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合縁奇縁  作者: 海底
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落花流水

 転勤族の親について何度か転校を経験してきたなかで一番ひどい思い出が残った海沿いの町に、大人になってからふたたび住んでいる。

 親友とまではいかないけれど、どこの学校へ行っても仲良く学校生活を楽しめる程度の友人くらいは見つけられた。

 ある時、グループ内で遊んでいたゲームに負けて、罰ゲームとして好きな男子に告白することになってしまった。そんなに簡単に好きな人なんてできるわけないけれど、たまたまこの学校にはいいなと思っている子がいた。

 放課後、空き部室に呼び出した剣道部のその子は、スッと小筆で描いたようなパーツが絶妙なバランスで配置されたシンプルな顔立ちをしていて、そのシンプルな顔に繋がる長い首元をまとめる藍色の胴着がとてもよく似合っていた。

 好きとは言ったものの、特に恋人同士になりたいとか明確なヴィジョンを持っていたわけではなく、ただ漠然と気になって、つい目で追ってしまうきれいな男の子という印象を持っていただけだ。子どものころの恋心なんて、その程度の気持ちでも大げさにしてしまうものだろう。

 何度も嫌だと拒否したけれど、結局みんなに羽交い締めにされて突き飛ばされた。加減を知らない女子四人の力は強すぎて、彼にほとんど抱きつくような形になってしまった。こんな状況になるとは予想していなかったであろう彼もとっさに受け止めてくれようとしてくれたけど、勢いは止められずバランスを崩してそのまま一緒に床に倒れ込んだ。

 倒れたときに聞こえた痛みを訴えるくぐもった呻き声は、耳にこびりついていまも忘れられない。彼が下敷きになったおかげで自分は痛みさえ感じなかったが、恥ずかしさと後悔でパニックになってしまって呂律が回らないほど何度も何度も謝罪の言葉を繰り返した。弱々しい声で「大丈夫だよ」と聞こえて、それで安心して彼をそのまま置き去りにして逃げ出してしまった。

 そのときには親の次の転勤が決まっていて、人生ではじめて転校する日を待ちわびた。彼とはクラスが端と端だったことが幸いして残りの日数で鉢合わせることもなくほっとしていたころ、すべてがトラウマに変わる。

 登校最後の日に教師にあいさつをして帰ろうとしたとき、入れ替わりに教員室に入ってきた彼は腕にギプスをしていた。剣道部をやめてしまった、というのもあとで友人から聞かされて、吐き気を催すほどの罪悪感を感じたのは人生でそれがはじめてのことだった。



 ◇



 そんな彼が大人になってスーツを着ていま目の前にいて、春原(はるはら)(ゆう)は人生二度目の精神ダメージによる吐き気を感じている。


「まあまあ二人とも美男美女でお似合いだわ」

「本当にねえ、いままで立ち会ったお見合いのなかでも最高よあなたたち」


 通称、お見合いおばさん。彼女たちはいつも同じことを言っている。

 勤め先の上司から土下座する勢いでお見合いを頼まれて、資産家のご婦人たちの遊びに付き合わされている。妙齢の独身者をトレーディングカードのように集め、優雅なお茶会の暇つぶしとして縁結びの神様よろしくデッキ構築に勤しんでいるらしい。

 その噂はこの土地に越してきてからすぐに知って、結婚適齢期の春原も当然ながらターゲットとなった。上司からは声をかけられるたびに断っていたが、今回はやたらとしつこく食い下がった。このお見合いはご婦人たちに選ばれし者しかいない大変格式高い婚活でアフターケアも万全ということから、このお節介を神の一手と呼ぶ人もすくなくない。ところが異性に懲りているいまの自分には迷惑そのものだった。

 同年代の友人には出産までしている人もいるし、結婚してもおかしくない年齢には達している。しかしこのご時世、行き遅れと呼ばれるにはまだ猶予があり、結婚の意志もいまのところない。会うだけでいいから、という上司の言葉を鵜呑みにして渋々承諾してみたが、まさか中学時代に怪我を負わせた人がくるなんて誰が予測できるだろうか。

