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涙の魔法・外伝 -unbalanced triangle-  作者: 燐紅
歌姫のプライドと熱狂ファン達の暗黙ルール
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歌姫のプライドと熱狂ファン達の暗黙ルール 2/2

 唐突にバラード曲を選んだ茂松の狙いは、わからなくもなかった。得点を伸ばすなら、落ち着いて音程を合わせやすいスローテンポの曲を選ぶのが、確かに無難だろう。


 だが、ケイナの歌にこだわりたがる菜々にそれを気付かせるには、かなりのリスクがある。



(空気読む気あんのかよ……何考えてやがんだ、馬鹿シゲ……!)



 豊島が盗み見た先で、菜々は思い悩むような面持ちで端末を操作し始める。事態の危うさを察しているのかいないのか、さらに豊島が視線を移した先で、茂松は少し調子の外れた音程を取りながら、歌う事に集中してしまっている。


 数多くの楽曲を発信しているケイナ名義の歌で、バラード曲はほんの一握りしかない。それでもいくつかある無難な曲を菜々が選んでくれれば何も問題はないのだが、豊島は内心焦りを感じざるを得なかった。


『あの歌』だけは、安易に歌わせたくない。



(シゲの選曲に惑わされないでくれよ、菜々ちゃん…)



 歌い終わるまでに送信を済ませて、曲名が表示されやしないかと豊島が食い入るようにモニタを見つめているうちに、幸いにも茂松の歌が先に終わった。



「あー。やっぱむっずいわ、テンポ遅せーと逆に」



 緊張しっぱなしだった豊島をよそに、歌い終えた茂松が呑気な声を上げながらぐるりと首を回す。


 そんな彼を恨みがましい目で睨み付けていると、やがてモニタに採点結果が表示され、それを見た豊島は反射的に乾いた笑い声を上げた。



「ははっ。見ろよ菜々ちゃん。72点だってさ、シゲの歌」


「んー…………よかったと思いますけどねえ」



 促されてもモニタすら見ようとしない菜々の生返事に、豊島は軽く青ざめる。


 物思いに浸りすぎて、もはや思い詰めているようにすら見える、虚ろな菜々の目。どう見ても、端末に映した歌の概要画面をじっくりと眺めながら、送信しようかどうかを迷っているとしか思えない。


 なんとか思い留まらせる方法はないのか。まるで予想が外れているならまだしも、あんな表情をするくらいだ。菜々は『あの歌』を歌おうとしている。



「…………おーっ!やっぱりそうだ!コツわかったぞなっちゃん!」


「んにゃあっ!?」



 急に素っ頓狂な声を上げた茂松にぱしんと背中を叩かれ、心ここにあらずだった菜々は、不意打ちに奇声を発して我に返った。


 ますます茂松の奇行を訝しみながらも、菜々の意識が手元の端末から逸れた事にひとまず安堵して、豊島は茂松に疑問を投げかける。



「さっきから何企んでやがんだシゲ。コツって、何のことだよ」


「何って、採点で高得点出すコツだよ」


「お前な……こんな点数出しといてコツわかったとか、説得力まるでねーだろうが」


「いやいや、音程は捨ててたから仕方ねーの。注目すべきは、ほれココ」



 おもむろにモニタに近付いて茂松が指し示した項目を、不思議そうな目で見つめながら菜々がそれを口にする。



「……抑揚?」


「そ。さっきまでのなっちゃんの結果見ててさ、どうもこの項目があんまし伸びねーの、気になってたんだよ」


「あー。確かに、グラフがずーっと下の方を這ってた気がしますね」


「でさ、この機種の採点基準って、音程と抑揚で9割点数決まるらしいんだわ。だから抑揚で稼げるようになれば、高得点も楽勝なんだとよ」


「本当ですか!?」



 瞬時に目の色を輝かせた菜々に、茂松は大きく頷いて返してみせる。


 それを見て豊島は、すぐさま口を挟んだ。



「じゃあさ、さっきと同じ曲歌い直してみたら?そしたら抑揚だけでどれだけ点数伸びたか、わかりやすいだろうし」


「いいですねえ、それ。じゃあ最初に歌ったのから、一通り…」


「……で、どうやったら抑揚が上手くなるんだ、シゲ」



 菜々に本来伝えようとしていた事を尋ねられ、豊島の真顔ぶりに吹き出しながらも茂松は答える。



「抑揚は単純に、声量の大小って考えりゃいいらしい。とにかく一定のスパン内に、めちゃくちゃでけー声と小せー声を出しときゃ、その差の大きさが抑揚として判定されるんだと」


