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涙の魔法・外伝 -unbalanced triangle-  作者: 燐紅
恋愛玄人達の交際事情
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恋愛玄人達の交際事情 3/3

 互いにくすぐり合って、笑い合って、子供のようにひとしきりじゃれ合った二人は、やがて気怠くなった体を寄り添わせ、深く息を吐く。


 浮かれた心地が落ち着きだした円香は、もう一度田辺の提示した条件を思い返して、ふと思い出したように口を開いた。



「田辺さん、覚えてます?私より一年あとに入ってきた、菜々ちゃんって子」


「……ああ、あのおとなしくてあんま目立たねー感じの、地味っ子か?」


「そうそう。他の先輩達には割と人見知りしていつも静かだったのに、何故か豊島さん達とは仲良かったですよね」


「そういや、何かってーとアイツらの周りちょろちょろしてたっけな。犬っころみてーによ」



 田辺の例えに思わず息を漏らしながら、円香はかつていた数少ない同性の後輩のことを思い返し、懐かしさに目を細める。



「……豊島さんかカナちゃんに、彼女が出来たら。そんな時が二人のどちらかに来るとしたら、しっくりきそうな相手はあの子なんだろうなって、なんとなくそう思ったんです」


「あー……確かに、違和感はねーな。どっちとくっつこーが」


「まあ、さっさと彼氏作っちゃいましたけどね、菜々ちゃん。あの野田さんと付き合いだしたのは、正直意外だったなー」


「いたな、そんなヤツ。粋がってばっかのクソ生意気なガキと、いかにも内弁慶の地味っ子じゃよ、ろくに続かねーもんだと思いきや、長続きしたなアイツら」


「婚約宣言までしてましたもんねえ。もうとっくに籍も入れて、二人で慎ましく幸せに暮らしてるんだろうなあ…」



 羨む口ぶりの円香の意図を鋭く察した田辺は、彼女が次の言葉を発する前に、努めて自然に口を開いた。



「まどちゃんはよ、もし菜々ちゃんが野田と付き合ってなかったら、豊島と茂松、どっちの彼女になってたと思う?」



 あからさまに話題を差し替えられたことは不服だったが、籍の話題から連鎖的に自分達の事情に結びつけられるのを田辺が嫌うと予想してあった円香は、さほど機嫌を損ねることはなかった。


 もしも菜々が、豊島か茂松のどちらかと付き合っていたら。田辺が提案した問いに、円香はじっくりと時間を掛けて想像を巡らせる。



「うーん……たぶん、豊島さんの方かな」


「そうかあ?俺は茂松だと思うぞ」


「どうしてです?」


「だってよ、菜々ちゃんが彼氏に選んだ野田にタイプが近けーのは、どう考えても茂松だろ。ノリが軽いっつーか、ガキっぽいっつーか」


「よく二人でふざけ倒したりして調子に乗りすぎて、豊島さんからまとめてお説教されたりしてましたもんね」


「あったあった。そんな野田と長続きした菜々ちゃんは、似たような茂松とも相性がいいんじゃねーかと、俺は思うけどな」



 田辺の推測に頷いてみせながら、それでも自身の直感を捨てきれない円香は、小さく唸りながら首を捻った。



「確かに菜々ちゃん、もしかしてカナちゃんのこと好きなのかなって、傍から見てるとそう感じるような、そんな反応することがあったと思うんですよ」


「ほー?それがマジな話だったら、なかなか面白そうだな」


「真相は本人に聞かないとわかりませんけどね」


「でも、まどちゃんの予想は豊島なんだろ?理由は?」



 純粋な興味の目で尋ねてくる田辺を見やって、円香は視線を中空へ向けて思案を巡らせる。



「……菜々ちゃんって、しっかりしてそうに見えて案外おっちょこちょいなところがあるくせに、ちょっと頑張りすぎる子だったじゃないですか。一人で頑張れそうかなーって目を離しちゃうと、変に無理しちゃったり、自分の力だけじゃどうしようもできない状況に悩んじゃったりして」


