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K.K奇譚   作者: R4
9/13

あいつがカバーを外したら

 廃墟のように様変わりしていたのは、さっきまで僕の居た教授室だけだったようで、第3教務棟の内部は来た時となんら変わっている所は無かった。ゼミ生が誰一人として見当たらない、もぬけの殻となってしまっている以外は。

 ただでさえ人間味の薄い、人心地のしない施設だっただけに、いよいよ居心地の悪さが極まってきている。無人、無色、無音。霊安室に置かれている死体に意識があったら、きっとこんな感じなんだろう。

 階段を駆け下り、廊下を走る僕の足音が、前に後ろにどこまでも反響していく。音を遮る物はない。廊下を走るなと、至極真っ当な注意をしてくる人も居ない。こんなマナー違反を、ここの人間が見逃すはずがない。一体何が起こったのか、不安感が募る。わからないことがいくらでもある。ツヅキが襲われた。誰に?吉田さんも追われている。誰に?何故?

 息を切らしながら教務棟を出る。20時間30分、僕がここに入った時とは違い、外はもう真っ暗になっていた。点々と配置されている電灯が、辛うじてそこに道があることを保障している。

 その光の下に、人が数人、倒れていた。

 思わず駆け寄り、大丈夫ですかと声をかける。安全体位を取らせ、脈を見る。全員とも、とりあえずは生きているようだ。目立った外傷はない。しかし……

「これは一体、どういうことなんだろう……」

 飯塚さんの失踪事件、吉田さんを襲った何者か、そして目の前に広がっている陰惨な光景。果たしてこれらのことに関係があるのだろうか?どちらにしても、今必要なのは安全の確保と、吉田さんの保護だろう。

 とにかく救急車を呼ぼうと、スマートフォンを開く。飯塚さんのプチ失踪事件とは違い、これは直接的な暴力行為、れっきとした犯罪だ。もう、僕のような一学生に手の負える事態じゃない。オソバのすることは犯罪ではないのか、という点については目を瞑っていただきたい。

 とにかく、然るべきところに通報をしようと、ロックを解除した矢先、見覚えのあるアイコンから着信が飛んできた。座興大学の敷地内、人っ子一人居ない秋の寒空の下で、振動音が虚しく響く。発信者は、ツヅキ。人当たりの良い、圧倒的な善人。事あるごとに垣間見える欠点をその好青年ぶりでカバーしてきた男。

「はい、加藤です」

 通話ボタンを押す。電話の相手がツヅキじゃないことも考慮して、他人行儀で。吉田さんの残した思わせぶりな台詞からして、もうツヅキは無事ではない可能性も充分にある。すでに彼の携帯は敵の手中に渡ってしまっていたとして、これが脅迫電話じゃない保証なんて、どこにもない。事態はもう、そういうレベルに突入しつつある。

「……その声は加藤、君本人の声だね。無事だったんだ」

 ため息交じりの、気だるげな声。この電話の主を、僕は良く知っている。

「ツヅキ!」

 ツヅキ本人の声が聞こえてきたことで、思わず声が弾む。普段から厄介事を持ち込んでくる、悪友のような存在だが、悪だとしても友は友である。無事だったというのは、純粋に嬉しい。それに、情報通のツヅキなら、今何が起こっているのか、断片的な情報からでも話を組み立ててくれるだろう。

 なんとかなるかもしれない。殺風景な暗い道に、文字通り光明が刺すような気持ちがした。心もち、照明も明るくなったような気がする。

「そっちも、無事だったみたいで良かった。吉田さんが不穏なこと言ってたから、気になってたんだ」

「小野教授はどうだった?」

「シロだ。あの人は飯塚さんに何もしていない。むしろ、安全に保護しようとしてたくらいだ。教育改革とかなんとか言って、そのために飯塚さんを利用しようと……」

「そうじゃなくて、あの人、君におそいかかってきただろう?」

 ……何だって?

「ああ、まあ。理学部が嫌いだとか、何故君が飯塚さんを知っているのだ、とか、変な口調で言って、話なんて殆どできなかったけど……」

「やっぱりね。それで、どうだった?」

 話をしている内に、なんだか取り調べを受けているような気持ちになってくる。どうにも、ツヅキのペースが掴めない。いつものツヅキなら、「いやー、やっぱり教授は襲ってきたかぁ!あの人理学部のこと嫌ってそうだったもんなあ!まあ主にオソバのせいなのだろうけれど、僕にも責任が無いわけじゃないからね!この際だから、次会った時僕の分もついでに謝っといてよ!」くらいのことは言いそうなものなのに。間違いなく本人の声ではあるのだけど、明らかにトーンが低く、抑揚も無い。こんな喋りかたをするツヅキは、三年を通して一度もお目にかかったことはない。

「教授、強かったでしょ?どうやって逃げ切ったの?」

「い、いや、逃げ切ったというか、なんというか……そう、教授が来ると思ったから、防御の姿勢を取ってたら、いつの間にかいなくなってたんだ」

「それは何時頃の話?」

「ええと、確か……というか、そんな話をしている場合じゃない。ツヅキ、さっき吉田さんから不穏な電話が来た、彼女の安否が心配だ。それに、第3教務棟の前で人が数人気絶してて……」

