
――――――――バシャ!
すぐ脇を走った馬車が跳ね上げた泥水を頭から被る。
「うわー。なに、あの猫。きったねぇ」
「ついてきたら面倒だから。見ないの」
母親にたしなめられ、子どもが離れていく。いつもなら胸に刺さっていたであろう、正直すぎる言葉も、今はなにも感じない。
泥水で全身が一気に冷えていく。寒さで足の感覚もない。
「にゃっ……」
歩道の段差につまづき転ける。もう、起きあがる力もない。空に広がるどんより雲は今の私の心のよう。
ぼんやりと眺めていると、チラチラと雪が降ってきた。
(雪なのに寒さも感じない……)
そのまま目を閉じかけた時、大きな声が響いた。
「猫だ! モップじゃなくて猫だぞ!」
「そんな大声だから、いつも逃げられるんですよ」
「けど、こいつ逃げないし……って、おい!? 大丈夫か!?」
ほとんど開かない目にぼんやりと人影が映る。
「こんなに凍えちまって! オンル、屋敷に戻るぞ!」
「はい、はい。下見は中止ですね」
「当然だ!」
抱き上げられたと思ったら柔らかい布で包まれ、そのままどこかに入れられた。
トクン、トクン、と心地よい音がする。
「懐に入れるのはいいですが、潰さないようにしてくださいよ」
「今はこうやって温めるしかないだろ!」
(温かくって、気持ちいい……)
ふにふにと柔らかい壁を感じながら、私は眠りについた。
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はげみになります!(๑•̀ㅂ•́)و✧
今日はあと夕方と夜に投稿します
あとは朝昼夕と一日3話投稿していきます
4万字ぐらいで完結する……予定です