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涙の魔法・外伝 -unbalanced triangle-  作者: 燐紅
リアル麻雀初心者
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リアル麻雀初心者 2/5

 点棒を置く場所は豊島が示したとはいえ、教えなくても牌を横向きにして捨てた菜々は、確かにある程度までは麻雀を理解している。


 牌をツモって瞬時にテンパイの形に気づいたことにも感心しながら、茂松の後ろであぐらをかいていた田辺がおもむろに立ち上がって菜々と豊島の後ろに回り、彼女の手牌を興味深く観察する。


 わかりやすく綺麗に並べられた彼女の手牌に、麻雀歴の長い田辺は一発で狙いの役を察して思わずほくそ笑む。



「おいおい、とんでもねービギナーズラックぶりだな」


「マジっすか田辺さん」



 さすがに彼女の手の内は伏せたとはいえ、意味深に含み笑いながら呟いた田辺に思わず茂松が焦りの声を上げる。


 彼らの間でそのやりとりを聞いていた豊島が、慌てて田辺に振り返る。



「あんまり茶々入れないでくださいよ田辺さん。せっかく菜々ちゃんアガれるかもしれないのに」


「わりわり、黙るわ。いやーしかし、いい先生を持ったなあ菜々ちゃん」


「豊島先生の教え方がうまいからですかね、やっぱり」


「こればっかりは教えてできることじゃないよ。そもそも俺、何狙えとかどの牌捨てろとかまで、まったく口出ししてないし」


「じゃあ全部菜々ちゃんの引きと自分の判断だけでテンパったってか。センスあるなー菜々ちゃん」



 改めて感心しながら、田辺は菜々の頭をぐりぐりと撫で回す。手荒い労いに軽く顔を歪めながらも、菜々は得意げに笑い声を上げる。


 にやついたまま田辺は元いた茂松の後ろに戻り、どっかりとあぐらをかく。


 さっきよりほんの少し自分に近い位置に座られ、意味深に手牌を見つめる後ろからの視線に気づいた茂松は、嫌な予感を抱いた。



(…なっちゃんのアガリ牌持ってる、ってことか)



 田辺がすぐ横をうろついている間に手番を終えていた島田と安達に続いて、牌をツモろうとした茂松に緊張が走る。


 引いた牌で、彼の手牌の2つと合わせて順子(シュンツ)が成立したとはいえ、テンパイの形にはほど遠い。


 できることなら菜々のリーチをふいにしてアガりたかったが、何も手がない茂松は残りの11枚のどれを捨てるか慎重に頭を悩ませる。



(場の捨て牌に、俺の手牌。まだ中盤だし、判断しようがねーんだよなー。自信ありそーな裕太と、田辺さんの口ぶりからして、ただのリーチやドラだけ狙ってるわけじゃなさそうだし…)



 不安を募らせる茂松は、傍らに無造作に寄せていた自身の点棒をちらりと見やって、わずかに顔を歪める。



(…役によっては、振り込んだりしたら飛ぶ可能性もあるな)



 飛ぶ、とはつまり、自分の持ち点をすべて失うこと。要するに、最下位になることだ。


 今回の麻雀が始まってから、ベテランの田辺と、そこそこの腕を持つ茂松だけは、一度も飛んでいない。島田や安達、豊島は何度か飛んでいて、そのたびに田辺がその場の思いつきで彼らに罰ゲームを処していた。


 あとから菜々が加わってからは誰も飛んでいない。少し調子を落としかけながらも何とか持ち点を失わずにいた茂松が、彼女の前で初の罰ゲームを受ける可能性が浮上する。



(そして田辺さんが次の罰ゲームに思いつきそうなことはおそらく……なっちゃん絡みだ)



