赤と白
「なぁなぁ、知ってるか? 仁」
なんの変哲もない、いつも通りの昼休み。
一緒に昼飯をつついていた育人が、唐突にそう言い出した。
「うちのクラスに人狼がいるらしい」
声を潜め、周りを憚るように育人は言う。
「人狼? ゲームの話?」
村人や狩人、人狼などが登場する、昨今、定番になってきたゲーム。
人狼を見つけ出せなければ毎晩、村人が一人、人狼に食われてしまう。
「ちげーって、本物のほうの人狼だよ」
「本物? ……それ、本当?」
思わず、箸が止まった。
次ぎに周囲に目を向け、誰にも聞かれていないことを確認する。
「どういうこと? 人狼なんて、居たらすぐに噂が広まるはずだけど」
「うまく隠してるんだよ。ほら、あいつら人喰いだし」
人喰いの人狼だとバレたら、まともな学園生活は送れない。
まず、転校か自主退学に追い込まれる。
すくなくともこの学校ではそうなる。
共存の道を歩んではいるが、天敵と同じ学校には通いたくないものだから。
「でも、人狼の食人衝動はなんとかなってるでしょ? ほら、人口肉で」
「そりゃ、そうだけど。でも知ってるか? 人口肉ってくそ不味いらしいぜ。イギリス料理くらい」
「イギリスに失礼すぎるでしょ」
人が造った料理と、人口肉を比べてはいけない。
いくら世界一料理が不味い国だと言われているのだとしても。
「とにかく、くそ不味い飯じゃ満足できないって奴らも一定数いるし、実際、捕食事件も起こってる。このクラスに潜んでる人狼が、そういう奴じゃない保証はないだろ」
「まぁ、そうだけど」
けれど、現実味がわかない。
人喰らいの人狼。
彼らは獣――狼の特性を持ち、食人衝動に突き動かされる生き物だ。
べつに人しか食べられない訳ではない。
個人の好みはあれど、舌の造りは人間とまったく変わらない。
ただ普通の食事だけでは彼らは満たされないんだ。
人を喰らわずにはいられない。
そのためか身体能力は人間のそれを遥かに凌駕し、治癒能力も非常に高い。
記録によれば胴体に穴が空いても、腕が千切れても、問題なく再生したらしい。
まるで化け物。
そんな人狼が、このクラスに潜んでいるなんて。
「それで? 誰なの? その人狼は」
「いいか? ゆっくり見ろよ」
「う、うん」
ごくりと、唾を呑む。
「いま、この教室の左奥にいる」
左奥。
窓際の角。
育人に言われた通り、ゆっくりと目を向ける。
この目に映るのは、一人の女子生徒。
一人、寡黙に、弁当をつついている。
「え? あれって」
彼女の名前は、真月乃々。
クラス一の秀才で、試験ではいつも満点に近い点数を叩きだしている。
目鼻立ちも整っていて、頭がいい上に容姿もいいと評判の女子生徒だ。
物静かで本を好む、その清楚な姿から男子生徒からの人気も高い。
「まぁ、所詮は噂ってことかな」
ため息をついて、育人に向き直る。
「なーにー」
「だって、真月さんだよ。ありえないって」
「いーや、そうとも言い切れないぜ。だって、ほとんど人と話さねーじゃん。休み時間は本読んで人除けバリア張ってるし」
「なんだよ、人除けバリアって」
まぁ、本を読んでいるところに話しかけにいくのは、なかなかハードルが高い。
見知った仲ならそうでもないだろうけれど。
親しくない間柄なら、まず話しかけられない。
相手が高嶺の花ともなれば、尚更。
「学生生活の送り方なんて人それぞれでしょ。友達がいないからって、人狼扱いするのは良くないと思うよ、僕は」
「んー……まぁ、噂は噂だしなー」
そう、噂は噂。
根も葉もない、誰かのでっち上げ。
面白可笑しく吹聴する誰かの標的に、真月さんがなってしまっただけ。
「火のないところに煙は立たないって言うけど、まさかな」
ふと、もう一度だけ振り返ってみた。
視界の中心に真月さんをあわせると、不意に目が合う。
不味いと思って、すぐに視線を育人に向けた。
不審がられてしまっただろうか。
もし、噂が本当だったら、いまので。
「標的にされたかもな、仁」
「やめてよ、心臓に悪い」
不安を拭うように、弁当を掻き込んだ。
けれど、べっとりと貼り付いたそれは容易には拭えず。
憂鬱な心境のまま、放課後を向かえた。
「仁ー。俺、居残りだってー。明日、祝日なのにー」
「授業中に居眠りなんかするから。じゃ、お先に」
「この薄情者ー!」
育人を教室に残し、僕は一人で帰路についた。
「人狼……か」