「ああ、大丈夫。そんなに強くはしてないから。すぐに五体満足、後遺症も一切無しで起き上がるよ」

 衣替えをしていない、薄手の上着には肌寒い初冬の風が頬に当たる。眩しく見えたLEDの電灯が、随分と頼りない光を発しているように見える。

「もっとも、考えを改めないようなら、次はもうちょっと痛い目にあってもらうつもりだけど」

「何を……言ってるんだ?」

「それで、何時頃に、教授が襲い掛かって来たの?僕の予想だと、まあ18時くらいだと思うんだけど」

「こっちの質問に答えないのなら、話すわけにはいかない」

「怖いなあ、本性でちゃってんじゃん。教授の影響かな?旧友に久しぶりに会ったみたいだよ。まあ、僕も素を出して話すのは初めてだから、本当のところ、言うべき言葉ははじめまして、なんだけどね。それにしても、一方的に答えさせようなんてひどいなあ。最初に質問したのはこっちなのに。そういうの、公平じゃないから嫌いだって、前言ったよね?」

 どの口が言うのだろう?本性が出てるのはどちらのほうだ。ありとあらゆる欠点を、人当たりの良さで『カバー』する男。ならばもし、被っているその『カバー』を取っ払ったら?底の知れない男の、その本質は?

「まあいいよ、別に答えてくれなくても。定命の一つ、定位置、だったかな?欠点なんてあるはずも無い、でたらめな超常現象だと思ってたけど、意外な弱点があったね。定められた位置に常に居る、ということは、逆を言えば定められた場所にしか居ることができない。小野教授を必要としている存在が居るのなら、そこに行かざるを得ない。例えば、自分のゼミ生が何者かに襲われて気絶しているような、そんな緊急事態が起これば、ね」

 小野教授の話と、吉田さんの話は微妙に食い違っていた。吉田さんの話では、彼女は今でも教授の授業を聴講していたはずだ。しかし、その授業すら、最近は欠席していると、あの『定』量使いは証言している。

 友人を案じている吉田さんが嘘をつく理由はない。僕は内心、教授が嘘をついている、少なくとも何かを隠していると確信していた。しかし、僕は吉田さんの話を直接聞いたわけではない。吉田さんの話を、聞いた男から又聞きで知っただけに過ぎない。間接的に知って、まるでそれが真実にように思っていただけだ。知った気になっていただけだ。

 だとするならば、この一連の事件で、嘘をつける人間はもう一人居る。話を捻じ曲げることのできる人間が居る。言葉巧みに、人を操ることのできる人間が、一人。

「ツヅキ、まだ間に合う、嘘だと言ってくれ。今の話、冗談なんだろ?いつもの軽口なんだろ?」

 僕は、無理だとわかっていて、一縷の望みも無く問いかける。電灯の明かりが徐々に薄暗く曇っていき、周囲は恐ろしい速さで闇に飲み込まれていく。刺すように指し込んでいた白色光はやがて灰色に変わり、ついには切れて点いてを繰り返すようにすらなる。今にも寿命を終えるであろうその姿は、僕に死にかけの蟻を思い出させた。動くこともできず、ただその時を待つだけの存在。

「お前と、戦いたくない」

 その時が来た。今度こそ、僕は闇の中に取り残された。

「加藤、僕は駅で君と話した時、こう言ったはずだよ。『相手の言葉を一言一句、自分の心に刻み付けるんだ』って。そして、こうも言ったはずだ。『一つだけ釘を刺しておくと、彼女は嘘をついていない、これは確かだ、間違いない』とも、ね。ああ、一応付け足しておくと、ここで言う『彼女』は吉田さんのことだよ。わかってると思うけど、一応ね」

 そうだ。この男は、人との会話を一言一句、アクセントから読点の場所まで覚えている。

「騙していたことは認めよう。でも、全部が全部嘘だったわけじゃない。僕の話を覚えてさえいれば、違和感にきづけたはずだ。人の話をちゃんと聞いていれば、事前に防げた事態だったんだ。最低限の誠意すらかなぐり捨てたわけじゃない。だからこれは、やっぱり正当で、公平なんだ。君がしてきたことに比べれば、遥かにね」

 水平線のように伸びきった、抑揚のない声が続く。言い回し、言葉選び、その全てがいつも通りだというのに、そこに込められた悪意と敵意だけが、彼を全く知らない、初対面のような人間と会ったような感覚を覚えさせる。

「ツヅキ、お前、こんな展開のミステリーは、嫌いなんじゃなかったか?」

 辛うじて覚えていた、彼の言葉。最低限フェアなゲームであることを望んだ、彼の嘘のための、偽りのない言葉。


――ミステリー小説を読んでて、『そもそもの証人の言葉が嘘でした』なんてトリックがあったら、そんな本は古本屋にすら持って行かずに、その場で破り捨てるべきだろうね――


 少しだけ、いつも通りの軽薄さと、その裏にある確かな親密さを感じさせる彼の声が聞こえる。もしかしたら、そうであってほしいという僕の幻聴かもしれないけど。

「うん、言った。確かに嘘偽りなく、心から言った。ありがとう。僕の言葉を覚えていてくれて。誰も覚えていないのなら、発した言葉に意味なんてないからね」

 今のツヅキと、今までのツヅキ。一体どっちが本当のお前なんだ?

「でも、加藤。今目の前に広がっている現実は、僕達大学生活は、異能バトル漫画でも一話完結型痛快ギャグ四コマでも、ミステリー小説でもないんだ。ましてやどこぞの馬の骨が書いたネット小説では断じて、ね」


 駅に来いよ、加藤。決着をつけよう、僕達の大学生活に。今までの歪んだ三年間に。ああ、それともこう言うべきか。


 加藤、罪を贖う準備をしろ。


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