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K.K奇譚   作者: R4
8/13

英雄

 座興大学第3教務棟、座興大学が誇る三大名誉教授の一角を担う小野教授の牙城。ミニマリズムを極限にまで突き詰めたようなつくりで、見る者に理学部の学部棟とはまた違った理由で殺風景な印象を与える建造物。何階だったかは覚えていないが、静謐と潔癖を声高に出張しているような白色の廊下を抜けた先の教授室で、僕は城の主、小野教授と真っ向から対峙していた。まあ、事前に想定されていたあらゆる事態の中で最悪と言っていい。どこまでが僕の不始末かと聞かれると、大いに疑問の余地があるけれども。

「加藤君、『定』量的に言って、抵抗しないほうが良いと、『定』言しておきますよ」

 教授が、ドアを離れ、一歩一歩、部屋の中央に陣取る僕に近づいてくる。

「何も難しいことを言っているのではありません。安否不明、行方不明のいたいけな女子大生である飯塚さんについて知っていることを話して下されば結構です。その後は、私の教育改革が成就するまでという期限付きですが、我が第3教務棟でのめくるめく高尚な日々を堪能していただければ」

 物は言いようである。こんな無味、無個性を突き詰めたような建物で日々を過ごすなんてまっぴらごめんだし、こんなセンスの人間が指揮をとる教育改革とやらも一向に御免である。

 そして、何より。

 実のところ、僕は結構イライラしていた。

「小野教授。いや、小野さん」

 教授の体が一瞬で縮まったように見える。実際には、例の『定』位置とやらで教授室のドアの前に戻っただけなのだが。タネも仕掛けも無いように思える、全くもって得体の知れない能力だが、まあ、瞬間移動、ワープのようなものとだけ考えておけば良いだろう。それで良いのか、というツッコミは無しだ。考えるだけ無駄なことが、世の中には結構ある。

 とりあえず、ほんの少しは逡巡させることができたみたいだ。

「……やる気、というわけですか」

 刺すような冷たい威圧感が更に増してくる。冷房の強すぎる部屋に居るみたいだ。しかし生憎、僕の心は無駄にあったまってしまっている。

 今日一日、全くと言っていい程何もかもが上手くいかない。『山bar』での縁談は中断され、駅では警備員に追いかけられ、挙句の果ては名誉教授だ。理不尽で八つ当たりにも思えるが、いい加減我慢の限界というやつだ。

「先程、教授は象徴、シンボルと言いましたが」

「ええ、飯塚さんこそ、私の教育改革のシンボルとなるべき女性です。確かに、『定』量的に『定』言させていただきました」

「では、そのシンボルが、あなたの改革よりも大きな存在になってしまったとしたら、どうしますか?」

「……なんですって?」

 ここにきて初めて、小野教授の額に皺が寄る。口だけではく、真の意味での動揺を引き出すことに成功した、と言えるだろう。

 だが、まだまだこんなもんじゃない。僕の苛立ちは、こんなものじゃ収まらない。

 もう暫く、僕のストレス解消に付き合ってもらうとしよう。

 そうでなくても、理学部の、僕と僕の知り合いの悪口を言われたんだ。ちょっとくらい、痛い目にあってもらわなければ。

「あなたの掲げる教義、新しい価値観、激変する学生生活。それら全てを、飯塚さんの人間的威容が上書きしてしまったとしたら?あなたの信奉者が、『定』命とやらではなくて、飯塚さん自身を崇めるようになってしまったら?」

「…………」

「昔、居たんですよ。あなたと同じような理想を持って、この国に来た人間が。真の生き方とやらを説き、人々を正しい道とやらに導こうとした人間が」

「何の、話を、しているのですか?」

「彼は自らの職務に忠実に働きました。自らの教えを広げるためには、まず自らがその教えによって成熟した、真に価値ある人間であることを証明する必要がある、と考えました」

