亀の騎馬戦
濃く、白く。どこまでも続く靄。
作蔵は夜明けの路を歩いていた。
欠伸をしながら道端に転がる小石に躓き、衝撃で噎せた。
半分、寝ていたのだろう。作蔵の間抜けな様子は此れだけに止まらず、田園地帯の路肩から足を滑らせ耕された畑にうつ伏せ状態となったり、生い茂る雑草の中を突き進んだ結果“バカ”と呼ばれる『オナモミ』の実を服に引っ付かせたり、低樹木の葉の上でいちゃつく蝶を目撃したりーー。
「やかましいっ!」
作蔵に怒られてしまった。
あ、目はすっかり覚めたのだね。
「黙って、語りを続けろ」
黙って喋るは、難しいと思うけど?
「……。」
今度は無視をされてしまった。
仕方がない、気を取り直そう。
歩き続けてさすがに疲れたのだろう。作蔵は通り過ぎようとしていた公園の門を潜り抜け、まっすぐと水呑場に向かった。
水道の蛇口をひねり、噴き出した水道水に口を含む。そして、喉を鳴らして飲んだ。
〔この水道水は飲料専用です。洗髪や足を洗う等に使用はしないでください〕
作蔵が水呑場の真横を見ると、注意書が記されている看板が支柱にぶら下がっていた。気付くのが遅かったら、作蔵は頭に水をかぶっていたことだろう。
作蔵は、口から滴る水滴を掌の甲で拭うと「ふう」と、大きく息を吐いた。
どん、どこ、どん。
何処からか、太鼓を打つ音が聞こえてきた。
ーーフレー、フレー、かーめーぐーみ。
今度は、声援。
作蔵は公園の辺り一面を見渡した。
太鼓が打ち鳴り響いたと思われる方向へと行くと、其所は公園内にある池の畔だった。
もう、そんな時期だったと、作蔵は自然と笑みを溢していた。
「あ、作さん。久しぶりだね」
「元気そうだな。そして、朝から随分と気合いが入っているな」
「当然だよ。運動会が来週に迫っているからね」
「ところで、『あの競技』は、相変わらず催されているのか」
「勿論だよ。オレ、選手に選ばれた。応援合戦の練習のあと『競技』の練習を仲間たちとするところなんだ」
嬉々としている“モノ”に、作蔵は思わず苦笑いをしてしまう。
作蔵が見ている“モノ”の象は、亀そのものだった。
「整列っ!」
亀は掛け声をすると、亀の集団が一ヶ所にのそのそと、集合した。
ぴい。と、亀は笛を吹く。
亀の集団は4匹一組になって、合わせて三組が間隔を開けた其々の配置に付いた。
一匹は前に、二匹は並んで後ろに。
そして、一匹は三匹の甲羅の上に乗り上がったーー。
***
物語の進捗状況の都合上、亀たちの『競技』練習光景が割愛されてしまった。
「割愛は、正解だ」
何だ、作蔵。筆者に賛同するような言い方だぞ。
「おまえは、馬鹿か。ほっといたら話が先に進まない、読み手が混乱する。俺だって同じ思いだ」
亀の騎馬戦。面白そうだったろうに、筆者が描写するのが面倒だっただけだろう。
「伊和奈と『仕事』をほっとくわけにはいかない」
踏み潰されてしまった。
はい、本題に戻ります。
こうして、作蔵は公園をあとにした。
作蔵は、伊和奈の足取りを検討し直した。
伊和奈は蕎麦の汁の出汁となる材料を買いに行くと、夜分遅くなって外出した。行き先は、作蔵が走って10分ほどの場所にある商店。寄り道をしない伊和奈が帰ってこないと、捜すを決めた。その矢先に“モノ”と遭遇した。
“モノ”の1体を捕獲して『仕事』の“依頼”を承けた。
伊和奈の安否と行方は、未だに不明。手掛かりは、伊和奈が“実体”を脱いだという、疑わしい情報。
あの“モノ”は『“器泥棒”を止めてほしい』の“依頼”そのものだった。
作蔵は夜明けの路を歩いていた。
伊和奈が行ったと思われる商店がある方向へと下駄を鳴らして歩いた。
作蔵は三件だけ並んだ商店街に着いた。
一件は食料品店、もう一件は雑貨店、さらにもう一件は園芸品店だった。