 菜々に何かをする、何かをしてもらう。偶然転がり込んできた女子を罰ゲームに組み込ませないという考えは、このスケベ親父にはまず有り得ない。


 10歳以上も年の離れた先輩に失礼な想像を抱いていると、そのスケベ親父は前触れもなく肩を組んできた。それに驚いた茂松の肩が思わず跳ねる。



「…びっくりしたー。なんなんすか田辺さん」


「なあ、茂松先輩よ」


「気持ち悪い言い方やめてくださいって」


「ここは一つ、可愛い初心者の後輩のために、一発ロンをくれてやるのが男ってモンじゃねーか?」


「ちょっ!」



 途端に慌てふためく茂松と企み顔の田辺を見ていた西家(シャーチャ)北家(ペーチャ)の二人が、田辺の言葉に再び顔をにやつかせる。



「なんか談合し始めたぞ田辺さん」


「アガリ牌持ってんのかよ、茂松」


「…そうらしーっす」



 からかう島田と安達の言葉に、もはや自分の手を隠しようがないと茂松は観念して溜め息をついた。


 手牌に菜々のアガリ牌があることを宣言させられた茂松に対し、豊島は即座に彼の持ち点を思い出し、不敵に笑いながら告げる。



「シゲ。振り込んだら確実に飛ぶからな、お前」


「うっそだろおい…」



 豊島の発言も三味線ではあったが、茂松が捨てる牌に菜々の初勝利がかかってるとあれば、彼以外の誰もがその行為に目をつぶった。


 島田と安達は茂松の持ち点を確認し合い、それを上回る点数の役を狙っているという意図の宣言をした豊島の言葉に、菜々が狙っている役の大きさに期待を寄せる。


 そして彼が口にした単語に疑問を持った菜々が、豊島に問いかける。



「飛ぶって、どういうことですか?」


「ビリになるってこと。シゲの捨て牌で菜々ちゃんがアガれたら、シゲの負けが確定してる状況なんだよ今」


「へー」


「ちなみに田辺さんとやる麻雀では毎回恒例なんだけど、飛んだ人は田辺さんが提案する罰ゲームを必ず受けないといけない」


「へー」



 二度目のへーに期待を色濃く乗せる菜々の小悪魔ぶりに、茂松は恨みがましい視線を送った。


 とんでもない一局を左右する牌を必死に手牌から探す茂松は、焦る頭を必死で落ち着かせながら長考する。



(捨て牌にドラはない。赤ドラ有りルールで、赤も捨てられていない。となると、リーチと一発の点数に加えて、ドラで点数乗せまくれる状態か、あるいは…)



