『俺の嫁』になりたくて 4/5
<おまけ:エキシビション(菜々リクエスト)>
「カナちゃんさん。クローゼットの中は見てもいいですか?」
「あ?別にいいけど」
互いのスマホを見せ合って写真の撮り映えを鑑賞していた茂松は、元の服に着替えようと寝室に戻りかけた菜々に尋ねられ、何の気なしに答えた。
あからさまに何かを企んだ菜々の声に嫌な予感を覚えて、豊島も顔を上げる。
「クローゼットとか、そんなわかりやすい場所にやましいモンはしまわねーだろ、シゲは」
「やましいもの探したいなんて思ってませんよ。一応女子なんですから」
「さっきまで堂々とエロ本探してたくせに」
苦笑混じりの豊島の悪態に口を尖らせてみた菜々に、茂松は念を押す。
「てか、それこそ見てもつまんねーモンしかねーよ?仕事用のシャツとなけなしの私服くらいで」
「いいんですっ。ちょっと見させてもらってきますねー」
「頼むからパンツとかは漁るんじゃねーぞー」
さらに念を押した茂松の一言に、豊島は堪らず吹き出す。その反応をからからと笑いながら、菜々は揚々と寝室に戻っていった。
動揺のあまり取り乱した胸中をなんとか鎮め、豊島は落ち着き払いながら口を開く。
「……なんか、嫌な予感すんのは俺の気のせいか、シゲ」
「いや、その予感は当たってるわ。おそらく、俺の服を裕太に着せてみようとか、代わりにお前の服を俺に着させて私服交換させようとか、そんなつもりなんじゃねーの」
「それくらいならまだいいが…」
「お待たせしましたー!」
あまりにも早すぎる再登場の声に驚いた二人は、満面の笑みを湛えた菜々が持ち出してきた物を見て、さらに目を疑う。
「ちょっ!どっから見つけてきたんだよ、そのスーツ!」
「どっからって、衣装ケースの一番下から」
「うわー。まさか一式掘り出してくるとは。しかも二着」
動揺を露わにする茂松と、心底呆れ顔を湛える豊島に、コスプレ姿のままの菜々は期待を満面に浮かべて彼らにスーツ一式を押しつける。
「ハンガーにはワイシャツしか掛かってなかったんで、正装用のスーツは衣装ケースにしまってあるのかなーって」
「くっそー……上だけだけど、普段着てる方はクリーニング出してるからって油断してたら、まさかそれ探し当てられるとは…」
「菜々ちゃんのスーツセンサーの精度に負けたな」
もはや笑うしかない二人は、渡されたスーツ一式と、爛々と目を輝かせている菜々を交互に見比べて、微塵も拒否権を挟む余地などないと悟って溜め息を漏らす。
「というわけで、今度は二人がコスプレする番ですよ」
「コスプレったって、ただのスーツだろ。こんなの着たって誰得なんじゃ…」
「あたしが得するんですっ。久しぶりに二人のびしっと決まったスーツ姿が見たいんですっ。終わったら声かけてくださいね、あたしも着替えてきますから」
興奮気味にまくしたてて、菜々は二人の返事も待たずに再び寝室に姿を消した。無理矢理押しつけられたスーツを手にしたまま、二人は困り果てた表情で顔を見合わせる。
「……着るしかねーのか」
「まあ、菜々ちゃんに色々着てもらったし、コスプレがスーツくらいで済んだならいい方だろ」
「オフィスラブ系BLゲーの主要キャラのコスプレさせるつもりだろうけどな、なっちゃんは」
「……結局掛け算妄想か」
観念した豊島と茂松は、渋々スーツに着替え始める。
体格にさほど差はないので、茂松の服くらい着られるだろうと見込んでいた豊島は、ワイシャツに袖を通した時点で軽く不安を覚えた。若干だが、肩の辺りが少し窮屈なのだ。
一着しかない上着はどちらが着るべきか。先述の理由で豊島は上着を茂松に譲ろうとしたが、サイズなど関係なしに、着るのが窮屈で嫌だという理由と、上下揃いで着た方が菜々が喜ぶからという理由で、突き返された。嫌々ながら袖を通したスーツは、やはりワイシャツ以上に窮屈だった。
ちゃっかり用意されたベストも着ておかないと、菜々に目ざとくツッコまれてしまうだろうと予測した二人は、億劫がりながらもベストの着用は省かないことにした。さらに豊島はその上からスーツをしっかりと着込んで、二人は菜々が熱望したスーツ姿に着替え終わる。
「なっちゃーん。着替え終わったぞー」
軽くネクタイを直しながら茂松が声をかけると、部屋の奥からぱたぱたと急ぐ足音が聞こえ、勢いをつけて開いたドアから菜々が顔だけ覗かせる。
「……うきゃーっ!」
黄色い奇声を上げながら顔を引っ込めてドアを閉め、その向こうからじたばたと菜々が身悶える音を聞きながら、二人は呆れたように顔を見合わせた。
「……どう受け取るべき?この反応」
「……お気に召していただけたのではないかと」
「なっちゃんてばー。俺らさっさと着替えたいんだけど、もういいのかー?」
「ま、待ってくださいっ!あたしももうすぐ着替え終わるのでっ!」
「なんだ、着替え途中だったのな」
「にしても、手間取りすぎじゃねーか?もうさっきの衣装脱いで、私服に戻るだけだろ」
「言われてみれば、ちんたら着替えてた俺らよりなっちゃんが遅いわけ…」
「……あーもうっ。やっぱ無理っ」