 最初から断るつもりで相手の身上書はさらっとしか見なかったが、肝心な名前も名字が違っていたせいで知り合いの可能性を考えなかった。こちらも大量の転校歴などわざわざ教えていないから世話人たちも二人の接点には気づいていない。

 名字は違うけれど、あの三秒で似顔絵が描けそうなシンプルな顔立ちもきれいな姿勢も相変わらずで、彼は間違いなく中学時代、罰ゲームの対象として呼び出した剣道部副将の蓮くんだ。

 ありもしないギプスが浮かんで見えて、つい腕にばかり目を向けてしまう。彼は昔と変わらず涼しげな顔立ちで落ち着き払い、最初に顔を合わせたときも態度の変化は一切なかった。こちらの身上書も見ているはずだが、覚えていないならそれに越したことはない。過去のあの記憶を掘り起こすことだけはなんとしても避けたい。


「春原さん、以前は総合職で商社にお勤めされていたのよね? わざわざこちらに越してきたのはどうして?」


 いきなり古傷をえぐるお見合いおばさんの質問にひきつりながら、知り合いに声をかけられてやってみたい仕事だったから思い切って転職したと話した。

 大手勤めは性に合わなかったというのもあるが、個人的に嫌なことがあって都会暮らしを捨てて地方への転職に踏み切った。歴史ある町だから雰囲気は良くて以前から気に入っていたし、十数年前にたった一年いただけの転校生を覚えている人などいないだろうと楽観視していた。

 そこそこ上昇志向のある小娘に地元を褒められたお見合いおばさんたちは、機嫌が良さそうな顔をしているから解答には満足いただけた様子。

 お見合いおばさんはこれまでにまとめたカップルの幸せエピソードや地元ならではの有益な世間話を繰り広げていたが、ふたりの反応の鈍さに気づいて顔を見合わせた。


「じゃあ、私たちはそろそろ」

「れん……黒継くん、しっかりね」


 先方のお見合いおばさんが、喝を入れるように肩を力強く揺すっている。揺すられるまま体が揺れている彼は、はいはいと空返事を繰り返していた。本人は声をひそめているつもりかもしれないが、地声が大きすぎて丸聞こえだ。二人の雰囲気から察するにかなり親しい知り合いなのだろう。

 心配そうに部屋を出ていくお見合いおばさんたちは仲のいい友人といった感じだが若干の力関係があるのか、観察の結果おそらく先方が大ボスで間違いない。

 嵐が去ったあとの室内は、耳鳴りのほうが大きく聞こえるほどの静寂が訪れた。店内は壁一面がガラス張りになっていて海が見渡せるから、無言がつづく気まずい間合いも景色に見入ることでなんとか凌ぐ。


 黒継(くろつぐ)(れん)、建設会社勤務、次男、親同居なし、健康状態良好、ペット可。物静かで性格は温厚、お見合いに必死になる必要はなさそうな容姿と十分な年収。これだけの好条件なら女性には苦労しないだろうに、わざわざお見合いするというのは逆に怪しい。ギャンブル癖、離婚歴や隠し子、世間体だけの婚姻、あるいは人目を憚る性癖があって女性が逃げていくとか。


「黒継さんはどういった経緯でお見合いを? 私は上司に頼まれて断れず、ですけど」


 まずは軽い先制攻撃を入れる。お見合いをする人は結婚を視野にいれているからに決まっているだろうに、自分は頼まれて参加しているだけという無神経さを見せつける。勘の良い人ならそれで不快感を得るだろう。それなのに黒継は目を細めて笑った。


「正直ですね、僕も似たようなものです。でも春原さんにお会いできてよかったと思っています」


 テンプレ返答だとわかっていても、予想外の言葉に心がきゅっと締めつけられた。

 目を長く合わせてしゃべることに慣れている人なのか、じっと見つめてくるから動揺してしまってうまい返しが見つからない。

 転校生人生で培った豊富な話題はたくさんあるのに、黒継に過去を思い出させないようにするとなると地雷原を歩くように慎重にならざるを得ないからだ。学生時代にまつわる話はできないし、趣味の話はスポーツから剣道を連想させてしまう危険を伴う。

 お茶を飲みながらときどきお茶請けをかじっていたが、緊張しすぎていったいなにが口に入ってきているのか味すらもわからない。それでもようやくなんらかの甘酸っぱさを感じられたのは、きっとお開きになる時間が近くなって安心してきたからだ。


