失恋男子の全力投球日記 2/6
【元旦の朝のこと】
コンビニで働いている彼女――ナナさんに会えなかった寂しいクリスマスもとっくに過ぎ去り、あっという間に年も明けた。
正月は退屈だ。補習も部活もない。家族と初詣に行った後は、何もすることがない。なので僕は退屈と小腹を満たすお菓子でも買いたいと、まっすぐに帰宅しようとしていた両親に頼んで、あのコンビニに寄ってもらった。
あの人は元旦から働いているだろうか。年明け早々に彼女の笑顔を見ることが出来たら、初夢や初日の出なんかを見るよりも、幸せな一年を過ごせそうだ。
我ながら馬鹿馬鹿しいことを考えながら車を降りると、店の外に置かれてある灰皿の辺りから、男女の笑い声が聞こえてきた。無意識にその方向に目をやった僕は、大晦日に夜更かししたせいで残った眠気が、全部吹き飛んだ。
(えっ……ナナさん!?)
煙草を吸いながら談笑している男女のうちの一人は、紛れもなくあのナナさんだった。彼女と親しげに話しているもう二人の方は、格好こそ私服だけど、間違いなく例のリーマン風のあの二人だ。
やっぱり、噂は本当だったんだ。服装から察するにおそらく彼女は今日、休みなのだろう。三人で仲良く初詣に行くところなのかその帰りか、少し離れた位置にいる僕が聞き取れた会話の端から察するに、初詣を済ませてきたらしいことが窺えた。
話すのに夢中になっているナナさんがこちらに気付かないうちに、僕はそそくさと店の中に入る。さっさと適当なお菓子を選んで、暇潰しの雑誌でも買って、充実した寝正月を家で満喫するんだ。
幸せそうに笑ってた、ナナさんの笑顔を思い出しすぎないように。
(とはいえ…………気になる)
雑誌を選ぶには必然的に視界に入ってくる、外の三人の様子がどうしても気になって、僕はどの雑誌を買おうか迷うふりをしながら彼らをこっそり観察した。
眼鏡の人は灰皿のすぐ横にしゃがみ込んでいて、長身の人は彼と向かい合って立ち、ナナさんはその間で二人の顔を交互に見ながら話し込んでいる。それぞれが片手に煙草を持って会話に興じる三人の姿というのは、なんと言うか、大人な光景だ。
本当に、仲がいいんだろうなとつくづく感じる。男女三人で遊びに行ったりする関係というのは、そのうちの二人が付き合うようになると、残った一人が気を遣うようになるもんだと思うけど、傍から見ていてそんな感じは全然しない。
それこそ、どちらがナナさんの彼氏なのかなんて、仲睦まじく笑い合ってる三人を眺めているだけじゃまったく見当も付かないくらいに――
(……あっ)
思わず僕は、まじまじとその光景に見入った。悪戯っぽく笑ったナナさんが、しゃがんでいた眼鏡の人へとことこと歩み寄って、その背中に縋るようにぴったりと寄り添ったのだ。正面にいる長身の人からまるで隠れるようにしながら何か言葉を発し、それを受けた長身の人が軽く顔を赤らめながら、どこかムキになって彼女に何か言い返している。
それがどんな愉快なやりとりだったのか、たちまち一斉に笑い合う三人を眺めていた僕は、雑誌を選ぶことなんかとうに忘れてしまっていた。
(やっぱり彼氏は、眼鏡の人なんだろうな…)
互いにスキンシップに抵抗がない人達だとしても、あんな風に自然と寄り添えるナナさんと、無抵抗でそれを自然と受け入れる眼鏡の人が、おそらく恋人同士なのだろう。
普段はなかなか見る機会のない、リラックスしたナナさんの笑顔をたくさん見ることが出来たというのに、どことなく僕の気分は沈みがちだった。
雑誌は諦めて、部屋で筋トレでもするか、家の周りをジョギングでもしよう。そうだ、体をなまらせないようにしておかないと、部活が再開した時に苦労するんだ。春の大会までは、部活一本に集中しないと。
いつまでも、終わった恋にうつつを抜かしている場合じゃないんだ。
* * *
*菜々side*
「それにしてもすごかったですね、初詣の人混み」