 満貫(まんがん)以上の成立役を狙っている。その考えを茂松は咄嗟に否定した。


 なかなかの好配牌(こうはいぱい)でない限り、こんなに早い段階でテンパイすることは考えにくい。その考えが、茂松の中に浮かんだ可能性を消したがった。


 そして今度は悪魔の囁きが、茂松に耳打ちをする。



「…さっき捨てておけばよかったなーって牌、あんだろ」



 周りに聞こえないように声を潜めた田辺の言葉に、茂松はどきりとして手牌の一つに目を止める。


 彼が遠回しに示す牌に、茂松もとっくに気づいてはいた。菜々がリーチをかけた直前の自分の手番で捨てておけばよかったと、真っ先に目についた牌だ。


 むしろその時に捨てるのが当然だと今思い返せばわかるのに、何故別の牌を捨ててしまったのだろうかと、茂松は己の迂闊さを全力で後悔した。


 隣で同じ手牌を見ている田辺にその牌を指し示し、おそるおそる彼の反応を窺う茂松。


 その視線を受けて意味深な沈黙を挟んだ田辺は、おもむろに身を乗り出してその牌に手を伸ばした。



「わかってんならさっさと捨てろやオラァ!」



 手牌に伸ばしてきた腕を咄嗟に掴んだ茂松の制止も効かず、田辺は茂松が指した牌を掴んで卓に叩き付ける。


 あ、と同時に声を上げた他の四人の目線が交わる先には、安達が菜々にカマを掛けて捨てた字牌と同じ牌。


 茂松は、(はつ)を捨て損なっていたのだ。



「何するんすか田辺さん!今のはナシでしょ!」


「馬鹿。菜々ちゃんが2枚持ってて、安達が1枚捨ててんだから、おめーが持ってた發でしかアガれねーだろ菜々ちゃん」


「アガれないってこたないでしょ!どうせシャボ待ちだろ裕太!」



 何とか田辺の不正をなかったことにしようと、茂松は豊島に助け船を求める。


 シャボ待ちとは、アガるために必要な牌が2種類ある待ちの形。つまり、發以外の牌で菜々がアガれる状態だったかを茂松は確かめようとしている。


 麻雀用語に疎い菜々が首を傾げる様子を横目に、豊島がとぼけたように言う。



「…確かにシャボ待ちだけど、發でアガらないと満貫止まりなんだよなー」



 田辺の不正に肯定的な発言を返す豊島の呟きに、茂松の血の気が引く。


 要するに、茂松が發を菜々に振り込むことによって、満貫以上の役が成立する状態だと彼は言っている。


 あらゆる条件を満たすその成立役を思い浮かべた島田と安達は目を丸くして互いに顔を見合わせ、茂松は顔を引きつらせた。



「ほれ、さっさと宣言しちまえ菜々ちゃん」


「ちょっ、やめてなっちゃん!」


「俺も許す。今日は一回も罰ゲームやってないから、シゲは」


「そ、そうなんですか…」


「なっちゃん!なかったことにしてよお願い!」


「アガっちゃえアガっちゃえー」


「茂松飛ばしちゃえー」



 4対1の期待と懇願に挟まれた菜々は、多数意見の誘いに乗ってアガるべきか、少数意見に同情を寄せてアガるのをやめるべきか、ほんの少しだけ考えて口を開く。



「じゃあ…ロンで!」



 満面の笑顔を茂松に向けながら宣言した菜々は、最初から多数派だった。一同が大盛り上がりする中、絶望に打ちひしがれた茂松が卓に突っ伏す。


 そんな彼を気遣う暇もなく、菜々は豊島に促されて自分の手牌を片側から数枚ずつ倒して、卓上に晒しながら言う。



「えっと、リーチ、一発、ドラは…」


「菜々ちゃん、これ役満だから、点数計算必要ないんだよ」


「え、そうなんですか?」


「發でアガれなかったら、計算しないといけなかったけどね」


「これって、役は何ですか?」


大三元(だいさんげん)


「大三げーん」



 嬉々として菜々が宣言するより先に、彼女が晒した手牌ですでにそれとわかった島田と安達は感嘆の声を上げていた。


 そして口にしてからその役に覚えがあったことを思い出した菜々が、豊島に確かめる。



「…大三元って、役満でしたよね」


「さっきそう言ったよ俺」


「…役満って、何点でしたっけ」


「3万2千。親の役満は4万8千」


「…麻雀の持ち点って、最初2万5千ですよね」


「よく知ってるね偉い偉い。だから相当持ち点稼いでる人からロンアガリでもしない限り、役満だせば一発で相手を飛ばせる」


「…發が揃わなかったら、小三元(しょうさんげん)、ですよね確か」


「そうそう。満貫役で8千点。まあどのみちシゲの持ち点は1万切ってたから、もしもう1枚の方の牌をシゲが振り込んでてもシゲの飛び確定。他の二人が振り込むか、菜々ちゃんのツモアガリだったら、飛ばなかったかな」


