婚姻届提出まで─私の両親と先輩─
先輩のマンションから出て車に乗り込むと今度は実家へと向かう。私の音楽プレーヤーに入ってる音楽を聞きながらさっきのことを思い出す。
先にマドレーヌのお店に行ったんだけど、私が味とかどうしましょうかって聞いても椅子に座ったままなんでも良いよって全然取り合ってくれなかったのに和菓子屋さんに行ったら私の隣でこれが良いんじゃないかとかあれも良いかもと言ってきて……。先輩って興味のあることとないことに対する態度があからさまだ。新発見だと苦笑いした。
「また笑ってる。思い出し笑い?」
「だって先輩ってわかりやすいんですもん」
「今気付いたの?」
「初めて知りました」
「昔からだよ」
「そうだったんですか?」
「そうだよ」
昔からだとしても初めて知れた先輩が嬉しい。
「それより椿、電話電話」
「あ、はい」
先輩に急かされて携帯でお母さんに電話をかける。土日はパートが休みのお母さんはともかく不規則な仕事のお父さんがこんな急に行くって言ってもいないと思うんだけど……と思わずにはいられないけどいなかったら明日にすれば良いのかと運転する先輩の横顔を見ながら思う。
私のお母さんは工場でライン作業のパートをしている普通の主婦でお父さんはグリーンコーディネーターという一見あまり聞かない職業をしているけどごく普通の父親だ。この無茶苦茶な結婚のご挨拶というものを受け入れられるだろうか。2人とも腰を抜かしたりしないかな。
そもそもお母さんにもお父さんにも先輩のことは話してない。お母さんは高校の時に彼氏がいたっていうのは知ってるかも知れないけど会わせたこともないし、先輩のことをなんて紹介したら良いんだろうか。つい最近再会した昔付き合ってた人と結婚します?私は知らなかったけど1ヶ月前から付き合ってる人と結婚することになりました?駄目だ、私自身この急な話についていけてないのに上手く説明できる気がしない。
そう思ってるとようやくお母さんが電話に出た。
『もしもし、どうしたの?』
「あ、お母さん?えっとね、今日家にいる?」
『いるわよ』
「あのね、今から家に帰るから。お父さんにもいてほしいんだけど仕事だよね?」
『ううん、お父さんも休み』
「え、なんて偶然!!」
なんてラッキー!!……って喜んでる場合じゃない。本題だ。
「あの、あのね……驚かないで聞いてほしいんだけど、結婚することになって、それで今から挨拶に行こうってなって……」
『ああ、隼人くん?やっぱりねー!!あ、お父さん!!やっぱり今日だって椿たち来るの!!仕事休みにしておいて良かったわねー!!』
「……は?お母さん?どういうこと?」
なんでお母さんが先輩の名前を知ってるだけじゃなくいろいろ知ってる風なの?しかもお父さんまで。……ついていけてないのは私だけ?どうなってるの?
再び先輩を見てみるとなんだか嬉しそうに笑ってるだけでなにを考えてるのかよくわからない。
『結婚するのね。いつ?』
「あ、一応……明日?婚姻届出しに行くみたい」
全然実感わかないけど明日結婚するんだよね?
『なに?他人事みたいに。自分のことでしょ。しっかりしてよね。隼人くんがしっかりしてるから大丈夫かもしれないけど結婚っていうのは2人でするものなんだからね』
「わかってるよ!!それよりやっぱりお母さん先輩のこと知ってるんだね!!どうして!?」
『なーに?隼人くんから聞いてないの?』
「なにも聞いてないよ!!」
今度は先輩を睨み付けるけど先輩は変わらず涼しい顔をしていた。もう、私が知らないところでなにがあったっていうの?
『でもお母さんも3回しか会ったことないのよ。そのうち1回は椿と付き合ってる時に偶然見かけただけで会ったとは言えないし』
「み、見てたの!?」
見られてたとは思わなかった。私が通っていた高校は家から3駅先で先輩は高校がある最寄り駅の近くに住んでいた。だから必然的にその高校近くの最寄り駅で待ち合わせして学校に行くなりどこかに出かけたりしていた。だからお母さんに見られてるとは全く考えもしなかった。
『話してたでしょ?椿が通ってた高校の近くにお父さんが時々仕事で行ってる商業施設があるのよ。お母さんも何度か見に行ってたの』
「そうだっけ……?」
もう昔のことすぎてそんなこと覚えてないよ……。
『あいかわらず興味のないことに関してだけ記憶力ないわねー。お父さん悲しむわよー』
そうかな?でも興味ないことに関して先輩と共通点みたいで少し嬉しいかも。
「あっと、そんなこと考えてる場合じゃなかった。それであとの2回は?」
『1回はその前よ。椿が1年の時。さっきと同じで別の場所を見に行ったら若菜ちゃんと昴くんと3人でいる所を見かけたの。その時は挨拶だけよ。若菜ちゃんに自分の従兄なだけでよろしくしなくて良いって言われちゃってね』
若菜がそう言ってるってことは先輩と私が会ってからのことだと思う。いつかはわからないけど。
「じゃあ3回目になにがあったの?しっかりしてるって言うくらいだから話をしたってことでしょ?」
『3回目はこの前のお盆休み。隼人くんが帰省しててもうすぐ戻るっていう時に偶然ね。その時初めてお父さんも一緒だったんだけど、お父さんが芸術的に綺麗な男の子がいるって興奮して話しかけに行っちゃうから追いかけたら隼人くんでお母さんもびっくりしちゃったわよ』
