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K.K奇譚   作者: R4
6/13

小野教授

 座興大学。その歩んできた道のりの全てをここに記す。都内某所に堂々と屹立する、140年以上の歴史を誇るミッション系スクールである。以上、おわり。

 これは決して、僕の知識が足りないのではない。洒落や冗談ではなく、これが我が座興大学に伝わっている歴史の全てなのだ。とにかく歴史があります、あと歴史があります、それと歴史。

 なにしろ、いつどこで誰がどんな目的で設立したのか、そういった諸々のあれやこれやが記録されている資料がどこにも無いのである。しかし大学はそこにあって、教師も学生も居る。知らない内に理事長の座に就いていた当時の学長(これも名前は現代に伝わっていない)は、自分でも納得しない内に届け出を出したのだろう、と思われる。何故なら彼は学長であるのだから。教師や学生、何よりも自分の身分を保証しなければならない。

 その届け出が当時の政府に受理されたらしい年と、校舎の老朽化の具合から、まあ140年くらいの歴史はあるだろう、ついでに敷地内に何かの宗教みたいな像があるから、まあミッション系スクールに違いない。といった具合に推測され、作られたのが現在の座興大学の歴史である。

 そういったアイデンティティの薄い大学であるが故に、規律はそれなりに厳しい。他の大学ではスルーされるようなことも、余裕で停学処分を食らうようなことが往々にして起こる。最近その規律が緩くなり、校内の治安が悪くなりつつあるのには例の男が関係しているのだが、まあそれは置いておくとして。

 そんな座興大学の敷地内、第3教務棟の前に僕は立っていた。理由は一つ、座興大学が誇る三大名誉教授が一角、小野教授と相対するためである。

 本日100回目のため息を吐き、太陽の光を反射して真っ白に輝く校舎を見やる。名誉教授の在籍している棟である、一番設備が新しく、また配慮も行き届いている施設には違いないだろうが、あまりにも綺麗すぎる。建てられたばかりの新築だと言われても信じてしまいそうなほどだ。得体が知れない。

 そう、得体が知れないのだ。小野教授の授業、『宗教学概論』は自由選択科目であり、自ら望まない限りは受ける必要はない。そして、小野教授が害は無いにしろ関わるべきではない人間であることは、どれほど情報に疎い座興生でも知っている。そんな人間と、僕は今日なんとしてでも会話を成立させなければならない。

 そんなわけでいい加減一歩を踏み出さなければならないのだが、ここで僕はある選択を迫られることになる。

 僕は正面玄関から堂々と入るべきだろうか?

 今まで散々言ってきたことだが、相手は得体の知れない、しかし恐ろしく強いことは確定している小野教授である。向こうも大人なので、まさかアイツのようにいきなり襲い掛かってくるようなことは無いとは思うが、真っ向から相対することそれ自体が大きなリスクであることには変わりない。であるならば、校舎の側面、外付けの階段を登り、スチール製のドアをなんとか壊して潜入するのもそう悪い手ではないように思える。

 潜入がバレた時のリスクを取るか、小野教授と真っ向から対峙するリスクを取るか。

都合の良い時間稼ぎの口実を見つけ、教務棟の前で逡巡している(フリをしている)と、例の建物から男が一人出てきた。咄嗟にあらぬ方向を向き、移動中の学生を装う。見たことの無い生徒である。それなりに学生の多い我が校のこと、見慣れない生徒が居ることに違和感を覚える必要は無いが、小野教授のゼミ生であると思われる以上警戒しないわけにはいかない。教授と同じように、またその異常性にあてられた彼の教え子達もまた、得体の知れない存在であることに変わりはない。

 (とりあえず、あの人がいなくなるまでに、どうするか考えておこう)

 再び思考を巡らせる。正直言って、小野教授に会わずに済むのならそれに越したことはない。飯塚さんも、単に宗教学に興味があって授業に通っていたのかもしれないのだから、必ずしも教授と話す必要は無いのかもしれない。ならば、正面玄関から入った上で教授とは話さずに、教授の学生あたりに話を聞くのが最適解かもしれない。悪い噂の絶えない人間のゼミに態々入っている以上、彼等も一筋縄にはいかない連中であることには間違いないが、それでもその噂の元凶よりは大概マシであろう。さっきの学生も、飾り毛の無い服装をしているというだけで至極まともな見た目をしていたのだし。