「なるほど。あたしの歌い方って、とにかく原曲の再現だけ意識してたから、声量なんてずっと同じままで歌ってましたからね」


「それで抑揚が伸びなかったのはわかったけど、声量を調節した歌い方なんて、急に出来る?菜々ちゃん」


「うーん。さすがにちょっと練習しないと、難しいかもですね」


「それがさ、ちょっとした裏技があるらしい。俺も今それ試して歌ったけど、意外と効果あったんだわ」


「どんな裏技ですか?」


「無理に声量変えなくても、マイクを口元から離したり近づけたりして、距離で調整するんだよ」


「ほほう。マイクとの距離ですか…」



 説得力のある手法に感心しながら、菜々は片手にマイクを持つふりをして、教わった通りに手を動かしてイメージを膨らませる。


 その様子をしばらく眺めていた二人のうち、不意に茂松が盛大に吹き出した。面食らって思わず動きを止めた菜々の視線の先で、口元を手で押さえて必死に笑いを堪えながら、茂松は豊島の肩に手を置く。



「ちょ、なっちゃん、アウトだそれ……その動き、マジ卑わ、いっでえっ!!」


「黙れクソ童貞思考がっ!!」



 渾身の平手打ちを茂松の後頭部にお見舞いした豊島は、思いきり引きつらせた顔を紅潮させたまま、勢いで前屈みになった茂松の首根っこを引っ掴んで、力任せに隣の席へ放り投げる。


 何を笑われたのか、何故豊島は茂松を全力で叱咤したのか、何も把握できていない菜々は、彼らの対面の席でただおろおろと二人を見比べるしかなかった。


 ――そんなふざけたやり取りを挟んで再挑戦した菜々の一曲目は、なんと88点を叩き出したのだった。


 茂松がネットで調べた方法で、あっさりと豊島の記録に追いついてみせた菜々に、二人は惜しみない賞賛を送った。


 勢いに乗った菜々の快進撃は止まらず、安定して80点後半の点数を出せるようになり、やがて90点を余裕で越えられるようになり、そしてとうとう――







            *   *   *




「――さあっすが、菜々様だわ」


「よくもまあこんな短時間で、ここまで極められたもんだ」


「都市伝説かチートだと思ってたわ、カラオケ採点で100点なんて」


「底知れねーな、菜々ちゃんの歌の力は」



 それぞれのスマホに収めた、菜々が出してみせた100点の採点結果画面を眺めながら、二人は感嘆の息を漏らす。誰よりもその結果に大はしゃぎしてみせた菜々は今、大満足のまま化粧を直しに退席している。


 興奮もようやく落ち着いてきて、この場に菜々がいない事を機に、豊島は深く煙を吐き出しながら静かに口を開いた。



「……一時はお前のおかげでめちゃくちゃ焦ったけどさ、どうにかなってよかったわ。むしろ助かった」



 具体的な説明を欠いた豊島の言葉に、隣で同じく煙草をふかす茂松は、小さく鼻を鳴らして笑う。



「……俺がバラード曲なんか選ぶから、ケイナ様のどの歌でもいい点取れねーなっちゃんが、血迷って『あの歌』選ぶんじゃねーかって、ハラハラしてたんだろ」


「やっぱり、さすがのシゲもそれ気にしてたか」


「正直、賭けだった。あれで俺がコツ掴めてなかったら、確実に終わってた。なっちゃん、いつ『あの歌』選んでもおかしくなかったしさ」


「本当に歌おうとしてたのか」


「それ確かめるためにさりげなくボディタッチしに行ったけどさ、マジで送信の準備してあって、俺もめちゃくちゃ焦ってたんだよ」


「大した名演技だったな」


「いやいや。すかさず別の曲選ばせようとした、裕太もナイスフォローだったぜ」



 ささやかに讃え合いながら、気疲れの残る肺を煙で満たした二人は、静かに笑い声を漏らす。


 菜々に複雑な思いをさせずに済んだ。自分達も、あまりいい思い出とは言えない過去を呼び起こさずに済んだ。


 今ではすっかり暗黙のルールになってしまった、本来なら名曲と呼ばれる『あの歌』を封じている事。そうしている自分達の今をじっくりと考え直しながら、茂松は天井に向かって煙を吐き出した。



