3 新入社員 (SIDE:哲郎)
少し物語の時期が戻ります。
三月中旬。今の時期はどこの部署も忙しい。猫の手も借りたいほどだ。現実は猫の手なんて借りてもどうしようもないが。
俺の名前は鴻哲郎。仰々しい見た目の名前だが、ごく普通の一般家庭の次男坊で上に兄と姉が一人ずつ、紀州犬と祖父母と両親と共に暮らしている。
上の兄姉達は共に結婚して家を出ている。俺は自宅から通える高専へ進学してそのまま就職。スポーツ用品を扱う会社のシステム開発課に勤務している。
一人暮らしも経験してみたかったがついぞ機会が訪れないまま現在に至る、今年二十五歳になる独身。
結婚はできるものならしたいと考えてはいるが、学校を卒業した後はめっきり女に縁が無いので半ば諦めている。
社内はともかく同じ課内には男しかいない上に課長以外はどいつもこいつも女の知り合いがいない連中揃いで、しかもうちの部署だけフレックスタイム制な上に業務時間中はほぼ室内に籠もりきりになる環境下では、社内恋愛でさえ期待できない。
同じ建物内に女性社員は全社員数の三~四割はいるはずなのに、半月くらい家族以外の女の顔を見ないなんてこともザラだ。
しかも上の一部ではそろそろコスト削減のために社内LANを廃止してクラウド化した方が良いのでは、なんて意見も出始めているとか。
そうなると、俺達システム開発課所属の社員はどうなるのか。まさかリストラ? 冗談じゃない。
これまで安い手当で割に合わない残業・休日出勤して、散々身内のワガママ聞いて文句も言わずに縁の下の力持ちをやって来たのにコスト削減なんて言葉で切られたら、これまでの努力・尽力は水の泡だ。
現在うちの会社で利用しているタブレットを使った商品カタログを兼ねた発注システムは、俺が中心となって設計、プログラミングしたものだ。
デザインはあまり自信がなかったので、年齢は二つ上だが同期の石田に頼んだけれど、我ながらかなり出来が良いと自画自賛している。
最近クラウド化が話題になっているからか、クラウド化すれば経費削減になるのだろうとか言い出す連中はわかってない。
全国展開している大企業ならともかく、我が社のように小さなところはクラウド化するメリットよりデメリットの方が大きい。
うちのLANは一部を除いて有線で組んでいるけど、自社ビルを建てる際に床下にケーブルを通せるように全ての部屋が上げ底になっている。
そのため敷かれている絨毯もところどころ切れ目が入っていて、マジックテープで着脱できるようになっている。
壁に穴を空けることなく複数の部屋をまたいでケーブルを引いてハブで繋ぎ、全フロアにネットワークを構築し、管理している。
自社で全てのシステムやサーバを管理し、定期的にログを確認しバックアップもこまめに取っているから、いざという時の復旧や対処も早い。外部委託ではこうはいかない。
幸い課長が有能なおかげで彼が健在な限りは滅多なことにはなりそうにないが、たいした知識もなく専門外のところを弄ろうとしてくる上役には、頭が痛くなる。
相手は良かれと思って現状をきちんと認識せずに思い付きで軽々しく言動してくるので、余計にたちが悪い。
しかもこちらが懇切丁寧に説明しても理解できないので、ざっくりわかりやすく翻訳するのに苦労する羽目になる。
本来の職務ではないから理解できないという点をとりたてて批難するつもりはないが、わからないなら理解する努力もしないのならば、最初から手を出そうとしないで欲しいと思ってしまう。
重役陣のための会議資料を作るために遅くまで残業する羽目になったことは、たぶん一生忘れない。本来なら必要のない仕事だったのにと恨めしく思うのは、仕方ないと思いたい。
同僚・後輩達をこんなバカバカしい仕事に巻き込むのは忍びないと自分一人で作業したから、恨みもひとしおだ。
それについては自業自得だという見方もあるだろうが、俺も人間、相手が雲の上の存在だろうと恨みを向ける対象がいれば、恨みたくなるのは自然なことだと思う。
