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2 入社式2 (SIDE:澪)

「ねぇ、さっき目が合ったよね? どうして気付かないフリをするの?」


 さすがにしつこい。もういっそ殴るか──そう考えて拳を強く握りしめた時。


「……高坂(こうさか)先輩、そこまでにして下さい」


 良く響く低音。振り返った先には、チャラ男先輩の肩を掴み壁側に押し寄せ軽く睨み付ける熊がいた。


 ヒグマだ。いや、ヒグマのオスの成獣にしては少し小柄だ。だけどツキノワグマより大きい。体長は二m十cm程だろうか。あれ、でも、ヒグマにしては体毛が薄い。脂肪も筋肉も足りてない。

 違う、人間だ。歌舞伎役者か昔の時代劇に出て来そうな男前、年配の女性はともかく若い女性にとっては、あまり受けがよろしくなさそうな迫力のある男性的な顔立ちと体躯。


 ワンダーフォーゲル部よりも山岳部にいそうなタイプ。肩幅もすごいが、上腕などは私の太腿くらいの太さで、決して太ってはいないのに3Lから4L以上は確実にあるだろうことが見て取れる。

 ブルーグレーのスーツ越しに、筋肉がミッシリとはち切れそうに詰まっている。


 はて、見覚えはない気がするけど、どこかでちらっと見掛けたような記憶がうっすらある。

 たぶんここにいるということは同じ社員で、見覚えはないから同期入社の新人ではなくおそらくは先輩なのだろうけど、いやでも、なんかこう、圧迫感というか威圧感というか、ラスボス的なオーラを感じる、一目見たらインパクト強すぎて忘れられなさそうな人だ。


 体格や大きさはともかくめったなことでは人の顔というものを記憶できない私が覚えているということは、ここ数日間で見たのだろう。

 しかし直接にではない。そしてたぶん全身ではなくバストショットか、首から上だけ見たのだろう。たぶんきっと一瞬だけ。


 となると、研修期間後半だ。そういえば四日目は各部署の紹介VTR的な映像を大量に見せられた。あの中にきっとこの人も含まれていたのだろう。思い出せないけど。

 まぁ、これ以上は考えるだけ無駄だ。思い出せないなら仕方がない。犯罪者や不審人物ではないなら、問題ない。


 っていうかあれ、もしかして、これは助けて貰ったのだろうか?

 そうなると、お礼を言った方が良い? いやでも、それだとわざと無視していたのがバレるか。もう既にバレている気もするが、それを認めるのと認めないのでは大違いだ。

 先輩に声を掛けられたのにガン無視とか、謝れとか言われたら困る。


「高坂先輩、今は業務時間中です。ナンパがしたければ、時間外に社外で行って下さい。あと、今は新入社員のために総務部他の多くの社員が多くの時間と労力を掛けて準備した、記念すべき入社式です。

 あなたにとっては年中行事の一つかもしれませんが、そうではない者もいることを念頭に置いて、軽はずみな言動で周囲に迷惑を掛けぬよう、先達として我が社の規範となるよう心掛けていただきたい」


 立て板に水とばかりにスラスラと流れるようにそれでいて気迫の籠もった、忠告というには少しばかり気合いの入った諌言だ。


 正論、なのだろう。しかし言葉の裏に「うるさい、黙れ、静かにしろ。式の邪魔をするな、ざけんなゴラァ」と言わんばかりの迫力が見え隠れしている。


「……何だお前、急に出て来て偉そうに……っ、『システム開発課』の(おおとり)か。お前に先輩と呼ばれる筋合いはない」


 チャラ男がイラッとした顔と口調でそう言い返すと、熊男は真顔で答える。


「所属する部署は異なるとはいえ一応キャリアは一年上ですし、年齢的には自分より三つ上ですから先輩で間違いはない筈ですが、『第二営業課』の期待の星、高坂先輩(・・・・)


「わかっているなら話は早い。そもそもシステム開発課ごときに指図されるいわれはない。お前らは指示されたことをやって、俺達営業を影ながら支えるのが職務だろう?

