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12 英田小夜(SIDE:澪)

 休日ということでフェミニンではなくガーリーチックな黒地に花柄の膝上フレアーにチュールを重ね、ベージュの春物ニットを合わせて、ストッキングはワンポイント柄の物を選ぶ。


 足を見せたくないという理由で学生時代に買ったマキシスカートは、部屋着としてならともかく外出時には着てはいけないと小夜に言われた。

 私に似合うラインではないからダボッとして見えるらしい。どうしても着たければ、腰にサッシュなどを巻いた上に足が長く見えるようヒールの高い靴を履かねばならないそうだ。


 通勤用のストッキングはワゴン売りの三足セットで七百三十五~千五十円のものだが、休日用のこれは三千円以上もするものである。

 穿く前に破ると泣けるので、古い毛玉のできたタイツをカットしたものを両手に装着してゆっくり慎重に足を通す。


 小夜に『あなたは不器用だから絶対に自分で爪を切っちゃダメ』と言われているせいで、三週間以上前に磨いて貰った爪は伸びてきている。


 私が自分で切ると深爪したり変な形に切り残してしまったりひびが入ったりするので、それが小夜には許しがたいらしい。

 出血したり痛みを感じないレベルであれば問題ないと思うのだが、そういう問題ではなく美意識とかそういった意味で絶対有り得ないそうである。


 小夜や母や従姉妹を見ていると、私は一生どれだけ努力しても女という生き物にはなれない気がする。彼女達にとって自身の美を追究することは、何よりも優先されるべきことらしい。


 小夜のように美容のために自分で家事は一切しない──つまり業者に依頼しているらしい──というのは極端だが、例えばできるだけ手を汚さずその美しさを損なわないためにゴム手袋、それも手術用の粉の付いていない薄い物を使うだとか、千切りやみじん切りなどは電動スライサーを使うとか、庭仕事する時は夏でも長袖長ズボンに軍手とサングラス着用で、頭や首にしっかりとタオルを巻いた上でつばの広い帽子を被るとか。


 それに加えて、虫除けスプレーと日焼け止めとフルメイクは欠かせないそうだ。庭仕事する時に化粧まではいらない気がするのだが、そういう油断がシミそばかすの原因になるので厳禁らしい。


 つい最近までガーリーとフェミニンの区別がつかなかった私には、彼女達の心境を理解するのはとても難しいが、その情熱に異を唱えるのは死を覚悟した方が良いレベルだということはわかる。

 女が何故血道を上げて美容やファッションに金と労力を掛けるのか、は男が言うところの夢やロマンと似たような域にあるのだろう。

 それは彼ら・彼女らにとっての聖域なので、それにとやかく言う輩は馬に蹴られるより酷い扱いを受けることになっても仕方ないのだ、たぶんきっと。


 どうせ何故かといった理由を聞いても理解はできないのだから、深く係わらない方が良い。互いの身と心の平穏のためにも。


 フェミニンとガーリーの違いもそれぞれの定義と代表例を暗記しただけなので、時折復習がてら電子書籍のファッション雑誌やネット記事などを確認している。

 慣れない内は絶対に通販は利用するなとも厳命されている。代わりに私の買い物には全て付き合ってくれるらしい。代金支払いは私、着るのも私で、選ぶのは小夜。


 初夏の分までは購入済みなので、ゴールデンウィーク前後くらいにそれ以降の服を見に行くことになっている。小夜は昔から私のファッションおよび美容関連に物申したいと思っていたようである。

 自分の物は全く買わなくても小夜は楽しそうに生き生きとした様子で、ああでもないこうでもないと悩みながらもテキパキ選んで、私に服を渡してフィッティングルームに押し込むのだ。


 今回のイメチェンのため服を買いに行った時はほぼ一日掛かりで、○ニクロやG○の他にも聞いたことのないメーカーやブランドの店十数軒を回ることになった。

 靴とバッグとアクセサリーとスカーフ、コート類は母に買ってもらった物が使えるからと、一つも買わなかったのにだ。実際に購入したのは試着した内の三分の一以下で、使った金額も六万ちょっとである。