嘘でも幻でもなく、この世界に確かに存在する人類の天敵。
共存の道を歩んでいるものの、それをよしとする人狼や、人間ばかりではない。
人狼の根絶を掲げる聖教会なる組織もあるし、人口肉では足りないと人を襲う人狼もいる。
表向きは平穏に見えるけれど。その裏では殺し合いが起きている、なんて噂もある。
火のないところに煙は立たない。
真月乃々も。
「……まさかね」
そんな訳ない。
クラスメイトが人狼で、それを今まで隠し通せていたなんて。
どこかのタイミングで、正体がバレるに決まっている。
バレていないということは、そもそも人狼じゃあないってことだ。
なんだ、こんな風に考え込む必要なんてないじゃないか。
「――人っ、人狼がっ!」
不意に耳に跳び込む、人の声。
怯え、焦り、震える声音。
「人っ! 人をっ!」
自然と足はそちらへと向かう。
すると、声を聞きつけたと思しき、人だかりがすぐに見えた。
そして、その人たちの間から、凄惨な現場を見る。
「……なんて、ひどい」
ひどく損傷した、人間の死体。
胴に繋がっているべきである四肢は、その半分ほどが無くなっている。
周囲には血の海が広がり、死体を浮かべていた。
「白昼堂々とこんな……」
「警察と救急車は?」
「もう連絡した。みんな、ここから離れないように! まだ人狼が近くにいるかも知れないって、警察が!」
人狼の捕食事件。
それを発見してしまった際、一般人に出来ることは限られている。
然るべき機関に報告し、人が来るのを出来るだけ多くの人と待つ。
人間が群れていれば、人狼とてたやすくは近づいてこない。
危ないのは、一人で行動すること。
まだ近くに、捕食を行った人狼が潜んでいるかも知れない。
「――」
死体から目を逸らし、別方向へと向けたところ。
見知った制服を着た人が、角を曲がるのが見えた。
「あれ、もしかしなくても」
真月乃々。
たしかに真月乃々だった。
どうしてここに。
いや、それより。
「――キ、キミ! どこいくんだ! 危ないぞ!」
知らぬ間に、俺は駆けだしていた。
周囲にまだ人狼がいるかも知れないのに。
いや、だからこそ、この足は動いた。
このまま一人で歩いていたら、人狼に襲われるかも知れない。
彼女はまだこのことに気がついていないかも知れない。
だから、僕が気づかせないと。
その思いが先行し、僕は安全圏から自らの足で抜け出した。
真月乃々が人狼かも知れない。
そんなことすらも忘れて。
「真月さんっ!」
後を追い、その背中に声をかけた。
彼女は、ゆっくりとこちらを振り返る。
「あなたは……」
「さっきすぐそこで、人が人狼に襲われたんだ。まだ近くにいるかも知れない。だから、僕と一緒に安全なところへ行こ――」
その時だった。
誰かに背中を押されたような衝撃を受け、僕は思わず足を一歩前へと出してしまう。
自分の行動が理解できず、思考は混乱し、視線は自然と足下を向いた。
「なに……これ」
足下に血だまりが出来ている。
すごい出血量だ。
いったい、どうしてこんなものが。
「えっと……」
理解できない。
わからない。
「――はっはー、ラッキー」
見知らぬ男の声がする。
視線を持ち上げてみると、知らない誰かが立っていた。
「今日だけで二体も食えるなんてな」
彼の右手は赤く汚れていて、白いなにかを持っている。
丸くて、固そうで、それは、そう。
まるで骨のような。
「ま……さか」
背中が熱い。
焼けるように熱い。
なのに、身体がどんどん寒くなっていく。
それは、その骨は、もしかして。
「ぼく……の背――」
崩れ落ちるように、地に伏した。
立ち上がるだけの気力はもうない。
自分から流れ出た血がじわりと広がり、制服と頬を濡らしていく。
「あん? なんだもう一人いんじゃん。超ラッキー」
あぁ、不味い。
あの人狼は、僕だけで満足していない。
このままだと彼女まで。
「に、げて――ま、づきさ――」
声に出来たのは、そこまでだった。
喉からこみ上げてきた血に言葉は潰れ、同時に視界が赤くなる。
とうとう死が近づいて来たみたいだ。
もうなにも見えない、聞こえない。
真月さんは逃げられたかな。
そうだといいな。
そんなことを考え、思いながら、僕は意識を手放した。
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