手荒い歓迎
「まずはこれからかな」
街のとある図書館にて。
僕は吸血鬼に関する文献を漁っていた。
机上に平積みした書籍の一つに、目を通す。
タイトルは。
「吸血鬼に対する大いなる誤解……か」
まず、はじめに。
あなたは吸血鬼のことを、こう思ってはいないだろうか?
吸血鬼には数多の弱点がある、と。
日光を浴びて灰となり、十字架に畏怖し、聖水によって爛れ、ニンニクを嫌い、銀に弱く、流水を渡れず、招かれなければ建物に入れず、木の杭を心臓に打たれると死亡する。
だが、これには大いなる誤解が存在する。
「誤解?」
本来、吸血鬼には弱点というものが存在しない。
吸血鬼の発祥は諸説あり、黒死病による噂の流布とも、死体の屍蝋化によるものとも、言われている。
皮下出血による皮膚の黒ずみに死を連想したのか。
はたまた、屍蝋化によって腐らない死体に不死性を感じたのか。
ともかく、吸血鬼の発祥にこれら弱点となりえる要素は皆無と言っていい。
では、なぜこのように多くの弱点を後付けされたのか。
それは各地に残された民間伝承が転じたものであると私は考える。
詳細は後に語るが、この民間伝承の多くには、死体の吸血鬼化を防ぐ術が残されている。
死体を日の当たる場所におき、邪気を払う。
十字架や聖水をもって悪霊を遠ざける。
ニンニクの強烈な臭いで悪を退けるため、死体に詰めたともあった。
起き上がらないよう、木の杭で棺桶に打ち付けた、とも。
これら民間伝承が転じ、後の創作物によって弱点として描かれた。
それが今日まで世間の人々が大いなる誤解を生む、その切っ掛けとなったのだ。
事実、言わずと知れたブラム・ストーカーのドラキュラや、シェリダン・レ・ファニュのカーミラには、現代の吸血鬼像からはかけ離れた描写が散見される。
死体の吸血鬼化を防ぐための術が、時代の流れによって吸血鬼を打倒するための術に変貌したのである。
だからこそ、これは初めに宣言しておく必要があると、私は思ったのだ。
本来の吸血鬼に弱点などというものは存在しないのだ、と。
「――うーん……疲れるなぁ、読書って」
気がつけば、僕はその書籍に耽っていた。
すべてを読み終える頃には、深呼吸をするほどに。
縮んでいた肺が膨張するような、そんな感覚がした。
「お陰で吸血鬼にはそこそこ詳しくなれたけど……」
僕自身の身に起きた吸血鬼化という事実には、何一つ得られるものがなかった。
けれど、一つ、気になることが書いてあった。
いわく、人狼と吸血鬼は一部地域では混同視されていた、とのこと。
つまり、人狼と吸血鬼は同じものだと、されていた時期があるという。
これが事実なら、人狼から転じて吸血鬼になることにも、一応の納得がいく。
まぁ、ここに書かれていたことは伝承の中の話であって、僕の身に起きたこととは、また別の話なのだろうけれど。
「――おっと、もうこんな時間だ」
この後に予定があるので、このあたりで切り上げることにする。
ほかにも気になる書籍をいくつか借りて、図書館をあとにした。
「……喉、渇いたな」
照りつける太陽の下で、喉の渇きを覚えながら先を急いだ。
「――えーっと……あった、あった」
広いグラウンドを持つ、孤児院。
密集する建物群の中心地にあり、薄暗い路地を抜けた先に、そこはある。
見通しがひどく悪いのが欠点だが、それは逆を言えば人目につかないということ。
人狼である彼らにとっては、非常に都合のいい場所である。
僕は先日、ここで吸血鬼として目覚め、人狼の二人と戦った。
「ん? よう、あんたが姉貴の知り合いって奴か?」
グラウンドに足を踏み入れると、孤児院の玄関先から声が掛かった。
気怠げに立ち上がる彼は、ゆっくりとこちらに向かってくる。
この前は、いなかった人だ。
「そうだけど。えーっと、乃々の弟さん?」
弟なんていたんだ。
まぁ、場所が場所だし。
あの時の翔太くんだって、弟と言えば弟になるのだろう。
「あぁ、凜ってもんだ。よろしくな」
「よろしく、僕は――」
「言わなくても知ってる」
そう言いながら、彼は地面を蹴った。
「吸血鬼、だろ?」
握り締められた拳が飛ぶ。
一直線を描くその軌道に、僕は手の平を差し込んだ。
進路を塞ぎ、その拳を受け止める。
瞬間、周囲に乾いた音が鳴り響いた。
