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涙の魔法・外伝 -unbalanced triangle-  作者: 燐紅
『俺の嫁』になりたくて
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『俺の嫁』になりたくて 5/5


「……やっぱ、いらなくね?ネクタイ」


「ああ。上にスーツかブレザー着てるならまだしも、シャツ一枚の格好にネクタイは蛇足感あるな」


「そうですか?じゃあやめます?」


「解き方わかる?」


「……わかんないです」



 眉尻を下げて情けない声で答える菜々に、こうやって、と豊島は自身のネクタイに手をかけ、見本を見せようとした。



「待て裕太。自分ので見本見せるつもりなら、せっかくだしなっちゃんに喜んでもらえそうな緩め方を見せてやれ」


「おー。ナイスアイデアですカナちゃんさん」



 茂松の妙案に両袖をぶんぶん振って興奮してみせ、菜々は期待を一心に込めた瞳で、豊島を見上げる。


 さっきのやり取りで察してはいたが、茂松を相手にあれだけテンションを上げた菜々は、ネクタイを緩める仕草がよほど好きなのだろう。眩しいくらいに顔を輝かせる菜々の熱意に気圧されて、豊島も思わずたじろぐほどに。



「ネクタイ取るのに緩め方も何も…」


「あたしが演技指導しますから、指示通りに動いてみてください」


「演技指導って…」


「シチュエーションは仕事あがりの一服でお願いします」


「うわー、設定バッチリ用意してあんのか」



 本人は否定しているものの、腐女子の疑いが強い菜々の、自身が好むシチュエーションに対する熱量の凄まじさに感服し、豊島は仕方なく彼女の指示に従うことにした。


 手始めにソファに腰掛けさせられ、次いでローテーブルに置いていた煙草とライターを手渡される。どんどん目的からかけ離れていっているような、と豊島は疑問を浮かべたが、何も言わず菜々の指示を待った。



「まず、煙草に火を点けます」


「うい」



 それもまたよくわからない指示だったが、煙草を吸えという指示なら、豊島は喜んで受け入れた。立て続けに動揺させられる出来事が続いて、そろそろ煙草を吸って落ち着きたいと思っていたところだったのだ。


 いつも通りの所作で煙草に火を点ける豊島を見据えながら、菜々は淡々と指導を続ける。



「普通に煙草を吸いながら、遠い目をして煙を吐き出しつつ、ライター持ってる方の手でネクタイを緩めます」



 普通に吸いながら、遠い目……明後日の方でも見りゃいいのか。で、吸いながら、ライター持ったままようやくネクタイを……肝心の「どんな風に緩めるのか」に対する指示はないが、普通に緩めていいか。


 熟考しながら指示通りに動いた豊島は、こんな感じだろうかと不安げな視線で菜々に問いかける。


 イメージ通りだったのか、見当違いだったのか。何とも言えない表情でぷるぷると全身を震わせる菜々の反応は、一体どちらなのかと豊島が考えているうちに、堪らず菜々は勢いをつけて彼に抱きついた。



「うみゃーっ!豊島さんかっこよすぎます!幸せすぎて死んじゃいそうです!」


「こら!火ぃ点いた煙草持ってる時に抱きつくんじゃない!」


「そうだそうだー。ぼっちの前で堂々とラブラブしてんじゃねーぞリア充共めー」



 シャツ一枚の危うい格好で密着してきた菜々をどかすことも適わず、やり場に困る両腕を彷徨わせて赤面する豊島を尻目に、茂松は平坦な野次を飛ばすだけで済ませて煙草を吸い始める。



「止める気あんならなんとかしろシゲ!」


「自分の彼女くらい自分でなんとかしやがれ、ヘタレ飼い主が」


「誰が飼い主だ!」



 八つ当たりと呼べる文句をぶつけてくる親友も、そんな彼がどうしようもなく愛おしくて抱きついている彼女も、着ている服はどちらも自分のものなんだよなあと呑気に考えながら、茂松はソファでいちゃつく二人を見下ろして煙を吐いた。







