薄幸ヒロインとラッキースケベ 1/5
時系列・・・第三章の終わりから、第四章6以前までのとある金曜日。
つまり三人が恋人同士になってからのお話。
【外伝:薄幸ヒロインとラッキースケベ】
「…おっ、ラッキー」
思わず声に出してささやかな僥倖に感謝しながら、豊島は今まさに店のほぼ正面の駐車スペースから抜け出た一台の車を見送り、空いたスペースへ社用車を停めた。
「てか、さすが帰宅ラッシュ帯だな。車停めらんねーかもってくらい客来てて、相当なっちゃん忙しくしてんじゃね?」
助手席から駐車場全体をぐるりと見渡し、他に停めるスペースがすでになくなっていることを確認した茂松が店内の様子を想像して呟く。
「だろうな。邪魔しないように、さっさと煙草買って一服して会社に戻ろう」
「腹減ったから俺、こないだなっちゃんに勧めてもらったパン買おっかな」
「じゃあ勘定は全部お前持ちな」
「えー。…まあ別にいいけどよ、万札崩したかったし」
「細かいとこは俺出すわ。小銭減らしてーし」
「頼むわ」
息の合った掛け合いをしながら車を降りた二人は、軽く外から窺っていた店内の賑わいぶりに感嘆しつつ店の入口をくぐる。
2台あるレジの前にはすでにそれぞれ数組ほど客が並んでおり、カゴいっぱいに品物を詰め込んだ客から缶コーヒー一つを片手に携えた客まで、様々な客層が前方のレジの様子を眺めている。それらの視線の先のどちらかで菜々がレジ打ちをしているのだろうと、遠巻きにレジを覗き込もうとした二人に反応して入店音が店内に響き渡る。
「いらっしゃいませーっ」
入店音に反応して声を上げたのは、入口に近い方のレジからだった。声だけで菜々ではないことに気付いていた二人が目を向けると、そこにいたのは彼女の親友の奈津美だった。いつだったか外の喫煙スペースで言葉を交わしたことを覚えていた彼らは、目を合わせて互いににこやかに会釈を交わす。
となると、奥のレジにいるのが菜々か。そう思って視線を向こうへ投げかけると、コンビニの買い物にしてはなかなかの量を集めてきた客の商品を手際よくさばく彼女の姿がそこにあった。
商品の読み上げ登録に忙しくて来店の挨拶を告げられずにいた菜々は、レジのカウンターいっぱいに並べた商品の登録を終えて入口の方を見やる。そこに豊島と茂松の姿を見つけた彼女は、軽く驚いた様相で彼らを二度見した。
予想もしていなかった知り合いの来店に面食らう彼女のリアクションに息を漏らしながら、二人は小さく手を上げるだけで挨拶を済ませ、店内に進み入った。
「きれーな二度見したな、なっちゃん」
「見本に出来るくらいの見事な二度見っぷりだったな」
菜々の反応を面白がって感想を言い終えた二人は、早々に二手に分かれて目的の品を探し始める。豊島は二人分の缶コーヒーを取りにドリンクの売り場へ、茂松は小腹を満たすパンを品定めにパンの売り場へ、それぞれ向かった。
いつものブラックと微糖を迷わず選び取り、二本の缶コーヒーを片手に豊島は茂松のいるパン売り場へ足を向ける。目的のパンを探しているかと思いきや、売り場の前にいた茂松は商品棚ではなくレジの方をぼんやりと見つめていた。
「何してんだシゲ。パンも選ばねーで」
「いや…なっちゃんすげーなーと思って見てた」
「あ?」
小学生並みの感想を口にする茂松に軽く眉を上げ、彼の視線の先でレジ打ちをしている菜々の方へ豊島も目を向ける。
「140円が1点168円が1点108円が3点350円が1点はいっありがとうございます合計で982円のお買い上げになりまーすこちら温めますかーかしこまりましたー少々お待ちくださいませー」
「…いつ息継ぎしてんだ」
「だよな」
「肺活量が相当鍛えられるだろうな」
「歌うまなっちゃんの歌唱力は仕事で鍛えられてたのな」
「いいからいつまでも見とれてねーで、さっさと買うモン選べシゲ」
「別に見とれてねーし」
軽く口を尖らせて悪態をつきながら、商品棚に向き直る茂松。彼の隣でついでに自分も何か買おうかと豊島も棚に並ぶパンを眺め始める。
おっ、と声を上げた茂松に反応した豊島が視線を彼に戻すと、目的の品を手にした彼はレジにいる菜々に見せるようにおもむろにそれを軽く掲げてみせた。
応対中の客が財布から金銭を出すより先に袋詰めを終えていた菜々は、それを待つ間どうやらこちらの様子を窺っていたようだった。茂松が示してきたパンにぱっと顔を輝かせてこくこくと頷き返す彼女を見て、どんなパンを勧められていたのかと豊島は茂松が手にするそれを覗き込む。
「何のパン?」
「カレーパン。激辛だとさ」
「パンで激辛?珍しいな」
「注意書きまでしてあるくらいだぞ。辛いの苦手な人と、お子様年寄りは注意しろって」
「ほんとだ」
「お前もこれにする?」
「遠慮しとく。後で一口くれ」
「んじゃお前は甘めの菓子パンな。辛すぎてやばかった時用の、俺の保険に」
「あいよ」
特別食べたいパンがあったわけでもなかった豊島は、保険を理由にパンの種類を絞られたことに対して文句を言う気も特に起きず、甘そうなクリーム入りのパンを適当に選び取った。
帰宅ラッシュのピークはどうやら収まりつつあるようで、2台のレジ前に並ぶ買い物客はそれぞれ一組ずつまで減っていた。二人は迷わず菜々のレジに並び、順番が来るのを待つ。
