『俺の嫁』になりたくて 2/5
三人はひとまず積み重ねた段ボール箱を一通り床に下ろし、手始めに一つ開封して中を改めてみて、思わず感嘆の声を揃える。想像を遥かに超える精巧な作りの衣装の数々。一着一着を箱から取り出しては、思わずじっくりとそれらを堪能しているうちに、彼らのテンションはすっかり上がりきった。
「あー、何から着ようか迷うなあ」
「どれでも好きなヤツ着てみ。サイズは大丈夫そうだろ?」
「たぶん大丈夫だと思います。着て欲しいのあります?豊島さん」
やがて各々が箱を一通り開け尽くしたところへ、菜々が期待を込めて豊島にリクエストを請う。そうだな、と返しながら、すっかり衣装鑑賞を楽しんでいる豊島は、自身が開封を担当した箱の中を探り始める。
「菜々ちゃんといえば、やっぱこれだろ」
そう言って取り出したのは、ブレザータイプの女子中学生の制服だった。三人にとても馴染みの深い、知る人ぞ知る名作ラブコメアニメの登場キャラの衣装だと、菜々も茂松も一目で気付く。
「あー!あの妹ちゃんの制服だ!」
「いいチョイスだな裕太。声マネと合わせて神再現できそうだ」
そのアニメファンなら誰しもが「妹ちゃん」と呼ぶキャラの声を再現してみせるのが、菜々の得意芸の一つなのだ。これで声だけでなく外見も妹ちゃんを真似られるのだと、見るからに菜々は興奮してみせ、豊島と茂松も純粋に期待を高まらせる。
二人から好感触を得て軽く得意げになりながら、豊島は茂松が手にしている衣装を指差した。
「で、お前がさっきから持ってるそれは、菜々ちゃんに着て欲しいヤツか?」
「まーな。これ知ってる?なっちゃん」
「えっと……なんとなく見覚えはありますけど…」
まじまじと眺めてもあまりピンと来ない様子の菜々に、豊島と茂松の口から落胆混じりの笑いが同時に漏れた。
「ま、リアルタイムで見てるわけねーから知らねーだろうな。俺らが中学に上がるくらいの時にやってた、魔法ファンタジー系アニメのキャラの戦闘衣装だ」
「ひょっとしなくても、セーラ派なんだろシゲ」
「当然。そう言う裕太もだろ?」
「言わずもがな」
「セーラー?」
「セーラーじゃなくて、セーラ。その衣装着てたキャラ名がそれで、ちなみに主人公よりダントツ人気出たキャラな。途中で死ぬけど」
「あれはリアルタイムで見てて泣いたなー」
「なるほど。思い出補正ってヤツですね」
選別理由を端的に表されて、世代の違いによる熱量差を改めて痛感した二人は、また一つ軽く嘆くように笑った。
「じゃああたしはー……これかなっ」
年上二人の憂いなどお構いなしに、自身が着る衣装選びに夢中の菜々が取り出した服を見て、豊島と茂松のテンションがぐんと上がる。
それは今日が土曜日であることを忘れる、翌日の朝の空気を彷彿とさせる、誰もがそれとわかる女児向けアニメキャラの格好だ。
「お、マイナーアニメから一気に超メジャーアニメに昇格したな。しかも主人公衣装じゃん」
「これ、市販じゃなくて絶対自作ですよね?すっごい作りが細かくて、再現度高いなーと思って」
「よーし。とりあえずこの三つ持って、好きなの着てきてよ」
「了解でーす。カナちゃんさんのお部屋借りますねー」
豊島と茂松が選んだ衣装を受け取って、意気揚々と菜々は茂松の寝室に向かう。
「着替え覗きに行ったりしねーように、俺がシゲを見張っとくから安心しろ、菜々ちゃん」
「誰が覗くかよ。なっちゃんの着替え覗くより、なっちゃんの着替え妄想して興奮する裕太からかってる方が面白そうだし」
「妄想しねーよ!」