<コスプレ会終了後>




 各々が私服に着替え直したところで、三人は思い思いに一息ついていた。



「これこれ。ついでにDVDも持って来た」



 空になった煙草のケースを握り潰し、豊島がそれをゴミ箱へ放り投げたところへ、分厚いDVDBOXとフィギュアのケースを抱えた茂松が収納部屋から戻ってきた。


 ローテーブルに置かれたそれらを見て、懐かしさのあまり豊島は興奮気味な声を上げる。



「うーわ、懐かしい。やっぱ今見ると、絵柄はどうしても古くさく見えるな」


「セル画時代末期のアニメだからな。一気見するか?」


「確か2クールだろ?全24話?」


「いや、地上波未公開分入れて26話」


「てことはオープニングとエンディング全部飛ばして……大体9時間か」


「いけんじゃね?まだ夕方前だし」


「じゃあ飯と酒買ってきて、鑑賞会するか。ちょうど煙草も切らしたとこだったし」



 思いつきで取り決めた名案に単純に心を躍らせたが、ふと冷静になって茂松はリビングを見回した。


 自分と豊島の青春アニメの良さを是非とも知ってもらいたい、菜々の姿が見当たらないのだ。



「……てか、なっちゃんは?まだ俺の部屋漁ってんの?」


「みたいだな」


「懲りないねえ。またつま先立ちで本棚に手ぇ伸ばして頑張ってるわけか」


「ずっとそうやってアホかわ演じてる萌えキャラじゃあるまいし。何かしらの知恵使って取ろうとするだろ」


「とはいえ、俺の部屋に踏み台になりそうな物はまずないからな。俺の秘蔵本がなっちゃんの目に晒されることなんて…」


「――カナちゃんさーん」


「あー?」



 間延びした声を返して、茂松は声がした寝室のドアへ目を向ける。今はしっかりと閉ざされているそのドアの向こうに、やはり菜々はいるようだ。


 大方、手の届かない本棚の一番上から薄い本を下ろしてくれと、性懲りもなく懇願してくるつもりなのだろう。そう予測しながら茂松がほくそ笑んでいると、菜々は彼の予測から外れた問いをドア越しに投げかけてきた。



「NTRって何ですかー?」


「NTR?……ああ、寝取られだよ」


「あー、なるほど。だからこんな変わった組み合わせばっかりなんですねえ」


「変わった組み合わせ……って、まさかっ!?」



 途端に血相を変えた茂松がドアに駆け寄り、勢いよくそれを開けると、そこには本棚の前に座り込んで薄い本を読み耽る菜々の姿があった。傍らに積み上がったアニメ情報誌の束を見て、茂松の血の気がさらに引く。



「んなっ、どっ、どうやって下ろしたんだよなっちゃん!」


「豊島さんに取ってもらいました」


「こんの裏切り者っ…!」



 悠々と後をついてきた豊島の涼しい顔を、茂松は目一杯に引きつった顔で睨み付ける。



「な?何かしらの知恵使ってたろ」


「俺がいねー間にお前使うなんて予想外だったわ!」


「そんなことより……説明してもらおうか、カナちゃんさん?」



 菜々が用いる茂松の呼称を悪戯になぞらえ、豊島は肩を組むようにして茂松の首に腕を回した。距離を詰めた豊島の表情が途端に真剣味を帯びたのを見て、ぐ、と茂松の喉が鳴る。



「以前と比べて随分と嗜好が変わっていらっしゃったみたいで、薄い本のラインナップが、俺が読ませてもらってた頃からだいぶ一新されてるみたいでしたけど、何か心境の変化でも?」


「しっ、心境の変化も何も、もともと寝取られモノも少しはあったろ。今はたまたま、贔屓の同人サークルが出してる本が、若干そっち寄りの傾向が強いだけで…」


「ふーん…?」



 淡々とした口調で問い詰める豊島に、懸命に弁解しているところを途中で遮られ、茂松は足元にいる彼女をおそるおそる見下ろす。



「……あの、そんな軽蔑の目で見ないでくださいよ、なっちゃんさん」



 思わず妙な敬語で懇願してしまうほど、完全に軽蔑しきってこちらを見上げてくる菜々の白い目は、心に刺さるものがあった。


 返せる弁解の言葉が見つからず、そんな茂松をあからさまに見損なった菜々も何も発さず、気まずく重い沈黙が続く。そんな状態が続いて、やがて菜々が決定的な一言を浴びせた。



