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涙の魔法・外伝 -unbalanced triangle-  作者: 燐紅
歌姫のプライドと熱狂ファン達の暗黙ルール
26/35

歌姫のプライドと熱狂ファン達の暗黙ルール 1/2

時系列・・・「涙の魔法」完結後。とある土曜日の午後。

寝坊常習犯の茂松が珍しく早い時間に合流できたので、いつもより少し早めの、いつものカラオケがスタート。


「なあ、たまには採点入れてみねーか?」



 席について早々、煙草を吸い始めた男子二人のうち、茂松が出した提案に菜々は手元の端末から顔を上げて目を輝かせた。



「いいですねえ。三人で競争しちゃいます?」


「俺らが菜々ちゃんに点数で勝てるかよ」


「そうそう。結果が目に見えてんだから、今の歌唱レベルで何点いけるか参考にするくらいでいいだろ」



 それもそうですね、と少しも謙遜することなく返す菜々の悪戯な笑顔に、歌で彼女に敵うはずがないと知っている二人は苦笑気味に煙草をふかす。


 三人が普段からカラオケの採点機能を入れなかったのは、単純に時間の節約が目的だった。採点機能を取り入れると、歌が終わった後に採点結果が表示される。これまではその結果画面を表示させる時間すら惜しんで、歌いたい曲をどんどん入れていかないと、全員が満足するまで存分に歌い尽くす事が出来なかったのだ。


 だが今日は、いつもより開始時間が早い。時間にも多少ゆとりがあることだし、毎週のようにカラオケを満喫している自分達の実力も気になる。茂松の提案に、菜々も豊島も快く賛同した。



「よーし、じゃあ最初はまだ喉が仕上がってないので、軽めの歌から…」


「なっちゃんなら軽ーく歌って、90点は余裕でいけるな」


「最初のうちは高得点出せないと思いますよ。だんだん声が出るようになってきたら、90狙えるかもしれませんけど」



 謙遜混じりに、それでもあからさまに張り切ってみせながら、選曲を終えた菜々は立ち上がって颯爽とモニタの前に進み出た。


 意気揚々と歌う準備を整える彼女を目で追いかけ、続いてモニタに表示された曲名を見た二人は、おっ、と期待の声を同時に上げる。いつものカラオケの定番曲であり、菜々が得意とするケイナの歌のうちの一つだ。


 相変わらず完璧な出だしを決める菜々の歌声と、曲に合わせて流れていく、音程を評価するバーのシンクロぶりに、豊島と茂松は感嘆の息を漏らした。



「すっげえ。アップテンポでこんだけ音階が複雑な歌、よくここまで合わせられんな」


「さすがなっちゃんだわ。でもさ、よくよく見ると半分上下にずれてたりするとこもあるな」


「いつも聴いてる歌い方と変わんねーし、全然ずれてる感じなんてしねーのにな」



 並んで座る二人の感想が聞こえたのか、歌いながら自身でも同じことを感じていたのか、始まる前はあんなに自信に満ちていた菜々の表情が、少しずつこわばり始めていた。


 完璧に音程を合わせられるはずなのに。原曲の歌そっくりに歌えるはずなのに。


 ケイナという歌姫の歌唱力についていける、確固たる自信を持ち合わせていた菜々だったが、次第にいつも通りの歌声を披露する意識を忘れ、モニタに流れる音程のバーを必死に追いかけた。







「うにゃあー、駄目だあー。思ったよりずれちゃってるんですねえ、音程」



 全身で落胆を体現しながら、歌い終わった菜々はソファに身を預けて大きくうなだれた。



「あんま気にすることねーって。聴いてる感じ、相変わらずケイナの完コピだったしさ」


「そうそう。なっちゃんの超絶歌唱力と、この曲の精巧ぶりに、機械がついていけてねーだけだって。正確に音拾えねーマイクが悪いんだ」


「きっとそうだ。俺らがやったら、菜々ちゃんよりもっと酷いって、絶対」



 テーブルにへばりついてあからさまにふてくされる菜々の対面で、豊島と茂松が懸命に彼女をフォローする。そうしているうちに採点結果画面が表示されたのを視界の隅に捉えて、菜々はテーブルに上体を預けたまま首だけを傾け、モニタを見やった。