彼らの前にいる若い女性客は、どこか困惑した様子でスマホを懸命に操作している。ネット決済の支払いに来たのだろう、と後方で彼女の会計を待つ二人はそれを即座に見抜いた。
「…あ、この番号かしら」
ようやく探し当てたらしい支払いに要する番号を女性が読み上げ始め、復唱することも省いて菜々はその番号を同時にレジに打ち込む。だが途中で菜々の営業スマイルがほんの少し歪み、番号を読み上げる女性を遮って口を開いた。
「申し訳ございません。そちらはおそらくお客様IDの方ですね、桁が多いので」
「あらっ、ごめんなさいね。えっと、じゃあ…」
「支払い番号とか、決済用番号といった項目はございませんか?」
どうやら女性はコンビニでのネット決済に慣れていないようだった。無事に支払いを済ませられるといいが、と気長に待つ二人が菜々の背後にある煙草の陳列棚を眺めているうちに、隣の奈津美のレジが空いたようだった。
間に設置されたフライヤーの什器の陰から顔を覗かせた奈津美は、菜々のレジに並ぶ彼氏達の姿を見つけて誘導の声を掛けるのを躊躇った。出来ることなら菜々のレジで会計をさせてやりたいと気を回したのだろう。
菜々が応対中の会計はすぐにでも終わるだろうか。交代して菜々を空いてるレジにつかせ、二人の応対をしてもらおうか。他にレジに来そうな客はいないか。そんなことを気にしてくれているのであろう落ち着かない様子の奈津美を見かねて、茂松が抑えた声で豊島に提案する。
「あっちに移るか」
「だな」
必死にスマホで番号を探す女性の背中越しに菜々と目を合わせた二人は、身振りで隣のレジへ移ることを伝える。二人の意思を察した菜々は軽く困ったような笑みを仕方なく浮かべながら、小さく頷いて返した。
空いたレジへ二人が置いた商品を受け取りながら、菜々との無言のやり取りを見ていた奈津美が申し訳なさそうに口を開く。
「すみません。あたしが菜々とレジ交代すればよかったですね」
「そんなに気を遣わなくてもいいよ」
「そうそう。どうせ明日土曜だし、また三人で遊ぶ予定してるしさ」
「あ、そうなんですね」
菜々とまた仲良くしてやって欲しい。かつて二人に対してそう懇願していた想いが確実に実現していることを知った奈津美は、思わず彼らに素直な安堵の笑みを見せた。
和やかな会話もそこそこに、奈津美は二人に差し出された缶コーヒーとパンをスキャンする。
「100円が1点121円が1点136円が1点123円が1点で…」
「あ、ごめん。それと煙草、いいかな」
「はい、何番ですか?」
奈津美の読み上げを遮った豊島は、菜々のレジを待っている間に記憶していた番号を二つ彼女に告げる。対応してくれるのが菜々だったら番号を気にする必要もなく即座に用意してくれたのだが、念のためあらかじめ番号を確かめておいてよかったと思いながら、菜々が背にした煙草の陳列棚へ向かう奈津美を目で追いかける。
すると煙草を取りに来る奈津美に気付いた菜々が、レジのカウンターの陰から何かを取り出して彼女に手渡した。フライヤーの什器に遮られて二人のやりとりを明確に窺うことは出来なかったが、そのままレジに戻ってきた奈津美が手にしている物を見て、彼らはようやく理解した。
「用意してくれてたみたいです。お二人の煙草」
「へー、さすがだななっちゃん」
「いつの間に寄せといたんだか」
「そうしますと、460円が1点460円が1点で、合計1400円のお買い上げになります」
「うわ、端数無しか」
「ラッキーだわ。残念ながら100円玉は持ってねーんだな俺」
「結局全部俺持ちかよ」
「ごちー。パンまでごちー」
「クソが」
あからさまにふてくされながら財布から一万円札を取り出す茂松。それを受け取った奈津美は、堪えきれずに肩を震わせて笑っていた。
「菜々から聞いてた通り、ほんと面白いですね。お二人の漫才」
普段通りの何気ない会話をしていたつもりの二人は、思わぬ奈津美の一言にきょとんとして互いに顔を見合わせる。そんなリアクションさえツボに入ってしまったのか、奈津美はとうとう声を上げて笑い出した。
「そんなに面白いかね、俺らって」
「はい、すごく面白いです」
「忙しすぎた疲れで、単にツボ浅くなってるだけじゃね?」
「今日は何故かいつもの金曜日より大忙しでしたから、そうかもしれないです。でも面白いのは本当ですよ。いつもこんな漫才見られる菜々が羨ましいです」
「相当なお墨付きもらえたし、今からでも二人で脱サラしてプロ目指すか裕太」
「なんでやねん」
教科書通りの仕草で無造作にツッコミを入れる豊島で綺麗にオチがつき、三人は仲睦まじく笑い合う。
ようやく応対中の客が見つけ出したネット決済の番号を打ち込み終え、金額を告げて今度は金銭の用意を待っていた菜々は、そんな彼らの姿にどこか複雑な視線を送っていた。
煙草も用意してあったし、あわよくば自分が応対したかった。責めるべきは会計に手間取った目の前の女性客ではないとわかってはいても、菜々の気分は沈みがちだった。
(ツイてないなあ…)
繁忙の疲れと憂鬱な気分を込めて、目の前の客に悟られない程度に菜々は小さく溜め息をついた。




