吸血鬼
「よう。お礼参りにきたぜ、くそ女」
建物の外から、聞き覚えのある声がした。
すぐにそちらへと向かうと、窓越しにその誰かの姿が見えた。
グラウンドの中央に立つ、金髪の男。
その隣には、小柄な少年もいる。
二人の頭部には獣耳が生えていた。
「人狼……あの時の」
あの時、背骨を抜かれた相手。
彼が、どうしてここに。
「あまり、ここで無茶をしないでほしいんですけどね」
困惑していると、グラウンドに乃々が現れる。
その頭部には、彼らと同じ獣耳が生えていた。
「そうか、そう……だよな」
あれだけ人狼について知っているんだ。
乃々自身もまた、人狼なんだ。
わかっていたし、察していたけれど。
どこか、考えないようにしていたんだ。
自分も、人狼になったくせに。
「一度、手痛く負けているのに、よく顔を見せられますね」
「負けてねぇよ。警察が来たから勝負を預けただけだ」
「勝負を預けた? 救われたの間違いでしょう? 満身創痍だったのに」
「本当にそうだったかどうか、確かめてみるか? あぁ?」
一触即発の雰囲気。
なにか切っ掛けがあれば、すぐに争いに発展しそうな空気がする。
このまま、もし殺し合いにでもなったら。
そう思考がいたると、居ても立っても居られなくなった。
「玄関……靴……あった」
窓際をたどるように廊下を走り、玄関を見つける。
そこにちょうど僕の靴もあり、裸足のまま履いて外へ跳びだした。
「乃々っ」
広いグラウンド。
その中心地でのにらみ合いに、駆けつける。
自分になにが出来るのかも、考えないまま。
「仁くん……」
「あぁ? なんだ、こいつ。新しいお仲間か? いや? 待てよ」
僕を見るなり、金髪の人狼は首を傾げる。
「誰かと思えば、昨日、俺が喰った奴じゃねーか。なんで生きてんだ? まさか、なったのか? 人狼に」
その答えに行き着くと、彼は盛大に笑い出した。
「はっはー! こいつは傑作だ。本当になるんだな、人間が人狼に! なんだ? じゃあ、俺がパパになるのか? 最高に笑えるなぁっ!」
彼のせいで僕の人生が狂ったと言うのに。
随分と無責任に笑えるものだ。
「仁くん。あの二人は仁くんには手に負えない。ここは私に任せて」
「まぁ、そうだとは思うよ。僕は人狼になったばかりだし」
彼らは生まれた時から人狼だ。
身体の使い方も熟知しているし、戦闘にも慣れているはず。
人を殺すことに、無感情でいられる。
「でも、それでも、どちらか片方の足止めくらいは、出来ると思うんだ」
同じ、人狼なのだから。
同じ土俵には立てている。
勝負にならないことは百も承知だ。
でも、土俵にしがみついて、相手を留まらせることくらいはできるはず。
いまの僕にできることは、このくらい。
だからこそ、このくらいは役に立ちたい。
「……痛いよ、泣きたくなるくらい」
「泣いて手助けが出来るならいいよ、それくらい」
「――わかった」
僕の意思を尊重してくれたのか。
ただ静かに前を向いて、乃々は敵である人狼の二人を見据えた。
「面白いじゃん。おい、司。お前、あいつの相手してろ」
「わかりました。古金さん」
「あのくそ女の相手は――この俺だっ!」
語気を強め、それを合図とばかりに二人は地面を蹴る。
古金と呼ばれた人狼は乃々のもとへ。
そして、司と呼ばれた人狼は僕のもとへ。
それぞれ肉薄した。
「――」
この身体は、人狼になったことで人並み外れている。
そのことを、僕はこの瞬間に実感した。
それは筋力でも、耐久力でも、反射速度でもない。
単純なる、動体視力。
僕にはすべて見えていた。