 アクセサリー類に関しては、小夜はもっと持っていても良いという考えだったのだが、どうせ購入しても私にそれを扱うセンスがないので、選択肢が少ない方が間違いがないという結論になったらしい。

 母がアクセサリーをくれた時にも、シンプルなデザインで石が付いていない方があなたには使いやすいだろうからとか、身に付けて外したら柔らかい布で拭いてからしまうようになどと言われた。


 何かを見て勘や感覚(センス)によって一瞬もしくはそれに近い時間で判断するということは、私にとってもっとも困難なことである。

 できればこういった場合はこれなどというパターンを決めて、それを気温や目的・状況などに合わせて、あるいは定番を決めてランダムローテーションする方が望ましい。

 迷った時は各コーディネート──忘れないようスマホのカメラで撮ってある──に番号を付けて乱数生成アプリで出た数値の組み合わせを着ることにしている。

 小夜には『澪はどうして適当ってことができないの』と呆れられたが、できないものは仕方ない。なるべく同じ組み合わせが続かないよう前日と同じ服が出た時は、再度生成し直すよう配慮はしている。


 ちなみに今着ているニットはコットン製で、気温によって着ても良い時や上に何か羽織るか否か、着用可能な期間や状況などをノートアプリに写真付きでメモしてある。

 基本的に春は五月上旬までだが、最高気温が二十五度より下になる場合は六月中旬までは着ても良いとなっている。またくれぐれも自分で洗濯せずクリーニングに出すようにとある。

 理由は良くわからないが、小夜がそうしろというのだから従うべきだろう。


 服を着たら大きめの割烹着を着て、百円ショップで買ったヘアバンドで髪を上げてメイクをする。アイラインを入れるのは苦手なのだが、サボらずきちんと毎日入れるよう厳命されている。


 口紅以外のメイクが終われば、今度は髪だ。軽く湿らせポンプ式のトリートメントを髪に馴染ませてからカーラーを巻く。これが結構面倒臭い。このカーラーも百円ショップで購入したものだ。

 巻き終わったらドライヤーの温風で温めてから、次に冷風で冷ます。軽く朝食を済ませてハーブティーで一服してから歯を磨き口をゆすいで、カーラーを外してカールを整えながらヘアスプレーで固定する。


 一番最後に化粧や髪型などを確認した後、口紅を刷毛で塗りグロスで仕上げる。平日はマットに仕上げるため、グロスは塗らない。

 休日はラフまたはシンプルな服装の時は必要ないが、女の子っぽくおしゃれした時は塗るようにと指示されている。

 平日はアイシャドーは茶系で頬紅・口紅はピンク系だが、休日は着る服や季節や天候などによって変える必要があるらしい。基本的なパターンは習ったので、適宜解説メモの通りにすれば良い。


 本当は前日に自分でいちいち確認・シミュレーションして決めておくより、自分専用にプログラミングして、季節・気温・天気や目的・ドレスコードなどを入力すれば、乱数によって条件に合ったコーディネートや髪型・メイク・小物を提示するようにした方が楽なのではないかと思う。


 小夜に間違いなく『それくらい自分で決めなさい』と怒られるので実行はしないが、心の底からそう思う。


 黒い小さめのショルダーバッグに必要な物を入れ、明るい茶系のスリッポンを履いて外に出る。バス停でバスに乗り、会社の前を過ぎた後のバス停で降車する。


 時刻は九時四十七分。真っ直ぐ向かうと徒歩十五分弱だけど早く着きすぎてしまうので、同じ通りにある開店しているカフェへと入った。コーヒーを頼んで適当な席に座る。

 アラームが設定されているのを確認してから、時折コーヒーを飲みつつニュースサイトを軽くチェックする。じっくり読む時間はないのでとりあえず今日の天気と国内ニュースのタイトルだけ見て、スマホを閉じてコーヒーを飲み干した。