「あー、わかるわ。そうなる前に周りを頼れっつってんのに、内気な性格のせいだろうな、誰にも助けを頼めねー場面、何回も見たな」


「そういう時に率先して菜々ちゃんをフォローしてたのって、豊島さんでしたよね」


「ほっとけねーんだろ。そういうとこも、豊島の性格だ」


「そんな場面を見かけるたびに、なんとなくいいなーって思ってたんです、あの二人のこと」



 そこでようやく円香の言わんとしてることを察した田辺は、思わず頬を緩ませながら自分の煙草に手を伸ばす。



「何でもかんでも一人で抱え込みがちな菜々ちゃんと、心配性で過保護気質の豊島か。確かに、長続きしそうだな、その組み合わせ」


「でしょ?どうして菜々ちゃん、豊島さんでもカナちゃんでもなく野田さんを選んだのか、今でも不思議で仕方ないんですよねえ」


「野田に菜々ちゃんを取られて何かしらの行動を起こせる甲斐性があったら、だらだらと独り身続けちゃいねーよ、あいつらも」


「ほんと、そうですよねえ……あーあっ」



 煙草に火を点ける田辺の横で、円香は大きく伸びをしながらベッドに身を預け、気だるげに天井を仰いだ。その行動ですぐに円香の心境に察しが付いた田辺は、薄く笑みを浮かべながら軽く半身を捻り、シャツ一枚で傍らに寝そべる彼女を見下ろす。



「あの二人に女がいるか、そんなに気になるなら本人達に聞いてみりゃいいじゃねーか。まぐれで実はいるかもしんねーだろ」


「じゃあ田辺さん、明日聞いておいてくださいよ」


「嫌だね」


「いじわるー。いいですよーだ、月曜になったらバッチリ聞き出してあげますから」


「いたらいたで、根掘り葉掘り聞き出すような野暮はすんじゃねーぞ。まあ、んな万が一もねーだろうけどよ」



 含み笑いながら煙を吐く田辺を軽く恨めしそうに見上げて、円香は深い深い溜め息を天井に向けて吐き出す。


 賭け事が好きで、なおかつ勝負強い田辺は、確実に勝ち目があると踏んだ時くらいしか賭けに出たがらない。つまり今の彼は、自身が提示した条件に絶対の自信があるということだ。


 てんで恋愛事に向いていなさそうな豊島にも茂松にも、恋人なんているわけがない。もはや職場内での共通認識とも言えるそれが覆って、提示した条件が成り立つことなど有り得ないと、同棲の約束を半永久的に先延ばしに出来た気でいるのだ。


 悲しくなるほどに円香でさえも、現実の彼らはそうだとしか思っていない。だからこそなおさら田辺を卑怯に思ったし、同棲を諦めざるを得ないとすら切に感じた彼女は、泣き言を漏らすしかなかった。



