夏色の仮面
◈◈◈
壁に四角く切りとられた外は、燃えるような赤色をしていた。
いつも歩く廊下を、少女は全力で駆ける。
校庭で見た彼の顔が忘れられない。 哀しみに満ちた、あの顔が
揺らぐ視界の中でフラッシュバックする。
私が悪かったのか。私のせいで、彼は苦しんだのか。
答えはないとわかっていても、問わずにはいられなかった。
街が太陽を飲み込む。少女の心のように、暗く、深くなる。
絶望を振りほどき、目の前の階段を駆け上り、鉄の扉を押し開けた。
少女が最後に見たのは沈みかけた夕陽と、
鉄柵の向こう、頭から身を投げた彼の靴だけだった。
◈◈◈
ーーーーーーーーあれから数日後。
エルは今でもうちにいる。前の出来事が夢ではないと教えてくれているようで、安心した。
すっかりエルのいる日々に慣れてしまった。もう自分と同じ顔の人が部屋で本を読んでいても、驚かなくなった。
それから、私はエルへの敬語を止めるように言われた。なんでも、敬語を使う、嫌いだった人がいたんだとか。
なので、敬語を使わないように努力はしている。まだ完全に直ってないけど。
一つ気になることとすれば、エルは私が寝た後は朝になるまで何処かに行ってしまうことだけだ。たぶん、例の巨大ひじきモドキの中の世界だろう。
そういえば、一度あの中はどうなっているか聞いたことがあった。
「...あそこには、何もない。お前が行っても、楽しくないぞ」
別に観光するために行きたいのではないんだけど。
そんな何もないところに毎晩のように行っているのも気になるし。
結局、私はエルのことを何もわからずに数日が過ぎてしまっていた。
あの人は、いつか私に、ちゃんと話してくれる日が来るのかな。
エルとの話はこれくらい。次は学校の話。
エルは、いろいろ試行錯誤を重ねたけど、解決はできなかった。つまり、諦めてしまった。
私は今まで通り、いじめられっ子に戻ってしまったわけだ。
まあ、それが一番丁度いいのかもしれないけれど。変に人気者みたいな扱い受けた時は、恥ずかしさとか色々な感情で死にそうだったし。あ、決してマゾとかそういうものではないので...。
さて、面倒だけど今日も登校しますかっと......
「おい、体操服前後逆じゃないか?」
「.........もっと早く言ってよ...」
◇◆◇
「ふんふんふ~ん♪」
鼻歌混じりに昼間の日の当たる廊下を歩く。今は気分がいいのだ。
そう、驚くことなかれ、私が今抱えている図書室の本は、学校が取り寄せた新シリーズなのだ。
この学校で一番図書室に通っている(と思う)私は、正直ほとんどの本を読み終わってしまったのだ。しかも読んでないのは、辞書とか図鑑とか。
つまり、とても気分がよくて仕方ない。
だから、向こうから走って来る生徒に気がつかなかった。
「うわぁっ!」
「キャッ!!」
前方不注意。体が壁の方に飛び、叩きつけられた。
「す、すみません。大丈夫ですか?」
どうやら私の扱いを知らない1年生の男の子のようだ。できるだけ明るい顔で応対する。
「あ、は、はい、だだ大丈夫です...」
コミュ症全開。かなり、いや、ものすごく恥ずかしい。
男の子は安心したように、今度はちゃんと歩いて廊下の向こうへ行った。
私も両手を開いた窓枠にかけ、立ち上がる。ぶつかったところが少し痛むが、まあなんともないだろう。
足元に目を向け、落ちたであろう本を探す。しかし、何故か見当たらなかった。
「あれ...?」
ちゃんと見回して見ても、床には少しの埃しかない。
「...まさか」
ありえない、けど可能性はある。
開いている窓からそっと下を覗きこむ。
ここから丁度真下、森の庭に青い表紙の直方体の物体が落ちていた。
◇◆◇
私の中学校は自然豊かだ。校庭の方は森があるし、何処かに目を向ければ必ず木の1本や2本は普通にある。更には体育館の隣の廊下は、人工的な森をぐるっと囲むようになっていて、それを『森の庭』と言うのだそう。
「庭とか虫多いしぶっちゃけ邪魔なんだけど」
「そんなのいいから校庭を広くしろ」
というのが大半の意見だ。
なにしろこの学校は、小中併設校。狭くて仕方ない。
年々小学生の人数が増えているせいで、校庭の一部が新校舎になってしまったりして、とにかく狭さが尋常じゃない。これ以上増えたら地下もできるかもしれない。
とにかく、私はそんな邪魔物扱いされている森の庭に、落とした本を取りに向かった。
まさか手から滑り落ちて開いていた窓から落ちるとは。アニメでもなかなかない。ある意味貴重な出来事だった。
一階に下り、天井から床に届く窓から外に出る。さっき2階で見た時は体育館に近い方だったと思うが......
