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K.K奇譚   作者: R4
7/13

偶像崇拝

「何故君がその名前を?詳しく、聞かせていただきましょうか。あくまで、『定』量的に」

 警察が捜査するまでもない、プチ失踪を続けている女子大生の飯塚さん、その名前を僕が口にした瞬間、小野教授から感じていた威圧感が数倍に跳ね上がる。白色に統一された、無機質な部屋に居るだけに、その威圧はダイレクトに有害な物として僕に伝わってくる。

(や、やばい……来る!)

 僕は咄嗟に席を立ち、部屋の出口へと駆け出そうとして……止まり、思わず先程まで教授の座っていた、生徒の使っているそれよりも更に小さく粗悪な椅子を振り返る。

 無機質、無個性を突き詰めたようなその椅子に、既に教授の姿は無かった。当然である、ドッペルゲンガーではないのだから、同じ人間が二人も存在しているはずがない。当たり前の論理で、疑問の余地など無い。

 だが、それでは何故、教授は部屋の出口に立っているのだろう?

 僕は振り返るその直前まで、確かに教授をその視界に収めていた。それは間違いない。だから考えられるのは、僕が教授を視界から外したその瞬間に、教授は部屋の出口まで一瞬で移動した、という事実。到底考えられない、受け入れられない事実こそが、唯一考えられる事実だった。

(これが、小野教授の言っていた『定』位置、なのだろうけど……これは果たして、人間の為せる業なのか?)

「『定』量的に言って、危機的な事態であると言わざるを得ないですね」

 教授は依然、氷柱のように鋭く冷たい威圧感を纏ったまま言を続ける。

「個人的な事情は置いておくとしても、飯塚さんは私の授業を最も真面目に聞いてくださっている方の一人です。その飯塚さんが理学部の、よりにもよって一番危険な面々と関わってしまっているのならば、私も『定』量的だなどと言葉遊びに現を抜かしている場合ではありませんね」

 僕はあくまで警戒を怠らずに脱出経路を探る。しかし無駄な足掻きというものかもしれない。部屋に窓は無く、あったとしても地上十数メートルの高所、そもそも逃げ出そうにも得体の知れない『定』位置の前では、どんな行動もすぐに収められてしまう気がする。逃走は不可能、されど闘争を試みたところで勝つ見込みは殆ど無い。

 しかし、このシチュエーションは決して最悪というわけではない。恐れていた『教授との敵対』というイベントは努力振るわず起こってしまったわけだが、教授の口ぶりからして、教授とその一派が飯塚さんの失踪を引き起こした可能性は限りなく低いだろう。むしろ飯塚さんの身を心配し、慮っているようにすら見える。そしてこのひしひしと伝わってくる威圧感である。オソバにも匹敵する、しかし少々毛色の違うこの刺すような敵意は、嘘や演技で纏える類の物ではない。小野教授は、少なくとも飯塚さんのプチ失踪事件の、直接的な犯人ではない。交渉次第では、飯塚さん捜索に協力すら望めるかもしれない。

 だから今この場面で、問題があるとすればそれは――

「理学部が嫌いなんですね、小野教授は」

「まあ、生徒一人一人に悪感情を抱いているわけではない、という前『提』を設『定』した上で、総体として、あくまで一つの集団として見た時に、好感情を抱いていないことは『定』量的に確かなことです」

 かなり婉曲的な発言だが、こんなものは嫌いと言っているも同義だろう。

「自校史、という科目がありましてね。自らの学校の歴史を授業で取り上げ、学生への自覚と自負心の向上を促す授業が全国で行われているのですが……いかんせん我が校には授業のカリキュラムに取り入れる程の史料が残っていない。しかし、残された僅かな史料から、何かしらの宗教、教えを基に教育が行われていたことは想像に難くありません。校内の建築物の其処此処に、その名残を見ることができます。そして私の教務棟を除き――これは私の要望で建てたことが明らかなので――謎のベールに包まれている建造物の中で理学部棟のみが、その校舎のどこにも宗教的要素を見出すことができない」