苛立ち混じりの菜々の声がして、二人はきょとんとした目をドアに向ける。
そして次の瞬間、開け放たれたドアから姿を現した菜々の格好を見た二人は、最大限に目を見開かせて固まった。
「じゃじゃーん!似合ってますかー?」
「ななななななっちゃんっ!おまっ、なんつー格好をっ!」
動揺のあまり茂松の声が上ずってしまうのも仕方ないと言えるほど、二人の前に現れた菜々のコスプレ姿は、あまりにも奇抜すぎた。
これまでに披露したコスプレ衣装と比べて、どの衣装よりも目立ち、どの衣装よりもシンプルで、彼女が着るには大きすぎる真っ白のワイシャツ。身にまとっているのは、それだけ。
「男子永遠の憧れ、彼シャツでーすっ」
「俺のシャツでやるな!裕太のでやれよ!」
「だってカナちゃんさんのシャツしかないし、仕方ないじゃないですか」
「おい裕太!しっかりしろ!正気に戻れ!」
茂松はソファに倒れ伏した豊島を懸命に揺さぶったが、あまりの衝撃に豊島は身じろぐことすらままならないようだった。
それを見て腹を抱える菜々に恨めしそうな視線を送ったが、身動きするたびに揺れる危ういシャツの丈にどうしても目が行ってしまい、茂松は直視を躊躇って軽く目を逸らす。
「あーおっかしー。サプライズ大成功ですね」
「刺激強すぎなんだよ。特に裕太には」
「ついでにネクタイも借りようと思ったんですけど、巻いたことないからやり方わかんなくて諦めました。豊島さん巻いてください」
疲労困憊の顔をようやく上げた豊島に歩み寄り、菜々は至って天真爛漫な笑顔でネクタイを手渡す。仕方なく受け取った豊島は、目のやり場に困りながらも、ぎこちなく菜々のネクタイを巻いてやろうとした。
が、不意にその手が止まる。
「……ごめん。やっぱ無理」
「えー」
「えーじゃないのっ!人のなんか巻いたことないから、わかんねーんだよっ!」
「それはそうでしょうけど……じゃあカナちゃんさんお願いします」
「俺だって人のなんか…」
「巻いて?お兄ちゃんっ」
「……あざといわー」
都合よく振り回す菜々に呆れ返りながらも、茂松は仕方なく豊島と交代した。
だが、やはり自分で巻くのとは勝手が違うせいか、うまく出来ずに手が止まる。
「おっかしいなー。自分のだと大して難しくねーのに」
「一度自分のを巻き直してみたらいいんじゃないですか?」
「めんどくせーなー。第一、彼シャツにネクタイなんていらねーんじゃ…」
ぶつくさと文句を垂れながら、茂松はおもむろに自身のネクタイをぐいと解く。
「ひゃー!」
「は!?何ごと!?」
「あ、ごめんなさい。つい興奮しちゃって」
「……あー、ネクタイ解いたからか。腐女子の萌えポイントを突いたわけな」
「腐に限らず、ネクタイ緩める仕草は大体の女子が好きなんですっ」
「はいはい。一般女子に擬態しきれてない腐女子の言い逃れ乙ー」
解いたネクタイを巻き直す茂松に雑にあしらわれ、菜々は思わず頬を膨らませた。
「もー。あたしはもう腐女子じゃありませんってば」
「裕太ラブですからねわかります、っと。やっぱ自分のだとすぐ出来るんだよな。これが人のになると、なんでかうまくいかねー…」
すっかり他人のネクタイを巻くことに躍起になった茂松は、再び菜々のネクタイに手を伸ばす。こうか、いや違う、などと独りごちながら夢中でネクタイと格闘する茂松を、されるがままの菜々はじっと見つめていた。
ふと目線をそんな彼女に向けた茂松は、あからさまに呆れてみせる。
「……にやけすぎだろ、なっちゃん」
「なかなか顔戻らないんです。さっきの余韻のせいで」
「言い逃れ不可な腐女子乙」
緩みきった口元を両手で戻そうとする菜々にツッコミを入れ、またネクタイに意識を戻そうとした茂松の手は、横から入ってきた豊島の手に無造作に払われた。
「貸せシゲ。俺がやる」
「お?ネクタイ緩め効果でなっちゃん興奮させた俺にジェラシー発動?」
「うまく出来ねーふりして、サイズの緩いシャツ着た菜々ちゃんの胸元ガン見してたろお前」
「誤解を招く言い方すんなし!」
「カナちゃんさぁん?」
「なっちゃんも真に受けないでください!」
「一度失った信頼を取り戻すのはそう簡単なことじゃねーんだよ、オオカミ少年」
「くっそー……何も言い返せねえ」
例えに語弊があるような気がしたものの、汚名返上の余地などないと悟った茂松は、苦々しく顔を歪めて豊島と再び交代する。
茂松がネクタイを巻き直す仕草を観察していた豊島は、初めに挑んだ時よりも迷いのない動作で、手早く菜々のネクタイを巻いていく。
「……ほれ、出来た」
「わーいっ。ありがとうございますっ」
ようやくネクタイを身につけられた菜々は、軽い足取りで一歩下がって両手を広げてみせ、豊島と茂松にネクタイ姿をしっかりと見せつけた。
目一杯に広げた両手の指先しか覗かない萌え袖状態になかなかぐっと来たものの、シャツ一枚の菜々の姿にやっと慣れ始めてきた二人は、そこへネクタイが加わった彼女の姿をじっくりと眺める。
二人が共通して抱いた感想は、何か違う、という明確な違和感だった。




