聖夜の奇跡のお裾分け 4/4
* * *
「――メリークリスマース、サンタさんっ」
「へっ?…って、菜々!?」
帽子を被ったまま店の前のゴミを回収していたサンタクロースは、親しげに声をかけられて振り返った先に菜々の姿を捉えて、素っ頓狂な声を上げた。
(…そういうことね)
目的地が近づくにつれて薄々勘付き始めていた豊島は、菜々の狙いをその目で確かめて、ようやく胸を撫で下ろした。
明らかに緊張の糸を緩めた豊島の反応を隣で見ていた茂松は、思わずにやりとほくそ笑む。
「このたび、娘さんとお付き合いさせていただくことになりました、みてーな台詞、心ん中で何回練習した?」
「数えてない。…じゃなくて、してねーよ練習なんか」
「娘さんを俺にください、の方だったか?」
「だからしてねーって。それに段階を飛ばしすぎだ、それは」
懸命に冷静を努めようとしているのがありありと窺えて、茂松は肩を揺らして愉快げに笑う。
呑気なやりとりを交わす二人と、彼らを引き連れてきた菜々をまじまじと見比べ、サンタ帽を被って夜勤に励んでいた奈津美は、手にしていたゴミ袋を一旦地面に置いた。
「びっくりしたー、こんな時間に来るなんて。デート帰り?」
「ううん。もう一軒行くことになったから、ついでに寄ったの」
「いいねえ。年上の彼氏さん達に、いっぱい遊んでもらえて」
そう素直に羨んでみせながら、奈津美は菜々の後ろに立ってこちらを微笑ましく見守る二人ににっこりと笑いかけ、会釈した。
娘がいつもお世話になっております。そんな言葉を同時に言わせてもまるで違和感のない仕草に見えた二人は、菜々が彼女のことを『母親』に例えた言い回しも、まんざら大袈裟ではなかったと感じながら会釈を返す。
大人びたやりとりの間に挟まれた菜々は、対照的に子供のような無邪気な笑みを浮かべながら、奈津美の傍に歩み寄る。
「そのことなんだけどさ、奈津美にどうしても報告したいことがあって」
「報告?何よいきなり」
「あのね、ちょっとこれ貸して」
きょとんとする奈津美の返事も待たず、菜々は彼女の頭からひょいとサンタ帽を取り上げる。口を挟むことなくその行動を不思議そうな目で見ている奈津美を尻目に、菜々は後ろの二人を振り返って軽く手をこまねき、豊島を自分の横へ呼び寄せた。
ちょっと屈んでください、と発した菜々の言葉に素直に従い、長身をわずかに屈めた豊島の頭に、菜々は奈津美から借りたサンタ帽を乗せる。
「……色々あったけど、こうなりました」
わずかに照れが入った声音の一言を聞いて、豊島はようやく菜々の意図を理解した。その思惑を踏まえた上で奈津美の方を見やると、菜々とほとんど同じ背丈の彼女は瞬きも忘れて目を見開き、ぽかんと口を開けたままサンタ姿の豊島を見上げていた。
鈍感な豊島とは違い、奈津美は菜々がサンタ帽片手に二人の方を向いた時点で、彼女の思惑にとっくに気付いていた。一つしかない帽子を、二人の彼氏のどちらに被せる気でいるのか。その答えを目の前ではっきりと示された奈津美は、思いも寄らなかった衝撃的な報告に言葉を失う。
(…若干センスが古い気もすっけど、粋な彼氏報告しやがるじゃねーか、なっちゃん)
わずかにその輪から離れたところで三人を見守っていた茂松は、隣り合う二人の友人の背中をしみじみと見つめながら、穏やかな笑みを湛える。
サンタクロースの格好をした、恋人。誰もが知る往年の名曲になぞらえて、菜々は豊島を選んだことを示してみせたのだ。
遅れてそれを確信した豊島は、驚きを隠せない奈津美に軽くはにかんでみせる。奈津美はその反応をじっと確かめてから、長い間を置いてゆっくりと菜々へ視線を移した。
「……菜々。あんた……本当に……」
「…本当だよ。今度こそちゃんと、たった一人の彼氏として」
「本当に……っ…ほんと、にっ……!」
次第に声を詰まらせていった奈津美は、感極まって目一杯に菜々を抱き締めた。
「よかったああぁ!ほんとよかったよ菜々ああぁ!」
「うん。これでもう、奈津美に心配掛けなくて済むよ」
「今度こそっ……今度こそ、菜々……っう……うわああああん!」
「奈津美……っ…」
泣きむせぶ奈津美の頭を撫でて慰めていた菜々も、親友の幸せを心から喜んでくれる強い想いに涙を浮かべ、堪えきれずにきつく抱き締め返して泣き出した。
とうに客足が途絶えた深夜のコンビニの店先から、二人の泣き声だけが辺りに響き渡る。共に苦悩し、行く末を真剣に案じてきたこれまでの何もかもが、クリスマスという特別な夜にようやく報われたのだ。