「……82点」


「ま、まあ、こんなもんだろ」


「なっちゃんがこんくらいなら、俺らクラスは80点いけばいい方だろうな」


「だな。この機種の採点ってもともと辛いらしいし、そのくらい取れれば…」


「この歌……平均85点なんですか…」



 ガラステーブルに頬をつけたままぼそりと呟く菜々の一言に、採点結果の下に小さく表示されたその平均点を見た豊島と茂松は、軽く頬を引きつらせながら顔を見合わせた。



「いやいや、一発目で本調子じゃなかったんだから、平均なんてこれから余裕で越えられるようになるって」


「それにさ、普段からケイナ様の歌で採点入れてんのは、相当採点極めてるガチ勢がほとんどなんじゃねーの。逆に参考にならねーだろうし、歌の難易度で考えたら80オーバーで神歌レベルだと思うわ」


「んー……そうなんですかねえ」



 あまり腑に落ちた様子ではないながらも、菜々はわずかに気を取り直したように身を起こし、バッグに手を伸ばして煙草を取り出した。


 どうにか深く落ち込ませずに済んだと、対面の二人はほっと胸を撫で下ろす。彼女の気が紛れるようにと、二番手に歌う茂松は大袈裟に張り切ってみせながら、端末を手元に寄せた。



「よっしゃ。じゃあ俺はなっちゃん越えを目標に、いっちょ採点してもらいましょうかね」


「どうせシゲの実力じゃ、70点オーバーがせいぜいだろうな」


「馬鹿にすんな。70と言わず60オーバー披露してやるわ」


「なんで数字下がっちゃうんですか」



 クオリティの低い茂松のボケに素直に笑ってみせ、煙草をふかしながらツッコんだ菜々の一言に、対面の二人はすっかり安堵して声を上げて笑った。







「うっへー。やっぱ全然合ってねーのな、音程」



 菜々と同様、モニタの傍に立って渾身の歌を披露し終えた茂松は、なかなか音程のバーと自分の声がぴったり揃えられなかったのを振り返って、悔しげに頭を掻いた。



「全然ってことなかったですよ。見当違いなくらい音はずれてたりしませんでしたし」


「てか、こぶしだのビブラートだの、めちゃくちゃオプション稼いでたな」


「だよな、自分じゃ全然そんな意識してなかったのに。これで20点くらいは加算されねーかな」


「オプションでそこまで稼げるわけあるか」



 相変わらず息の合った掛け合いに、菜々は心底おかしがってころころと笑う。自身が不甲斐ない点数を出した事は、もうすっかり気にしていないようだ。


 いつもの満面の笑みに安心しきっていた男達は、茂松の採点結果が表示されたモニタを何の気なしに見て、途端に顔をこわばらせた。



「わあ……86点。すごいですね、カナちゃんさん」



 素直に感心の声を上げてみせながらも、菜々の目はどう見ても複雑な色を湛えている。


 モニタのすぐ脇から茂松がちらりと豊島を見やると、空気読めよ、と言わんばかりの無言の睨みを返された。思わず、マジでごめん、と視線で応えながら、茂松は慌てて口を開く。



「まっ、マジでオプションで20ぐらい稼げたのかもな。音程なんて散々だったし」


「かもな。オプションなしじゃ精々70も届かなかったろ」


「まあまあ、俺程度でもまぐれでこんな点数出せんなら、なっちゃんならすーぐ追い越せんだろ」


「むぅー……よーしっ、頑張らねばっ!」



 どうやら点数で負けてしまった事は、二人が危惧していたほど菜々のプレッシャーにはならなかったらしく、むしろやる気に繋がったと言わんばかりに、豊島の手元にあった端末に手を伸ばして真剣に曲を選び始めた。