「......あ」
私の視線の先には、ちゃんと目当ての本があった。だが、それだけじゃなかった。
私の本を拾い、パラパラとめくって見ている少女がいた。
......まずい。どうやって話しかけよう。
さっき思い切りコミュ症全開の会話をしたのに、また同じ目にあえというのか。いい加減もたないぞ、心臓。
普通に「それ、私の本なんです。返してもらえますか」って言うべきか。いや、なんか高圧的な印象だ。もうちょっと差し障りのない言い方......
「...あ、もしかしてこの本、あなたの?」
ハッと顔をあげる。本を読んでいた少女はすぐ目の前でこっちに微笑みかけていた。なんて言おうか悩む前に、勝手に口が動く。
「はい!そ、そうです!ああありがとうございます!」
ものすごい早口だった。ヤバい恥ずかしい。今すぐここから退散して赤くなっているであろう顔を洗いたい。
しかし、彼女は別に冷たい目で見たりしてこなかった。むしろ微笑み返し、また本をパラパラめくりながら話し始めた。
「そうなんだ。これ、面白いね。結構ファンタジーな話だけど、ありきたりじゃないっていうか...ってこれ図書室で見たことないや。あなたの私物?」
今の一瞬で本のあらすじを理解したのか?たぶんパラパラめくってただけなのに。
「あ...いえ、あの、新しい学校の本です...最近取り寄せたみたいで......」
「へぇ、そうなんだ。私も今度借りようかな~...」
両手を合わせるように本をパタンと閉じて、はい、と渡してきた。
「あ、ありがとうございます......」
おそるおそる手を伸ばしてそれを受け取る。念のため確認してみたが、幸いどこか汚れたり、折れたりはしてなさそうだ。
ほっと息をつき、また抱えるように握りしめる。昔からこうやって、胸で何かを抱えると安心する。
「あ、あの...本当に、ありがとうございま」
「あ、光じゃん!何してんの~?」
改めてお礼を言おうとしたところで、彼女の背後から元気な声がした。
この声は聞き間違いようがない。青山さんだ。
「昼休み終わるよ?早く帰ろ~?」
相変わらず子分みたいに友達を引き連れて、私の見たことのない笑顔で話しかけていた。
光と呼ばれた彼女は振り向き、笑顔を顔に浮かべた。
あまりよく見えないが......何故か、その笑顔は私に向けたものとは違う...なんというか、無機質な感じがして、思わず少しぞっとした。
「ごめん、私まだやんなくちゃいけないことあるからさ。先帰っててくれない?」
「そうなの?手伝おうか?」
「ううん、全然大丈夫だよ。ありがとう」
「そう?わかった、後でね。それと...」
光さんしか見ていなかった黒い目がちらっとそれる。一瞬なのにとても鋭く、切り裂かれそうだった。
「化け物には気をつけてね~♪バイバ~イ」
ヒラヒラと手を振りながら廊下の奥へ消えていく背中を呆然と眺めながら、今日も呼び出されるんだろうな、と感じた。
ふぅ、と息をつく声。驚いたのは、私のではないということ。
「...ったく...何が化け物よ。人を化け物扱いするあんたの方がよっぽど化け物だわ」
ボソッと呟かれた言葉。間違いなく、光さんが青山さんに向けて言ったのだ。
まるで私を庇うような言い方に、すぐ反応できなかった。私の立場じゃ絶対あり得ないことだから。
