金平糖は転がらない
作蔵が投げた、いや、打ち込んだひとつの球体は男に命中した。
球体が命中する前、男は人では生きていないと、作蔵に打ち明けていた。
作蔵は聞いていた。男が口を開く度に決まって突いていた“倅”という単語をだった。
作蔵は違和感を覚えた。
依頼主は『あの子』と、表現していた。目の前で昏倒している男はどう見ても中年。
伊和奈は腑に落ちなかった。
作蔵に打たせた蒼い球体に詰まっていたのは、声からすれば少年の貌。
貌は『父親』の訝しい行動に苦しんでいた。すなわち、今回作蔵の“器”を狙ったような行動を繰り返している『父親』に際悩んでいると伊和奈に打ち明けていた。
「作蔵」
「ああ、俺も気になっている」
作蔵は伊和奈も同じく不信感があると察した。
今回の“仕事”で遭遇したふたつの“モノ”が血縁関係だというのは間違いない。ただ、作蔵が請けた依頼では、さらに血縁関係の“モノ”がいることになる。
「作蔵。息子さんは、わたしには自分の最後の破片を『依頼』に詰めてあんたに送ったと、言っていたよ」
「依頼内容は『あの子』と、俺には聴こえた」
「と、いうことは?」
「まだ、断定は出来ない」
作蔵は鍋と笊、そして塵と埃が散乱している部屋の床にまだ昏倒している男の身体を抱えると、肩に担いだ。
「伊和奈、おっさんの部屋は?」
「え? たぶん、廊下の突き当たりにあると思う」
「運ぶから、おまえは“道具”を用意してくれ」
「わたし、手ぶらだよ。用意するならば、この家にあるので代用になるよ」
「十分だ。おっさんの思い出が詰まっているらしき資材を片っ端からかき集めてくれ」
「おっけい」
作蔵と伊和奈は廊下に出ると、それぞれの役割りへと行動を取った。
***
男の容姿は“人”になっていた。
男は作蔵によって部屋へと移動しても微動さえせずに眠っていた。
六畳の部屋で男は万年床ともいえる敷布団に横たわっていた。足の踏み場がないほど雑貨品が無造作に積み上がっており、天井からぶら下がっている照明灯の笠に煤と埃が被っている為なのか、点灯しても部屋全体がうっすらと暗かった。
作蔵の口から自然と溜息が吐かれてしまった。
男が貫いた信念、何故そこに至ったのか。
“人”としての生き方を捨てる程、男の中で何かがあった。作蔵が解るのは、そこまでだった。
伊和奈は男の屋敷の至るところから作蔵の言い付けである“道具”を集めた。そして、それらは横たわる男の身体に被せてたのであった。
「どれ」と、作蔵は右の肩の関節を前へ後ろへと回して、男に被さっている“道具”のひとつひとつに右の掌を翳した。
室内は、静まり返っていた。
伊和奈は物音を立てまいと、喉を鳴らすことさえ堪えていた。
作蔵は“道具”の何れかに男の深い思い入れがあると“鑑定の術”を発動させていた。掌に“術”の念を集中させ、反応を確かめるを繰り返していた。
“道具”の種類と形はさまざまで、ブリキのバケツ、賞味期限が10年前のホアイトアスパラガスの缶詰。将棋盤に囲碁の石、アクリル製の兎の置き物。他の“道具”を含めて作蔵は、険相しながらひとつひとつを鑑定した。
伊和奈がこっちを「じろり」と、睨んでいる。
伊和奈が言いたいことは解る。何故ならば伊和奈が“道具”として集めた品々がまるでがらくたのようだからだ。
ーーあんた、後で麺棒で伸ばしてあげる。
伊和奈はたぶん、声に出さないで言っていた。悍ましい目つきの伊和奈がそんな風に言っていたようだった。
作蔵、まだなの? 見つけてくれないと、こっちがうどんの麺か餃子の皮にされてしまいかねない。
「見つけたっ! 伊和奈、援護を頼む」
作蔵は目蓋を大きく開き、息をひとつ吐く。
伊和奈はこくりと、首を縦に振ると作蔵の背中へと歩み寄り、腰に装着している巾着袋を握って綴じ口を開く。
視線を“道具”に向けたままの、作蔵の左の掌が差し出されていた。伊和奈は巾着袋を作蔵の左の掌に被せる。