 幾度となく肝を冷やした二人が苦笑を浮かべていると、スピーカーから次の曲のイントロが流れ始める。



「おっと、次は俺か」


「高得点期待してますよー、豊島さん。是非とも、カナちゃんさんの点数追い越しちゃってくださいね」


「あ、ああ。頑張るよ」



 そのやり取りを聞きながら豊島にマイクを手渡した茂松は、嫌な予感を覗かせながら、彼と入れ替わりに自分の席に戻った。


 三人の中で飛び抜けて歌のうまい菜々を除けば、豊島は茂松よりも、歌がうまい方だ。







「…………88点」



 もはや三人は、モニタに表れた数字を呆然と凝視していた。



「……なんであっさり最高記録出しちまうかな、お前は」


「いや、その……期待されるとつい、張り切っちまう性分というか…」



 呆れ顔でソファの背もたれに頬杖をついた茂松に、豊島は複雑な表情で引きつった笑いを返すしかなかった。


 容易く記録を抜かれてしまった菜々の反応を見るのを恐れながらも、二人がそっと彼女を窺おうとした時、菜々は勢いよくソファから立ち上がって手元のマイクを引っ掴んだ。



「もおー!こうなったら納得のいく点数が出るまで、徹底的に歌っちゃいますからね!」


「おっ、その意気だなっちゃん!裕太の点数あっさり抜いちまえ!」


「そっ、そうそう!これからもっと声も出てくるだろうし、90点越え見せてくれよ!」


「よおーしっ!」



 必死に盛り立てる声援に後押しされた菜々は、しっかりとマイクを握ってモニタの前に立つ。


 ――が、それから立て続けに何曲か挑戦してみたものの、あまり点数は伸びなかった。


 一度だけ、茂松の出した86点に届いたりもしたが、いずれも80点前半の点数しか叩き出せず、結果が表示されるたびに三人は納得のいかない顔で首を捻った。


 絶対におかしい。これほど原曲の再現を得意とする菜々の歌が、どうして高評価を得られないのか。声質のせいなのか、マイクが悪いのかと、三人で試行錯誤したものの、豊島や茂松の点数くらい簡単に越えられるだろうという思惑通り、点数は伴ってくれない。


 そして、とうとう――



「ふえ……ななじゅう、ななてん…」


「……まさかの、80下回っちまったか」


「まあ……難しいもんな、この歌ばっかりは」



 連続で歌った疲れと、相当自信があったケイナの歌で不甲斐ない点数を出したショックで、菜々は倒れ込むようにしてソファに全身を預けて突っ伏した。



「うえーん!なんで点数伸びないのおー!」


「仕方ねーって、なっちゃん。もともとケイナ様の歌は難易度高けーんだし、違う歌手の簡単な歌選んでみれば?」


「ううー……ケイナマスターを目指す者として、それはプライドが許せないんです…」


「充分ケイナマスターだよ、菜々ちゃんは。カラオケの採点なんて気にしなくたって、原曲の再現は完璧なんだからさ」


「うにゃーっ!菜々さんが77点出したこと、思いっきり笑うがいいですうー!」


「いや、そこは確かに笑いどころかもしんねーけどよ…」


「気にすんなってのに…」



 どうフォローしたものかと豊島は茂松を見やったが、菜々をフォローする気があるのかないのか、彼は自分のスマホと手元の端末を交互に見比べて、曲を入れようとしていた。



「……うっし。なっちゃん、ちょっと休憩してな。その間に一曲歌ってっから」



 何を企んでいるのか窺い知れない茂松を怪訝そうに目で追いかけると、豊島の視界の隅で菜々はおもむろに身を起こした。



「……バラード、かあ」



 茂松にしては珍しい選曲に対し、何の気なしに独りごちた菜々の一言で、豊島は思わずどきりとする。

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