表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/6

衝動


「まずはお礼を言わせてね」


 たおやかで、優しい声をした秋月さんは言葉を紡ぐ。


「乃々と一緒にこの孤児院を護ってくれてありがとう」


 立ち上がり、深々と頭を下げられる。

 自分より年上の女性に、こんな風にされたのは初めてだ。

 照れくさいというか、むず痒いというか。

 けれど、それも束の間のこと。

 すぐに掻き消える。


「……いえ、ここが襲われたのは僕にも原因がありますから」


 直接の原因ではないかも知れないけれど、遠因ではある。

 僕が襲われていなければ、現場から離れなければ、乃々に気づかなければ。

 ここは狙われずに済んでいたかも知れない。

 乃々は、僕なんかが助けようとしなくても、古金を撃退できていたのだから。


「そうだとしても、私はあなたに感謝しているわ」

「そうそう。悪いのは古金なんだから、仁くんは胸を張っていればいいんだよ」

「そう……かな」


 そう、思うことにしよう。

 せっかく、こう言ってくれたことだし。


「心根の優しい人ね」


 そう呟いて、秋月さんはイスに腰を下ろす。


「それで、吸血鬼だったわよね?」

「はい」


 人狼から転じた吸血鬼。

 伝承に記された吸血鬼については調べられた。

 けれど、僕の身に起こった吸血鬼化のことは調べられなかった。

 人狼に喰われると人狼になる。

 この情報が世に出回っていない以上、吸血鬼化のことなんて、調べようがなかった。


「吸血鬼の存在は、人狼に古くから伝わるっているものよ。と、言っても、ほとんど御伽噺や伝説のようなものだけれど」

「そうなんですか?」

「えぇ。なにせ、吸血鬼は人間からしか生まれないから。人間が人狼になることだって稀なのに、吸血鬼となると更に確率が低くなる。……そうね、例えるなら、宝くじの一等を連続で引き当てるくらいかしら」

「そんなに確率が低いんですか……」


 気が遠くなるような確率の果てに、僕は吸血鬼になった。

 どうしてそんな低い確率を、一発で引いてしまったのだろう。

 まぁ、引いていなければ死んでいたのだけれど。

 運が良いんだか、悪いんだか、わからないな。


「人間が人狼となる過程で、ごく稀に生まれる変異個体。それが私たち人狼が古くから吸血鬼と呼ぶ存在よ」


 変異個体。

 人狼の亜種。

 突然変異という言うべき存在。


「吸血鬼は人狼とは異なる性質を持っているとされているわ。人狼が獣の特性を身に宿すのに対し、吸血鬼には一対の翼と牙が現れるの」

「翼と牙」


 翼には覚えがある。

 古金と対峙した際に、背中から一対の翼が生えていた。

 意識して生やした訳でもないけれど。

 いつの間にか、消えていたし。

 しかし、牙にはすこしの覚えがない。


「大神くん。あなた、喉が渇いてないかしら?」

「……そう言えば、すこし前からずっと」


 ここにくる途中、自動販売機で適当な飲み物を買って飲んだのだけれど。

 なぜか、渇きが潤わない。

 図書館を出たあたりから、ずっと喉がすこしだけ渇いている。


「牙は、そのためにあるのよ」

「そのため? ……まさか」

「そう。吸血鬼に人狼のような食人衝動は起こらない。けれど、代わりに人の血を欲してしまう、吸血衝動が起こってしまうのよ」


 人狼も、吸血鬼も、結局は人間に仇なす性を背負う。

 人を喰いたいと、人の血を飲みたい。

 そこに、どれだけの違いがあるだろう。

 一緒だ。

 人の血を飲むということは、その人を喰うに同じ。

 変異個体だとしても、その宿命からは逃れられない。

 そのことをどうしようもなく、この喉の渇きが訴えていた。


「……失礼を承知で聞きます。この衝動を、我慢することは出来ないんですか?」


 出来るはずがないと、理解はしていた。

 我慢できるなら、捕食事件など起こらない。

 人狼は、食人衝動には抗えない。

 つまり、その変異個体である吸血鬼も。


「元人間の大神くんの心情は察するにあまりあると思っているわ。けれど、こればかりははっきりと言わせてもらいます。衝動を我慢することなんて、不可能よ」


 不可能。

 そうとまで、言い切ってしまうのか。


「衝動は、例えるなら強烈な睡魔に似ているわ。最初は意思や理性で抵抗することができても、最後にはかならず屈してしまう。眠らずに生きていける人間がいないように、私たちも衝動には抗えないの」