 だいたい、入社式にお前らのやる仕事なんて無いはずだ。それとも何か? その無駄に大きい肉体を使って雑用するために借り出されたのか?」


 チャラ男が噛み付くと、熊男は無言でチャラ男の両肩に手を置き引き掴み、笑わない目でニンマリと恫喝するように笑った。


「……どうやらお疲れのようですね、先輩。ちょっと休憩しましょう」


 問答無用とばかりにそう宣告すると、そのまま力業でチャラ男を会場出入り口のドアへと向かって押し進める。

 チャラ男は慌てて抵抗しようとするが隙を見て担ぎ上げられてしまい、そのまま俵運びで運ばれて行った。

 誰かに誰何されても「どうやら熱中症みたいで」などと誤魔化して、会場外へ連れ出してしまった。


 ……良くわからないけど、すごかった。

 チャラ男の身長は目算で百七十二か三cmくらいはあった筈だけど、あれを軽々持てるなら、会場設営とかには超・強力な助っ人だろうなと思う。


 司会進行役の人は、そんなことが会場の後ろの方であっても気付かなかったのか、無視したのか、淡々と祝辞を読み上げ続けている。

 さすがに私のいる周辺や、後ろの方でその光景を目撃した人達はざわざわしているけど、式はプログラム通りに進行していく。


 予定通り、十一時半から入社辞令授与が始まった。新入社員十九名分の名前があいうえお順に呼ばれていく。

 私は音無だから三番目に呼ばれて、壇上に上がる。流れ的には卒業式みたいだなと思いつつ、辞令書を受け取った。

 配属先は「システム開発課」となっていた。それを見てつい先程のことを思い出して、うわぁと一瞬思ってしまった。


 どこの部署でも良いと思っていたのは事実だ。システム開発課という部署に思うところは特にない。

 ただまぁ、先程のチャラ男の言動で、その部署をこき下ろしバカにする輩が同じ社内に存在するのかと思うと、うわぁという感想になってしまう。


 熊男も、圧しが強くて厭味っぽくて強面ガチムチで癖はありそうだけど、たぶんきっと悪い人ではないだろうし、変に係わり合いにならなければ問題ない、よね。

 第一印象からすると、苦手なタイプだけど。ああ、どうか同僚・先輩に女性がいますように。頼りになる女性の先輩がいてくれれば良いのだけど。


 どうしよう、なんだかすごく嫌な予感がする。

 それと、システム開発っていったい何をする部署なんだろう。研修で説明されてた筈だけど、全く記憶にない。どうしよう。家に帰ったら、音声記録、聞き返さなきゃ。

 いくつかの部署についてはメモ取ったけど、システム開発課って何か書いたかな。

 ちゃんと聞いてたと思うけど、記憶が薄い。……たぶんVTRを見た筈だ、確か四日目。


 ……そうだ、確か男の人ばっかりで……アットホームで仲良さげな雰囲気で……そこに映っていた人達は皆、笑っていた。


 そう、あの熊男も。同じ課の誰よりも長身で大柄で筋肉質で、スーツではなくもっとラフな作業着っぽいジャケットとTシャツに、カーゴパンツ姿で。

 他に映っていた人達も、パーカーやトレーナーやジャージを着ていたり、ジーンズを穿いていたりして、他の部署とは全然違う空気だった。


 室内にはPCのディスプレイやキーボードがずらりと並んでいて、壁面には書庫や書棚が所狭しと並んでいて、他の部署にはあった壁掛け時計がどこにもなかった。

 入口側から見た部屋の右奥には八畳ほどの、腰から上部分がガラスとアルミサッシで囲まれたコンピューターだらけの部屋があって、そんな狭い部屋なのに空調機が稼働していて、なのに中に人がいない。

 いくつかあるディスプレイには、絶え間なくアルファベットらしき文字が流れていて、部屋の中央付近に小型冷蔵庫サイズの大きなプリンターが設置されてあり、紙を吐き出している。


 ──そういった奇妙な光景を、不意に思い出した。


 なるほど。つまり、そういった見慣れない風景を見て、その直前に見たものはうっかり忘れてしまった、ということなのだろう。


 いや、記憶にはある。あるけどその光景がついさっきは結びつかなかった。何故か。


 それは熊男の服装が全然違っていたのと、何よりも口の周りをぐるりと囲み顎のラインをすっかり隠しもみあげまで繋がるような濃い無精髭がなくなっていたからだ。

 あと、あのVTRで見せていた仲間を見つめる仙人のような優しい表情が欠片もなかったからだ。


 うわぁ。


 私は絶望した。あの部署、女性が一人もいなかった。男しか映ってなかった。どう見ても男の世界って感じで、あそこに女が入って良い雰囲気じゃなかった。

 そういうのは覚えがある。私が卒業する前までいた大学のゼミ、その研究室で、合宿・遠征地で、何度も経験し、味わった。


 女を捨てた女は許容して貰える。だけど、女を振りまく女は拒絶とまではいかないものの、遠巻きにされる微妙な空気。

 セクハラされてうじうじ泣くような女は許容されない。だったら帰れよ、みたいな空気になっても、誰も何も口には出さない。


 うわぁ、失敗した。


 就職するためには必要なのだと思って、頑張ったのに。

 こうしなければどこにも雇っては貰えないのだと、覚悟したのに。


 さっそく化けの皮が剥がれそうだよ、小夜。ねぇ、この皮、いつまで被っていれば良いのかな?