「おや、作ではないか」
作蔵を呼び止めたのは、自転車で牛乳配達をしていた初老の男だった。
「おはよう。まだ、現役だったのだな」
作蔵はズボンのポケットに右手を突っこみ、百円硬貨を二枚引き出した。
「いらん、いらん。ワシの奢りだ、飲め」
男は作蔵が差し出す硬貨を返して、自転車の荷台に詰めている牛乳瓶を二本取り出した。
「清じい。忙しいところですまないが、ちょっと訊きたいことがある」
作蔵は牛乳瓶の蓋を右手の指先で抉じ開け、淵に口を付けると中身をぐっと飲み干した。
「ああ、よかろう。おまえさん、何だか浮かない顔をしているからな」
「俺の相棒が、夜遅くに店で買い出しにと出掛けたっきり、戻ってこないのだ」
「それで、此処に。今の時間だったら其所の『うまかな商店』のミノさんが商品の仕入れに行く為に仕度をしているところだ」
「朝食を食ってから、だな。旨そうな匂いが堪らない」
「ふぁふぁふぁ。食い意地は、相変わらずだな。まあ、おまえさんだったら飯をご馳走するだろう。顔出しがてらに訪ねてみなされ」
作蔵から空になった牛乳瓶を受け取った男は、停めていた自転車のスタンドを右の褄先で押し上げ、サドルに跨ぐとペダルを漕いで作蔵から去っていった。
作蔵は、もう一本の中身が入っている牛乳瓶を握り締めていた。
伊和奈に飲ませようと、あえて取っといた。
飲んだ牛乳のおかげで、作蔵の空腹はひとまず落ち着いた。
そして『うまかな商店』の店舗兼、自宅の玄関へと下駄を鳴らして移動をした。
「おやおや、作ちゃん。店は開店までまだまだだよ」
玄関の扉が開かれ“昔、お姉さん”の女性が顔を見せた。
「いえ、買い付けで来たのではなくて、昨晩此所に『客』が来たと思うけど、そいつ俺の相棒なんだ。今朝になっても家に帰ってこないからおばさんに訊ねたいと、朝早くですまないがこうして来たって訳で」
「ああ、言わずとも知っているよ。伊和奈ちゃんでしょう。また、此処に戻ってきたとか、作ちゃんに蕎麦を食べさせるから材料を買いに来たとか話し込んで店を出たけれど、家に帰ってないとは驚いたわよ」
「おばさん、すまない」
「いやいや、わざわざ訪ねて来てくれて此方も嬉しいよ。でも、その様子だと朝ごはんもまだみたいだね」
「いえ、さっき牛乳配達の清じいと会って牛乳をご馳走になった」
「そうね。あ、ちょっと待ってて」
女性は家の中に入って、暫くして花模様の風呂敷包みを持って来た。
「おばさん」
「余り物だけど、伊和奈ちゃんと一緒に食べなさい。あの子いい子ね、大切にしなさいよ。おばさんも一緒に捜しに行きたいけれど、店があるからごめんね」
「ありがとう。また、伊和奈と改めて挨拶に来る」
作蔵は、女性から渡された風呂敷包みの温かく、重みがある感触を両手で受け止めて深く一礼をすると、翻した。
作蔵は、下駄を鳴らして路を歩く。
朝日はすっかり昇り、作蔵が歩いている景色を眩しく照らしていた。
『夕べの場所』へと、作蔵は向かった。
鬱蒼と生い茂る森林で“モノ”と遭遇した。
作蔵は、伊和奈らしき“象”がいた樹木の真下を見下ろした。
夕べは暗闇で足元がはっきりと見えなかったが、今朝はよく見えると作蔵は凝視した。
昆布の破片が落ちてると、作蔵は拾い上げた。
作蔵はさらに、落ちていた場所の先を見つめていた。
まだらに、点々と。昆布の破片が先に先と、続いていた。
作蔵は、確信した。
昆布は、伊和奈が意図的に砕けさせて撒き散らした。辿る先にと、作蔵は昆布の破片を逐うことを決めた。
「伊和奈、待っていろ」
作蔵は伊和奈の名を呼びながら呟いた。
伊和奈は“実体”を脱いでいない。と、作蔵は風呂敷包みと牛乳瓶を抱えて、森林の奥へ奥へと、一本歯の下駄を鳴らしていたーー。