「そう……ですか」


 この喉の渇き。

 今はまだ我慢できる。

 けれど、これから時を追うごとに、渇きは酷くなる。

 そして、最後には人を襲い、その血を喰らう。

 人工肉とはわけが違う。

 血液は、人工的には造れない。

 提供もされない。

 必ず、誰かの血をもらわなければならない。


「僕は、どうすれば……」


 自然と手が喉元へと向かう。

 この渇きが、恐ろしくなった。


「一つだけ、手があるわ」

「それは、なんですか?」

「人間ではなく、私たち人狼の血を飲むこと」


 人狼の血を、飲む。


「私たち人狼も、生物学的にはヒト科ヒト族の範疇にいる種族だから。私たちの血でも、衝動は抑えられると思うわ」

「でも、それは……」


 たしかに、それは解決方法ではあった。

 人間ではなく、人狼に血をもらう。

 事情を知らない人間ではなく、事情を察することが出来る人狼のほうが難易度は低い。

 けれど、それは僕の根本にある拒否感。

 人を喰らいたくないという感情の解決には、ならなかった。


「仁くん」


 不意に、名前を呼ばれる。

 釣られるように見た乃々の目は、真剣みを帯びていた。


「私は、いいよ。仁くんにだったら、血を吸われても」

「乃々……」


 冗談で言っている訳ではない。

 目を見れば、それが本心であると理解できる。


「……すこし、待ってほしいんだ。心の中の、整理をつけたい」


 人の血を吸うということ。

 人を喰らうということ。

 そのことについて、自分の中で折り合いをつけるだけの時間がほしい。

 いろんな思いが、頭の中や胸の奥で錯綜している。

 こんな状態で、軽々しく、血を求めたくはない。


「……そうね。大神くんには時間が必要よね。なら、今日のところは切り上げましょうか」

「はい。すみません」

「いいのよ。ゆっくり、考えなさい」


 そのあと僕は、心なしか酷くなった渇きを我慢しながら孤児院を出た。

 家にどう帰ったのかは、憶えていない。

 ぐるぐる、ぐるぐる、思考は巡る。

 人狼。吸血鬼。食人。吸血。衝動。

 つらつらと考えていたら、気づくと自室のベッドの上だった。


「――このように、人狼による捕食事件は年々、増加傾向あります」


 不意にテレビの音声が聞こえて、ベッドから起き上がる。

 テレビのリモコンにいつ触ったかも憶えていなかった。


「でも、人間による殺人事件のほうが、はるかに多いですよね? 実際」

「そりゃー、あなた分母が違い過ぎるからでしょうが」

「どちらにしても、対策は必須だと思いますけどねぇー」


 ニュース番組では、この前の捕食事件に触れていた。

 僕はその犯人を知っている。

 人狼、古金。

 あの日、深刻なダメージを負った古金は、軽傷ですんだ司に担がれて去って行った。

 追わないのか、警察に引き渡さないのか。

 そう問うたとき、乃々は複雑そうな顔をした。

 いわく、人狼は人狼を人間には売らない。

 それがどんな凶悪な人狼でも、たとえ親の敵でも。

 人狼を売った人狼は、ほかの人狼からの信用を失うからだ。

 人間よりも数が少ない人狼は、それだけ帰属意識が強い。

 仲間とまではいかないまでも、微かだが繋がりが築かれている。

 そこに軋轢を生むような行為は、身の破滅を招いてしまう。

 人狼が起こした事件は、人狼が解決する。

 そこに人間が介在する余地はない。

 人狼の世界で生きていきたいのなら、その慣習に従うしかない。

 だから、僕も古金を人間に売るような真似はしない。

 でも、だからこそ、思う。

 口を噤むことが、果たして真っ当な判断なのか否か。


「――被害者遺族の方々の無念は計り知れないでしょうねぇ」


 咄嗟に手に取ったリモコンで、テレビを消した。

 その真っ黒に染まった画面に映る自分を、直視することが出来なかった。


「――仁ー、ごはんよー」

「……いま行く」


 その場から逃げるように自室を出る。

 喉の渇きは、よりいっそう酷くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