「大神仁って言うんだ。よろしくね、凜くん」
「……へぇー、流石」
凜くんは、それ以上、続けようとはしなかった。
拳を引いて、ほどき、僕に背を向ける。
彼にしてみれば、ちょっとじゃれついたくらいのことなんだろう。
掴み損ねたら顔面が吹き飛びかけない威力ではあったけれど。
「来なよ、中で母さんが待ってる」
手荒な歓迎を受けて、僕は孤児院に足を踏み入れた。
玄関から室内に入ると、途端に空気がすこし変わる。
そわそわして、すこし落ち着かない雰囲気だ。
はじめて遊びにいく友達の家、みたいな感じかな。
「なぁ、姉貴とはどういう関係なんだ?」
廊下を歩いていると、そんな突っ込んだ質問が飛んでくる。
「チビ共から聞いてるぜ。あんた、姉貴と一緒に古金の野郎と戦ったんだろ? 人狼――いや、吸血鬼か。に、なったばかりだってのにさ。だから、よほど特別な間柄なのかと」
「特別な間柄って訳じゃあないけれど。まぁ、幼馴染みだからね。それに――」
「それに?」
「格好悪いでしょ? 女の子一人に戦わせて、自分だけ隠れているなんてさ」
「はっ、違いないな」
それと、あともう一つ。
僕は乃々に助けられている。
古金に背骨を抜かれた後に。
乃々はなにも言わなかったけれど、状況的に考えて乃々が古金を追い払っている。
そして、血だらけの僕を抱えて孤児院まで連れて行ってくれた。
血塗れの人間を抱えた人狼なんて、世間がどう見るかなんて明らかだ。
そんな危険を冒してまで、乃々は僕を助けてくれた。
だから、僕もその恩に報いようと思っている。
「よかったよ、あんたがいい人そうで」
吸血鬼に、鬼になった僕を、人と呼んでくれるのか。
「これから仲良くやっていけそうだ」
「そうだね。僕も仲良くやっていけそうな気がする」
互いに、いい関係を築けそうだと予感しながら、廊下を渡りきる。
凜くんが扉に手をかけて押し開くと、そこから居間のような空間が広がった。
型落ちだが大きなテレビがあり、その前にはコの字型に配置されたソファーがある。
その反対側の奥には台所があり、手前には随分と大きなテーブルがあった。
「よう、連れてきたぜ」
そう凜くんが声を掛けると、居間にいた小さな子供たちの目を引く。
何人くらいいるんだろう? 居間にいる子をざっと数えてみても、七人、八人ほどいる。
けれど、凜くんの言う母さんが、見当たらない。
「あっ、仁くん」
居間の奥のほうにある扉から、乃々が姿を見せる。
「凜。失礼なことしなかったでしょうね?」
「してねーよ、な?」
まぁ、してないと言えば、してないかな。
手荒な歓迎はあったけれど。
「うん、まぁ。歓迎してもらえたよ」
「そう? ならいいけど。じゃ、私とこっちに来て?」
案内役は凜くんから乃々へと変わる。
居間を通り過ぎて、先ほど乃々が出てきた扉を抜ける。
「ねぇ、乃々」
廊下を先にいく背中に向けて、名前を呼ぶ。
「んー? なに?」
「いや、学校にいる時と随分と雰囲気が違うなって」
寡黙で、物静かで、読書を好む文学少女。
感情の機微が見て取れず、声音もか細い、内気な女子生徒。
それが学校での真月乃々だったはずだ。
けれど、この孤児院での乃々は、そんな様子は欠片も見えない。
「あー……うん、そうだよね。学校では、なるべく目立たないようにしてるんだ。正体がバレちゃうと面倒だし」
「……そっか、悪いこと聞いちゃったな」
考えてみれば、当然のことだった。
乃々は正体を隠して、学校に通っている。
先生たちは流石に、人狼だと把握しているだろうけれど。
それが生徒にまで及ぶと、乃々は学校にいられなくなる。
だから、なるべく交友関係を築かず、物静かに過ごしている。
そのことを、僕は察するべきだった。
「ううん、大丈夫だよ――ほら、あの部屋だよ」
乃々は、話を逸らすように、正面を指さした。
僕もその意図を汲んで、それ以上のことには口を噤んだ。
「お母さん、連れてきたよ」
「はーい」
奥から声がして、扉は開かれる。
扉の先は書斎のような場所で、本棚と机くらいしか物がない。
そして、その中央に腰掛けているのが、この孤児院の主。
「ようこそ、大神仁くん」
黒く艶のある長い髪をした、妙齢の女性。
秋月明子、その人だった。
僕は彼女に教えてもらいにきたのだ。
人狼から転じた、吸血鬼という存在について。