「もしよかったら、また次もお時間いただけませんか?」

「ぜひ」


 NOと言えない根っから八方美人な春原は笑顔で社交辞令を返し、連絡先を交換してしまう。本来ならば連絡先の交換は後日、世話人を通して行うのがルールだったはずだが、黒継に目の前で教えてほしいと言われてしまっては断ることができなかった。彼は顔に似合わず押しの強いところがあるらしい。

 しかしこうなったらこうなったで、あとは文字だけで会話を伸ばし伸ばしにして、自然と疎遠になるという作戦が決行できる。そもそも彼もお見合いを押し付けられただけなのだから、たとえ縁が繋がらなくても気にしないはずだ。

 相手を立てながら腹の探り合うお見合いとはなんと面倒くさいものだろう。



 ◇



 土地勘はあるが知り合いはいない。それが春原にとってはとても気楽で、観光客のこない穴場で一日中海を眺めるのが好きだった。堤防に腰掛け、来る途中で拾ってきたいい感じの枝で地面をつついたりして意味もなく遊ぶ。

 黒継と再会して確信したが、いままでに付き合った人を思い起こしてみても春原が選ぶのは、いつもあのさっぱりしたすまし顔の人だった。

 彼はおとなしくて普段は目立ったりするような生徒ではなかったが、運動神経がよくてスポーツになるとどんな種目でも器用に活躍していた姿が思い浮かぶ。男女ともに仲のいい学校だったけど、どちらかというと彼はいつも男子に囲まれていたから、別のクラスでしかも転校生の春原が彼と自然と親しくなることは難しかった。

 久しぶりに見た黒継はすぐにわかるほど昔の面影が残っていて、あのころからそんなに変わっていないようにも思える。まさか彼が好みの基準になってしまっていたとは思いもしなかったが、これは呪縛と呼んでもいいのではないだろうか。

 髪がふわりと海風に乗り首を撫で、波が堤にあたって砕ける音を聴く。ひとり感傷に浸っていたいのに春原のポケットからは新着の通知音がひきりなしに鳴っている。相手は例のお見合いおばさんだ。

 あれから何度か黒継からの誘いはあったが仕事や体調を言い訳に断って、順調に距離を置いていた。上司には「私にはもったいない人でした」とよくある言葉で断って以来なにも言われていない。さっさと断りの連絡を入れてくれたらいいのに上司の焦り具合を見るに、こちらが先に断りを入れるのは失礼にあたる立場上の見えない壁があるのだろう。

 黒継もしつこく連絡してくることはなかったが、音信不通を貫いてから一カ月がたったころ、お見合いおばさんのほうから連絡が入るようになった。やり手なお見合いおばさんは上司を通じて調べを入れ、春原は実はとても元気に暇をしているということがばれてしまった。

 メッセージの最後に「レストラン予約済み、要ドレスコード確認」との命令が書かれており、回避不能な強制デートイベントへ突入してしまったことを知る。

 お見合いのときに買った、たった数時間腕を通しただけのワンピースをひっぱりだす。ギリギリ再利用できそうではあるが、同じ服を着ていくのはさすがにずぼらどころの話では済まされない気がして仕方なくネットから購入した。この無意味に痛い出費はいったいなんのためなのだろうかと沈思黙考する。

 なるべく地味なものを選んだつもりだったがネットショッピングのトラップにかかり、手元に届いた現物は思っていた以上に体のラインが強調されてしまうデザインだった。夜のデートを意識しすぎな女に見えそうで交換したかったがもう手遅れだ。

 今回は直接お断りを伝えるつもりだから、諦めてこの色っぽいワンピースを最後の戦闘服と決めた。



 ◇



「今日の服も似合っていますね」


 一カ月以上も前に着ていた服など覚えていないだろうと思ったのに、彼は開口一番新しいワンピースを褒めてくれた。その言葉で悩んだ末の出費が報われた気がした。

 しかし、前回も思ったが、お見合い相手を褒める言葉が箇条書きされたマニュアルでも読みあげているのかと思うほど、彼の言葉には心がこもっていないように感じる。

 高級レストランなんて行かない春原は終始そわそわしていたが、黒継は慣れたふうで、「お酒は飲めますか?」とさらっと訊いてきた。


「強くはないのですが、ワインはよく飲みます」


 地元の輸入食品店で買える千円程度のワインを、産地も見ずに買って飲むくらいだから知識などあるわけがない。良いレストランでどのワインを選べばいいのかなんてさっぱりわからないから、こういうときはプロに丸投げすればいいということだけは知っている。