 これで移動と注文込みで十五分ほど時間が潰せたので、小夜の勤める店のあるビルへと向かう。エレベーターで三階へ行き受付で予約時間と名前を言うと、しばらくしてから案内された。


「おはようございます、いつもご来店いただき有り難うございます、音無澪様。本日担当いたします英田小夜でございます」


 少しつり目の猫みたいな目をしているはっきりとした顔立ちの美人。栗色の髪をシニョンに結っていて、プロポーション抜群。

 涼しげな声で謳うような音律で、爽やかで明るい笑顔で言う彼女を見て、やっぱり知らない人みたいだとぼんやり思う。


 そんな私に小夜は困ったような笑顔を見せ、こちらの返事を促すように首を傾げる。


「おはよう、小夜。私は小夜にしか担当してもらったことないんだけど、毎回その挨拶って必要なの?」


「必要ですよ、音無様。これはお客様へのご挨拶であると同時に、自分自身にかける魔法の呪文のようなものなので。お元気そうで何よりです」


 そう答えてにっこり完璧な笑顔で微笑む小夜からは、仕事中に余計なこと言うんじゃないとばかりの圧力を感じる。ふむ、なるほど。仕事中に集中力が切れたり気を抜いたりするのはまずいか。

 私がそう思いつつ頷くと、わかったならよろしいとばかりの笑みを向けられた。


 口に出して言わなくてもわかるようになれと、子供の頃から小夜は何度か口にした。その度に私は言われないことはわからないと返した。

 残念ながら十九年ほどの付き合いでいくつかのことは、言われなくてもわかるようになってしまった。しかし、特段私の察しが良くなったわけではないのでわからないことはわからない。


 単に私が小夜に慣れて彼女の表面的な言動であれば、九割方は脳内でシミュレーションできるようになっただけである。


「本日の施術はどのようになさいますか」


「おまかせします」


「了解いたしました。では本日は髪と手と爪と足のケアと、フェイシャルマッサージと産毛の処理をいたしましょう。コースはこちらの……」


 毎回同じことしか答えないとわかっていて、このやり取りは必要なのだろうか。小夜に聞けばやはり必要だと言われるのだろう。


「相変わらず肌がお美しいですね。髪はトリートメントした方が良さそうですが」


 副音声で髪の手入れを怠ってんじゃないわよとか聞こえてくる。食生活も含めてこれまで通りに生活しているつもりなので、何故そう言われるのかわからない。

 以前と違うのはヘアマニキュアをしたことと、毎日ドライヤーやカーラーや整髪剤を使うようになったこと、外出時に必ずメイクをするようになったことだろうか。


 後は運動量と食事量がかなり落ちた。運動しないとお腹があまり空かなくなるらしい。肉も脂肪もたんぱく質もそれほど必要としなくなった。

 代わりにビタミンとカリウムの摂取量を心持ち増やしたが、食費と体重はかなり減った。それ以外の出費が増えたので、貯金とこれまで貯めたお小遣いは少し目減りしたが。


 体重に関しては小夜曰く筋肉が脂肪になっているからで、このまま運動しないのなら痩身エステが必要になるらしい。そういえば体重は五〜六キロ落ちたのに、服や下着のサイズはあまり変わっていない。

 ということは目に見えていない何かが変わっているのだろう。筋肉は脂肪よりも重いらしいし。



   ◇◇◇◇◇



 小夜に言われるままに従って、無事本日の施術とやらを受け終えた。ちょっと疲れるけど悪くない疲労感だ。これが不快であれば、小夜の言いつけだろうと従いはしないだろう。

 顔のリンパマッサージは正式にはリンパドレナージュというらしい。詳しく説明されたもののほとんど忘れてしまったのだが、老廃物を出しむくみを取ってシミそばかすたるみなどの予防になるらしい。


 三万円とちょっとの代金を電子マネーで支払い、ロビーで昼休憩に出る小夜と待ち合わせて外に出た。


「やっぱり靴は何か買いに行った方が良さそうね。バレエシューズかアンクルストラップのパンプスが欲しいわ。あとはマッシュでフラットな革の靴とモカシンかワラビー。サブリナ・シューズもあった方が良いかもね。