司と呼ばれた彼が地面を蹴ったあと、どう動いたか。
いつ跳び、いつ足を出し、いつ蹴りを繰り出したのか。
戦闘経験なんてなにもない僕が、人狼である彼の攻撃を受け止められたのは。
偏に、この目のお陰だった。
「――くっ」
しかし、受け止めたのは、失態だった。
彼の跳び蹴りは、その小柄からは想像もつかないほど、鋭く重い。
重ねた両腕が受けた衝撃は、まるで金属バットのフルスイング。
びりびりと、骨が軋む。
勢いは殺し切れず、靴底が地面を滑る。
電車道を地面に刻み、それでもなんとか凌ぎきる。
そして、重ねた両腕を解放するように、彼を弾いた。
「へぇー、やりますね」
空中で体勢を立て直し、彼は華麗に着地する。
「一撃で仕留めようと思ったのに」
「乃々のまえで格好つけちゃったからね」
両腕の痺れを払うように、手を振るう。
「意地でも、キミを引き留めないといけないんだよ」
喧嘩なんてしたことない。
人を殴ったことだってない。
けれど、それでも、僕は彼の相手をし続ける。
それが僕の役目だ。
「そうですか。でも、ボクも時間を掛けてられないんです。ですから」
彼の姿に変化が起こる。
獣耳が白銀に色づき、頭髪までもが銀になる。
なにが、起こっている?
「ボクも、本気でいきます」
瞬間、彼の姿が眼前から消える。
否。違う。
辛うじてだが、見えていた。
彼は離脱したのだ。
僕の視界、視野から、一息に。
目は、彼を追う。
首の、身体の、振り向きが鈍い。
もっと、はやく。
「――」
辛うじて、この目で彼を再度捕らえる。
しかし、その頃にはすでに攻撃の予備動作が終わっていた。
繰り出される蹴りは、刀の一振りであるかのように振るわれ。
盾代わりにした僕の腕を、真っ二つにへし折った。
「がぁっ!?」
腕が、あらぬ方向に曲がる。
人形の腕のように、だらりと下がる。
「あなたは知らないのでしょうが」
ダメだ。
いま、僕は腕を見ている。
痛みで、思わず、そちらを見てしまった。
一瞬たりとも、彼から目を逸らしてはいけなかったのに。
「あぐっ!?」
足に激痛が走り、すねが踏み折られる。
皮膚が裂け、鮮血と共に白が飛び出す。
「人狼の身体能力は可変式です」
壮絶なる痛みの中、それでも彼を必至に探す。
僕の武器はこの目だけ。
この目で捕らえられれば、対応は叶う。
「獣に近づけば近づくほど、人狼は強くなる」
見つけた。
いま、微かに尾のようなものが見えた。
本来の人狼にはないはずの部位だが、たしかに捕らえた。
残ったほうの拳を握り、残った足で地面を踏みしめる。
そして、捕らえた彼に拳を突き出した。
「あなたに勝ち目はありません」
渾身の一撃は、見事に躱された。
掠りもせず、空を切る。
そして、その伸びきった腕に沿うように、彼は僕に肉薄する。
間合いに踏み込み、懐に侵入し、返しの一撃を僕へと見舞う。
その手刀は鋭利な刃物となって僕を貫き、背中から突き抜ける。
「がっ……あぁ……」
痛みが、全身を駆け巡る。
喉の奥から熱いモノがこみ上げ、口いっぱいに鉄の味がする。
身体が熱い。
背筋が寒い。
身体の中を通る異物が、気持ち悪い。
「終わりです」
異物が、僕の身体から出ていく。
ずるりと抜けて、支えを失った身体は力なく地に伏した。
地面は固く、また流れ出た血が衣服と頬を濡らしていく。
あぁ、まただ。
また僕は、血だまりに浮かんでいる。
あの時の、惨殺された死体のように。
「古金さん。こちらは終わりました」
彼は僕を見下ろしながら、そう告げた。
「――仁くん!」
「どこ見てんだ、おらァ!」
まだ、乃々は戦っている。
