失恋男子の全力投球日記 3/6
【デパートにて】
正月も終わり、部活も始まった。秋の大会でそこそこの活躍を見せたうちの部は、少し先の春の大会での活躍を大いに期待されている。張り切らずにはいられない。
最寄りの大型デパート内にあるスポーツショップの店長とは、すっかり仲良くなった。初老のその人の息子さんが、かつて僕と同じ高校の同じ部にいたという話を聞かされてから、店を訪れるたびに気さくに声を掛けてくれるようになったのだ。
長年、弱小と評価され続けていた息子の母校が、僕の世代でようやく強豪に対抗できるほどの成長を見せている。最高戦績が地区大会優勝、かつその後の県大会初戦突破までいけたのは、その店長曰く20年も昔のことだという。とにかく頑張れ、県大会で優勝してくれと、顔を合わせるたびに僕は店長に期待を掛けられている。
期待に応えたい、もっと強くうまくなりたいという並々ならぬ思いはあるものの、僕個人としては不安を拭えない要素が一つだけある。体格だ。せめて170センチはあれば、今より楽なフォームで大会に臨めるはずなのだ。
単純に、もっと背を伸ばしたい。土曜日で利用客の多いデパートをこうして歩いていると、なおさらそう思う。たまにすれ違う、僕より目線の位置が高い見知らぬ誰かを、つい目で追いかけては羨んでしまう。
例えば、そう、向こうのトイレの入口近くで、退屈そうにスマホをいじってる男の人。少し遠くてはっきりとはわからないけど、目測でも190センチ近くはあるんじゃないかって――
(…………あ)
思わず、じっくりと見てしまった。あの人はナナさんと仲がいい、あの長身の人じゃないか。誰かと待ち合わせでもしているんだろうか。やっぱりまたあの眼鏡の人と、もしかすると、ナナさんも…。
なんて考えているうちに女子トイレから姿を現したその人に、僕は柄にもなくテンションを上げた。ナナさんだ。しかも、ス……スカートだ。初めて見た。めちゃくちゃ可愛い。
やはり長身の人はナナさんを待っていたらしく、後ろから声を掛けてきたナナさんと親しげに何か言葉を交わしている。並んで立つ二人の身長差は、30センチもあるんじゃないだろうか。あんなに無心に見上げていて、首が痛くならないのかな、ナナさんは。
(というか……近すぎないか?)
どう考えても、二人の距離感がおかしい。僕の勝手な憶測に過ぎないけど、ナナさんと付き合っているのはあの人じゃなくて、眼鏡の人だったはず。
(……って、ちょっ!え!?ナ、ナナさんっ!?)
視線の先でナナさんが起こしたアクションに、僕は目を奪われた。
スマホをしまいがてらコートのポケットに両手を突っ込んだ長身の人に、ナナさんは何の躊躇いもなく腕を絡めて寄り添ったのだ。彼女の行動に驚きも戸惑いもしない長身の人は、腕を組んできたナナさんを隣に従えて、トイレ前から雑貨コーナーの方へと歩いて行った。
僕は今まで、勘違いしていたんだろうか。恋人は眼鏡の人じゃなく、長身の人だったのか。これまでずっとあの人のことは、ナナさんともその彼氏さんとも仲のいい、ただの友達だと思っていたから、衝撃は大きかった。
いや……まさかとは思うけど、二人とも彼氏……なわけ、ないよな。双方が認識しててもどうかと思うけど、よもや自分だけが彼女の恋人であり、片割れはただの友達だと二人とも思い込んでる、なんてことはあり得ないだろう。おそらく。
悪戯っぽい人ではあるけれど、ナナさんはそんな小悪魔めいたことを企むような人なんかじゃない。なんの根拠もなしにそう断言しておきたかった僕は、とうとう気になって二人の後を追いかけた。
様々な雑貨が並ぶ売り場の一角で、ナナさんと長身の人は眼鏡を物色していた。ナナさんが選び取った眼鏡を長身の人が掛けてみせ、ナナさんは満面の笑みではしゃいでいる。似合うー、なんて言われてるんだろうな。羨ましい。そしてめちゃくちゃ可愛い。羨ましい。
ナナさんの反応に照れ笑いしていた長身の人は、眼鏡をナナさんに返してそれを彼女に掛けさせた。おお、眼鏡姿のナナさんが見られるなんて。新鮮だしこれはこれでアリ、なんて思っていたら、長身の人はさらに眼鏡を物色して、フレームの大きい眼鏡を取ってナナさんに勧めた。わかってらっしゃる。ナナさんのぱっちりした目を引き立たせる、いいチョイスだ。ほらやっぱり可愛い。
(……何してんだろ、僕)
二人に気付かれないようにさりげなく身を隠して、遠目で彼らを窺う。まるでストーカーじゃないか。
無粋なことをするのは、さすがにこれっきりにしよう。ナナさんの彼氏がどっちだったのかなんて、気にしたって仕方ない。あの様子だと、きっと長身の人が彼氏なんだ。だけど眼鏡の人だって、なんて頭を悩ませたところで、部外者の僕には関係ない。
そう自分に言い聞かせてその場を離れることにし、未練がましくももう一目だけ、と二人へ顔を向け直そうとした時だった。
(うわっ…!)