作蔵は巾着袋の底を握り締め、体勢を変えることなく“道具”に右の掌を翳し続けた。
「う」と、作蔵は時々呻きながらも行動を続けた。
作蔵の後ろにいる伊和奈は堪らず手を添えようとするが「待て、もう少しだ」と、叫ぶ作蔵に振り切られた。
「よしっ! 繋がった」
作蔵は“道具”に右の掌を翳すを止めた。
「作蔵」
伊和奈は青ざめた顔色で唇を震わせた。
「面倒くさい一家だよ。事をややっこしくさせたのはーー」
作蔵が先程まで“術”を向けていた“道具”が男の身体から離れて、部屋の宙に浮かぶ。
ーー子を想う、私もわかります。子の子を何としてでも救いたい。だから、私は包む役目を自ら担った。
“道具”は形を変えて、言葉を紡いだ。作蔵と伊和奈はじっとして、紡がれた言葉に耳を澄ませた。
「おっさんは気付いていない。あんたが、おっさんの子供をラッピングしていたことにな」
作蔵は、容姿が初老の女性の透き通る“象”を見上げていた。
「おじさんの息子さんはあなたのことを『破片』とわたしに言った。あなたの、おじさんの息子さんを包んでいた役目はとても苦しかった筈よ」
伊和奈は目頭を指先で擦り、鼻を啜っていた。
ーーはい、お嬢さんのおっしゃる通りです。でも、文吉は私のたったひとりの孫でもあるのです。
「『文吉』て、おじさんの息子さんの名前?」
ーーはい、そうです。息子が名を付けました。
「婆ちゃん。話しを遮ってすまないが、おっさんが“人”で生きなくなった原因を教えてくれ」
ーーはい……。
“象”は静かに頷いたーー。
***
嫁は文吉に乳を飲ませることなく《花畑》に連れていかれました。たぶん、息子が最初に“怨”を抱いた出来事でしょう。私は息子に、息子が文吉と名付けた子を育てるを糧に生きてほしいと、只管宥めました。
時は流れ、文吉はすくすくと育ちました。愛くるしい仕草、思いやりの振舞い。私は、息子と一緒に文吉の成長を見守りました。
しかし、その日は突然訪れました。
文吉が《花畑》に連れていかれると、息子は知ってしまった。
それからです。息子は夜な夜な何処かへと彷徨うようになりました。
変わり果てる息子、日に日に弱々しくなる文吉。私はどっち付かずの、揺れる思いでした。
私は、決めました。
そう、文吉が《花畑》に連れていかれない方法を求める選択をしました。
ーー“芯”は地上にとどまる。だが、良いのか? お主のすべては『奴』にはなかったことになるのだぞ。
ーー構いません。
ーー『奴』までは止められない。お主は『奴』の事の行く末を口に指を咥えて見るのみだ。
ーー急いでください。
“声”は最後の最後まで、私に忠告をしました。
そして、私は文吉の“芯”を私の魂で包み、息子の“化け”を見ることを選びましたーー。
***
伊和奈は嗚咽していた。作蔵は伊和奈を胸板に押し込んで、伊和奈が目から溢す涙を着込む紅い丸ぐりの、ティーシャツの生地に吸いとらせた。
「おっさんの暴走を止める。意見は、おっさんの子供と一致していた」
ーーはい。
「しかし『依頼』は婆ちゃんそのものでは出来なかった。そこで思いついたのは、おっさんの子供をラッピングしていたあんたを、おっさんの子供に細々と千切って貰うことだった。あんたの『依頼』として、破片を俺へと飛ばした」
ーー文吉は、文吉は……。
象は声を詰まらせていた。言葉を紡ぐを続かせることが出来ずに、何度も噎せていた。
「あとは言うのに面倒臭いし、言うだけ腹が減る。婆ちゃん、あんたは孫とスタンバっとくのだ」
ーーどういうことですか?
「あんたらは《花畑》に行く準備をして待つ。おっさんには、俺がみっちりと説教をぶっかます」
作蔵には見えていた。
深々と頭を下げる、宙に浮かぶ象が元の“道具”の形になるが、見えていた。
作蔵は、落下する“道具”を右手で受け止める。
「ただ、甘ければいいってものではないよな」
作蔵は、掌の上に乗る蒼の金平糖を見つめながら溜息を吐いたーー。




