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涙の魔法・外伝 -unbalanced triangle-  作者: 燐紅
失恋男子の全力投球日記
20/35

失恋男子の全力投球日記 1/6

時系列・・・「涙の魔法」完結後。少しさかのぼってクリスマス前から。

どこぞの魔法使いさん達のように、恋愛経験とは無縁な青春を送っていた少年。そんな彼にも、思わぬ所で春が訪れたかのように思えたが…?

 異性を意識するようになるのは、幼なじみだとかクラスメイトだとか、身近な存在が対象になるだろうと僕は思っていた。


 いや、毎日とまではいかなくても頻繁に通ってはいるから、僕にとってはあの店員さんも身近な存在と言ってしまっていいのかもしれない。


 彼女は特別、めちゃくちゃ美人というわけでも、飛び抜けて可愛い方でもない。一目見てばっちり惚れ込んでしまうような魅力溢れる容姿だったら、彼女を見たその日から僕はこんな風に意識するようになっていただろう。


 170センチに満たない僕の目線より少し低いくらいのありふれた背丈で、どちらかというと茶色寄りの黒髪で活発そうなショートヘアの女の子。いや、成人しているだろうから女性と呼ぶべきなのかも。同世代の学生バイトかな、なんて思っていたら、店の外で煙草休憩をしている彼女を見かけた時は、心底驚かされたものだ。


 学生と勘違いしても何らおかしくはないほど、彼女の笑顔はあどけなくてどこか幼い。レジに立つ時はいつも朗らかににこにこしていて、売り場で作業をしている時だってその明るさは変わらない。会計をしに来た僕に呼ばれてちょこちょこと小走りでレジに向かう時なんか、彼女がレジにたどり着くまでの間に、ぱっとこちらを向いた瞬間の彼女の笑顔を繰り返し脳内再生できるのが、僕にとって堪らなく至福なのだ。


 いつから僕は、いつも笑顔で働く彼女のことが気になりだしたんだろう。


 気が付くと彼女ばかり目で追いかけていた。常連客と楽しげに話し込んだりしている時も、年配客を気遣って声を掛けている時も、小さい子に手を振ってバイバイしている時も、分け隔てなく笑顔を振りまく彼女を眺めているのが好きだった。


 今だってこうして、何の変哲もないただの高校生の僕相手に、いつも通りの笑顔で会計をしてくれている。



「えっと……お会計は以上、でした、よね?」



 彼女から受け取ったレジ袋と、お金を入れるトレーと、レジ画面をせわしなく見比べ、彼女がいつもよりほんの少し戸惑った笑顔で僕に声を掛ける。


 ああ、可愛い。小柄ってわけじゃないのに、動きがなんか小動物みたいだ。見ていて本当に飽きない。


 って、そうじゃない。会計はとっくに終わったんだった。



「あ、すみません。どうも…」



 気まずい間を与えてしまったことを詫びると、彼女の笑顔はほっとしたような色を帯びた。ますます可愛い。いつまでも眺めていたかったけど、買い物が済んだ客に居座られても迷惑だろうから、名残惜しいが僕は足早にその場を離れた。



「どうもーっ。ありがとうございましたー」



 背中に掛けられた彼女のはきはきとした挨拶を受けて、僕は思い出した。


 退店する客に掛ける彼女の挨拶は、いくつかパターンがあることを発見したのだった。レジで話し込むほどの常連に対する挨拶と、そうでもない客に対する挨拶は、若干の違いがあることに最近気付いた。


 どうもありがとうございました。大抵の客に対してはマニュアル通りであろうそのフレーズを、さほど抑揚を付けずに一息で発している。だが常連客相手だと、『どうも』と『ありがとうございました』の間に、ほんのちょっと休止を置いているようだった。


 会計を終えた僕に掛けてきた今の挨拶が、まさにそれだ。


 彼女が僕に対して掛ける挨拶が、最近変わってきた。それを不思議に思い始めたのが、彼女を意識するようになったきっかけだったのかもしれない。


 これまでの人生で、異性に対して特別な意識を持ったことなんてないけど、もはや断言してしまってもいいのかもしれない。


 クリスマスを待ち侘びて、にわかに色めき立つ周囲に影響を受けたんだろう。


 僕は彼女に、恋をしたようだ。







            *   *   *




 店の場所と、そこで働いているいつも笑顔の女性店員。冬休みに入った補習の合間の団欒の際、それをさりげなく話題に差し込むだけで、思いのほかあっさりと友人やクラスメイトから彼女の色んな話を聞き出せた。さすがに血縁者や知り合いに行き当たるほど、僥倖に恵まれたわけじゃなかったけど。


 オープンしてから1年にも満たない新しい店だが、彼女は開店当初から今の店に勤めているらしかった。そして衝撃だったのが、その頃の彼女は今の『みさき』という名前ではなかったらしいのだ。


 下の名前だろうかと一時期は勘違いしていたが、名札に書かれてある名前は苗字だそうだ。つまり彼女は、勤めている間に苗字が変わった。理由はいくつか考えられたけれど、僕はそのうちの一つしか考えられないと勝手に決めつけていた。


