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15 好き(SIDE:澪)

 店の木製ドアには、来客を知らせるためのベルが取り付けられていた。扉を開くと、ガランガランと鳴り響く。木目の見える濃い飴色のカウンター奥にいる白髪の老人が、グラスを磨いている。


 テーブル席の幾つかには背広姿、あるいはくつろいでいるラフな私服姿の男性の姿が三人見えた。特にBGMなどは掛かっていないが、それでも話し声や大きな物音などは聞こえない。

 それぞれに読書をしたりスマホで何かを確認したり、あるいはノートか何かを広げて書き込んでいたりしているのが見えた。


 年齢も体格もバラバラで、全員別々の席に座っている。そんな中、頓着しない様子で入って行った鴻先輩が真っ直ぐカウンターの一番奥の席へと向かい、そこに腰を下ろした。

 それを追い掛け、一つ空けた隣に座った。すぐ隣では少し近すぎたので。


「そこ、荷物置いて良いから。この店、荷物置き場とかクロークとかいうしゃれたものはないから」


 鴻先輩がそう言うと、カウンターの向こうにいる白髪の老人がギロリと彼を睨み付けた。


「悪かったな、しゃれた店でなくて」


「本当のこと言われて怒るなよ、爺さん。あっ、音無さん、この爺さんがこの店のマスターで柴村(しばむら)……何だっけ?」


「呼び名なんてものはどうでも良い。連れがいるとは珍しいな、坊主。しかも若くて可愛い女の子だ。どこぞでさらってきたわけではあるまいな?」


「なんでだよ! どこでさらって来られるんだっての、真顔で笑えない冗談言うのはやめてくれ」


「うるさい、わしの店で大声で叫ぶな。騒ぐなら追い出すぞ」


「爺さんが大声出したくなるようなこと言ってきたくせに、良く言うよ。そう思うなら、何かレコードでも掛けたらどうだ。どうせ爺さんはCDコンポも、SDメモリーカードやUSBメモリーに対応したコンポも持っていないんだろう?」


「お前はわしをなんだと思っとるんだ。それくらい持っとる、しかもハイレゾ対応とかいうやつを。バカ高いスピーカーも買わされた。孫が欲しがったからな」


「じゃあなんで店には置かないんだ」


「この狭い店にそんなものを置いたら余計に狭くなる。それに客の誰も必要としとらんから、置いても邪魔になるだけだ」


「まぁ、必要ないって言われりゃそうだな。でも、本音は爺さんが面倒臭いだけなんじゃないのか?」


「それもある。余分な金も取られるしな」


 なるほど、合理的だ。それにしてもずいぶん仲が良いんだな。そして店の客も慣れているのか、無反応だ。挨拶を交わすどころか顔を上げもしない。

 良い店だ、居心地が良さそう。……小夜には同意を得られそうにないけど。


 さて、どうしたものか。挨拶とかは必要ないかな、とりあえず会釈だけしておこう。店の主人(マスター)であるという柴村さんに軽く目を合わせて会釈をすると、彼も同じように会釈を返してきた。


「で、注文は何だ」


「そいつは最初に聞いてくるもんだろう、爺さん。俺はコーヒー、旨いのを頼む」


「不味い物なんぞ出しておらん。ブレンドで良いか?」


「任せる。音無さんはどうする?」


「……じゃあ、お薦めのコーヒーをお願いします。ミルクと砂糖は不要です」


「どれも旨くてお薦めだから、一番安いのでかまわんな、お嬢さんも」


「はい」


 そう答えて頷くと、主人はコーヒーを淹れる準備を始める。口の細い金属製のポットで水を沸かし、その間に布製のフィルターとサーバーと二人分のカップを用意する。


 フィルターに一度湯を通してから手早く絞りコーヒーの粉を専用スプーンで二杯分入れて、沸かし立ての湯を少しずつ縁に触れないように最初は粉の中央のみに、膨らんできたら中央からのの字を描くように静かに注ぎ、しばらく置いて蒸らす。