このまま彼が加勢すれば二対一。
状況は不利になる。
これじゃあ、僕が出張った意味がない。
まだだ。
まだ、出来ることは、ある。
激痛で意識が朦朧とする中、それでも僕は手を伸ばす。
引き留めるように、彼の片足を掴む。
「……驚きました。まだそんな気力が残っているとは」
「言った……はずだよ。意地でも……キミを、引き留める……って」
「そうですか。じゃあ、その腕はもういらないんですね」
彼は振りかぶるように、片足を上げた。
そして、草木を刈り取るように、それは振るわれる。
しかし。
「――なっ」
僕は、それを許さなかった。
再生したもう片方の腕で殴りつけ、蹴りを弾き飛ばした。
「もう再生が――」
立ち上がる。
彼の足首を握ったまま、僕は二本足で立ち上がる。
腕を天高く掲げ、彼の自由を奪う。
「キミ……人狼なんだよね」
なら、ちょっとやそっとじゃ死なないはずだ。
「今からキミを、思いっきり、叩き付ける」
返事は聞かない。
言う暇も与えない。
天に掲げた彼を、指が肌に埋まるほど握り締める。
そして、そのまま力の限り、彼を地面に叩き付けた。
「がはっ――」
地面と接触する瞬間、彼は自らの頭を護っていた。
それがこの目に映っていたから、僕も全力を出すことが出来た。
お陰で、彼は血反吐を吐いてのたうち回っている。
いくら人狼の治癒能力が高くても、しばらくは立ち上がれもしないはず。
「さぁ……次だ」
彼の側を通り抜け、乃々のもとへと向かう。
足取りは重く、気分も悪い。
それでも足を進めた。
「なんだ? 負けたのかよ、司」
「仁くん……」
戦闘を行っていた二人が、こちらの存在に気がつく。
勝敗は決し、僕が勝ったことを知る。
「面白いな、とことん。なら、次ぎは俺とやるかぁ?」
「あぁ、いいよ。でも――」
照りつける太陽の下、人型の影が伸びる。
その影に、異変は起きた。
そこに人にはないものが映る。
大きく広がりを見せた、二つの異物。
それは大空を駆るモノの象徴。
一対の黒翼。
「手加減は、出来そうにないよ」
不思議な気分だ。
重かった足取りも、今では軽い。
悪かった気分も、ずいぶんとよくなった。
今なら、誰にも負ける気がしない。
「はっ、ははっ、あははははっ!」
古金は笑う。
「ラッキー! 超ラッキー! お前、お前お前お前ぇ! 人狼よりも質が悪いじゃねぇかよ!」
彼の獣耳と頭髪が、黄金に染まる。
尾と牙が生え、彼はより獣に近づく。
その強靱な四肢で地面に手をつき、その身体のすべてを使って跳びかかる。
真正面からの愚直な攻撃。
だが単純だからこそ、その一撃は神速を得る。
けれど。
「――こう、だったかな」
突き出された一撃を紙一重で躱し、その伸びきった腕に沿うように一歩を刻む。
間合いに踏み入り、懐に侵入し、この拳を握り締めた。
「――はっ、マジかよ」
カウンターは、思ったよりも綺麗に決まる。
拳はするりと胴を捕らえ、殴打の衝撃は古金の身体を打ち砕く。
いくつもの骨を折り、深刻なダメージが臓器を襲う。
吹き飛んだ肉体は地面を何度も跳ねてから、ようやく勢いを失った。
古金が起き上がる様子はない。
「よかった。これで、助かった」
脅威はすべて取り除いた。
誰も、死なずに済んだ。
「……仁、くん。あなたは……」
「うん?」
「吸血鬼、なの?」
世の中には二つの人種がある。
人間か、人狼か。
けれど、僕はそのどちらでもないモノ。
吸血鬼に、なってしまっていた。
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