「さすがに一本は飲みきれないから中途半端に残してしまって、いつか料理に使おうと思ったままキッチンに飲みかけの酸化ワインがずらーっと並んでます」

「そういうときは呼んでいただければ、いつでもお手伝いしますよ」


 だらしない女アピールを黒継は見事にかわし、逆に家飲みに付き合う気があることまでさりげなく加えている。

 なんだか雲行きが怪しい。

 地雷を踏まないよう慎重に、それでいて相手に諦めを感じさせようとする春原のどんな話にも黒継は屈せずうまく返答する。


「お魚さばけるんですか?」

「子どものころから釣りが好きなので、見よう見まねで覚えただけです」

「なんでもできてすごいですね、大学生のひとり暮らしでも食事には苦労されなかったでしょう」


 少年時代の話に突入しそうになって、あわてて大学時代まで一気に舵をきった。あまりに性急で強引すぎたが怪しまれることなく、無難な料理の話に主題がかわっていく。あんなことがなければ話はもっと弾むのに、ただの昔の知り合いとして黒継のことをもっと知れたのに、と春原は残念に思っていた。

 食べたこともない高級料理だったのにやはり味はまったく感じられず、失ったエネルギーをデザートで補給してレストランミッション終了となる。お断りは最後の最後、別れの間際に伝える予定だ。

 帰り際、黒継がスーツ姿の従業員に話しかけられて、なにやら親しげに話し込んでいた。こんな高級料理店に知り合いがいるなんて、春原が見合い相手として選ばれたこと自体がそもそもの間違いなのだ。

 支払いするそぶりがなくレストランを出たことに戸惑って、周りに誰もいないことを確認したあと、支払いの分担を申し出ると黒継は照れ笑いを見せた。


「すみません、支払の必要はなかったみたいです」


 デートをごり押ししたお見合いおばさんによる口添えで、料理はサービスになっていたと恥ずかしそうに笑う。首をかしげて笑うその顔があまりに可愛くて、春原の心は不覚にも跳ねてしまった。

 黒継側の世話人は近い親戚で、実は今夜のデートはずっとオーナーからその親戚に実況されていたらしいとひたすら謝ってきた。確かに選んでもいないのに勝手に出てきた料理はすべて、次の給料日までツナ缶生活を覚悟させるほどに良いものだった。

 店の特別な計らいも、軽々と指示できるだけの親戚がいることも、それを得意げにするどころか恥ずかしがる黒継には好感が持てた。黒継ならいくらでも良い相手が見つかるだろうに、お見合い一発目からハズレを引くとは運の悪い人だ。

 エレベーターを待つあいだ、ひとときの無言のあとに黒継がわかりやすく大きなため息をついた。今までにない砕けた態度に何事かと顔を見あげると、黒継が物言いたげにじっと見つめてくる。


「春原さんって、一時期同じ中学だったよね?」


 無事切り抜けられたと安心していたから急襲に身構えておらず、目を見開いて一気に息を吸い込み声無き悲鳴をあげてしまった。そんな態度を見せてしまっては正解と言っているようなものだ。


「当時は名字が違ったけど、春原さんから呼び出されたこともあるし、俺のこと忘れたとは言わせないけど」


 たとえば眉間に銃を突きつけられるとこういう感覚に陥るのだろうか。頭はからっぽになり、心臓は重く全身から血の気が引いていくのがわかる。


「春原さんも最初から俺に気づいていたよね。なのに地元や学校の話は濁すし、連絡しても全然返事くれないしわざと避けているのはわかったけど、どういうことなんだろうと思って」


 中学時代に絡んだことはほとんどなかったから気づかれていないと高を括っていた。けれども彼は最初から春原に気づいて不思議に思いながらも話を合わせてくれていただけだった。ひとりで無様に踊っていただけだと気づいたら恥ずかしさがこみあげて、いてもたってもいられなかった。両手で顔を覆い、後退りしながら「ごめんなさい」と言うと手首を掴まれる。