 ここまで考えて僕は視線を感じ、目を再度純白の教務棟へと向ける。

 先ほどの学生がこちらを見ていた。黒い髪、どこにでも売っているような無地のポロシャツに、これまたどこにでも売っているようなGパンを履いている。やはり、変な人間には見えない。強いて言うなら服装が少し地味なくらいだが、それも部屋着だと言われれば納得するだろう。大学へ行くのに一々かしこまった格好をするのも面倒だろうし。

 そんな何の変哲も見えない、当たり障りも無い男がコチラをジッ見つめている。僕は何と無く嫌な感じを覚える。少し先の未来に、何か恐れていたことが起きるような予感。その嫌な予感を、僕はあの男性──ではなく、その背後にある何かに、鮮明に知覚する。

 男性が近づいてくる。あくまで普通に、しかしその表情はマスクに隠れて判然としない。

「すみません、加藤さんですよね?」

僕は、嫌な予感が今、確信に変わったことを自覚した。

「どうぞ、正面玄関からお入りください。小野教授がお待ちです」


 小野教授が牙城、第3教務棟の内部は、外観と同じように無機質な白で埋め尽くされていた。白色LED、昭和の風呂によくある乳白色のタイル張り、少しざらついた壁には埃一見られない。

「教授室は各階の廊下の一番奥にあります。教授は一日ごとに使われる部屋を変えるんです。出勤の度に廊下に掃除機を掛けるので、教務棟は365日塵一つないんですよ」

 僕を正面玄関から招き入れた後、男性は僕の前を歩きながら、聞いても居ないことを滔々と話し続ける。

「初めてここに入る方は、皆眩しがったり居心地の悪さを感じるものですが、加藤さんは大丈夫そうですね。本当は、このタイルももっと真っ白なものになる予定だったようですが、同じ名物教授の沼地教授に止められたそうです。あまりに人間味が無さすぎるとのことで」

 大丈夫なわけがない。本当なら今すぐにでも逃げ出して、学内の僕のホームとでも言える理学部棟にでも駆け込みたいくらいだ。あそこもあそこで座興大学の中では温かみの無さで有名だが、この建物よりは数倍マシである。

 廊下を進んでいく中で、教授のゼミ生数人とすれ違う。どの人も律儀に立ち止まってお辞儀をしてくるので、どうも調子が狂ってしまう。

「ここの方達は、礼儀正しい人達ばかりですね」

 何の気なしに話を振る。なんとなく、こちらも向こうに興味があることを示しておく必要があるのでは?と思ったからだ。実際は微塵の興味もない。さっさと帰りたい。

「というより、当たり前のことを当たり前に行っているだけですね」

 男性が歩みを止めて、こちらを振り返る。眼尻にしわが寄っている、微笑んでいるのだろう。その瞳はあくまで友好的な感情を湛えているが、しかし確かに優越感と満足感をこちらに感じさせる。

「知り合いや友人に会ったら、何はともあれしっかりと挨拶をする。人として、最低限のマナーでしょう。まあうちのゼミ生ほどしっかり挨拶をするのも珍しいですが、本来は皆こうあるべきであると私達は考えています」

 やはり、飯塚さんのプチ失踪には、このゼミが大きく関わっている。杓子定規な考え方と、ルールへの強い執着。飯塚さんが、このゼミに影響を受けていないはずがない。

「何故、僕を出迎えに来られたんですか?いやそもそも、どうやって僕が教授棟の前に居ることを?」

「最初の質問に関しては、単に教授に迎えに出るように申し付けられたからです。後者については、直に教授に会って聞いてくださいとしか、答えようがありませんね」

 白色の廊下は端に近づいているようだが、どこもかしこも光っているので遠近感が狂ってしまう。ここまでの一本道にインテリアの類は一切無く、その無機質さがどことなく不安を煽る。まるで自分がここに居てはいけないような、疎外感にも似た気持ちが、自然と胸の奥から湧き上がってくる。

「先程のマナーについての話に戻りますが、とにかく、我々は勿論として、我らが座興大学の生徒、ひいては社会の人々全て、もっと礼儀やマナー、規則というものをもっと重んじるべきなのです。何故ならば礼儀は礼儀であり、マナーはマナーであり、規則は規則であるからです」

 うんざりするような会話をしながら歩くこと数分、既に見えていた廊下の端に僕達は行きついた。目の前には上の階へと繋がる階段と、正面の壁に取り付けれた両開きのドアのみが存在している。