同じ社内でもシステム開発課だけ別の企業のような勤務形態・状況で、必要とされるスキルも異なるため、うちはいつも人員不足に喘いでいる。
来期入社予定の新人として、我が社が内定通知を出したのは二十余名。その内三月二十六日から始まる新入社員研修へ申し込みを申請したのは十九名。
申し込みしなかった学生達は、我が社の内定を正式に辞退、あるいは他社の結果等を踏まえてから入社するか否かを検討するつもりなのだろう。
総務部の同僚が、システム開発課への資料や書類などを手渡しついでにそういう話を聞かせてくれた。
「それで新規に追加するアカウントは十九個で良いのか? 田上」
そう尋ねると、田上は顎を擦りながらうなる。
「あ~、それについてはまだ確定じゃないから、後日改めて連絡する。最悪メール連絡でもかまわないか、鴻」
「それはかまわないけど、四月二日か三日朝までに人数分のPCも用意するんだろう。大丈夫なのか?」
現時点で二週間ちょっとしか余裕がない。こんなギリギリでどうにかなるのか。俺は最悪早出や休日出勤すれば間に合わせられるが、総務はもっと多忙なはずだ。
「う~ん、まぁ、こればかりは僕らの裁量でどうにかなるわけじゃないからなぁ。最悪は総務部全員と法務や秘書や広報の連中もかき集めて、お前のところにも応援頼むことになるかもしれない」
「システム開発課で肉体労働向きなのは俺と課長くらいだが、出来ることであれば協力する。どうせPCを設置したら、設定とかやらなきゃいけないことは色々あるしな」
「さすが! 助かるぅ、鴻く~ん」
素っ頓狂な男の裏声とか誰得だ。
「気持ち悪い声を出すな。……ところで田上、来期はうちの課にも人員は貰えるのか? いい加減猫の手でも借りたいくらいなんだが。
辞めるやつはいても代わりの補充はないと来れば、状況は悪くなるばかりで二進も三進も行かなくなって、ジリ貧だ。
できれば最低限のプログラミング知識があって、体力と筋力がそこそこあって、忍耐強くて心身共に健康で、なるべく頑丈な元気で若いやつが欲しい」
「鴻ぃ、お前それ、十分贅沢言ってる自覚あるぅ? プログラミングの知識があろうがなかろうが、そういうやつがいたらどこの部署でも引っ張りだこだよ。
そんなやつがいたら、総務にも欲しいよ。賢くなくても物覚えが多少悪くても、多少きつめにしごいても壊れずへこたれず真面目に頑張ってくれる可愛い後輩が是非とも欲しい!」
「田上、お前一次と二次の面接同席したんだろう、良いのいなかったのか?」
「そりゃいないこともなかったけど、ほら、そういうのは本決定するまでのお楽しみってやつだろ。どうしても聞きたいならお前の上司に直接聞けば良いじゃないか」
「あの鉄面皮の堅物課長がそうそう簡単に口を割るものか。だから漏らしてくれそうなお前に聞いているんだろう、それくらい察しろ」
「いや~ん、鴻くんったら無茶ぶり~っ! シゲちゃん困っちゃう~」
両手で自分の身体を抱きしめ内股で気持ち悪くクネクネ踊る同僚に、白い目を向けざるを得ない。
「うるさい、通路で騒ぐな、人迷惑だ。ウザイ上に気持ち悪い。視覚の暴力、害悪だ」
「あははっ、相変わらず毒舌キツ~イ! あのさぁ、鴻、一つ同期の僕からのアドバイス。可愛い後輩には優しく接してやれ。逃げられないよう相手に気付かれないよう、周到に囲い込んで可愛がれ。
そしたらきっと良いことあるよ~。できれば皆Win-Winな関係築きたいじゃない? 皆で幸せになろうよ、その方が人生楽しいだろ」
「は?」
思わず眉間に皺を寄せて聞き返すと、田上はとぼけ顔で踊るようなステップで歩みつつも時折クルッとターンしながら、エレベーターホールへと移動し始める。
「鴻はただでさえコワモテで2m超すガチムチなんだから、愛想くらい良くしろって言ってるの~。あと入社式には髭を剃るのと普通のスーツにネクタイは忘れずに~っ!