 結婚して苗字が変わった。とにかくその明るさが魅力的な彼女のことだ。恋人くらいいない方が不自然だと言ったっていい。職場では誰にでも笑顔を見せてくれる彼女は、家では素敵な旦那様を相手にしか見せないとびきりの笑顔を見せているんだ。そんな風に自分に言い聞かせることで、僕は短い恋の終わりに諦めを付けようとしていた。


 ところが、さらに衝撃的な情報を得た。何ヶ月か前にとあるクラスメイトが、彼女と常連客の会話をたまたま漏れ聞いたことがあったらしく、その時にとんでもないことを彼女は話していたそうだ。



『いい人ですか?できる予定も候補も全然いませんよ。むしろ誰か紹介してくれません?』



 そんな風に彼女が話していた相手は、見るからにスケベそうなおっさん客だったらしい。ねーちゃんみてーないい女、周りの男がほっとかねーだろ的なことでも言われて、冗談めかしてそう返したりでもしたのだろうか。


 会話の真相はどうであれ、少なくともその時点で彼女がフリーだったことは間違いなさそうだ。家庭持ちの身でそんなことは、冗談でも言わないだろう。にわかに信じがたいけど、苗字が変わった理由は、おそらく離婚だ。めでたくと言うべきか、僕の恋は幕を下ろさずに済んだようだ。



『え、でもあのお姉さん、彼氏いるって噂聞いたぞ。たまーに店に来る、やたらでけーリーマン風の二人組のどっちかだって話』



 再び僕の恋路に暗雲をもたらすようなことを言ったのは、同じ部活に属している僕の友人だった。僕と同じく彼女に軽く憧れを抱いていたらしいが、彼はその話をどこかで聞きつけた途端、すんなり彼女のことを諦めたそうだ。


 年頃の高校生らしく惚れっぽい性格の彼のことだ。他にいくらでもあてはあるだろうから簡単に諦めは付くだろうけど、僕はなかなか彼のように諦められそうにない。だって僕の場合、もはや初恋に近いのだから。


 やたらでかいリーマン風の二人組。その特徴だけで、僕はあの二人のことだろうなと、ある程度の予想はついた。部活帰りにコンビニに立ち寄るとたまに見かける、190センチ近くはありそうな長身の人と、その人よりほんの少し背が劣る眼鏡の人。確かに彼らとレジで話し込んだりする時の彼女は、他の常連客相手よりもっと親しい感じで話していたように見受けられた。


 長身の人は特別筋肉質ってわけでもないけど、何かスポーツを昔やっていたか普段からやってるんだろうな、という印象。運動部に属している僕としては、恵まれた身長とその体格が実に羨ましい。切れ長の目が精悍な顔立ちを際立たせていて、短髪を簡単に後ろに撫でつけただけの彼の容姿から見て取れるのは、いかにも生真面目そうな感じ。彼女と会話している時のその人はかなり柔らかい表情になるけど、商品を選んでる時なんかの無表情の彼は近寄りがたい。むしろ近寄んなオーラを放っているというか、むやみに声を掛けたら確実に睨まれそうというか。あの長身から睨み下ろされでもしたら、僕は絶対に腰を抜かす自信がある。


 眼鏡の人はそれとは正反対に、親しみやすそうな印象がある。彼は無表情の時も常に口角が上がっているような人だから、気さくに声を掛けてもそんな顔のまま『んー?』と人当たりよく反応してくれそうな気がする。フレームの細い眼鏡をよけるように真ん中で分けた髪は、僕と同世代の女子が羨ましがりそうなほどに癖がなくてまっすぐだ。眼鏡の奥は垂れた目をしていて、ぱっと笑った時の彼の笑顔はやたらと爽やかな印象。長身の人に対しても彼女に対してもよく笑うしよく喋る。話したこともない相手に対して物凄く失礼だけど、はっきり言って特別かっこいいわけでもない。なのに、なんとなく好印象を覚える、不思議な魅力がある人だ。


 ……どうして僕は、頻繁に見ているわけでもない二人のことをここまで分析できるのだろう。やっぱり、彼女に関わる人達を詳しく知っておきたいと、無意識のうちに思うようになっていたのだろうか。


 気になるのはやはり、どちらが彼女の恋人なのか、だ。傍から彼女と二人を見ている限り、僕は眼鏡の人が有力なんじゃないかと勝手に予想している。


 よく笑う彼女と、よく笑う眼鏡の人。どう考えてもこの組み合わせが、一番しっくり来るお似合いの恋人同士だ。







 彼女を気にするようになったものの、イブもクリスマスも彼女はいなかった。今年のイブとクリスマスは土日だったから、平日しか見かけない彼女は、普段と同じシフトで休みだったのだろう。


 きっとあの眼鏡の人と二人で、もしかすると長身の人も入れた三人で、楽しいクリスマスを過ごしていたんだろうな。


 いずれにせよ、僕の初恋はどうやら、やっぱり呆気なく終わってしまったらしい。


 同じ店で働いている、彼女と仲の良さそうなお姉さんが、彼女を『ナナ』と呼んでいたのを聞いて、ようやく彼女の下の名前もわかったばかりだったというのに。

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