それこそ本当の家族のような強い絆で支え合ってきた彼女達の抱擁を、二人の男は感慨深く見守っていた。
「…責任重大だぞ、裕太」
「……ああ」
言葉少なに念を押してきた茂松に、真剣味を帯びた表情を湛えて豊島は返す。
何の障害もなく、幸せを感じてもらうこと。それが恋人としての使命であることくらい豊島でさえ承知していたし、すでに決意は固めてあった。
だが、これまであまりにも哀れな境遇に置かれていた菜々に、心からの笑顔を絶やさないでいてもらうためには、生半可な覚悟でいてはいけないと、改めて実感させられる。
願わくば、どんな境遇に置かれた人々にも分け隔てなく幸せを届けられる、誰もが憧れる存在でありたい。大それた願望だと苦笑を浮かべつつも、せめて彼女にとってのそんな存在でいられたらと、豊島は被せられた帽子を軽く直した。
やがて、ひとしきり泣いて気を晴らし、抱擁を解いた二人はすっかり赤く腫らした目元を拭う。
「……わざわざ伝えに来てくれて、ありがとうね菜々。クリスマス勤務がひたすらダルくて仕方なかったあたしにとって、最高のプレゼントだよ」
「プレゼントだなんて、そんな大袈裟な。普通のプレゼントも何も用意してないのに」
「じゃあイブの分の売れ残ったケーキ、あたしに奢りなさい。もちろんホールのやつね」
「一人で全部食べるの?」
「当然」
「まったく。あたしなんかの心配する必要もなくなったんだから、奈津美もそろそろ自分の…」
不意に言葉を切って菜々ははっと何かに気付き、後ろを振り返って爛々と輝かせた目を二人に送る。
意味深な視線を受けて目を丸くしていた二人のうち、先に菜々の意図に気付いたのは、意外にも豊島の方だった。
「……なるほど。つまり、こうか」
「んなっ!?」
豊島はサンタ帽をおもむろに脱いで、茂松の頭にぽんと乗せる。その瞬間にようやく彼らの狙いを悟った茂松は、ずり落ちかけた帽子を手で押さえながら、瞬く間に顔を赤らめた。
「ちょっ、あんた、いくらなんでもそれは…!」
堪らず奈津美は慌てた。たまたま居合わせた独り身の男女であるとはいえ、性急に仲を取り持たれる展開に心の準備が追いつかない。
満面の笑みで親指を立て、豊島の行動を讃えていた菜々は、期待を込めて奈津美に向き直って問いかける。
「ね、どうかな?」
「ど、どうかなも何も…」
「ちょっとオタクっ気が強くて自分主義で意外と抜けてるとこがあるけど、すっごくいい人なんだから」
「欠点が九割越えてんぞ、なっちゃん」
「それと実は魔法使いだったりするし」
「おいこら!」
途中からツッコミを挟み始めた茂松は、咄嗟に声を張り上げる。さすがに奈津美はあまりサブカルチャーの素養がないのか、菜々の発言に首を傾げる反応を確かめて、ひとまず安堵した。とりあえず、横で笑いを堪えきれずに吹き出す豊島を睨み付け、八つ当たりの拳骨を喰らわせる。
粗暴なサンタと、そんな彼を背に無垢な目で見つめてくる目の前の親友を交互に見比べて、奈津美は戸惑う心をなんとかなだめつつ逡巡した。
「……せっかくだけど、出来れば遠慮したい、かな」
間髪入れずに「えーっ!?」と驚愕してみせる菜々のとんでもない声量の叫びが、辺り一帯に響き渡る。
なんでどうしてとまくしたてる菜々に苦笑いを返す奈津美は、彼女の頭越しに茂松へ視線を送った。淡い期待は寄せていなかったものの、断った理由をしつこく引き出そうとする菜々と同様に、彼女の発言の意図が茂松はどうしても気になった。
はっきりと口にしていいものか迷いを見せつつも、奈津美は申し訳なさそうに笑んでみせながら口を開く。
「親友を散々泣かせてきた人が彼氏じゃ、ご期待に添えるだけの彼女を務めるのは、さすがに厳しいかなって」
茂松と恋人関係にならない理由を正直に答えられ、それを受けた三人はただただ苦笑するしかなかった。
我が子を泣かせた相手のことを、純粋な好意の目で見ることなど出来ない。菜々のかけがえのない親友は、やはり彼女の母親でもあるのだと、三人は改めて思い知らされた。
菜々は仕事に戻る奈津美にケーキを奢ってやり、豊島と茂松もそれぞれ自分の煙草を買い足し、三人は並んで店を後にした。
「さーてとっ。彼氏自慢も済ませたことですし、満を持して飲み直しに行きましょっか」
当初の『報告』の目的をしれっと『自慢』に差し替えた菜々の一言に、両隣の男達が同時に息を漏らす。
「自慢、ねえ。なっちゃんが胸張って自慢できる彼氏になれよ、裕太」
「い、言われなくても、そのつもりだ」
「ほんとかなあ?」
「う…」