「…………うええー!?」



 ようやく自分がとんでもない役を成立させてしまったことを知り、素っ頓狂な声を上げる菜々。


 卓に突っ伏していて彼女の手牌を確認していない茂松は、大三元であることを予想していたし、それを狙っていないことを切に願っていた。


 その健闘を讃えるかのように、三人の先輩から背中を立て続けにばしばしと叩かれる。


 背中の痛みは、ビギナーズラックの洗礼が現実のものであったことを茂松にしつこく突きつけてきた。

【蛇足的要点解説】


・菜々の麻雀レベルについて

 麻雀をゲームでしかやったことのない菜々は、捨てるべき牌がどれか、テンパイしたかどうか、待ち牌はどれか、くらいを理解しているレベルです。リーチの時は千点棒を場の中央辺りに置いて牌を横向きに捨ててたな、とゲーム画面で見た記憶を頼りに豊島に教えられずとも牌を横にして捨てました。

 ただ役が成立しているかどうかや、フリテンを理解していないので、一人で打てるレベルではありません。アガった途端に「それフリテンだろ」と田辺にどつかれかねないので、誰かに手牌を確認してもらう必要があります。


・茂松の読みについて

 前述の豊島同様、真剣に麻雀に打ち込む描写を入れました。おもに隣でその表情をじっくり見られる菜々へのサービスのつもりです。

 心理的駆け引きに長けている茂松は、実力では遠く及ばずも田辺の次に麻雀が強いです。相手の手の内を読み取る力もあり、自分の手の内を巧妙に隠せる力もあり、持ち点をたびたび減らすことはあれど飛びは免れていました。ただ、どこか抜けている彼は肝心な時に牌を捨て損なって、テンパイした菜々に焦ることになったわけです。


・田辺の談合について

 仲間内の麻雀なんて、基本何でもアリです。むしろ最年長の田辺が絶対ルールです。彼が茂松の牌を勝手に切って菜々に振り込もうが、待ったをかけられる後輩はいません。

 むしろ飛びがかかっている茂松に初の罰ゲームを受けさせる機会を誰もが逃すはずがありません。悪戯っ子の菜々も田辺の不正に乗じてでも、彼の罰ゲームに純粋に期待します。豊島ほどではないとはいえ鈍い菜々は、自分が巻き込まれることを想定してはいないのですが。


・菜々の大三元について

 たまたま白發中が固まっていた好配牌で開始できたので、菜々としては役牌(やくはい)三つだから3千点取れるなーくらいにしか思っていません。横で見ている豊島は「残しとけば役満狙えるから切るなよ絶対切るなよ」とハラハラしていたことでしょう。

 この時のテンパイの形としては、(はく)(チュン)が3枚ずつ、發と四萬(スーワン)が2枚ずつ、残り3枚の面子(メンツ)順子(シュンツ)でも刻子(コーツ)でも。その3枚さえ形が揃えばリーチが掛けられる一向聴(イーシャンテン)の状態だったので、菜々が捨てるのを迷う並びで考えられる単純な形は萬子(マンズ)の「44667」とかですかね。7を切って46を対子(トイツ)にするか、6を切って58を待つか。確かに悩む。

 シャボ待ちと言っていたのは対子の發と四萬になるわけですが、誰かが四萬を切るか菜々が四萬をツモっていれば小三元です。發が残り1枚だったのは明らかですが、残り2枚の四萬はおそらく三味線を仕掛けた島田が対子で持っているか、順子狙いだとすれば持っていないはずなのでもう二人のどちらかの手牌にあるか、山に残っているか。

 どのみち大三元が成り立つ發を持っていたのは茂松だったので、田辺の不正さまさまですね。筆者は未だ役満でアガったことがありません。おめでとう菜々。そして麻雀解説が長すぎてごめんなさい。


・点数計算しようとした菜々について

 菜々の「リーチ、一発」の台詞は、筆者の麻雀知識不足の名残です。リーチが千点で一発が千点で、ドラはいくつにして、あとは役満の点数、と計算しながら役満について調べて、役満成立時は他の点数を加えないことを初めて知りました。知ったかぶって点数を数えようとして「いや役満だから計算しなくていいよ」と教えられたのは菜々ですが、同時に筆者も学びました。

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