 かつての座興大学が、一つの教え、宗教を基に運営されていたことは確かである。この方面の知識において、僕は教授よりも二歩も三歩も先んじている自信がある。何故そんなマイナー知識を持ち合わせているかということについては後日語るとして。

「これらの史料から推測できることはただ一つ。何かしらの事件あるいは騒動が起こり、我が校は一度その宗教を手放した――まあ十中八九、戦時中の全体主義思想に基づく思想統制の名の下に行われた取り締まりでしょうが。おそらくですが、その時に我が校は土台を失ったのです、アイデンティティの根幹を投げ捨ててしまったのだと思われます。もう私の言いたいことがわかるでしょう?アナタ方理学部はその後に作られた、伝統とは無縁の新参者に過ぎません。我が校で真に価値あるものは、教えの名残が色濃く残っている文学部と経済学部の二つに他なりません」

 教授の言葉に熱がこもる。三大名誉教授として、学校の在り方には一家言も二家言もあるのだろう。そしてこの極端な思想こそが、今の教授の実力を形作っている。確かな地力と研鑽に異常なほどの目的意識が合わされば、社会的に受け入れられるか否かはともかく、その人間は必ず無類の存在になる。オソバを代表する理学部の面々、テニスサークルの連中に三大名物教授、この大学に入って、そんな人間を僕は幾らでも見てきた。きっと恐らく、飯塚さんもその領域に踏み込みつつあるのだと僕は推測する。彼女もまた、向こう側の人間として覚醒しつつあるのだろう。素質を持った人間が、集団の掟を顧みなくなってきている。蛹の中で変態しつつある幼虫のように、自身と世界に不満を募らせながら。

「『定』量的に言って、人には思想が――私的な表現をすれば、確『定』された象徴、シンボルが必要なのです」

「シンボル?」

「ええ、シンボルです。この際宗教でもそれ以外の何かでも構わない。座興大学に在籍する職員、学生問わず全ての人間を教化せしめ、成熟した個人へと至らしめる、真の教育改革です。その第一歩として、皆の模範となるべきわかりやすい象徴が必要なのですよ」

「……話が見えてきませんね」

 変な口癖が無くなったおかげで随分と会話はスムーズになったが、教授が何故こんな話を始めたのかさっぱりわからない。だが、向こうが自分から情報を履いてくれるというのならばしめたものだ。これだけ嫌われている以上、もう協力を仰ぐのは諦めるべきだろう。聞くだけ聞いてさっさと逃げる、もうそれしかない。とか言って、逃げの算段なんて全くついてないのだけれど。

「理学部が嫌いだという話と、教授の教育改革。それと飯塚さんの失踪にどんな関係が?」

「もちろん、大アリです。彼女こそ、私の計画の根幹を担うであろう、シンボルとなるであろう存在。私自ら学内の全ての生徒を調べた結果選ばれた、新しい座興大学の、新しい体制の象徴となるべき人間。その第一候補こそが、飯塚さんその人なのですからね。彼女の強迫観念と言える程にまで高められたあの規範意識、常人のそれではない。それでいて、あなた方理学部のように倫理から逸脱しているわけでもない。そして何より、彼女の所属はあの文学部!最も歴史のあるであろうあの文学部です!私の提示する改革、真に精神的薫陶を受けた学生による健全な大学運営の象徴となってくれることでしょう!」

「それが、先ほど言っていた個人的な事情、というわけですか?」

 小野教授の顔に微かな驚愕が浮かび、ばつの悪そうな表情に変わる。

「……失礼、少々、『定』量的な文量とは言えない程、話し込んでしまいましたね。私の計画のことは、誰にも明かさないと決めていたのですが……。これもまた、理学部であるあなた方の仕業、とするのは、『定』量的ではないでしょうね。何もかもを人のせいにするべきではない。これもまた、『定』量的に明らかであり、正しくそうあるべきことでしょうから」