 男は立ち止まり、壁を背にして起立の姿勢を取った。

「ここから先は、加藤さん一人でお進み下さい。先刻も言いましたが、各階の廊下の一番奥の部屋が教授室となっておりますので」

「小野教授は、どの階にいるんですか?」

「さあ、私にはわかりません。ですが、教授から伝言を預かっています」

埃一つない廊下、天井、床、壁。教授の伝言とやらが、その無機質な白に吸い込まれていく。


──我々が出会うことが『定』量的に『定』められているならば、貴方が私の居る部屋のドアを開けるであろうこともまた『定』量的に明らかであると言えるでしょう。──


 僕はその言葉から逃げるように、男性の前を通り過ぎる。と、最後に一つ、せめてもの情報収集をしなければならない。

「ここまで案内して下さりありがとうございます。あの、名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 およそ同世代とは思えないほどに礼儀正しく問いかける。ここの人達は、こういうのが好きらしいから。郷に入らば郷に従え、というやつである。とはいえ、僕は思うのだけれど、礼儀正しさを突き詰めた関係というのは、どうしても互いに他人行儀なものとなってしまうのではないだろうか?例えば、いつまでたっても敬語を使い合う関係のような──どこまで行っても、友人と呼べるような距離には近づけないような──そんな関係。そもそも、『関係』という語すらふさわしくないような、絶対の不干渉。

 嫌な言い方をしよう。飯塚さんのような人間、そしてこのゼミに入っているような人間、これらの人たちは恐らく、人間として生きていく上で、決定的な何かが欠けている。悪い人ではないのだろう、でもそれだけだ。

「いえ、名乗るのはやめておきましょう。今回私は、案内をする役目を負っているに過ぎませんから。単なる『案内役の男』としておくのが正しいように思えます。またいつか、別の場所で出会いましたら、改めて自己紹介をさせていただきますよ、加藤さん」

 正しさとは、どうやら友好のことではないらしい。もし次があったら、その時は理学部生の知り合い全員で『歓迎会』でもしてあげよう。正しさもへったくれも無い世界は、案外すぐそこに転がっているものなのだ。


「初めまして、加藤君。『定』量的に言って、我々がこうして邂逅したことは『定』めし、あらかじめ『定』められた運命であると、そう『定』言することができるでしょうね」

 何段登ったか『定』かではないがとにかく、十を超える階を持つ教務棟の最奥の部屋、その内の一つの部屋を選び、見事教授が居る部屋を引き当てなければならないと聞いた時、僕は実のところ少なからず安堵していた。もう言い尽くしたことだが、僕は別に小野教授と会いたくてここに来たわけではないのだ。会えない理由があるのなら、心おきなく面会を諦められると言うものである。

 そんなわけで、僕は適当に階段を登り、少し足が疲れてきたというところでその階の扉を至極リラックスした心持で引いた。どうせ居ないのだから、ノックすら必要ないだろう。会えないのだから仕方が無い、飯塚さんは僕とツヅキ、あとはまあ、オソバの三人でなんとか救出するとしよう。いざとなったら、理学部の他の面々でもサークルの仲間でも協力を扇げば良いのだ。

 僕は由緒正しい、中身はともかく140年以上続いてきたミッション系スクールの生徒として断固提言する。神は居ない。あるいは死んだ。

「どうしましたか、加藤君。貴方は客人なのですから、どこにでも空いている椅子に自由に座っていただいて構わないのは、『定』量的にいわずとも貴方には知れていることであることは『定』量的に確かなことだと思いますが」

 今までの道のりと同様、人間味の欠片もない殺風景な部屋である。およそ教授の使っている物とは思えない、折り畳み式の長机と椅子、白色の電灯、剝き出しになっているタイル(もちろん白色である)。ミニマリズムを突き詰めたような殺風景な部屋の中、机奥の椅子に一人、男が座っていた。

 どうみても既製品の、個性というものを一切感じさせない黒スーツに、紺色のネクタイ。長くもなく短くもない髪は最低限といった具合に整えられ、その瞳からは特に何の表情もうかがい知ることができない。似たような人間を、池袋駅でなら二百人は見つけられそうな程度には特徴らしい特徴がない。

 (こんな人が本当に、オソバと渡り合ったのだろうか……?)