じゃないとヤのつく人かチンピラまがいの夜の稼業な人に見られちゃうから、清潔感は大切に~。これ僕からのお願いだからよろしく~」
暫く言われた意味を考えていたが、田上の姿が見えなくなってから、ようやく気付いた。
「つまり、来期はうちに新人が来るのか」
思わずニンマリ笑みを浮かべた。そこへタバコ休憩に行っていた石田が戻ってきた。
「どうしたんだ、鴻、悪い笑みを浮かべて。また何か企んでいるのか?」
「は? 人聞き悪いことを言うな。俺がいつそんなことをした」
眉をひそめて詰問すると、石田は大仰に肩をすくめた。
「だって鴻、ただでさえ威圧感ある体格と面構えなのに、その笑顔と来たら魔王様呼ばわりされても仕方ないだろう。その邪悪な笑い方は誤解を招いても仕方ない」
「はぁ? 邪悪だと?」
魔王だなんだというのも心外だが、俺の笑顔は邪悪だというのか? 冗談じゃない。
「普通、笑顔って目元とか顔の筋肉が緩むものだと思うけど、鴻の場合、唇が笑っていても目が笑ってないから。
緩むどころかむしろランランギラギラしているからヤバい。素の状態を知らなかったらチビるレベル」
なんだそれ、そんなに凶悪な顔してるのか。それってどのくらいヤバイんだ。
「……それって何も知らない新入社員が見たら、どう感じると思う?」
「んー、たぶん喧嘩売られてるとか嫌われてるとか威圧されてるとか勘違いするかもしれない?」
首を傾げて答える石田に、深々と溜息をついた。
「なんで疑問系なんだよ」
「やー、だってオレはもう慣れたし」
「邪悪だのなんだの抜かしておいて、良く言うな」
「無精しているだけだとは思うけど、そのもみあげと繋がって見えるむさ苦しい顎髭はどうにかしておいたら? それがあると口の動きが読みづらいから、余計恐い顔に見える」
「……田上にもさっき入社式には髭を剃れと言われた」
俺がそう言うと、石田は笑みを浮かべた。
「へぇ、ようやくうちにも新人来るんだ。そりゃ良かった。先のがようやく使えるようになってきたところだから、ちょうどタイミングも良いんじゃない?
鴻が面倒見るんだろう? 子守と教育、頑張ってくれ」
他人事のように言われて、思わず睨み付けた。
「おい、課長の指示もないのに勝手に決めるな。それにまだ確定じゃない。だいたいどうして俺が面倒見ると決めつけてるんだ。お前とか浦谷先輩とか崎村とか加野上とか、他にもいるだろう?」
「だってお前が一番面倒見良いし、勝手のわからない新人に教えるのも得意だろう? それに相手が困ったチャンでも、どうしようもないバカでもお前ならどうにかできる。
よほどのバカじゃない限りお前に逆らおうだなんて考えやしないからな」
「……面倒そうなことは全部俺に押し付ければ済むとか考えてないか?」
「大丈夫、鴻ならできる。オレは人見知りで知らないやつと会話するの苦手だし、教育係とか絶対無理だから。仕事で必要なら協力はするけど、新人のお守りとかは期待するなよ」
「お前の方が俺よりずっと器用で、色々教えてやれることも多いだろうが。なんで最初から逃げ腰なんだよ、石田」
「いやいや、オレのはただの器用貧乏だから。なんでもそれなりにはできてもそこそこ止まりだから。人に教えられるような技術も技能もないから期待しないでくれ。
誰にでもできるようなことしか出来ないから。オレは自分のことで手一杯だから、絶対無理」
「何言ってるんだ、石田。謙遜も過ぎれば厭味だぞ」
「嫌だ。知らない赤の他人なんかと会話するくらいなら無断欠勤する」
真顔で言い切る石田に、ガックリと肩を落とした。
