不安な気持ち
『なにかあった?』
隼人さんの声とそっくりなお義父さんの声を聞いてなぜか涙が止まらなくなった私はお義父さんと言ったきりなにも言えずにただ泣いていた。
『椿ちゃん、ゆっくりで良いのよ』
彩華さんの声だ。いつの間にか彩華さんも出てくれたみたい。
「あの……彩華さん……私……」
『良かった。椿ちゃん、一旦切って琉依さんと私のグループの方からかけ直しても平気?』
「は、は……い」
そして彩華さんの言う通りにしてもう一度携帯を耳に当てる。
『なにがあったの?隼人は?』
「いないです」
私は声を震わせながら話す。
「今日は……私の会社で結婚祝いで……だから隼人さんも職場の人と飲んでくることになってて……21時には帰ってくるって言ってて、でももっと早く帰ってきて……暗い家で……いつも残業して遅くに帰ると隼人さんが待っててくれてて……ご飯を作ってくれてて……話も聞いてくれて……私が奥さんなのにって……隼人さんも仕事してたのに……私はちゃんとできなくて……隼人さんは全部なんでもできるのに……」
『大丈夫。椿ちゃんはできてるよ』
『2人とも仕事してるんだもの。早く帰ってきた方がしたら良いのよ』
「でも……隼人さんには渡辺さんがいて……」
『渡辺さんって?』
「隼人さんの会社の営業事務の人だそうで……隼人さんが信頼してるって、私が遅くなるって言ったら渡辺さんに任せて早く帰ってきて」
『隼人がそうだって?』
「でも絶対そうです……32才の……仕事ができてイケメンが好きで隼人さんの胃袋を掴もうとしてて隼人さんが酔うと可愛いから可愛がってお持ち帰りで帰ってこなくて」
『椿ちゃん……落ち着いて、ね。全部推測よね?』
「でも……でも帰ってこないです。メッセージ既読にもならないです」
『大丈夫。なにかあったんだよ』
『すぐに帰ってくるわよ』
「すぐっていつですか?あと1分で帰ってきますか?」
『それは……』
「私がちゃんと奥さんができないからですか?だから渡辺さんの方が良いんですか?私もお弁当作ってるのに、スープジャーの人は渡辺さんで今でも貰ってるって」
『そのスープジャーって?』
『美容に良いからって飲んでる女の人がいてほぼ毎日一口貰って美味しいって。どんどん胃袋を掴まれてるんです。私の手料理が好きなはずなのにこのままじゃ渡辺さんの方が好きになっちゃいます。でも毎日作りたくても作れなくて』
私は隼人さんが美味しかったって言ってくれるのが嬉しくて毎日作ろうと思ってる。思ってるのに遅くまで起きてるとどうしても朝起きれなくてぎりぎりになってしまう。朝も早く起きた方にしようかとか朝食べなくても平気だとか隼人さんは言ってくれるけど私がやりたいと言ってる。きっとそれも隼人さんの言う通りにすればもっと上手くいろいろ回るのに。それもお義父さんと彩華さんに言う。
『隼人はなんでもできるし要領も良いからやろうと思えば全部完璧にできちゃうの。隼人と比べなくて良いから自分ができることを自分のペースでやれば良いのよ』
「でも隼人さんと同じようにできるようにならないと」
『隼人が完璧にやってみせるのが駄目なのかな』
『けどきっと隼人は椿ちゃんにやってあげたい、してあげたいで早く帰ったりしてるんじゃないかしら』
『早く帰らないように言ったらどう?』
『そしたら今日と同じになっちゃうわ。それに隼人が家で待っててくれるのは良いのよね』
彩華さんとお義父さんは一生懸命考えてくれて情けない気持ちになる。
「それは嬉しいですけど……でも違うんです。私がご飯を作って待っててお迎えしてが良くって」
『どうするのが良いのかな……』
『隼人に話してみたら?』
「それはできないです。話したら隼人さんわざとできなくしてしまうから。隼人さんはなにも気にしないで手加減しないで普通にしててもらわないと。私が隼人さんと同じようにできないと隼人さんが私に合わせちゃう。それじゃ元に戻っちゃう。せっかく昴くんに教えてもらったのに、いろんな隼人さんの話をみんなから教えてもらってるのにそれじゃ意味がないんです。隼人さんがまた傷付いちゃう」
隼人さんのことをなんでも知りたくて隼人さんの話をたくさん聞いてる。ただ知りたいって理由ももちろんだけど過去があるから今を大切にできるとよくわかってるから隼人さんの辛い過去を繰り返さないようにしたい。隼人さんはもう人に合わせて自分を隠してたら駄目。
『椿ちゃん……』
『隼人が好きになったのが椿ちゃんで良かった』