「なんだそのヘタレリアクション。そんなんでちゃんとなっちゃんのサンタが務まんのかよ」
「……余計なお世話だ」
「大丈夫ですよ豊島さんなら。サンタの練習させるために、ちゃんと準備もしてきましたし」
そう言って菜々はバッグを漁り始め、取り出したそれを二人にしっかりと見せつけた。
奈津美が被っていたものと同じ、赤いサンタ帽。おそらくそれは、菜々が仕事の時に着用しているものなのだろう。いつの間にバッグに忍ばせていたのかと二人が不思議に思っているうちに、菜々は自ら帽子を被ってみせる。
「どうですか?あたしのサンタコス」
愛らしく小首を傾げて感想を求めてくる菜々に、豊島は不覚にもどきりとした。
「あ……ああ。似合ってるよ」
「それじゃ駄目だ。やり直し」
「なんだよ」
豊島の返しに駄目出しを入れた茂松は、やれやれといった顔で豊島ににじり寄り、耳打ちする。
「めちゃくちゃ可愛い、くらい言ってやれ」
「なっ…!」
少々難易度の高い褒め言葉を指示され、豊島は恥ずかしさのあまり赤面した。
茂松に何を吹き込まれたのだろうとさらに首を傾げる菜々を前に、口をぱくぱくさせるだけで言葉を紡げない豊島の顔は、どこまでも紅潮していく。
「…………いっ……言えるか馬鹿野郎ーっ!!」
「いっでえーっ!!」
渾身の照れ隠しを込めた豊島の拳が、にやけ顔の茂松の肩に炸裂する。
いつも以上に滑稽な二人の掛け合いに、菜々は腹の底から笑い声を上げた。
助けを借りて笑いのプレゼントを届けられるとはいえ、サンタ見習いが一人前になる日は、まだまだ遠いようだ。
【外伝:聖夜の奇跡のお裾分け】 -FIN-
めでたくクリスマスに結ばれて感動の(?)終わりを迎えた菜々と豊島。聖夜に彼らが授かったあらゆる奇跡を、身近な人々に贈り届けていたお話、いかがでしたでしょうか。
本編から続く今回の外伝は、タイトル決めに相当時間がかかりました。「サンタクロースな恋人達」「恋人自慢」「奇跡を支えた子供達へ」といくつか候補があったのですが、最終的に今のタイトルに決まりました。聖夜の奇跡とは?彼らは何をお裾分けしたのか?その点について、ここで触れていきたいと思います。
奇跡については特にひねりはございません。菜々と豊島が恋人になったことです。菜々の飛び降りを間一髪で助けたことも、もちろん奇跡と言っていいでしょう。恋愛ドラマのような濃密な出来事がクリスマスに起こった、これも奇跡かも知れません。
様々な奇跡を得た彼らが、何をお裾分けしたか。これについては多様に解釈できるようにしてあります。具体的に言うと、野田と茂松にはホットの缶コーヒー、奈津美にはケーキですね。野田にはぶん投げてしまいましたが、彼らによって贈られた形のあるものが何だったかは簡単だと思います。
同時に、形のないものも三人に対して贈られています。紆余曲折を経てこのたび恋人になりました、という報告です。これも比較的わかりやすい伏線でしょう。
そしてもう一つ、贈る側も受け取った側も気付いていない贈り物がありました。それは「涙」です。茂松と奈津美の反応を見るとわかりやすいですが、野田の場合はどうでしょう。鮮明に「泣いた」という描写をあえて伏せた意図を、多様に解釈していただきたいという狙いを含んだつもりです。
さて、最後に「涙」を贈ったと明かしましたが、そうすることが出来たのは菜々なのか豊島なのか、あるいは二人の力なのか、その答えは読み手のお好みの解釈に委ねたいと思います。
菜々が魔法を使ったのか?涙の魔法の力など持っていないはずの菜々は、豊島とキスしたことでその能力を得られた。そう解釈出来るでしょう。魔法を掛けられた彼らに対し、直前に何らかの行動を起こしているのは菜々ですから。
魔法は二人の力によるものなのか?前述の解釈にならって、菜々にも豊島にも能力が備わったとすれば、その可能性も考えられます。
やはり元々魔法を使えた豊島の力なのか?個人的にはこの解釈を好んでいたりします。後半で菜々が茂松に対して「豊島とはまだキスをしていない」と断言していますが、豊島がまだ魔法を使えるかどうかによって、この発言に関わる裏事情が大きく変わるのです。菜々が屋上で豊島と唇を重ねた行為は、魔法として成功していたのか?それとも実は失敗していて、実際は豊島の初体験にカウントされるただのキスだったのか?いかようにも解釈できるこの豊島説を是非とも推したいです。
日付を跨いでクリスマス当日を迎えた夜にも、実は色んなことが起こっていた。そんなお話でした。