声高に否定する豊島をひとしきり笑いながら、寝室のドアは閉められた。次にそこから現れた時の菜々は、どの衣装を選んで登場することだろう。それぞれが期待を膨らませながら、残った二人は開封した段ボールを適当に一箇所に寄せて片付け始める。
「……ひとつだけ、聞いていいか」
軽く声を潜めながら問いかける豊島を、茂松は何の気なしに振り返る。
「なに?」
「サイズは大丈夫そう、っていうのは?」
それは、始めに段ボールを開封した時に、茂松が菜々に確かめた言葉だ。それに豊島が疑問を持った理由をしっかりと察した茂松は、思いきり苦笑いを浮かべる。
「あー……それ聞いちゃう?」
「菜々ちゃんに言い切ったお前も、なんとなく察しがついてる俺も、菜々ちゃんに対してかなり失礼なこと考えてるんじゃねーかと思ってさ」
「実はさ……こういう衣装もあるわけ」
箱の一つにおもむろに手を突っ込んで茂松が取り出したのは、三人で衣装を漁っていた時に、彼が一度手に取ってから隠すようにしまい直していた衣装だったと、たまたま目撃していた豊島にはわかった。
大胆に胸元が開いたセクシーな衣装に、一目で何のアニメキャラの服か瞬時に思い出し、同時に茂松の言わんとしていることを察した豊島は、顔を引きつらせて笑う。
「まあ、こういう服もなかなかの再現度で着こなしちまう、けしからん物をお持ちの方でしたので」
「……それ以上は言うな。黙って隠しとけ」
小は大を兼ねるのだ。そんな野暮なことを口にするのは、さすがに二人とも控えた。
<1着目:制服のツンデレ妹(豊島リクエスト)>
「――お兄ちゃんっ!早くしないと、学校遅刻しちゃうよ!」
不意打ちに面食らった二人は、寝室から登場した彼女を見て、さらに驚く。
「うお、声マネ付きで登場か」
「すげー。まんま妹ちゃんだ」
ソファでくつろぎながら相変わらず煙草を吸って待っていた豊島と茂松は、堂々とした出で立ちでドヤ顔を決める菜々の「妹ちゃん」コスをしげしげと眺めた。
キャラクター設定は中学生なのだが、年齢はその倍はある菜々がそのキャラに扮していても、何ら違和感がない。高精度の声真似の相乗効果もあるかもしれないがと、観客二人は内心で苦笑いを浮かべた。
「えへへー。似合ってます?」
「めっちゃくちゃ似合ってるよ、なっちゃん。なあ裕太?」
「あ、ああ。再現度高すぎてびっくりしたよ」
「そうじゃねーだろ」
「何がだよ」
すでに赤面がちな豊島ににやりと笑ってみせ、茂松は悪戯に彼へ耳打ちする。不思議そうに首を傾げる菜々の視線の先で、豊島はさらに顔を赤らめながら苦々しく顔を歪めた。
「……言えるかよ、そんなこと」
「どうしたんですか?」
「なあ妹ちゃん。君の優しーいお兄ちゃんが、妹ちゃんに言いたいことがあるんだってさ」
「言いたいこと?」
にやにやと企み顔を浮かべる茂松にきょとんとしてみせ、菜々はこちらを直視できずに発言を躊躇う豊島の口元をじっと見つめる。
「…………すげー、可愛い」
「やったあー!」
「妹ちゃんはそんな反応しねーだろ」
「あ、そうだった」
「はい、テイク2」
自然と演出を仕切り始めた茂松の合図で、菜々は瞬時に声真似の準備を整える。
妹ちゃんは、生粋のツンデレキャラ。主人公である大好きなお兄ちゃんに嬉しい言葉を掛けられても、素直に喜んでみせたりは決してしない。
「うっ、うるさい!お兄ちゃんなんかに褒められたって、全っ然嬉しくなんかないもんっ!」
「ツンデレフルコースあざーっす!」
「テンション高すぎだろお前」