『そうね、本当に。椿ちゃん、隼人は普通の子じゃなかった。普通じゃなくて天才で聡い子だから気を付けていないと危ない子だった。でも私たちは隼人を特別だと思ったことはないのよ。隼人は普通になりたくて頑張っていたけど隼人の普通じゃないのはただの個性なの。昴と若菜の個性と同じように隼人の個性』
『周りが焦っても本人が気にしないでいるのは怖かったけど隼人が落ち着いてるのを見て僕たちが救われる時もたくさんあった。39度の高熱で外で倒れた時も椿ちゃんの写真をあげたら3日間ずっと椿ちゃんの写真を見放題だって喜んでたしこの前も椿ちゃんとおまじないのアイスの話ができて熱で朦朧としながらうっかり激甘アイスを食べた甲斐があったって喜んでたよ』
『琉依さん、それ言っちゃ駄目なやつよ』
『わかってるわかってる』
『まったく……』
「アイス……熱……」
『椿ちゃん、隼人と一緒に生きていくためのコツを教えてあげるよ。どんなことがあっても良いように考えること。いつも通りでいること。美香はいつも通り隼人にべったりして優菜はいつも通り隼人をからかって、出来る限りいつもと変わらずにいる、僕たちはそうやって隼人を見守ってきた』
『親の心子知らずが腹立つって優菜は言ってるけどね。まあ、気苦労はするけど変わらずにいることが隼人にとっても良いって思ったの。だいたいほとんど忘れちゃうし』
『隼人はいつもだったら絶対食べなかった見るからに甘いアイスを食べて椿ちゃんと同じものが食べれて良かったって喜んでたよ。嬉しそうに教えてくれたよ。こっちから連絡しても面倒だってあしらうのに自分の話はずっと話してるんだ。可愛いでしょ』
「……はい」
『隼人のこれまでは辛いだけじゃない。苦しくて周りがそっとしておかないといけない過去じゃないよ。隼人にとっては毎日変わらず僕たちが騒がしくて面倒で賑やかだった。隼人は小学5年生のあの頃誰かのために自分を抑えることを決めたんだね。隼人は覚えてないけどそうなんだって、そうだったんだよって言ってごらん。だから同じことをさせたくないと思ったって。隼人も椿ちゃんがなんで苦しんでるのかわからないと辛いよ』
「そ……そうでした……なんでも言うって、そうしないとお互い苦しいって……決めてたのに」
『決めた通りできなくても良いのよ。何回でも失敗して良いし何回間違っても良いの。そしたらできるようになるわ。椿ちゃんも今日できたじゃない』
「今日……ですか?」
『うん、1人で悩まないで僕たちに連絡してくれたでしょ』
『1人で苦しまないでいてくれて良かった。連絡してくれてありがとう』
心がぽかぽか温かくなって軽くなった気がした。
『隼人には僕から怒っておくよ。可愛いお嫁さんを置いてどこでなにしてるんだって』
「え……お義父さんが……?」
『うん』
「でもお義父さん隼人さんに怒ったこと1度しかないって……こんなことで怒ってもらわなくても……」
『何言ってるの。大切な娘が傷付いてるんだから怒るに決まってるでしょ』
「娘……」
『うん、お義父さんだから』
『琉依さん椿ちゃんにお義父さんって呼んでもらえるのが嬉しいみたい。若菜とは違った感じがわくわくするって』
『お義父さんが何でも買ってあげるよ』
「な……えっと……あのダイエットアプリがすごく素敵なのでこれ以上は大丈夫です」
『そう?素敵?』
「はい。目標まであとどれくらいとかいろいろ教えてくれる女の子可愛いです」
『本当に?やったー。仕事しないで作ったんだよ』
「え……」
『駄目な大人でしょ。普段なら苦言をする琉依さんの会社のストッパーも椿ちゃんのためなら仕方ないって。そもそも昇さんも小林さんも木村さんもみんな椿ちゃんになにしてあげようって考えるので仕事そっちのけなんだもの。昴が入社2年目とは思えないほど重要な仕事任されてるわ』
『良いんだよー。昴はインターンもやっててもう立派なプログラマーなんだからー』
『まあ良いけどね。昴も仕事面白いって言ってるし。さ、隼人もそろそろ帰ってくるんじゃない?』
『そうだよ。それに泣いて疲れたでしょ。ゆっくり休んで』
「はい。……あの、ありがとうございました」
そう言って電話を切ってメッセージアプリの隼人さんとの画面を見てみるけどまだ既読にはなってなかった。まだ0時だもん。朝になる頃には帰ってくるよね。そしたら隼人さんとゆっくり話そう。お騒がせしてしまったけどお義父さんと彩華さんと話せて良かった。優菜さんとか若菜とかみんなからどうしたのというメッセージが届いていて心配させてごめんなさいと送ろうとしたけど私はそのまま重くなった瞼を閉じた。