少しの間目を逸らしていた僕のすぐ横を、電話に応じながら長身の人が通り過ぎたのだ。接近してきたことに気付かなかった僕は思わず彼を見上げてしまい、すれ違いざまに一瞬だけ目が合ってしまった。
見知らぬ僕と目が合ったことなど何も気に留めない様子で、その人は電話を続けながらどこかへ行ってしまった。動揺を抑えながらナナさんに視線を戻すと、彼女は眼鏡の売り場から離れてアクセサリーを眺めているようだった。
それにしても、心臓が止まるかと思った。長身の人はナナさんの店の中で見かけることはあっても、あんな間近で目が合うことなんてなかった。彼は本当になんとも思っていないのだろうけど、見下ろされた時の圧迫感というか、威圧感というか、とにかく足がすくむほど怖かった。
あんな人には到底太刀打ちできないし、どのみちこれ以上ナナさんのことを詮索するのは諦めるべきなんだ。改めてそう思い直した僕は、約束の時間には少し早かったけれど、友人と待ち合わせをしているデパート内のゲーセンで暇を潰していることに決めて、ようやくその場を離れた。
* * *
*菜々side*
長々と聞かされる呼び出し音に飽きて、豊島はスマホを耳から離しながら呆れの色を浮かべる。
「……まだ寝てやがるな、シゲは」
溜め息混じりのぼやきを耳にして、菜々はくすりと笑って豊島を見上げた。
「気長に待ちましょうよ。こっちに合流するの間に合わなくても、夕方のカラオケまでにはさすがに起きるでしょうし」
「だな」
穏やかに笑い合った二人は、仲睦まじく腕を組んで気ままに店内を散策していて、ふと眼鏡売り場の前で同時に足を止める。
「ねえ豊島さん。あたし、豊島さんの眼鏡姿見てみたいです」
「眼鏡?似合わねーと思うけどな、俺に眼鏡なんか」
「いいからいいから。ほら、これなんかどうです?」
そう言いながら菜々が手にとって豊島に差し出したのは、楕円型の黒縁眼鏡だった。本当に似合うものだろうか、と苦笑いを浮かべながら、どら、と豊島はそれを受け取って掛けてみせる。
「どう?」
「いい!すっごく似合ってますよ!」
「そ、そうかな…」
「おしゃれ用に買いません?あたしプレゼントしてあげますから」
「いいよそんな。慣れねーし、ずっと付けてるの疲れてきそうだし」
「えー」
残念そうに口を尖らせる菜々に、豊島は穏やかに息を漏らす。ころころと表情を変える彼女を堪能するには、やはり必然と視界に入る眼鏡のフレームが正直邪魔で、裸眼のままでいる方が遥かにいい。
改めてそう思った豊島は、掛けたばかりの眼鏡をすぐに外して、菜々に手渡す。
「菜々ちゃんも付けてみなよ。俺も菜々ちゃんの眼鏡姿見てみたい」
「いいですよ。……どうですか?」
すぐさまぱっと表情を明るくした菜々は、受け取った眼鏡を慣れない手つきで掛けてみせ、豊島を見上げて小首を傾げた。
愛らしさに思わずじっくりと見つめ返す豊島は、硬い表情のまま少し間を置いて口を開く。
「……アリだな」
「本当ですか?」
「いや、ちょっと待って……こっちの方がいいかも」
妙に真剣な顔つきで違う眼鏡を物色し始め、豊島からフレームの大きい眼鏡を差し出された菜々は、より似合いそうな物を選んでくれた嬉しさに頬を緩ませながら、すぐさまそれと交換してみせた。
「どれどれ……はいっ」
「……すげーいい」
「えへへー」
表面上のリアクションは薄いように見えても、さっきより格段に喜んでくれている。感情があまり豊かではない豊島の反応から、彼の感情を読み取ることにすっかり慣れた菜々は、満足げに笑って返した。
二人が和やかな空気に浸っているところへ、不意に豊島のスマホが鳴動する。
「お、シゲからだ。ちょっと電話してくるわ」
「はーいっ」
別に電話くらい、気にせずこの場で出てもいいのに。そう思うことは何度かあったが、気遣い屋の豊島の人柄を把握していた菜々は、特にそう指摘したりはしなかった。
一人になった菜々は、なんとなくアクセサリの売り場に足を向ける。特段光り物が好きなわけではないのだが、きらきらした装飾品が並ぶ売り場を眺めているのは、女子らしく心が躍るものだ。
ふと、その中で気になったイヤリングを一つ手に取って、まじまじと見つめる。そういえばアクセサリの類いはほとんど持っていないな、と考えながらぼんやりと菜々が顔を上げた時だった。
「――気に入ったの?それ」
「わっ!びっくりしたあ」
手元から正面に顔を上げたさらにその延長線上に、頭上から覗き込んできた豊島の顔を捉えて、不意を突かれた菜々は思わず面食らった。
時々、身長差を利用してこんな風に菜々を驚かせて楽しんだりする豊島は、またもや不意打ちに成功したと軽くほくそ笑んで、優しい声音で問いかける。
「それにする?それとも、他に気になってるヤツある?」
「えっ、いいですよそんな。自分で買いますから」
「遠慮すんなって。それくらいプレゼントさせてよ」
「……じゃあ……お言葉に甘えて」
遠慮がちに差し出してきたイヤリングを受け取った豊島は、菜々を連れてレジへ向かいながら、電話でのやりとりを簡単に報告する。
「もう少ししたら家出るってよ、シゲ。とりあえずゲーセンで待ち合わせってことにしたけど、それでよかった?」
「あ、だったらスロットやりましょうよ。こないだ三人で来た時に、カナちゃんさんがいっぱい当ててた台、あたし打ちたいです」
菜々の提案に快く了承を返しながら、豊島はどこか誇らしい心持ちでポケットから財布を取り出した。
菜々に何かをプレゼントするのは、実はそう滅多にあることではないのだ。あまり物をねだりたがらない彼女に、珍しく何か買ってやることが出来た。彼氏らしいことが出来たと、密かに豊島は嬉しく思っていたのだった。




