『俺の嫁』になりたくて 1/5
時系列・・・「涙の魔法」完結後。とある土曜日の午後。
たまには誰かの家に集まって遊ぼうか。そんな提案を持ちかけてきた人物は、密かに何かを企んでいたらしく…。
外伝【『俺の嫁』になりたくて】
「――駄目に決まってんだろ!ド変態かてめえは!」
本棚に並ぶ無数の雑誌の背表紙を指でなぞっていた菜々は、突然リビングから聞こえた怒鳴り声に驚いて、咄嗟に手を引っ込めた。
一体何事かと、家主の了承を得て満喫していた寝室の散策を中断し、壁を占拠した背の高い本棚から横へ一歩移動して、開け放ったドアからリビングの様子を窺う。
「……びっくりしたー。どうかしたんですか、豊島さん?」
寝室から顔を覗かせた菜々を、リビングの端に据えたソファの前に立つ豊島と茂松が、おもむろに振り返る。
いやあ、と声を漏らしながら茂松は目を泳がせて口ごもり、豊島は問いかけに答えるより先にソファにどっかりと腰を下ろして、渋い顔で煙草を吸い始めた。
「何でもない。こっちの話」
「むー。あたしだけ仲間はずれ、いくないと思いますっ」
「菜々ちゃんを変な世界に巻き込みたくないの」
「変な世界?」
「まあ、ここも充分、変な世界だけどよ」
「我が物顔で煙草吸いながら人ん家をボロクソに言うなし」
腰に手をあてて口を尖らせながら見下ろす家主の茂松を、豊島は呆れ顔で睨み上げる。
「自分から誘っといて何言ってんだ。馬鹿くせー用件に付き合わせるつもりだったって最初から知ってりゃ、貴重な休みにわざわざ菜々ちゃん連れて、お前ん家なんかに来なかったっつの」
「悪うござんしたねー、せっかくの貴重なデート日和を無駄にしてしまってー」
「あたしは楽しんでますよ、カナちゃんさんのオタ部屋探検」
険悪気味なやり取りをよそに、菜々は呑気な声でそう言って、元の位置に戻って本棚を再び眺めだす。
お気楽な彼女の行動に軽く嫌な予感を覚えて、茂松はその場に立ったまま軽く身を乗り出して、遠巻きに菜々の姿を目で追った。
「……てか、さっきから何探してんのなっちゃん。フィギュアじゃなくて本棚ばっか見てっけど」
「そりゃもちろん、アレな本とかないのかなーって」
「やめなさいっつの、女の子なんだから」
まさか予測していた通り、成人向けの本を物色していたとは。ひたすら純真無垢な表情で、爛々と目を輝かせている菜々を見て、茂松は心底呆れ返る。
それでも余裕を保てていたのは、日頃からそういう類いの物はしっかりと隠してあって、そう簡単には見つけられないだろうという、絶対の自信があったからだった。
「……一番上の段の、ちょい昔のアニメ情報誌に挟んでカモフラしてる」
「バラすな馬鹿裕太!」
秘蔵本の在処をあっさりと暴露され、茂松は涼しい顔で明後日の方向へ煙を吐き出す豊島の肩を、渾身の力で殴りつけた。
ほう、と短く声を返して、菜々は天井に届きそうな高さを誇る本棚の最上段を目一杯に見上げる。茂松が立っている位置からしかその様子は窺えないが、結果が目に見えている事を知っていた豊島は、殴られた肩をさすりながら菜々に聞こえる声量で呟いた。
「どうせ菜々ちゃんじゃ届かねーだろうし」
「うぐっ。せ、背伸びしたら届くっ、もんっ…」
「期待するような内容の本なんてねーぞ、菜々ちゃん。シゲの愛蔵エロ同人誌なんか」
「どうしてお前らは、二人がかりで独り者のキモオタをいじめたがるかね…」
思わずうなだれて大袈裟に嘆いてみせながら、つま先立ちで懸命に手を伸ばした菜々がてんで目的の位置に届いていないことを確かめて、茂松もローテーブルに置いていた自分の煙草に手を伸ばした。
「あーもーっ。カナちゃんさんの性癖探るのは後回しにしますっ」
「なんで諦めてくんねーの」
思いきりふてくされた顔でリビングに戻ってきた菜々は、本来三人掛けのソファを独り占めしている豊島の方へ歩み寄り、彼の隣にちょんと腰掛けた。
「そんなことより、豊島さんと何話してたんですか?ド変態とか言われてましたけど」
「あまり変態と口聞かないでください」
「あまり変態呼ばわりしないでください」
「もー、漫才はいいから用件を言ってくださいよ。察するに、豊島さんじゃなくてあたしに用があるんじゃないですか?」
バッチリ図星を突かれたと言わんばかりに、茂松は咥えた煙草に火を点けようとした手を止めて、気まずそうに豊島の顔色を窺う。視線を向けられた豊島は、不機嫌そうな目線を菜々とは正反対の方向に向けたまま、わざとらしい溜め息と煙を吐いた。
目も合わせてもらえないほど豊島の機嫌を損ねたことに苦笑いを浮かべながら、茂松はローテーブルを挟んだ二人の対面に移り、フローリングの床に座り込んで煙草に火を点けた。
「実はちょこーっとだけ、なっちゃんにお手伝いして欲しいことがあってさ」
「何がちょこーっとだ。菜々ちゃんありきの話だろうが」
「だから、あたしは何を手伝えばいいんですか?」
不透明な会話に疑問を投げかける菜々と、難しい顔をして横を向いたままの豊島を交互に見比べて、茂松は迷いを窺わせながら煙を吸い込む。