 部屋の温度が上がっていく。思わぬ展開に、小野をうろたえているのかもしれない。それとも、僕がヒートアップしてしまっているだけか。まあ、どっちでもいいけど。

「とにかく、真摯に取り組むこと。それだけを、彼は自らの戒めとしました。幾度の火災にもめげず、私財をなげうってでも教えを広めることに尽力しました。海外の異教徒とも交流し、双方が衝突することを未然に防ぎました。病院を建てました。町の治安を守りました。自らの経典を翻訳しました。物を大切にし、ぼろ布を纏っていた彼の姿を、当時の人は『聖僧』と呼んでいたそうです。曰く、乞食にも、神にも見えたと。長年の布教活動が実り、ついに彼は自分の学校を持つに至りました。ようやくです、ようやく、彼の教えが世に広く羽ばたく時が来たのです。感動的な話だと思いませんか?」

「……!あなたの言っている学校というのは、まさか我々の……」

 無礼な人だな。今話しているのは、僕だというのに。人の話を遮るなって、ツヅキに教わらなかったか?そういうところ、アイツ厳しいからなあ。

「しかし、記念すべき開校の日、教壇に立ち生徒の視線を一身に受け止めた彼は、気づいてしまったのです。誰も、自分の教えになど興味の無いことに。自分という存在が、教義を差し置いて光り輝き、自らが啓蒙すべき人々の瞳を曇らせてしまっているという事実に」

 この部屋、ずいぶん熱いな。白は光を反射するはずなんだけど。

「だからこそ、彼は自身に関わる全ての記録を、大学の成り立ち共々、歴史の闇に葬り去ったのです。もう、誰も自分という偽りの、無機質な作り物の光なんかに騙されることの無いように。僕も話でしか聞いたことが無いけれど、飯塚さん、彼女がそう簡単に人の命令に従う人間だとは、僕にはとても思えませんねえ。小野さんの計画が、かの『聖僧』の二の舞にならないことを、まあ、それなりに祈っていますよ」

 言ってやった、大分好き勝手に。これだけ早口でまくしたてたのは本当に久しぶりだ。やっぱりストレスが溜まっていたのだろう。さて、これから、どうしたものか。

「……なるほど、よくわかりました」

 瞼を閉じ、何か深い思索に暮れていた教授が目を開ける。先ほどの威圧感は鳴りを潜めているが、代わりに落ち着いた立ち居振る舞いが心の余裕を醸しだしている。これは直観だけれど、多分今の教授のほうがさっきの教授よりも数倍強い。少しは敵として認めてくれた、ということだろうか?

「まあ、『定』量的に言えばそういうことです。飯塚さんのこともそうですが、今はあなたの先程の話に、途方もない興味を抱いています。これはいささか、『定』量的ではない。もちろん、今の話を知っている、あなたそのものにも非常に関心がありますよ、加藤君」

 少し、調子の乗ってしまったかもしれない。まあ、教授も余計な事を話していたのだし、これこそ公平というやつだろう。ある意味、決意表明というやつだ。これから戦う相手になら、この後倒す相手になら、何を言ったってかまわないだろう。これで僕も教授も、互いを倒さなければならなくなった。さて、どうしたものか。

 目を薄め、思考を聴覚に集中させる。教授の『定』位置とやらがいかに高速であろうとも、攻撃する以上はこちらに近づいてこなければならない。だったら、その攻撃にカウンターを合わせるだけだ。言うは易しだが、それ以外に有用な対策など考えつかない。

「……本気ですね……理学部の方々の中では、比較的無害な方だとおもっていましたが……一番警戒すべきは、案外、あなただったのかもしれません。」

 そんなことは、もうどうでもいいだろう。話は終わった。話しても、分かり合えなかった。だったら、もう……。

 僕は微塵の隙間もなく、瞳を完全に閉じる。人工の白色電灯が、皮膚を貫いて瞼の裏側を赤く染める。このナンセンスな正しさは、ここに居る限りいつまでも付きまとってくるのだろう。

 邪魔だな。

 僕は更に深く潜る。視界が黒に染まる。これでいい。これで、ようやく教授の音にだけ、集中することができる。理学部の一員である以上、僕の身体能力も常人よりはずっと上のはずだ。例え負けたとしても、相手は教授、大人のすることだ、そんなに酷いことにはならない。オマケに、僕にはオソバというとんでもないリーサルウェポンがある。