 湯を注ぐ度に粉が少しずつ膨らんでいき、蒸らす際にはそれが更に大きく膨らんでいく。あふれる手前くらいでまた静かに湯を注ぐと、膨張が止まってまたぽたぽたと液を垂らし、落ちていく。

 こぼれないように、フィルターからしたたり落ちるコーヒーが止まらないように調整しながら、少しずつ湯を注ぎ抽出していく。


 必要量が抽出できたところで、フィルターをサーバーから外してボールに移す。サーバーの中のコーヒーを二人分のカップに注ぎ、それをソーサーに乗せてそれぞれの前に置く。


 思わずじっと見つめてしまった。初めて見たけど、面白い。聞こえる音もなんだか心地良くて、この店にBGMなんて必要ないとつくづく思った。


 目の前に置かれたコーヒーカップを手に取り、一口含んで香りを楽しむ。……好きだ、これ。思わず頬が緩んだ。


「うまいだろ、ここのコーヒー」


 鴻先輩の声にそちらを見ると、どうやらじっと見つめていたらしい彼が嬉しそうに笑っていた。


「爺さんがうるさいのだけが難点だけど、それ以外は文句なしだ」


「坊主、さっき店に入って来てぼやいたやつは、文句じゃなかったのか」


「あんなもの挨拶みたいなもんだろう。細かいことを気にするなよ、爺さん。禿げるぞ」


「わしは禿げん。見ろ、このふさふさの髪を」


「あー、はいはい、良かったな、爺さん。それが地毛ならかつらは不要だな」


「だから地毛だと言っておろうが」


「最近のかつらは素人には区別がつかないからなぁ」


「だから地毛だと言っておろうに。年寄りをからかうのはやめんか」


 二人のやり取りに思わずプッと吹き出してしまった。


「ほら、坊主がバカなことを言っておるから笑われてしまったではないか」


「いや、俺のせいにすんなよ、自分の言動を振り返れって」


 そう言って、鴻先輩が楽しそうにクスクスと笑い出す。


「ふん、わしはおかしなことなど言っておらん。おかしいのは坊主の方だ」


「いい加減、坊主って呼ぶのやめてくれよ、爺さん。俺はもう今年二十五歳になるんだぞ。いつまで坊主と呼び続けるつもりだ」


「坊主が目上の人間に対する礼儀を覚えたら、好きな呼称で呼んでやっても良いぞ」


「何を言ってるんだ、この上なく礼儀正しいだろう。節穴なんじゃないのか? そろそろ無理しないで老眼鏡買えよ」


「バカなこと言うな。老眼鏡ならとっくの昔に買ってあるに決まっておろう」


「じゃあ、どうして店では掛けてないんだよ」


「眼鏡なんぞ掛けるのは、字を読む時と書く時くらいだ。それ以外には必要ない」


「年寄りなんだから無理するなって、爺さん。あと老眼はどんどん進むんだから、時々眼科か眼鏡屋に行くのを忘れるなよ」


「お前はわしを何だと思っておるんだ」


 うん、やっぱりBGMなんて必要ない。たぶん私以外の客の人達も、そう思っているに違いない。


 鴻先輩はリラックスした様子で、時折コーヒーを口に含み、それを飲み下すとまた主人をからかうように話し掛ける。

 アドリブなはずなのに、まるで最初から台本が用意されているコントみたいに軽快なリズムでポンポン会話が交わされる。


「まぁ、怪我と病気には気を付けろよ、爺さん。まだ若いと思っていると痛い目を見るぞ」


「ふん、坊主こそ気を付けるんだな。それこそ自分はまだ若いから大丈夫だと思って油断しておると、酷い目に遭うからな。

 先は長いんだ、そうなったら地獄を見るぞ」


「おいおい、脅しかよ? まぁ、俺は気を付けるし大丈夫だよ、爺さん。そっちこそ気を付けなよ、もう若くないんだから」


「ふん、余計なお世話だ」


 ところでこの店、メニューもなければ値段表もない。いったいいくら支払えば良いんだろうか。


「じゃあ、爺さん。そろそろお(いとま)するよ。支払いはここへ置いておくから」


 ハッとして先輩の手元を見ると、テーブルの上に八百円が置いてある。安い、じゃなくてもしかしてあれは私の分も含まれているのでは?