「菜々ちゃんでも他の女の人でもいいから、彼女いたりしてくれないかなー、あの二人」



 この時、ぼんやりと呟いた円香も、傍らでそれを聞いていた田辺も、偶然にも同じ光景を想像していた。


 もしもあの二人のどちらかに、彼女がいたとしたら。それがどちらであったとしても、彼氏側の恋愛初心者ぶりに何かと苦労することは、容易に想像できるのだが。


 先に彼女が出来るのは、きっと『彼』なのだろう。


 そして傍らには――傍らで絶えず笑顔を湛えているのは、きっと――







            *   *   *




「――んっぷしゅ!」「――ふぇっくしょい!」


「……同じくしゃみなのに、ずいぶんとまあ個性が露骨に出るもんだ」


「ふひぃ……ツッコむべきは、二人同時にくしゃみしたことなんじゃないですかね」



 冷静に駄目出しをする向かいの席の菜々と、音を立てて鼻をすする隣の席の豊島を、頬杖をついたまま茂松は交互に見比べる。


 その二人がそっくりな仕草で鼻の下を擦るのを笑いながら、二人まとめてからかえるまたとない機会だと、茂松は口元をさらににやつかせた。



「なんだなんだ、誰かに噂されてっから出たっつー、テンプレくしゃみか?」


「おちょくってる場合か。これがガチの風邪からくるやつなら、洒落にならねーっつの」


「まあな、明日は休日出勤だし。風邪なんか引いてらんねーぞ」


「大変ですねえ二人とも。休日返上してまで田辺さんのお手伝いしないとなんて」


「打ち合わせなんて今日残業して済ませりゃよかったのにさ、今日は帰らせろっつって定時でさっさと帰った、田辺さんのせいでそうなったんだけどな」


「おおかた、まどちゃんにごねられたんだろ。最近あまり構ってくれないんですー、とかなんとかぼやいてたし」



 そんなことがあったのかと豊島は軽く目を丸くして、彼女ならそんなことを周囲に漏らしそうだと菜々は納得の声を上げて、三人はそれぞれ苦笑いを浮かべた顔を見合わせた。



「相変わらず円香さん、田辺さんラブを隠す気ゼロなんですねえ」


「かたや田辺さんにいたっては、付き合ってんの隠し通せてるつもりみてーだけど、まどちゃんの振る舞いでとっくにみんなにバレてんだよなあ」


「ごめんな、菜々ちゃん。田辺さんのせいとはいえ、いつもの土曜飲みの予定変更して、俺らの都合で急に呼び出したりして」


「気にしなくていいですよ。土曜の予定が金曜に早まったって、毎週の飲みデートはもう日課ですからね」



 ならよかった、と返して顔をほころばせ、ウーロン茶に口をつける豊島。そんな隣の席の彼を不思議そうに眺めつつ、茂松は煙を吐き出しきってから口を開く。



「なあ裕太、今日は飲まねーのか?」


「仕事の前日は飲まねー主義なの、俺は」


「さあっすが豊島さん、まっじめー」


「まあ酒が残ったままだと、フォローがめんどくせーからな。その方がこっちとしても助かるわ」


「二日酔いの豊島さんのお世話するのは確かに、仕事どころじゃなくなりますからねえ」


「余計なお世話です」


「あははっ。あー……ちょっとお手洗い行ってきますねー」



 愉快なやり取りを笑い飛ばしながら、菜々は席を立って颯爽と化粧室へ向かっていった。


 その背中を見送ってから、不意の沈黙の中でレモンサワーを煽った茂松は、意味深な視線を隣に送りながらおもむろに口を開く。



「で、酒をセーブしてる本当の理由は?」


「あ?」


「すっとぼけ乙。おおかた、自分で運転して帰りてーから飲まねー、ってとこだろ」



 遠回しな口ぶりを受けて、煙草を取り出そうとしていた豊島の喉が、ぐ、と鳴る。その反応に確信を抱いた茂松は、構わず続けた。



「さあっすが、彼女持ちさんは紳士でいらっしゃるわー」


「……別に、車で家に送り届けるくらい、普通だろ」


「いや、お前の場合それだけじゃねーな」


「それだけだっつの」


「照れんなごまかしなさんな。少しでも長くなっちゃんと一緒にいたい。それがお前の本音だろ」



 にやついた顔で尋ねてくる茂松から軽く顔を背け、咥えた煙草に火を点けて、豊島は何も返さず細く長く煙を吐き出した。


 図星を突かれ、あからさまに動揺を隠したがっているとしか思えないその反応に、茂松はくつくつと喉を鳴らして笑う。



「そんなんじゃねーし、くらい言い返してくるかと思えば、素直だなお前も。そんな調子じゃ、いずれなっちゃんにも悟られて好き放題からかわれるぞ」


「……菜々ちゃんも案外、そういうところは俺並みに鈍くて、正直助かる」


「恋愛遍歴じゃ、なっちゃんの方が段違いで経験豊富なはずなのにな。お前らの恋愛素人っぷりは、はたから見てて時々呆れたくなるわ」


「素人どころか恋愛チェリーのシゲにだけは言われたくない」


「シミュレーションじゃ、田辺さんばりの恋愛玄人レベルに達してる自信あるぜ俺は」


「ギャルゲオタ乙」



 息を漏らしながらそう返して、呑気に煙草をふかす豊島を横目で窺いながら、特に言い返す気にもならなかった茂松はグラスを煽った。


 どうも忠告と受け取られず、酒の席の冗談として済まされてしまったらしい。もう少し深刻に悩ませてやりたかったと、茂松は不服そうに直前のやり取りを振り返る。


 本当に、この恋愛素人カップルは、この先うまくやっていけるのだろうか。どちらも親友ではあるが、所詮は他人事だ。どれだけ心配したところで、二人の将来は二人の手で築かれていくもの。過度に干渉するべきではない。


 せめて二人が、自分達がよく知る彼らのように、恋愛に対してよほどの玄人だったら。そんなよもやま話すら茂松の頭には浮かんでいたが、あまりにも馬鹿らしい考えだと、苦笑いを漏らしてすぐにそれを掻き消すのだった。







【外伝:恋愛玄人達の交際事情】 -FIN-

本編に登場する機会はほとんどなかった、主要人物以外のキャラをメインにしたお話。まさに外伝と呼ぶに相応しい作品に仕上げられたと感じておりますが、いかがでしたでしょうか。


序盤のシリアス感は、本編の佳境部分を書いていた頃の感覚を思い出しました。田辺も円香も、周囲にはお気楽そうで軽薄そうに見られがちなものの、ちゃんと真剣な大人の恋愛をしているんです。意外と真面目な二人の交際事情という、この作品で最も書きたかったテーマをその序盤で大体書き尽くしてしまったので、中盤以降の内容の薄さは個人的に反省点です。


恋愛なんてお手のもの、と周囲から印象づけられている玄人達も、実際はどこか噛み合わなくてぎこちなかったりする。やっぱり恋愛って難しいんだねえ、というお話でした。

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