「テンション上がらざるを得ねーだろ。衣装と声真似でこんだけ妹ちゃん完全再現してんだから、照れてねーで素直になっちゃん褒めろよ、裕太」
「……照れてねっつの」
「お前のツンデレはいらねーわ」
不意の漫才に、途端にキャラを忘れて菜々は破顔する。ひとしきり笑ってから、身につけた衣装をじっくりと眺め回した。
「にしても、この制服すっごい可愛いですよね。本当にアニメのまんまだし」
「ノッてきたところで、写真撮っちゃう?」
「調子に乗るな。嫌がってただろうが菜々ちゃん」
「んー……いいですよ」
マジか、と漏らす豊島に、菜々は満面の笑みで応えてみせる。それを見て茂松はここぞとばかりにスマホを取り出して、カメラアプリを起動した。
「さあっすがなっちゃん!ほら、裕太も撮っとけって」
「俺は別に…」
「撮ったら後であたしのスマホに送ってくださいね、豊島さん」
「なんで目覚めてんだよ、コスプレに」
「どんなポーズで撮ります?」
「やっぱ妹ちゃんといえば、アレっしょ」
「アレですよね。豊島さん、カメラ起動しました?」
やれやれといった顔でカメラの準備を整え、豊島はおもむろに菜々へスマホを向ける。
それを見て菜々は、妹ちゃんのお決まりのポーズを再現しようと、向けられたスマホのカメラに人差し指をびしっと突きつけた。
「もう!お兄ちゃんの馬鹿!」
「おー、声真似付きでカメラサービスとか、贅沢な撮影会だな」
「……ごめん、ブレた。もう一枚撮らして」
「クソ正直に動揺してんじゃねーよ、純情兄貴」
「うるせー外野。これ以上手元狂わせんな」
「ずーっと顔赤くしてるお兄ちゃん、かーわいいー」
「にやけすぎだ菜々ちゃん。妹の再現率ガタ落ちだぞ」
「ウブなお兄ちゃんが悪いんですー」
なんとか豊島が撮ってみせた写真を見ようと、三人は頭を寄せ合ってスマホを覗きこむ。口元はにやついているものの、いかにも主人公目線で見た妹ちゃんの再現度の高さに、彼らは思わず歓声を上げてはしゃいだ。
「じゃあ次は俺な。妹ちゃーん、目線こっちくださーい」
「はいはーいっ」
「……お?」
「う?どうしました?」
「いや、なんでもない。ちょっと別アングルからも撮らして」
意味深な反応を不思議がる菜々をよそに、茂松はわずかに上のアングルから彼女を撮ろうとした。嫌な予感を覚えた豊島は、こっそり彼の後ろに回ってスマホを覗き見る。
そして一目で茂松の狙いを確信し、片手でその頭をわしづかむと、全力を込めて締め付けた。
「いでででででギブギブギブ!」
「調子に乗んなっつったろこのエロカメラ小僧!堂々と胸チラ撮ろうとしやがって!」
「こっそり撮れたらお前にもちゃんと送るつもりだったって!」
「そういう問題じゃねー!」
床の上で揉み合いになる二人の前に、無言で近寄ってきた菜々の姿を捉え、茂松はぎくりと身をこわばらせて彼女を見上げる。恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にする彼女を見るやいなや、豊島は素早く茂松を羽交い締めにして、彼女へ差し出した。
「い、妹ちゃん、顔こえーよ?恒例のブチギレシーンの再現完璧だけど、むしろアニメ超えて…」
引きつった声で諭す茂松の言葉など微塵も聞き入れず、菜々はサンドバッグ状態の彼に容赦なく拳と蹴りを浴びせる。
「カナちゃんさんの馬鹿!変態!最低!信じらんない!」
「いっで!痛いってなっちゃん!せめてお兄ちゃん呼びでキレてよ!」
「絶対にカナちゃんさんのことお兄ちゃんなんて呼んであげませんから!」
「ごめんってー!」