ふふふ、と笑うお母さんに私は頭を抱えたくなった。お父さんはただの普通の父親じゃなかった。芸術的なものを見るといつでもどこでも夢中になって周りが見えなくなってしまうんだ。
『それでね、お母さんも驚いたけど隼人くんも私に気付いて驚いてすぐに謝ってきて。なんのことかわからなかったからとりあえず近くのカフェに3人で入って話を聞いたの』
お母さんはその時のことを簡単に教えてくれた。先輩は結城くんと私の話をしたあとだったみたい。私のお母さんに会って思わず謝ってしまいカフェに入って落ち着いたら高校生の時私が全然ご飯を食べないダイエットしてたこととか泣いて帰ってきたりしてお母さんたちに心配かけたことだと言って謝ってくれたらしい。最近再会してそれ以外にも誤解があるみたいだから誤解を解いてるところだと説明したあと、私が納得してくれたらもう一度結婚を前提に付き合いたいと思ってると言ってくれたそうだ。
『隼人くんったらね、高校生の時は僕が至らないせいで椿さんを苦しめてしまいましたがもう二度と同じ過ちを繰り返さないと誓います。椿さんが受け入れてくれたらもう一度椿さんのことを任せてもらえませんかって言うのよ!!お母さんキュンキュンしちゃった!!この年であんな綺麗な男の子に真剣な顔でそんなこと言われちゃってもうお母さんが惚れちゃいそうだったわ!!お父さんも余計興奮しちゃって創作意欲が高まっちゃって大変!!』
私は顔を真っ赤にしてもう一度先輩を睨み付けるとさすがに先輩もお母さんがそこまでぶっちゃけるとは思わなかったのか苦笑いしてる。
『椿も隼人くんと別れたあと誰とも付き合ってないって時々くれる若菜ちゃんからのメッセージで知ってたから、これは結婚を前提にというよりすぐ結婚しそうだなって楽しみにしてたのよー。隼人くん出張で木曜に戻ってくるってって聞いたから今週か来週かなーて思ってたのー。じゃあ待ってるからねー』
そう言って一方的に電話を切られてしまった。
「……先輩」
「椿のお母さんもおしゃべりだね。女の人はうちの身内だけじゃなくてみんなおしゃべりだ」
「笑ってないで説明してください。どうして教えてくれなかったんですか?」
ケラケラと笑う先輩を咎めるように私は言った。
「わざわざ言うことでもないかなって思ったんだよ」
「どうするんですか?おかしなこと言うからお母さん先輩に惚れちゃったそうですよ」
「それって嫉妬?大丈夫、俺は椿だけだよ」
「もう!!そういうことを言ってるんじゃありません!!なんでそんな恥ずかしいこと言ったんですか?っていうかもう結婚のご挨拶してるじゃないですか!!今から何しに行くんですか!?」
「正式に結婚しますっていう報告みたいな?」
「……もう良いです」
口で先輩に勝てないのはわかってるからもうこれ以上なにかを言うのは諦めた。疲れてしまった。
「椅子倒して良いよ」
「……はーい」
先輩に言われるまま少しだけ椅子を後ろに倒した。
「そんなことよりさ、俺が椿のお父さんとお母さんに会ってどう思ったのか聞いてくれない?」
そうだよね。結城くんと話したあとってことは私が勘違いしてるかもしれないとほとんど確信していたっていう時だもんね。混乱していたはずだ。
「どう思ったんですか?」
「椿のお父さんの目がきらきらしててね、椿が興味があることを熱心に話す時の目とそっくりでね、椿はお父さん似なんだーて」
「……なんですかそれ」
混乱はどこにいってしまったの?シリアスな話じゃないの?先輩ってやっぱりよくわからない。先輩マイペースすぎ……。
「それにお母さんはしっかりしてておおらかで、そういうところは椿に受け継がれてるんだなって思ってこの2人の元で育ったから椿は椿なんだなって」
「もう、なんですか?私は私ですよ」
「で、あんなことにならなきゃ高校卒業してすぐにご両親から離れずに済んだしあんな遠い所に離れて住むこともなかったんだなー……と」
「……不意打ちで泣かせないでください」
やっぱりそういう話じゃないか。もう嫌になっちゃう、この先輩のペース。ポロポロと溢れる涙を隠すように腕で目を覆う。
「そんなつもりじゃなかったんだけど……」
「じゃあどういうつもりなんですか。先輩のせいで泣かされまくって困ります」
「ごめんね」
「私に謝るなって言うんですから先輩も謝らないでください。私は早く家を出たことに後悔してません。大学で会った友達にも会社のみんなにも家を出たから出会えたんです。先輩が気にすることないです」
「うん、ありがと。だけど俺だったら椿みたいな子外に出すなんて考えられない、ぼんやりしてることが多すぎて危ないって思ったって話だったんだけど」
「……。それはそれは、勘違いして先走ったこと言ってしまってすみません。でもこの勘違いは先輩が紛らわしいのが悪いんですよ!!」
「拗ねる椿も可愛いね」
「可愛くないです!!もう!!からかわないでください!!」
私は先輩に勝てる気がしない。結婚したら勝てるようになるのかな。とにかく言い負かされないように語彙力を身に付けよう。帰ったらどうしたら語彙力が身に付くのか調べよう、決めた。
結局私の実家では先輩が言うように正式な結婚の報告をしただけであとはお父さんとお母さんが先輩を質問攻めにしたり、お母さんに結婚に必要そうなものをもらったりした。お母さんは先輩にちゃんと美味しいご飯を食べさせてあげなさいってレシピを書いたノートもくれた。帰りがけにお父さんに婚姻届の証人欄に署名をしてもらって先輩の実家に向かった。