それに加え、髪の隙間からちらっと見えた彼女の表情。張り付けた笑顔から目を光らせ、人の黒い部分が見える......一言で言えば『恐ろしい』。そんな表情。
「......ああ、ごめん。ちょっとボーッとしてた」
「あ、いえ、大丈夫です...」
今のことを言おうかと思ったところで、青山さんに向けたものとは違う明るい笑顔で振り返った。
そろそろここを離れようと軽く息を吸った瞬間、グイ、と光さんの右手が伸びてきた。
「え?あの...?」
「えっと、初めましてじゃないんだけど、私のこと知らないよね?私は鈴鳴光。名字は苦手だから、光って呼んで」
初めましてじゃない。最初はピンとこなかったけど、名前を聞いて思い出した。この人、同じクラスの人気者さんだ。休み時間には必ず周りに誰かいるし、ちょっとした噂だけど、一週間に一回は男子生徒から告白されているんだとか。確かにものすごい可愛い顔をしているし、髪の色もエメラルドグリーンって言うのかな。とにかく綺麗なのだ。まるで私と正反対......
「...あー、ねぇ...ちょっと?私よろしくしたいんだけど、握手返してもらえるかな。...もしかして、私のこと嫌いだった?」
「あっいえ、そんなことはっ!こ、こちらこそ、よろしくお願いします!!」
慌てて手を握り返す。いけない、考え事するといつもそっちの方にのめり込んでしまう癖だ。ちゃんと直すようにしなくては。
「あはは、それは良かった。てっきり気分悪くさせちゃったんじゃないかって思っちゃった。うん、こっちこそよろしくね、優羽香ちゃん」
「は、はい......って、何で私の名前知ってるんですか?」
「ほら、私と優羽香ちゃんクラス一緒でしょ?私、クラスメイトの名前は全員覚えられるんだ。フルネームでね。それに...」
手を離し、一瞬だけ言うのを躊躇してから、少しうつむき気味に口を開く。
「...それに、目立つからさ。覚えやすかったっていうのも、ちょっとある...かな」
ああ、と何が言いたいのかを理解した。同時に、何故言うのを躊躇しているのかもわかった。
「...気を使わなくていいのに」
私の呟きは光さんには聞こえなかったらしい。安心してそっと肩を落とした。
にしても、誰かとこう『よろしく』ってしたこと、中学生になってから一度もなかった気がする。一年生の時も似たように避けられていたから。嬉しいのに、どこか寂しい。やっぱり、私は怖がっているんだ。エルに会ったときも同じ感情を持っていたな。
ふと気がつくと、校舎からチャイムが昼休みの終わりを告げていた。
「もう終わりだね。一緒に戻ろうか」
「あ、いや...一緒にいると...青山さんに怒られてしまいます...あの、嫌ってわけじゃないんですけど......」
「あ、そっか。じゃあ仕方ないね」
残念そうに肩をすくめ、私の後ろの出入口へ向かい、すれ違う。
「ーーーー今日の放課後、裏門の前で待ち合わせね」
「えっ?」
「さてと、このままじゃ掃除遅れちゃうし、先帰るね!バイバ~イ!」
大きく手を振って駆け足で廊下を渡り、あっという間に死角に消えた。
最後の言葉の意味を考え、呆然と立ち尽くした。
「......もしかして、一緒に帰ろうってこと...?」
そろそろpixivにあげてた分の在庫が切れそう。