 少人数用の教室と殆ど変わらない教授室で、僕は適当な椅子を引いて座る。警戒を緩めるつもりは毛頭無いが、こちらが警戒しすぎていることを悟られるのもまた不都合である。あくまで、ただ話を聞きに来たというスタンスを突き通す必要がある。

「普段来ている、深緑色のスーツはどうしたんですか?」

「ああ、あれは宣伝用の服なのですよ。『定』量的に言って、私という存在を発信する観点から、あえて『定』石からはずれた服装を必要があったのでね。その必要が無くなったので、もとの服に戻っただけのことです」

 印象の無い小野教授を、辛うじて教授たらしめていたのが、三揃えの深緑色のスーツである。あの服装に目的があったとは初耳だ。別に知ったところでこれっぽっちも嬉しくないけれども。

「『定』量的に言って、さっさと本題に入るべきであると言えるでしょうね。『山bar』でしたか?なんの変哲もない、至極『定』量的なカフェを倒壊させ、池袋駅でも一悶着起こしていたみたいですが、次はここ、第3教務棟で暴れまわってやろうという魂胆なのでしょうか?でしたら私も、多少の抵抗をしなければならないのは『定』量的に明らかなことであると言えるでしょうね」

「ま、待ってください!そんなつもりは一切ありません!理学部は全員品行方正で正しい生徒ばかりです!」

「若干名、そうとは言い切れない輩が居るとは思いますが…まあいいでしょう、私としても、下手なリスクを取るつもりありませんからね。その時…『定』刻になるまでは牙を磨くに留めておきましょう」

 上げた腰を再び椅子に戻す小野教授を見て、僕もおっかなびっくり座り直す。あ、危なかった。あと少しで、最も恐れていたところの、小野教授との戦闘が始まってしまうところだった。それもこれも、オソバを始めとした理学部の面々があちこちで悪評を振りまいているせいである。今や理学部は、座興大学きっての異常集団として名を馳せている。オソバと同じ学部で大学生活の二年半を過ごしてきた連中である、否応なく鍛えられるというものだ。もちろん、僕も例外ではないのだろう。不本意なことに。

 というか、その前に――

「何故、僕達が――正確にはオソバが『山bar』を倒壊させたことを知ってるんですか?

おまけに、池袋駅の一件まで」

 山barの一件はともかく、エスカレーター理論に端を発したあれこれが起こって未だ一時間弱、おまけにどちらの事件も、犯人が公表されているどころか報道すら満足に行われていないだろう。何故この人は、ついさっき起こったばかりの事件を、その細かい顛末も含めて把握しているのだろう。

「『定』量的に言って、私が『定』命の一つ、『定』位置の為せる業であると、そう言っておくのが『定』石であると言えるでしょうね」

「『定』位置?」

「常に正しさを求めるのですよ、真摯に正実を求めるのです。そうすれば、『定』められた時に『定』められるべき場所に存在することができます」

「答えになってないですよ……」

「ちなみに、アナタ方が壊した『山bar』とエスカレーターについては、『クレイジーダイヤモンド』、清掃員の山川さんの派遣を決『定』しておきましたのでご安心下さい。下手な業者に頼むよりも、あの人に任せる方がずっと『定』量的ですから」

 既に僕は、この人と言葉を交わすのは意味が無いような気がしてきている。そしておそらく、その予感は正しい。というかこの人、ただ『定』の字を台詞に割り込ませたいがために会話をしてるんじゃないだろうな?始末に悪いのは、『定』位置とか言う得体の知れない能力は疑いの余地もなく本物だと言う点だ。オソバの尻拭いをしてくれたのは有難いが、もう本当にさっさと会話を切り上げて、二人と合流しよう。この人が飯塚失踪事件に関わっているかどうかなんてことはもう二の次だ。話が通じないのだ、仕方ないじゃないか。

「……もういいです、わかりました、本題に入りましょう。飯塚さんって知ってますか?

教授の『宗教学概論』を取っているはずなんですけど」

「……『定』量的に言って、知らないはずがない、と言わざるを得ないでしょうね。いえむしろ、『定』量以上に、徹『底』的に知っているとすら言えるでしょう……。おや、失礼。漢字を間違えてしまいました。いけませんね、感情の揺らぎは、『定』量的ではない。何故君がその名前を?詳しく、聞かせていただきましょうか。あくまで、『定』量的に」

『定』命に『抵』抗する準備をしよう。しかし、僕なんかが多少頑張ってみたところで、限『定』的な成果しか上げられないのではなかろうか?というか既に、教授の『定』の支配下にあるような……もしかして、『定』量的に言ってもう手遅れ?



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