時間割り
始まりは、想い。
作蔵が今回の“仕事”に至った経緯は、血を分けた肉親のために、愛する我が子のために、膨らました想いが引き起こしたことだった。
文吉を包んでいた“魂”と文吉に新たな“器”を与えようとしていた男の想いは似ているが、どちらも歪んでの結果にしか過ぎなかった。
作蔵はまだ目を覚まさない男をじっと、見ていた。
男の中で何かが起きている。証拠は眠っている男の顔が、微動を繰り返していた。
目蓋が痙攣する、口の端が横に広がる、目尻が下がったと思えば、今度は眉が吊りあがる。
男の中に打ち込んだ文吉の“芯”が入り込んでいると、作蔵は確信した。
「起こした方がいいかな?」
伊和奈は男へと手を差し伸べようとしてた。
「待て、おっさんが自力で起きるまでは何もするな」
作蔵は直ぐに伊和奈を遮った。
「作蔵、お茶飲む?」
「ああ、頼む」
伊和奈は台所へ行った。開きっぱなしの部屋の扉の向こうにある廊下からぺたぺたと、音が聴こえた。伊和奈がスリッパの底を廊下の板張りに押し付けていると、作蔵は耳を澄ませた。
「どっこいしょ」
作蔵は立ちっぱなしだった。
流石に疲れたらしく、腰を下ろそうと足元に積まれている雑貨品を退かした。
作蔵は見えた畳の上に胡座を掻いた。そして、腕を胸元で組むと再び男の顔付きを見た。
唇を動かしている。声までは発しないが、何かを懸命に言っている。作蔵は男が動かしている唇を、唇の動きを読もうと試みた。
『トウサンハ、ハナバタケニハイケナイ。オマエガ、フタタビヒトデイキラレルヒガクルヲ、トウサンハマツ……。』
作蔵は、唇を動かす男の顔を見るのが精一杯だった。
「作蔵、玉露があったよ」
男の目から涙が溢れていた。
伊和奈が淹れた茶を運んできたと同時だったーー。
***
「いや、きみたちで飲みなさい」
男は目を覚まして、敷布団の上に座っていた。
伊和奈が差し出した茶が注がれている湯呑に手を振って、背中を丸めた。
「おっさん。ちと、雰囲気変わったな」
作蔵は伊和奈が台所から茶請けにと持ってきた沢庵の5切れをぼりぼりと、口の中で噛み砕き、続けてあんパンを頬張った。
「息子に叱られた。ワシのために、きみたちが疲れることをするのは止めろとな」
「え?」と、作蔵は口を開いてあんパンの餡を溢した。
「どうした」
「いや、なんでもない」
首を横に振る作蔵を、男は苦笑いをしながら見ていた。
「作蔵は拍子抜けたのよ。おじさんに説教をすると、張り切っていたの」
「おいっ! バラすな」
作蔵は顔を真っ赤にさせて、右肘で伊和奈を小突く。
「はっはっはっ」と、男は高笑いをした。
「おっさん。言いにくいが、表面は“人の象”に戻っているが、中身そのものは“化け”のままだ。それは、承知だよな」
「ああ、ワシは“人”ではないうえに、罪も犯した」
「“捕り物”に連行。に、なる。おっさん、今から呼んでいいか?」
「“裁き”はわたしたちの“仕事”ではないの。依頼された“仕事”で悪事を働いた“モノ”を見つけたら“捕り物”に引き渡す。それが、わたしたちの“仕事”の決まり事なの」
「罪は、償う。今一度、息子に逢う。ワシは、決めている」
男は目を綴じて、息をひとつ吐くと静かに言うーー。
***
作蔵は“捕り物”を呼んだ。
“捕り物”が来る前にと、男は入浴を済ませ、身支度を整えていた。
男は箪笥から紺で縦縞のワイシャツと灰色のスラックスを取り出して、身に纏った。
「あら、新品?」
伊和奈は男が着るまっすぐと、皺がないワイシャツに目を凝らした。
「妻がワシに贈った。これを着て、息子を抱っこしてくれと、な」
「そうなんだ」
伊和奈は顔色を曇らせた。
「嬢ちゃん」
「何? おじさん」
「色々と、困らせた」
男はぽつりと、呟いた。
伊和奈は背中を向ける男を目で追った。男は玄関に向かって、靴箱から履き潰しただろうの、踵が摩りきれている泥塗れの紐靴を取り出して、土間に置く。
「おっさん」
男が玄関の戸を開くと、作蔵がいた。
男は無言で作蔵に一礼をすると、外で待機していた“捕り物”の同心が男の名と罪を確認する。
「はい」
男はひとつ返事をした。
作蔵は男と言葉を交わすこともなく、黙って男が“捕り物”に連れていかれる様子を見届けたーー。
***
作蔵は、文吉の貌と文吉を包んでいた“魂”を《花畑》に送る“仕事”を終わらせる。
あっさりと、している。と、作蔵の“仕事”を補助した伊和奈は作蔵に対してそんな感情を抱いた。
「やるべき事をやっただけだ」
伊和奈の心情を察したかのように、作蔵が声に怒りを混ぜている。聞く伊和奈は、身震いをした。
「帰るぞ」
作蔵は男の住まいを振り返ることなく、来た路に一本歯下駄の音を鳴らした。
伊和奈は、早歩きの作蔵に追い付こうと駆け足になっていた。
作蔵との距離が縮まらない。
“実体”がなかった頃は作蔵を追い抜くほど軽やかだったのに、形成が逆転している。
「待ってよ、作蔵」
息を何度も吐く伊和奈は、堪らず作蔵を呼び止めた。
「あ。悪い、伊和奈」
作蔵は苦笑いをして、足を止めたーー。
***
作蔵と伊和奈は帰宅した。
作蔵は四畳半にいた。今回の“仕事”を『記録』する為に、手付かず状態の荷が詰まる箱の上を机に見立て、筆記具とA4サイズの帳面を置いたと同時にだった。
「作蔵、邪魔っ!」
伊和奈が箒の柄の先で作蔵の背中を突いた。
「あんまりでは?」
「ごちゃついたままの部屋ではしっかりと『記録』は書けない。先ずは部屋を整える、ご飯もゆっくりと味わう。て、あんたがいつもしつこく口を突いていたじゃない」
作蔵は顎を突き出していた。
渋々と、帳面と筆記具を抱えて四畳半から立ち去ろうとしている作蔵に「冷蔵庫に美味しそうなおかずとおにぎりが詰まっているタッパが入っていたよ。作蔵が作ったの?」と、伊和奈が呼び止めた。
「店のおばさんが俺達の『朝ごはん』にと、持たせてくれた」
「は?」と、伊和奈は目蓋を大きく開いた。
「おまえを捜す途中、おばさんから貰ったのだ。家に引き返して、おまえと一緒に食べようと、とっておいた」
「……。ご飯にしようか?」
「ああ、牛乳も入っていただろう。伊和奈、おまえが飲め」
作蔵は伊和奈の手を引いて、台所へと向かったーー。
一方、その頃。
一羽の白い伝書鳩が、何の為に翼を広げて翔んでいたのかを忘れていた。
鳩は樹木の枝に止まっていた。
目の前にぶら下がる木の実を嘴に挟んで千切ると、ごくりと、喉を鳴らして飲み込んだ。