「あたし、寝取られモノだけは唯一駄目なんで」


「でしょうね!」



 実際にそういったシチュエーションを経験した菜々の言葉に返せるのは、そんなヤケクソのツッコミしかなかった。


 渾身の返しに菜々は少しも笑ってくれず、むしろ二度と口を聞きたくないと言わんばかりにつんとそっぽを向かれ、思わず茂松は大きくうなだれる。そんな彼と肩を組んだまま二人のやり取りを傍観していた豊島は、本気で嘆く親友の哀れな反応に同情を寄せ始める。


 さすがに一方的にいじめすぎたかと軽く反省して、小さく息を漏らした豊島は、落胆しきった茂松に救済措置を与えてやるかと口を開く。



「さてと、菜々ちゃんの好感度がめでたくグン下がりしたところで、好感度回復イベント実行するか」


「……何すりゃ回復すんだよ。鑑賞会?」


「買い出し」


「全部俺持ちか!?」



 興味深いやり取りにしっかりと気を引いた菜々は、途端に目の色を変えて二人をぱっと見上げる。



「えっ、なんですか?今度は何するんですか?」


「喜べ菜々ちゃん。優しい優しい(かなめ)お兄ちゃんが、晩飯ご馳走してくれるってさ」


「ほんとにっ!?」



 瞬時にその場でぴょこんと立ち上がり、眩しすぎる眼差しで見上げながら詰め寄ってくる菜々に、茂松は軽くたじろぐ。


 知らぬ間に性癖を晒し上げられ、一方的に軽蔑された流れはどこへ行ったのやら。一変して無茶な要求を押しつけられ、しっかりとそれに期待する二人の企みに挟まれ、為す術もなく茂松は頬をひくつかせた。



「飯と酒の買い出しが済んだら、今日はさっき話したアニメの鑑賞会するぞ。酒は菜々ちゃんが飲みたいだけ、いっくらでもお兄ちゃんが買ってくれるって」


「わーいっ!要お兄ちゃん大好きー!」


「のわっ!?抱きついてくんなし!態度変わりすぎだろなっちゃん!」



 豊島の時とは違って、服装が元に戻っただけまだマシだったが、すぐ傍に彼氏がいるにも関わらず思いきり抱きついてきた菜々に、さすがの茂松も慌てた。


 そんな菜々のオーバーアクションに妬いたりすることはなく、むしろ豊島は彼女の悪ノリに便乗して、茂松にからかいの言葉を投げる。



「大好きって言われてパラメータ回復したと思い込んで油断してると、プレゼントもデートイベントも効果薄くなって、攻略不可能になるからなシゲ」


「うるせーギャルゲ脳!これもある意味寝取られだぞ!」



 取り繕う余裕もなく声を荒げる茂松に対し、豊島は余裕綽々に返してみせる。



「別に大して心痛まねーし。痛むのはお前の所持金だけ」


「やかましーわ!」



 いつものボケとツッコミがすっかり入れ替わった名コンビの漫才に、菜々は茂松に抱きついたまま心底愉快そうに笑い転げた。







【外伝:『俺の嫁』になりたくて】 -FIN-

本編完結後の三人で、とにかく思いっきり楽しいことをしているお話を書きたい。そして思いっきりオタクらしいことをしている三人のお話を書きたい。そんな願望を融合させて生まれた、小説という媒体でまさかのコスプレネタを扱うという今回の外伝、いかがでしたでしょうか。


実はこのネタ、本編が実際に完結する数ヶ月も前には、会話文のみの形ですでに完成していました。外伝とはいえ時系列を個人的に重視している以上、公開は本編が完結してからと決めていたので、ようやくお披露目できたことを感慨深く思っております。とはいえ、仕上がったストーリーに状況や情景の文をひたすら付け足していく作業というものは、なかなか労力を消費するものだと痛感しました。会話構成だけで描写を脳内保管していた状態から、描写を加えて読み手に内容が伝わるよう手を加えた文面が、果たして万人が想像しやすい出来に仕上がっているものか否か。軽く読み返してみて、所々に課題が見え隠れするような、そんな作品になったとも思っております。


それはさておき、ストックしている外伝の中でも特にお気に入りのネタだったので、出し切れるだけの力で小説らしい形にして最後まで仕上げられたことには、大満足してます。まだまだストックを蓄えていますので、そちらも早いところ形にして、どんどんお披露目していきたいです。


ちなみに今回のネタ、ここではちょっと打ち明けにくい内容の派生ネタも考えてあったりします。どんな内容なのか、着手するのかしないのか、報告は別の媒体にてまたいずれ。

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