元日の店の様子が気になる、と菜々が発案して、休憩がてら彼女の勤めるコンビニに立ち寄った三人は、思い思いに煙草をふかしながら初詣の様子を振り返っていた。
「だな。元旦はさすがに帰省ラッシュもピーク過ぎてると思ってたけど、道路もなかなか混んでたし」
「あー、マジで疲れた。やっぱ無理してお前らに付き合って来るんじゃなかったわ」
話題を振ってきた菜々に続いて、両脇の豊島と茂松が少し疲れた声で言う。運転を担っていた豊島よりも疲労感を主張してくる茂松をおかしがり、彼の方を向きながら菜々はくすくすと笑った。
「何言ってるんですか。晴れ着姿の綺麗なお姉さん達、いっぱい堪能してたくせに」
「堪能なんてしてねーし。ただでさえしんどい人混みの中で、よく窮屈な格好してられんなーって見てただけだ」
どうだか、と悪戯に含み笑いながら煙草に口を付け、菜々は今度は豊島の方へ顔を向ける。
「豊島さんはどうでした?おめかししたハイスペック幼女見つけられました?」
「んな幼女探すわけねーし、そもそも周り見る余裕なかった。幼女並にきょろきょろ余所見する誰かさんばっかずっと見張ってたからな。目を離すとすぐはぐれちまうんじゃねーかって、気が気じゃなかったわ」
「保護者マジで乙」
肩を揺らしてくつくつと笑う茂松のツッコミに、思わず菜々はむっとなってすぐさま彼を軽く睨む。
「子供扱いされるなんて心外です。この歳で迷子になんかなったりしませんもーんだっ」
つんとそっぽを向いた菜々を見て、豊島と茂松は堪らず声を上げて笑う。なおも子供をからかうような反応をする年上の二人に、菜々はさらに口を尖らせてみせた。
拗ねた菜々をひとしきり笑い飛ばして、しゃがんだ位置からだとだいぶ見上げることになる正面の豊島に顔を向け、茂松は煙を吐きながら口を開く。
「監視目的でなっちゃんばっか見てるうちに、どうせなら着物姿見たかったなーなんて思ったりしたんじゃねーか?」
「思った。……あ、いや、そうじゃないからってがっかりしたわけじゃないけど」
咄嗟に弁解を付け足してくる豊島を、今度は菜々と茂松がからからと笑ってみせる。
反射的に本音を口にしてから、慌てて否定や補足を付け加えたがる豊島の癖は、いつも菜々と茂松の笑い種になるのだった。
「豊島さんが楽しみにしてたのは、あたしの着物姿を堪能することより、帯回しすることだったんじゃないですか?」
「帯回しって?」
聞いたことはある気がするものの、咄嗟に言葉の意味を思い出せない豊島に尋ね返され、菜々は不敵ににやりと笑った。
即座にその言葉の意味と、菜々の企みを察した茂松が、代わりに口を開く。
「あー。時代劇なんかで『あーれー』とかやるヤツだろ」
「なっ、そ、そんなことするかよ!」
ようやく菜々のからかいの標的にされていることに気付いた豊島は、軽く頬を引きつらせながら声を張る。
その反応に、にかっ、と満面の笑みを返した菜々は、おちゃらかした声を上げながら茂松の方へとことこと歩み寄った。
「きゃー。お戯れはおやめくださいましー、ロリコンでケダモノのお代官様あー」
ぴとっ、と茂松の背中に張り付いて、悪戯に豊島を暴漢扱いした菜々は軽くその身を隠してみせる。
不意に自分を盾にしてくっつかれたことなどまったく気に留めず、菜々の小芝居をおかしがって茂松はけたけたと笑う。対して、存分にからかいの的にされている豊島は、思わず顔を赤らめながらツッコミを返した。
「どれでもねーわ俺は!」
「いや、ケダモノだけは否めねーな」
「こういう時だけロリコン扱いやめやがって!」
菜々の悪ノリに便乗した茂松に綺麗なツッコミが決まり、弾けるような勢いで三人は笑い出した。
休憩のはずがあまりにも笑いすぎて、ここに着いた時よりも疲労が増した気すら覚えた三人だったが、くだらない掛け合いがあまりにも楽しいものだから、そんなことなどまったく気にならなかった。
笑う門には福来たる。笑いっぱなしで、なんとも幸せな一年を過ごせそうだと、なんとなく三人はそう思った。