「くっそ、お前、それはないだろう。頼むから無断欠勤とかやめろよな。それやったら家までカチコミに行くぞ」
「その表現はやくざだな。何も知らない新人の前では使うなよ、それ」
石田のドン引きするような顔に、イラッとくる。
「お前が言うな! 俺の瞳が黒い内は、絶対お前に無断欠勤とかさせないからな」
「風邪とかで熱出した時くらいは許して欲しい」
「そういう時は連絡しろ! 無断欠勤はするなと言ってるんだ!」
「怒った鴻、恐すぎる。悪鬼、悪魔、魔王様と言われても仕方がない顔面だ」
「なに石田、お前、俺に喧嘩売ってるのか? 遊んで欲しいなら、心行くまで遊んでやっても良いぞ。ご希望なら、お前の心が折れるまで付き合ってやる」
「冗談だって。オレがお前に喧嘩なんて売るはずがないだろう。そろそろ仕事に戻らないか、鴻。やること色々あるだろう?」
突然真面目なことを言い出す石田を睨み付けるが、素知らぬ顔で部屋へ入って行った。舌打ちしながら後を追う。
「苦手だからやりたくないからと逃げていれば、いつまで経っても出来ないままだぞ、石田。お前には向上心とか意欲とかないのか?」
「何を言われてもやりたくないことは、絶対やりたくないでーす。無理なものは絶対無理でーす」
しらっとした顔で言う石田に、溜息をつくしかない。
「わかった、もういい。でも、俺に言っても仕方がないぞ」
諦めてそう告げた俺に、石田はニヤリと笑った。
「安心してくれ、そんなことをオレに言うのは鴻だけだから。他のやつは皆わかってるから。オレが責任持たされそうなことを押し付けられそうになったら、真っ先に逃げるって」
……それで良いのか、石田。っていうか室内にいた他の連中も全く興味なさげだな。ピクリとも反応しない。我関せずと言わんばかりだ。
なんでこう、協調性のない連中ばかりなんだ。頼まれない限りは他人の仕事など手伝わないし、頼まれても嫌だと思えばこちらが諦めるまで全力で逃げ回る。
どいつもこいつもやればできるのに、何故自発的には動かないのか。具体的に何をどうしたいのか尋ねてみれば即座に反応するのに、己の裁量で好きにやれと言われると困るらしい。
一応それでもやれと言われれば重い腰を上げて動く者もいるが、でもでもだってと理屈を捏ねたり頷いてみせはするけど何もしなかったりする者もいる。
まぁ、それでも最悪課長が動けば何とか回るようになるから、どうにかなっているわけだが。
俺はこれでも年齢だけならここの最年少の筈なんだが、そんな俺がどうして先輩後輩まとめて仕切ったり発破掛ける役割になっているのか。
総務からの資料や書類を各自に配達したり、棚にしまったりしながら、ぼんやり思う。
だいたいこういう作業もその時手の空いた人間がやれば良いのだが、俺の不在時以外は大抵俺がやっている。
なるほど、なるべく自分の仕事を増やしたくないと考えている連中が、新人教育なんて面倒で手間と時間の掛かることを自発的にやりたがる筈がない。
でも、俺だって出来ることならやりたくないんだが。
だが、口に出して言っても無駄なんだろうなぁ。……仕方ない、腹を決めるか。
時間は有限だ。空いた時間にでも、ざっくりとした業務説明とルーティンワークを簡単なマニュアルにまとめておくか。
突発で飛び込んで来る仕事もあるけど、そういった仕事を新人に回すことはまずないし、これだけは確実に覚えて欲しいことだけにしておこう。
願わくば、今度の新入りは、自分のすべきことを自発的に見つけて動いてくれる人材だと有り難い。
多くは望まないが。