 本当はミュールか厚底サンダルを履かせたいけど、歩けないなら問題外だし。見る度にあれこれ考えてしまうわ。本人がもっとやる気と自覚持ってくれれば、なお良いのに」


 何故そう他人事なのに熱心なのか。そして何か期待するような目で見られても、人間は一朝一夕で変わったりしません。


「ところで小夜、今日のランチは何処へ行くの?」


「どうせ店名言っても覚えられないでしょ? 創作フレンチだけど一人分ドリンクとデザート込みで二千円ちょっとで食べられてコスパも見映えもすごく良いの。

 夜は少々お高いけど、デートにもおすすめの店よ」


「小夜はともかく私には関係なさそうだね」


 私がそう言うと、小夜は不満げに鼻を鳴らした。


「あら、この前のイケメンチャラ男先輩の件は忘れたの?」


「あれはたまたまだよ。それにあの人興味本位だって言ってたし、あれだけ釘を刺しておけばもう来ないから、二度と男性と食事に行くことはないよ」


「あらそう、そう言ってフラグを立てていくのね。まぁ、それはともかく配属先はどうなの? カッコイイ先輩とか上司とかいるの?」


「小夜が喜びそうなネタは無いよ。上司は菩薩様そっくりで、ヒグマみたいな先輩以外はテンプレ的な理系男子揃いだから、挨拶と業務会話しかしてないよ」


「何それ、口説いたりコナ掛けたりまでは行かなくとも、雑談とか歓迎会とか懇親会とかないの?」


「だからうちの課でそういうのはやらないんだって。新入社員同士の懇親会とかは、同期の誰とも連絡先交換しなかった時点で誘われることはないと思う」


「本当にそのコミュ障っぷり何とかしなさいよ。折角可愛く明るく話し掛けられやすいようにしてあげたのに、中味が変わらなかったらダメじゃないの」


 小夜は不満たっぷりにそう言うけど、無理なことはどう頑張っても無理だと思う。


「できるだけ努力はしているよ」


 私がそう応えると、小夜は深々と溜息をついた。


「……死ぬ気で頑張るとか言ってたくせに」


「頑張っているよ?」


 そんな不満そうな顔されても、これ以上は無理だよ。


「まぁ、今のところは許してあげるわ。今は撒き餌で獲物がかかるのを待っている状態だけど、まだ肝心の捕獲用の罠の準備が出来ていない状況だし、仕方ないわね」


 はて、いきなり何の話だろう。さっぱり意味が理解できない。


「まずは本人を心身共に改造しなくっちゃね。澪、それでキレイになった自分を毎日鏡で見るようになって、何か心境の変化はあったかしら?」


「小夜が昔言った『女は女という性別に生まれただけじゃ女にはなれない』っていうのを痛切に感じているよ。手先の器用さと美的感覚を日々試されていると思う。

 あとはやっぱり私は女の振りはできても女にはなれないってこともわかってきた」


「……言いたいことはいっぱいあるけど、これまでに比べれば大幅な進歩よね。そうよね、まずは己を知ることから始めないと、前には進めないもの」


 小夜は時折意味不明なことを口走るなぁ。独り言も多いし。


「今の自分でいたいという気持ちはある?」


 それはどういう意味だろうか。


「化粧もおしゃれも全部やめて楽になりたいと思う?」


「それはないかな。素の私を受け入れてくれるのは、家族や親戚と小夜だけだってわかったし。就職できなくても別に死にはしないけど、やっぱり気持ちやモチベーションは落ちるよ。

 めげるし凹むし悔やむと思う。何もしないで鬱屈するくらいなら、力一杯やるだけやって玉砕する方が良いよ。その方が諦めもつくし」


「そうね、それでこそ澪よね。明後日の方向への努力が多いけど、澪はいつも一生懸命な努力家だものね」


 褒めてくれるのは嬉しいけど、小夜はいつも一言多いと思うんだ。

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