やがて深く深く煙を吐いてから、長い間を置いて、菜々に問いかけた。
「なっちゃんさ、コスプレ好き?」
「コスプレ?クオリティ高い人のを見るのは好きですよ」
「要は見る専なんだよな?自分でやってみたことは?」
「ないですよそんなの」
「じゃあやってみよっか」
「はいい!?」
テンポのいい問答に乗りかかろうとしたところで、思わぬ茂松の返しに、菜々の口からとんでもない声量の奇声が上がった。
当然の菜々の反応を見かねて、我関せずを決め込むつもりだった豊島は、睨みを効かせて対面の茂松に顔を向ける。
「やってみよっか、じゃねーよ。駄目だっつってんだろうが」
「保護者の意見より、本人の意思を尊重すべきだろ」
「誰が保護者だ」
「あの、そもそもなんで、コスプレなんですか?」
「いや、実はな――」
隣に菜々がいる今なら、豊島もさっきのように怒鳴り散らしたりはしないだろうと、茂松は二人を前に事細かに説明を始める。
アニソン歌手のケイナの熱狂的なファンである茂松は、実は普段からファン交流も精力的に行っていて、SNS等で通じているケイナファンの知り合いがそこそこいる。そのうちの一人に、アニソンの他にコスプレ撮影も趣味とする男性がいて、訳あってその彼から女性用のコスプレ衣装を譲り受けたのだという。
何故男性から、しかも男性相手に、よりによって女性用のコスプレ衣装なんかを。当然の疑問を菜々が次々と発してくるのをなだめて、茂松はその知り合いの事情について淡々と語る。
衣装を譲ってきた男性は、同じコスプレ趣味を持つ女性と交際していたが、訳あって別れたそうなのだ。市販の衣装を購入したり自作したりして、彼女にコスプレをさせて写真を撮ることを楽しんで交際していたが、別れたことだし彼女の思い出を残したくないと、写真も衣装も全部手放したかったという。写真は処分できたが、自作した物も含め衣装はただ捨てたくないから、貰い手を探していたらしい。
「そいつの元カノのコスプレ写真は何回か見たことあったし、実際に会ったこともあるんだけど、背格好がちょうどなっちゃんくらいの人だったんだよ。んで、適任な女の子が知り合いにいますよーって言ったら、そいつも大喜びしてさ。そっこー俺ん家に衣装全部送りつけてきたわけ」
「……もしかして、あそこに積み上がってる段ボール、全部それですか?」
菜々が指し示したのは、本来ならキッチンであるはずのスペースの大半を占めた、アパートの狭い玄関をギリギリ通れるくらいの大きさを誇る段ボールの山だ。問いかけに苦笑いで頷いて返した茂松は、困ったように頭を掻いた。
「ご名答。俺もまさかあんだけ大量にあったなんて予想外でさ。どうしたもんかね、裕太?」
「どうするも何も…」
「えー。中開けて見てみましょうよ。どんな衣装があるか気になるじゃないですか」
菜々に代わって断固拒否を貫きたい豊島だったが、運悪くと言うべきか、興味を抱いてしまった菜々が腕に縋ってきて懇願するものだから、ただ彼女を見下ろして大きく口元を歪めるしかなかった。
その様子を見て、形勢が転じたのを確信した茂松は、ぱっと顔を輝かせる。
「お、乗り気だな、なっちゃん。気に入ったヤツあったら着てみる?」
「菜々ちゃんが興味持ったからって、気軽に着せようとするな」
「コスプレ好きじゃないんですか?豊島さん」
「いや、コスプレが駄目なんじゃなくて…」
「なっちゃんのコスプレ姿見てーだろが」
「見たい。……じゃなくて、用件を最後まで言え。それ着た写真撮って送ってくれって頼みを伏せたまま、話を進めるな」
「写真!?」
素っ頓狂な声で繰り返した菜々の凝視から、茂松は即座に目線を横に逃がす。
「あーあ。それ言ったらなっちゃん渋ると思って黙ってたのに…」
「た、確かに、ここで二人に見せるならまだしも、写真撮るのはちょっと…」
一転して口ごもる菜々に妥協案を提示する前に、茂松は彼女の隣で口を結んだままの保護者と目を合わせる。
やはり撮影の条件に難色は示したものの、菜々はこの場でコスプレを披露することに抵抗はなさそうだ。彼女の意思を確かめるまで、頑なにその事態を回避させたがった豊島も、彼女のコスプレ姿に期待を寄せていると本音を明かしてしまっている。
しばらく目線で意思疎通を図っていると、やがて渋々ながら豊島が小さく頷いて返す。ようやく許可を得たことに軽く達成感を覚えながら、茂松は再び菜々に向き直って口を開いた。
「ま、着てみたいだろ?写真は断られたって言っとくから、好きな衣装あったら着てみてよ、なっちゃん」
「いいんですか?頼まれてるのに」
「いーのいーの。丹精込めて作った自分の衣装で、また誰かに喜んでもらえるのが何より嬉しいって、依頼主も言ってたしさ」
「じゃあじゃあっ、早速開けちゃいましょうよ。ねっ、豊島さん?」
「はいはい」
そんな紆余曲折を経て、ささやかな菜々のコスプレ披露会が、こうして始まったのだった。