 どうにもならなくなる限界までは被ってた方が良い? こういう場合、どう擬態すれば良いのかな。

 ははは、引きつり笑いを浮かべそう。


 これから記念写真撮影して小休憩取ったら、各部署ごとに別のテーブルについて、上司や会場に来ている先輩とオリエンテーション、その後、立食式の懇親会だって。


 さて、どんな私を演じるべきかな。どういう人間が期待されているだろう。素のままの私じゃ面接通らなかったのだから、そのままではいけないことはわかる。

 でも、小夜の指導の下、練習したカマトトぶりっこキャラは使えない。清純派? 地味系清楚? ケガレてない清らかな聖女キャラ? 何ソレおいしいの?


 いや、どう考えても無理だったよ。私の性格・人格的にも色々無理があったよ。できないことはやっぱり逆立ちしたってできないことがわかったよ。

 ほら、一生懸命シミュレーションして演技指導つけて貰ってもどうにもならないことってあるよね。


 似合わないキャラ演じるとか、最初から無理ゲーだったんだ。藤○詩織にはなれなかったよ。いや、そんなものにはなれないのは、明白だったけど。

 どうしたら良いかな。どうすれば良いだろう。

 やっぱり私に『老若男女含め誰とも敵対しない、普通に可愛くて万民に優しい男受けの良い女の子』なんて擬態できる筈がなかったんだ。


 ああ、もう逃げたい。どこか遠くへ行きたい。……駄目だろうか。

 これ以上ボロを出す前に、一刻も早く終わって欲しい。すぐさま小夜に連絡取りたい。作戦会議を開かねば。

 全く想定外の事態だ。味方にすべき年上女性が一人もいないなんて! 会社の施設案内、システム開発課ってどこにあったっけ?


 ああ、確認しなきゃいけないことが山ほどある。オリエンテーションとか懇親会とか、もういいよ。

 うう、でも、ここで早退しますとか許されるかな? 小夜にも最初の挨拶だけはキッチリやれと厳命されてるし、頑張って愛想笑いを浮かべて、真面目な良い子キャラで頑張ろう。


 今日、この時ばかりは考えていることが顔に出にくい無表情キャラで良かった! 頑張って作らないと無表情のままだから、なんとか落ち着いて笑顔になろう。

 満面の笑みとかは無理だけど、モナリザ系の微笑み顔、アルカイック・スマイルならいっぱい練習した。


 顔の筋肉を動かすのは、意外と結構大変だ。鏡の前で何度も何度も練習して、不自然でない程度に笑えるようになった。

 手足だけでなく顔の筋肉だって、毎日ちゃんと動かさないと、思うようには動かないらしい。


 案内された席には、システム開発課の課長だという菩薩様をそのまま人間にしたような男性──とはいえさすがに髪型は普通にツーブロックの短髪だ──と、先程の熊男が待っていた。


 菩薩擬人化課長はこれぞアルカイック・スマイルの真骨頂と言わんばかりの表情でゆったりとたたずみ、熊男は何を考えているのかわからない目でこちらをじっと見つめている。


 なんだろう、ちょっと恐いんだけど。


「……はじめまして、音無澪(おとなしみお)です」


 席に座る前に、立ったまま挨拶し礼をする。


「システム開発課課長の小清水(こしみず)宗生(むねお)です」


 そう言って菩薩様が立ち上がり、美しい所作で礼をする。……姿勢が良すぎる。指先にまで神経の入ったお手本になりそうなお辞儀である。

 ご尊顔に負けず劣らずの有り難くも神々しいバリトンボイスに、この人が祝詞読んだら還暦過ぎた女性の方々が泣いて喜びそう、などと考えてしまった。


「同じくシステム開発課所属の(おおとり)哲郎(てつろう)です」


 熊男も立って礼をする。こっちは普通だ。ちょっと安心した。


「鴻くんは、音無さんの教育係になる予定です。わからないことがあれば、聞いて下さい。彼に聞けないことで何かあれば、わたしに話して下さい。

 あと、必要になるかどうかはわかりませんが、いじめやセクハラ・パラハラなど同じ部署の人間には相談しにくいことがあれば、総務の田上(たがみ)くんか長瀬(ながせ)さんに相談すると良いでしょう。

