オーディション 1/2
時系列・・・第三章5から6の間。
ヒトカラをしていた菜々に豊島と茂松が合流し、三人の懐かしい顔ぶれで楽しんだカラオケの様子。
【外伝:オーディション】
『キミの声で その想いで
強くなれたんだ 僕は
振り向かず 楽園-エデン-を目指して
そこにある 奇跡を信じて
もう 涙はいらない』
最後の高音を息が続く限り目一杯に伸ばしきり、気分良く歌い終えた菜々はマイクを下ろしてモニタから聴衆へ向き直った。
「すっげー!最高難度だって言われてるケイナ様のこの歌、完全にマスターしてんじゃん!」
「しかも振り付けまで覚えてるとか。ライブのケイナっぽくてすごくよかったよ菜々ちゃん」
口々に菜々の歌を絶賛してみせる茂松と豊島の向かいの席へ、まんざらでもない笑みを湛えながら菜々は腰を下ろす。
「テンポ早いし音程取るの難しい曲なんで、練習大変だったんですよ。さすがに疲れました」
「いやー、いいモン聴けたわ。次の番の裕太の歌が霞むな」
「菜々ちゃんの次じゃ何歌っても霞むわ。たまにはお前から先に歌え」
「だが断る」
「茂松要は動かない、ってヤツですね」
「まさか菜々ちゃんが四部ネタ知ってたとは」
人気青年向け漫画の名台詞を口にする茂松に合わせてきた菜々に対し、豊島は感嘆の声を漏らす。
にひひっ、と無邪気に笑って返しながら、菜々は手元の送信機を豊島の前に寄こした。
「元ネタ詳しく知らないですけど、断られちゃった豊島さん次どうぞ」
「俺は静かに暮らしたいんだがな…」
「あ、それも四部ネタですね」
「結構知ってんじゃん」
「いいから早く入れろよ裕太。お前が歌えるケイナ様ナンバー、そんなにレパートリーないだろ」
「なんでケイナ縛りなんだよ」
「ケイナじゃなくても、歌いやすい男性ボーカルの歌で全然いいですよ」
「ケイナ様マスターからお許しが出たぞ。普通の歌でいいだろシゲ」
えー、と抗議の声を上げる隣の茂松を軽く睨み付ける豊島。隣り合う二人のそんな光景を眺めていた菜々は、くすくすと笑い声を漏らした。
ケイナ以外の男性ボーカルの歌。豊島が好んで聴く歌といえば必然的にアニソンしかなかったが、いくつかの候補を思い浮かべてからなかなか絞りきれない彼は、送信機を適当に操作しながら長考した。
横から時々手を伸ばしてきて勝手に操作しようとする茂松の手を鬱陶しげに払いのけ、そんな彼らのやりとりを見て菜々が声を上げて笑う。それを何度か繰り返しているうちに、あっ、と何かを思いついたように菜々が声を上げた。
「あたし、豊島さんとカナちゃんさんが一番自信のある歌、聴きたいです」
「自信のある歌?」
「男性ボーカルのアニソン縛りで、お互いにこの歌なら負けないっていう自分の得意な歌、ありませんか?」
「得意、ねえ…」
「そうだなあ…」
菜々の提案を受けた二人は視線を虚空へ向けて思案し、彼女が提示した条件を満たす曲をいくつか思い浮かべる。
提案を出される前に候補を用意していた豊島は、それをきっかけにようやくその中から一つを選択することが出来、選曲を終えて送信する。
期待の色を込めて菜々がモニタへ視線を向けると、そこに表示された曲名を見て途端に目を輝かせた。
「おー。乙女ゲー原作のアニメ主題歌ですね」
「さすが反応早いな」
「ゲームの方はかなり思い入れありますから。豊島さんこれフルで歌えるんですか?」
「一応ね」
「さあっすがあ」
「なるほど。なっちゃんの嗜好に媚びる方向性でいけばいいのな」
「媚びてる気ねっつの」
菜々が好みそうな選曲をしたと解釈した茂松に否定を返しながら、豊島はソファから立ち上がってモニタへ一歩近づく。
やがて前奏が始まり、直前まで煙草を吸っていた喉の調子を整えるために数回咳払いを挟む。
期待の眼差しをこちらに向けている菜々を視界の隅に捉えながら、マイクを構えて深く息を吸い込んだ。
『胸焦がす この想いはすべて
運命へと導く 愛の衝動-Love Emotion-
この身が 世界が 終わり告げる
未来裁くのは My Diva』
ロック調の曲を悠々と歌い上げる豊島の歌声と、モニタに流れるアニメ映像に色めき立つ菜々は、オフマイクで豊島と共にイントロ部分を口ずさんだ後に黄色い歓声を上げた。
「豊島さんかっこいいー!歌い方もかなり寄せてあるし、うまいです!」
「高音ちょっと外したけどな」
謙遜して返すも、眩しいほどの笑顔で菜々に褒められたことを素直に喜び、豊島は軽くはにかんだ。