 いや、そんなことはどうでもいいか。だって今ここで、僕が勝つんだから。全部自分で何とかしてしまえれば。結局のところ、究極の個人一人居れば、どんなことも大抵はなんとかなるものだ。今一度、偉人を衒ってみるのも悪くない。環境も周囲の視線も教授も、全部壊して、作り直そう。自分も歴史も、全てを破壊して後世に期待した。彼のように。彼女のように。

 教授の動きはない。もう、いつ襲ってきてもおかしくないのだが。

 呼吸が穏やかになっていくのを感じる。人の手の中で安らかに眠る文鳥のように、優しくて大きな何かに包まれているような安心感が唐突に訪れる。

 警戒を解かないまま、頭は思索を続ける。ただ反射を行うだけの機会になろうとしても、精神は坂を下り始めた自転車のように、何か自然な流れに乗って動きを止めることはない。

 教授は嘘をついているようには見えない。吉田さんも、本気で飯塚さんのことを心配していた。少なくとも、僕にはそう見えた。ツヅキは人の仕草に精通している。嘘かどうかなんて、見抜けるわけがない。そもそも、嘘をつくメリットは?操作の目をごまかすため?では、三人の内の、誰かが犯人側と繋がっている?わからない。

 今日は本当にひどい一日だった。何もかもが上手くいかなかった。それでも、飯塚さんの感じている苦痛に比べれば、こんなのは全然、大したことではないのだろう。

 飯塚さん、あなたは今、どこにいるのですか?

 ……目を閉じてから、どれくらいの時間が経ったのだろう。数十秒か、数十分か、はたまた数時間か。一種の自己催眠を自分に施していた僕には、どのくらいの時間が経ったのか、知る由もない。

 いつ教授が襲ってきてもおかしくない。余計なことを考えている場合では無い。無いのだが、抑えようとすればするほど、取り留めのない事象が頭に浮かび上がり、消えていく。

 硬直する体と、妙に冴え切っている頭。消えた大学の歴史、消えた英雄。生き写しの彼女。常人の道を捨てた者達。その領域に到達しつつある飯塚さん。通っていた、今は倒壊してしまった僕の中学、高校。ある日を境に可笑しくなってしまう人々。混沌とした教室。暴れる暴徒達。逃げ惑う被害者。その中で所在なさげに佇む僕。

「……僕?」

 知らない記憶に戸惑い、思わず僕は目を見開く。小野教授の姿はそこには無かった。殺風景な部屋は一転して、おどろおどろしい景色に変わっていた。割れた白色電灯、あちこちに亀裂の入った、スチール製の折り畳み机と椅子。どこから持ってきたのか、ホワイトボードには粘度の高そうな真っ赤な液体がべったりと張り付いている。塵一つ無かったはずの床は、何年もほったらかしにされたかのように、埃が幾層にも積み重なっている。変わり果てた部屋の中で、僕は一人、ぽつねんと突っ立っていた。

 スマートフォンを取り出し、電源を点ける。20時30分。教授と会ったのが夕暮れ時だったから、かれこれ1時間以上はここで棒立ちしていたことになる。教授はどこに行ったのだろう?あの口ぶり、僕を逃がすとは到底思えないのだが……。

 持っていた電話が振動し、着信を示す画面を液晶に映し出す。長く目を閉じていた上に、部屋は真っ暗だ。僕は目を細めながら、電話の主を確認する。見覚えのあるアイコンと、名前。吉田さんだ。ほんのついさっき、情報共有のために交換していた吉田さんの、早速の着信。迷わず、緑に光る通話ボタンを押す。

「はい、加藤です。吉田さん、どうしたの?飯塚さんについて、何か分かった?」

「加藤さん、助けてください!」

 息も絶え絶えといったような、荒い呼吸の声が画面の奥から聞こえてくる。

「ツヅキさんが……襲」

 何かが落ちる音が鳴り、足が地を蹴る音が遠ざかっていく。一人の足音ではない。足並みのそろった足運びではなく、一方が一方を追い回しているような……。

 夜も更けた。準備の時間は無い。


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