「じゃ、そろそろ出ようか。悪いね、付き合わせて」


「あの、支払いは……っ」


「ああ、良いよ、気にしないで。俺が誘ったしこっちが迷惑掛けたんだし、どうせそんなたいした金額でもないから。奢りって胸張って言えるほどでもないけど、俺の気持ちだと思って受け取っておいて」


「迷惑なんて掛けられた覚えはありません」


「そうだっけ? まぁ、気にしないでくれ。それより、気分転換はできた?」


「え?」


 鴻先輩はどういうわけか、先程から(たが)が緩んだみたいにニコニコ穏やかに笑っている。


「もう、大丈夫そうだな。帰りはどうする? バスで帰るのなら近くのバス停まで送るし、もし音無さんが良ければ家が近くだから車を取ってきて家まで送っても良いし」


 家まで車で送る? え、いや、それはさすがに遠慮する。


「あ、その、ではバス停まで」


「だよな、男に自宅まで送るとか言われたら恐いよな。悪かった、他意はなかったけどついうっかり」


 たぶん本当に悪気はないんだろうな。人に親切なのは良いことなんだろうけど、親切過ぎる。どう反応すれば良いのかわからなくて、ちょっと困る。


 一緒に店を出て、表通りへと向かう。今度は歩幅をちゃんと合わせて、時折こちらの様子をちらりと流し目で確認してくる。


 その様子がちょっと不自然でユーモラスで、変な笑い方をしてしまいそうになる。たぶんきっと彼なりに気遣っているのだろうけど、あまりにも不器用過ぎておかしい。


 そんな風に赤の他人に気遣われたことって、あまり経験がない。でも、嫌な気分じゃない。たぶんきっと私は、


「……好き」


 思わずポツリと口から洩れた。


「え?」


 びっくりした顔で、すごい勢いで鴻先輩が振り返った。


「えっ、ちょっ、音無さん、今……っ」


 まずい。慌てて私は首を左右に振った。


「いえ、気にしないで下さい。何でもありません」


「え、いや、でも……」


「本当に何でもないので。大丈夫です、問題ありませんから」


 私がキッパリ言い切ったのに、何故か先輩は真っ赤な顔で困ったように私を見つめたまま動かない。


「鴻先輩?」


「あの、あの……さ、俺」


 耳まで真っ赤にして、しどろもどろな口調で、焦ったように彼は言う。


「俺、音無さんのこと、好きだ」


 思わずポカン、とした。一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


「あっ、その、ご、ごめん! 迷惑だったら忘れてくれ。あぁ、くそっ、こんなところでこんなこと言うつもりじゃなかったのに、俺ってやつは……」


 そう唸るようにぼやいて、鴻先輩は両手で頭を抱えてうずくまってしまった。


 私はぼんやりと彼を見つめて、今言われた事を思い返す。──好きだ、と。あれ、どうしよう。頭が上手く回らない、先輩の混乱や焦燥っぷりがうつったみたいに。


 何だろう、これ。


「本当にごめん! あの、俺もう帰るから、だからその、悪かった!」


 そう言って逃げだそうとする先輩の腕を飛びつくように両手で捕まえた。


「……え?」


 ポカンとした顔になる先輩に、勇気を出して言った。


「その、やっぱり家まで送って下さい」


 それが、いったい何なのかはまだ良くわからない。今はわからないから、わかるまでそばで観察して記録を取ろう。

 そうやって情報を集めてじっくり観察して記録を取って分析し続ければ、それがいったい何なのか見えて来るに、わかってくるに違いない。


 だからトカゲを観察していた時のように、彼をしばらく観察してみることにしよう。そうすればこのモヤモヤした気持ちの理由もわかるようになるはずだから。


「お願いします」


 私がそう言って頭を下げると、鴻先輩は真っ赤な顔で頷いた。


「じゃあ、俺の家、こっちだから」


 黙って差し出された彼の手を、そっと握りしめた。



   ── 完。

後日、別ページで番外編を上げます。

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