「どうして逃げるの?」

「あのときは本当にごめんなさい。あんな大怪我をさせていたなんて」


 掴まれた腕にギプスの幻覚が見えるようで、緊張から手が震える。

 あの日、仲間内でしていたゲームに負けて、罰ゲーム遂行のために黒継を呼び出したという真実を伝えた。そしてあのとき黒継が怪我をしたことも、それで部活をやめてしまったこともあとから知ったけれど、改めて謝罪することもできなかったと話す。

 恐る恐る顔を見あげると、黒継は瞬きもせずあきらかに驚愕していた。一番恐れていたその光景を目の当たりにして、ますます深い後悔が押し寄せる。


「そん……」


 ようやく黒継がなにかを言いかけたところで、春原の様子をレストランの女性従業員が気にして声をかけてくれた。よほど顔色が悪かったのか体調を訊いてきたが、従業員の見ている前で黒継に恥をかかせるわけにはいけない。無理やり作った笑顔でなんでもないと伝えた。

 お互いになにもしゃべらないまま建物を出て、駐車場入り口に到着する。


「車乗って」

「大丈夫です」


 ひとりで帰りたいと付け加えると、黒継は大きく深呼吸をした。


「お見合いはもうこれで終わりにしよう」

「はい」

「いまから普通のデートをしよう」

「……はい?」


 声が裏返ってしまい、彼はおかしそうに吹き出した。そういう表情もするんだなと目が釘付けになる。


「お互いに知り合いだと明かしたわけだし、もう()()()は十分でしょ」

「そうだけど」


 事実を知ってお見合いは終了となったのに、デートをしようというのはどういうことなのか。デートという言葉が気になるが、それよりもっと心配なことがある。「あの、怒ってるよね」とバッグの取っ手を指先でこねくりながら訊くと、黒継は首を横に振って質問には否定をしつつ、「へこんだ」と言った。

 それは仕方がない。いくら時が過ぎているとはいえ、罰ゲームのターゲットにされた上に怪我までさせられて、副将まで任されていた部活を辞めざるを得ない状況に追い込んだ犯人がのこのこと目の前にあらわれたのだから怒っていい。気が済むまで怒鳴りつけてくれても構わない。

 沙汰を待っていると黒継がさっと手の平を差し出した。どういう意味かわからずじっと眺めたあと、服従の意を込めてそのうえに握りこぶしを乗せて()()をしてみた。

 なんだそれ、と彼は吹き出すように笑ってから、ぐいっとその手を握る。力強く引っ張られて車までたどり着くと助手席に押し込められた。プレーンな顔をしているのに行動力はわりとあるのだなと、こんな状況なのにどきどきしてしまう。

 このまま家に送ってくれるのかと期待をしていたが、家の場所は聞かれず車はまったく逆方向へと走り出す。頭のうえでは疑問符が浮かびつづけていたが、いまの春原には謝罪以外に発せる言葉はない。車内はずっと沈黙のまま、しばらく走らせた車はいつのまにか町を抜けて、急勾配をあがっていく。

 減速して小石がカラカラとタイヤまわりを跳ね回っている音がしだして、舗装もされていない山道へ入ったことがわかる。それまでお情け程度に立っていた古い街灯もなくなって、道は木々に覆われどこもかしこも真っ暗で、罰として山奥にぽい捨てされるのかと不安が募っていく。挙動不審になっていることに気づいたのか黒継が「もう着くよ」と短く言った。

 鬱蒼とした木立のあいだを縫うようにゆっくりと走らせ、すこしひらけたところに車を駐めると黒継は外に出た。フラッシュライトの明かりがふわふわと闇を泳いで助手席側に回ってくる。ドアが開かれて黒継が背を丸めて手を差し出す。


「足元気をつけて」


 その手を取って車から出ると、ライトに照らされた地面は森の中なのに整地されており、よくよく見てみると、周りは木の柵で囲われて明らかに人工的に作られた駐車スペースだった。