「……なあ」


「ん?」


「またカラオケで聴けるようになんのかな。なっちゃんが歌う『あの歌』」



 問いかけの返答を熟考し始めた豊島を、茂松はじっと天井を見上げながら横目で窺う。


 手に持つ煙草の先端の火を見つめ、その先の菜々が座っていたソファを見つめ、真剣な面持ちで豊島は逡巡する。


 その脳裏に浮かんでくるのは、歌うべきかを深刻に悩む、思い詰めた菜々の表情。鈍感な豊島が即座に彼女の迷いに気づけたのは、まったく同じ状況でまったく同じ表情をした彼女を、一度見た事があったからだった。


 数年ぶりに再会した彼女と、二人でカラオケに興じていたあの日。歌う決心をしてしまった彼女は、その場で泣き出してしまうほど、決心した事を激しく後悔した。


 その時に覚えたやるせない思いは、未だに豊島の心を苛む。



「…………まだ、早いかもな」



 少なくとも自分の中で、なかった事に出来ない限りは。そう続ける事はさすがに諦めて、憂鬱をごまかすように豊島は下を向く。


 そっか、の一言で済ませてくれた隣の席の親友に対し、豊島は素直に感謝した。おかげで憂鬱も少し紛れたところで、すぐに顔を上げて吹っ切れたように口を開いてみせる。



「でも、俺もまた聴きたいよ。菜々ちゃんが歌ってくれる『あの歌』をさ」



 それを聞いた茂松は意外そうに軽く目を開いて、穏やかに口元を緩ませながら煙草に口をつけた。



「……なっちゃんが自分の意思で歌えるようになれるかどうかは、お前次第だろうな」


「ああ。出来る限り、努力する」


「期待してるぜ。歌姫ファンクラブのリーダーさん」


「なんでもかんでも俺をリーダーにすんな」


「こればっかりはさすがにリーダーだろうがよ」


「……だな」



 また静かに笑い合って、男達は小さな歌姫の再登場を待ち侘びる。


 この先もまた世に発信されていくであろう、偉大な歌姫の歌をいくらでも自分のものにしていって、彼女はそれらを自信たっぷりに披露してくれることだろう。


 そしていつか、彼女が自ら封印を解いてくれる日を、彼女のファン達は熱望する。


 この小さなカラオケルームで、誰もが純粋な心持ちのままで、もう一度聴きたい。


 小さな歌姫が歌い上げる、100点満点の『あの歌』を。







【外伝:歌姫のプライドと熱狂ファン達の暗黙ルール】 -FIN-

毎週のように三人でカラオケに通い詰めているという設定を、ネタとしてあまりお披露目できていなかったので、採点一つでこれだけあれやこれやが起こるという話を投下してみました。いかがでしたでしょうか。


作中で明かせていなかった、疑惑の検証をここで少しだけ。豊島と茂松が、あっさり80点後半を取った理由についてです。二人とも音程要素は、もちろん菜々より低評価でした。それでも途中までの菜々より点数が高かったのは、二人とも抑揚要素で点数を稼げていたからなのです。

茂松の場合、歌っていて気持ちのいい箇所だけ、無意識に声を張って歌う癖があります。難しい箇所、英語の歌詞が混ざった箇所なんかは、適当に歌うので自然とボリュームが減ります。それをトータルで判定された結果、抑揚があると評価されていくらか加算されました。

豊島の場合、音感のセンスには長けているものの、実は歌を丸々一曲覚える事を苦手としています。途中でうろ覚えの箇所が出てくると、自然と声が小さくなったり、無意識にマイクを離したりしていたので、それも抑揚の判定材料となっていたわけです。


終盤の茂松に代弁してもらいましたが、カラオケ採点の100点なんて本当に歌唱力次第で出せるもんなんでしょうか。しかも本気を出して77点を取るという、ギャグとも呼べない点数を出していた菜々が、抑揚のコツを掴んだだけで。


まあ、歌うま菜々さんなら、本当に実力で出せるのでしょう。熱狂的なファンがいることですから。

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