それを見て対抗意識が芽生えた茂松は、豊島が置いた送信機を手元に寄せて次に入れる曲を逡巡し始める。
「おーし。この歌以上のなっちゃん好みのナンバー入れてやっからなー。歌唱力でなっちゃんの好感度稼いどけよ裕太ー」
「稼いでどうすんだよ」
カラオケオーディションじゃあるまいし。豊島はそう続けて茂松にツッコミを入れようとしたが、Aメロが始まってしまい仕方なく歌の方へ意識を戻した。
「やっぱり豊島さん歌上手ですよねー。ケイナの歌も原曲キーで歌えるくらいだし」
「菜々ちゃんと比べたら自慢できるレベルじゃないって」
「あたし低音は苦手ですから。男性ボーカルの低いAメロBメロ歌ってる時の豊島さん、すごくかっこよかったですよ」
「そりゃどーも」
菜々の賞賛を世辞と捉えて返しつつ、割と本気を出して激しい曲を歌いきった疲れを感じながら、豊島はソファに腰を下ろした。
「俺だってケイナ様の歌、原曲キーで歌ってんぞ?」
「歌いこなせてる感は正直、カナちゃんさんより豊島さんの方が上なんじゃないかと」
「うわー。がっつり好感度稼がれてるー」
「稼いだつもりねっつの」
「豊島さんのリードを巻き返せる歌、決まりました?カナちゃんさん」
「なんだよ、まだ入れてなかったのか」
歌に集中していて茂松が送信した曲名を見落としたと思い込んでいた豊島は、おもむろに茂松の手元の送信機を覗き込もうとした。だがその視線から隠すように茂松は送信機を自分へ引き寄せ、同時に送信のアイコンをタップする。
「実はとっくに決めてあんだわ。これならなっちゃんの好みどストライクだろ」
「もったいぶりやがって。一体何のアニメの曲…」
「よーし俺も前出てガチで歌うか。マイク借りるぞ裕、あだっ!」
テーブルと豊島の間を通ってモニタの前に出ようとした茂松は、豊島に断りを入れようとした途中でその彼に尻を蹴飛ばされた。
「いってーな馬鹿裕太!なにも蹴るこたねーだろ!」
「馬鹿はてめえだ!アニソン縛りだっつったろが!」
言い争う二人の意図を汲めず目を丸くしていた菜々は、モニタに表示された曲名を遅れて確かめ、思わず歓喜の声を上げた。
「わー!カナちゃんさん、ビジュアル系歌っちゃうんですか!」
「ほら、なっちゃん喜んだじゃねーか」
「アニソンじゃねーからノーカンだろ!」
「一応タイアップしてますよ。少年漫画原作アニメのオープニング曲ですし」
「…そうだっけ」
「ほら見ろ」
審査員である菜々の許容的な発言を味方に付け、ドヤ顔で豊島を見下ろす茂松。憎たらしいその顔を腑に落ちない様子で睨み上げる豊島など意に介さず、モニタに向き直った茂松は自信たっぷりに歌い出しを決めた。
『追憶の闇に 捨て去ったはずのGuilty
繰り返す過ち 絶えることなき懺悔
女神-アテナ-の愛は 迷宮を彷徨う』
「きゃー!カナちゃんさんかっこいいー!最高ですー!」
「よっしゃ。なっちゃんの好感度バッチリ稼いでやったぞ裕太」
「お前にこんなん歌われたら、敵わねーわ…」
世間一般的にも知名度が高く、人気と実力を兼ね備えたビジュアル系バンドのヒットソング。対する豊島が選んだのは、愛好家の中では高い評価を得ているアニソンバンドの代表曲。
どちらの曲が菜々の好感を得られたのか。豊島の向かいで手足をばたつかせながら茂松の歌に興奮しきりの菜々の反応を見れば、その答えは明らかだった。
茂松に恨めしささえ抱かざるを得ない豊島だったが、そう思う理由は反則ギリギリの選曲をしたことに対してだけではなかった。
(菜々ちゃんの好感度稼ぐとか、最初からアドバンテージ持ってるシゲに敵うわけねーだろ…)
そもそも菜々の提案から始まった、豊島と茂松が男性ボーカルのアニソンを披露する流れに、菜々の好感度を上げる目的などあっただろうか。事の発端を思い返しても無意味だとわかりきっていた豊島は、茂松が歌っている楽曲が用いられたアニメのオープニング映像を不意に思い出した。
そしてそのアニメも原作の少年漫画も、女性人気が非常に高い作品であったことを思い出す。
(…どうしてこいつは腐女子の好みを掌握するスキルが異常に高いのか…マジで謎だわ)
自分より一枚も二枚も上手である親友にもはや恐れ入るしかない豊島だったが、どれほど自分が彼より劣っていようがさして気にならなかった。
豊島にとっても茂松にとっても、菜々はただ仲の良かった職場の元後輩でしかないのだから。