 田上くんは本日の司会役で、長瀬さんは総務部内で部課長を除いて一番のベテランです。きっと頼りになるでしょう」


 笑っているのか、真顔なのか判別しづらい顔で言う菩薩課長に、熊男が渋面になった。


「ちょっと、課長。その言い方じゃ俺がいじめやセクハラ・パラハラやらかすのかと勘違いされそうだ。もう少し、言い方に気を付けて貰えませんか」


 そう言われても微塵も揺らがない笑顔で、菩薩課長はおごそかに答える。


「大丈夫です、鴻くん。わたしは君を信頼しています。君が無愛想かつ不器用で、他の部署の人達から『システム課の主』だの『第六天魔王様』だの『山から降りてきた熊』だの噂されていても、理由なく人に理不尽な振る舞いはしないと信じています。

 音無さん、彼はこんな恐い顔をしていますが、怒っているわけではなく素の顔なので、恐がらずに普通に接してあげて下さい。

 こう見えても面倒見が良く、頼まれ事を嫌と言えないお人好しなところがある好青年なので、多少口が悪くとも、言動が荒くても、顔が恐くても、許してあげて下さい。

 しかし、どうしても無理そうなら早めに言って下さい。他に教育係をやってくれそうな人を口説き落とさなくてはいけませんから」


「ぶっちゃけすぎだろ、課長」


 チッと舌打ちする熊男に、やれやれと言わんばかりに菩薩課長が首を左右に振る。


「折角わたしがフォローしてあげたのに、そういう態度はいけませんよ、鴻くん。ただでさえ勘違いされやすいのですから、言動には気を付けて下さい。

 先程、第二営業課からクレームが来ましたよ。『そちらの勘違いでしょう』と返しておきましたが、火のない所に煙は立たないと言いますからね、後は自分でなんとかして下さい」


「……俺のせいかよ。入社式の最中にナンパして女を口説くのはアリなんですか、課長」


「業務時間中に業務に支障が出そうなことをするのはいけませんね。そういうことであれば、後ほど抗議しておきましょう」


 あっ、さっきのことか。


「……有り難うございます」


 私が深々と頭を下げると、菩薩課長は一瞬、不思議そうに首を傾げた。


「課長、口説かれていたのは音無さんです」


 補足するように熊男が言うと、菩薩課長は「ほう」と呟き、頷いた。


「わかりました。今後同様の事がないよう、厳重に抗議しておきます。それでよろしいですか、音無さん」


「はい、心より感謝いたします」


 私がそう言ってまた礼をすると、ふむと頷いた。


「……鴻くん、そういうことなら事前に伝えて下さい。こういったことは時間を置けばおくほど厄介ですから。余計な話が広がる前に対処するには、速やかに的確な報告が必要です」


「申し訳ありません、課長」


 熊男が即座に頭を下げて謝罪した。


「少し、席を外します。すぐ戻りますがそれまでの間、簡単にシステム開発課について説明してあげて下さい」


「了解です」


 菩薩課長がそう言って、会場の奥の方へ歩いて行く。その背中を見送っていると、熊男に声を掛けられる。


「そろそろ席に着こうか、音無さん」


 そう言われて、慌てて椅子に座った。熊男は何故か照れ笑いしている。


「余計なことをしたかと思ったけど、そうでなくて良かった」


 はて、何の話だろう?


「さっきの、営業の高坂先輩の件。その、あの人結構モテる人だし、もしかしたら邪魔したのは俺の方だったかとも思っていたから。式とか周囲の邪魔になりそうだから、間に入ったけど」


 ああ、なるほど。


「いえ、その節は有り難うございました。お礼を言うのが遅れてすみません。係わり合いになりたくなくて無視したのですが、空気を読んではくれない人だったみたいで、助かりました」


 私がそう言って頭を下げると、熊男は奇妙な表情になった。


「……えっと、音無さんって、おとなしそうに見えて結構毒舌?」


 あれ、どこでそう思ったんだろう。失敗した?

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