 黒継に連れられるまま森の坂道をのぼる。カチッと音がして、途中からライトは消されてしまったが暗闇のなかも迷わずゆっくりと歩く彼の手に引かれ、二人の靴底が地面を踏みつける音だけが静かな森で鳴っている。ちいさな石でもヒールで踏めばバランスを崩して体がふらつく。そのたびに黒継の手にはすこし力が入って支えようとしてくれる。


「うわあ」


 声にため息が混じる。さっきまでの不安が一瞬で吹き飛ぶように、坂をのぼり切った先にはうつくしく輝く海町が広がっていた。雲ひとつなく澄み渡る夜空、観光エリアは煌々と、湾に沿った町の輝きは三日月のように、レストランの窓から見えた夜景の何十倍もきらめいて見える。


「こんな場所があるなんて知らなかった」


 さきほどまで怖気付いていたことなどすっかり忘れ、夢中になってわあわあと声をあげてしまった。

 興奮はしているが空気は冷たくて、上着を着ているとはいえさすがに軽装すぎて服の隙間をすり抜ける風にすこしずつ体温を奪われていく。そんななか、黒継と繋いでいる手だけはとても暖かくて心地よい。


「ここにマウンテンバイク専用のコースがあって、ずっと通ってるんだ。中学のとき腕を折ったのもここ」

「ふうん…………え?」


 月明かりに慣れた目で黒継を見あげると、いたずらめいた笑みを浮かべていた。


「それって」


 言葉がつづかない質問に彼は淡々と言う。


「骨折は春原さんのせいじゃない。あのときは本当になんともなかったし、怪我をしたタイミングが同じだっただけ。部活をやめたのも、もともと高校受験のために塾通いする予定だったからついで」

「そうだったんだ」


 春原は胸に手をあてて、そっかと繰り返しつぶやいた。彼を傷つけたわけではないと知って罪悪感が薄れていく気がした。


「当時も春原さんのことは知っていたよ。呼び出されたときは嬉しかったし、ずっと忘れられなかったのに、罰ゲームだったと知っていまは落ち込んでる」

「ごめんなさい。でも罰ゲームの内容は……好きな子に告白するってことだから」


 夜でよかったと心から思う。月明かりでは顔色まで判別できないだろうが、春原はいま顔どころか耳も喉も真っ赤になっている。こんな形で種明かしをする日がくるとは思わなかった。ちらっと見ると黒継は嬉しそうな顔をしているから、それだけで誤解を解くのは十分のようだった。


「もし、春原さんが俺の初恋って言ったら、信じる?」

「一度も話したことなかったよね?」

「気になっている子にいきなり押し倒されて、腕のなかで泣きながら謝られてみなよ。思春期の男子中学生なんて瞬殺だよ」


 ぽかんとしている春原の顔を見て、「品がなくてごめん」と付け加えた。それはとても単純だが説得力がある。

 彼は表情に乏しいのかと思ったが案外よく笑う。普段がシンプルだからこそすこし笑うだけで極端に感情が見えてくる。いまはすこし子どもっぽく照れたような顔を見せていて、もっと彼の色んな表情を知りたくなった。


「もうこの際だから全部暴露するけど、叔母にいつもお見合いを勧められて断っていたのは本当。だけどファイルのなかに君がいるのを偶然見つけてセッティングを頼んだのは俺」


 どうりで家柄的に釣り合わないうえ、音信不通を決め込む相手に、わざわざお見合いおばさん自らデートを強要してきたわけだ。かわいがっている甥っ子のたってのお願いにお節介役を買って出たということか。

 叔母の力に頼るのは情けなく思ったが、逃げ出した人ともう一度再会するためのきっかけが欲しかったと彼は言い訳をした。

 黒継は不自然な咳払いを何度もして、それから春原に向き合い、冷えてきた両手を温めるように包んで真剣に目を見つめる。


「そういうわけなので、もしよかったら、ここからお付き合いをはじめませんか?」


 春原はいつもの社交辞令ではなく、心からの気持ちを言葉にする。


「よろこんで」


 周りには最高の夜景が広がっているのに、目の前にいるこのさっぱり顔の人のほうが輝いて見えるのはどうしてなのだろうか。山の風はとても冷たいのにいつまでたっても目を離すことができず、春原は困ってしまった。

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