「普段使いしていた緑のスーツも、教授の計画と関係が?」

「もうこの際話してしまいましょうか。当初は、私自身が象徴となり、偶像自らが改革を推し進める、というのが計画だったのです。計画の旗印として、わかりやすく、かつキャッチ―な格好をすることで統率を促すことができ、しかも宣伝にもなる、というわけです。しかし、試行を重ねていく内に、この方法では目的が成就することなど夢のまた夢であることが『定』量的に明らかになりました。全くもって不本意ながら、私はこの大学内において、変人のレッテル貼りを受けているようなのです」

 あの年中クリスマスツリーと言われていたスーツにそんな意図があったとは知らなかった。知ったところでどうというわけでもないけれど。この情報が飯塚さんの発見に繋がったら僕は間違いなく怒る自身がある。

 まあ、色々話を聞かされたわけだけど、結局のところ判明したのは、教授とそのゼミは飯塚さんの失踪には関わっていないこと。そして、教授が得体の知れない不穏な改革を企んでいること。そして……僕達は思ったよりも嫌われていた、ということ。

「だからこそ、私は今彼女を失うわけにはいかないのですよ。さあ、私の事情は話しました。今度は加藤君、君が何故飯塚さんを知っているのか、洗いざらい、『定』量的に明らかにしていただきましょうか」

「別に大したことじゃないですよ。単に、飯塚さんが教授以外の授業に参加していないので、少し調べてほしいと、彼女の友人に頼まれただけです。本当に、それだけですよ」

「嘘ですね。ここ数週間、彼女は私の授業を欠席しています。だからこそ、あなたの口から彼女の名前が出たこと自体に動揺しているのですよ。『定』量的に言って、戦慄すらしています。あなた方のような悪い虫が、彼女に引っ付いているのではないか?と」

 ……少し、話が変わってきたな。吉田さんの話を聞いたツヅキの話とどうにも食い違う。嘘をついているわけでもなさそうだが、正直、僕ごときの洞察力では言葉の真偽など測れるわけもない。この場にツヅキが居てくれれば……いくら先約があったからといって、行方不明の少女を探す以上に大事な事情が果たしてあるだろうか?

「いや、嘘なんかついてないですよ。多分、僕に話が回ってくるまでに少々行き違いが……」

「もういいです」

 さっきまでの突き刺すような威圧感が再び教授を取り巻き、まるで部屋の気温が下がったような錯覚を覚えさせる。今一度、教授の『定』命の技術、『定』位置が出るのだろう。僕は素早く膝を曲げ、拳を固める。交渉決裂だ。いや、最初から話なんて成立していないも同じだったのだけれど。僕としても、一方的に嫌ってくる相手と仲良くしようとは微塵も思わない。

「あなたが嘘をついていようが無かろうが、私の『定』言で引き出せば済むだけのこと。私としても、飯塚さんのことは散々気にかけ、ここ数週間ほうぼうを駆けずり回っていたわけですし。飯塚さんを何としても保護すること、それが今の私の『定』命。そして飯塚さんと何ら関係の無いであろうあなたが私と話す『定』命にあり、あろうことか彼女の名を口にした。これを『定』命と言わずして何と言いましょう。あなたを捕らえ、情報を聞き出せるだけ聞き出す。それが今の私の『定』位置、というわけであることが、『定』量的に、私的に明らかになったわけです。あと私の計画を知ってしまった以上、野に放っておくわけには行きませんし。」

 個人的な計画に関しては、ほとんど自爆に近いような自供だったと思うのだが。一方的にまくし立てられた上に、こんな殺風景な建造物に軟禁されるなんてまっぴらである。きっと娯楽なんて無いに決まっている。

「一応、ゲームならありますよ。ゼミのルールで、一日一時間と決められていますが」

 小学生のルールじゃないんだから。やっぱりここの連中は肌に合わない。

「漫画なら確か、『五分で名作文学シリーズ』があったはずです。小説は新潮文庫と岩波文庫しかありませんが、最近は硬派なライトノベルの持ち込みも許可されています。『レイン』は正直、ギリギリのラインだと思ってはいますが」

 中学の図書館じゃないんだから!もういい、僕は窮鼠だ、猫をかむ準備をしよう。


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